7−3:蒼炎の砦
………
非政府組織『S.T.Y.X.』の本部は混乱を極めていた。
外部から採集できるデータや事実を元に出来る限りの準備を進めてはいるものの、発災直後とはいえ情報が少なすぎる。
ファントム発生に備えてカローンも相当数の人員を待機させているが、めぼしい対策も無い現状、ただ緊張だけが高まる状態が続いていた。
「所長、先ほどは失礼しました」
日焼けした肌の女性職員が、ヘルメット姿の男に声をかける。隣には痩せた体格の男性職員が困った顔で付き添っていた。
「体調はどうだい?」
「動ける程度には回復しました。もう大丈夫です」
「旦那さんは心配そうだけど」
彼女は夫を振り返り、ちょっと憮然とした顔で睨む。再び所長に向き直った。
「大丈夫です」
「……正直な事を言えば、貴女が前線に加わってくれるのは心強い」
「状況に変化は」
「何も。まだ侵食は続いているし、内部から誰かが出てきたという話も無い。今は流れ星を待っている状態さ」
「……流れ星?」
「そう。とっても素敵な、幸せの流れ星」
場違いなほどに愛らしい、少女のような声に夫妻が振り返れば、ヘルメット姿の女性が腰に手を当てて胸を張っている。
「きっと素敵なものを私たちにもたらしてくれるわ」
「…………もしかして、ORTHOですか?」
「ご明察!」
「どういう事?」
「ORTHOなら、あのエネルギーフィールドを何らかの方法で抜け出してこちらにコンタクトを取る事が出来る可能性はある。彼の知能と意識は情報として電脳世界を通ってこられるからね」
そこでやっと日焼けした女性が合点のいった顔になる。
「内部の情報が、せめてこの原因が解れば、対策も前進する」
「可能性がある、程度だけどね」
「魔法災害警報を発したのはORTHOだ。この島を一時的にでも乗っ取った彼が、簡単に諦めるとは思えない。どんな手を使ってでも接触を図るでしょう」
「その最も可能性の高い経路は、既に監視下に置いてあるわ」
「さすが技術部主任。仕事が早くてらっしゃる」
男性は苦笑しながら、所長に向き直る。
「カローンの出動に向け追加装備の開発許可を頂きに来たのですが、これならまだ待機状態を保持していた方が良さそうですね」
「ええ。勿論タイムリミットは設定してるけど、情報が明らかになってからリソースを集中させたいの」
「……という事らしいので、そうしてもらえるかな」
「当然の判断です。では、私も解析班の仕事に……」
「テスト用通信衛星より入電!」
オペレーターの声で、管制室が一気に緊張する。
「来たっ!識別IDは!?」
「……ORTHOです!」
所長と主任、その場にいたスタッフたちが一人のオペレーターに注目する。スピーカーから途切れ途切れに流れてきた音声は、確かにオルトのものだった。主任が飛び上がって喜びを露わにする。
「イエース!やった!うちのお兄ちゃんなら絶対に『どんな状況でもネットが無いと生きていけない』とかいって、通信衛星を無断でハックして使ってると思ったの!」
「イデアはまた勝手に『S.T.Y.X.』の設備を……はぁ……」
「デジタルフィルターとノイズリダクションかけて!ゲートウェイのアンテナの照準を調整!」
はしゃぐ母親の横で、父親が責任者としての溜息を吐く。嘆息は無視され、オペレーターは上司の指示通りに受信感度の調整を行った。
情報が受信され、ホログラムが表示される。
『……メーデー、メーデー。こちらオルト。「S.T.Y.X.」本部、応答願います』
「こちら『S.T.Y.X.』本部。聞こえるか、オルト?」
「オルくーん!ママだよ!」
所長と主任が返事をすれば、ホログラムのオルトは表情を和ませた。
『父さん!母さん!ああよかった、やっと繋がった!』
「オルくん、怪我はない!?お兄ちゃんは無事!?あのエネルギーフィールドは何?怖かったね……!」
「少し落ち着きなさい、主任」
矢継ぎ早に質問を投げる母親を、父親がわざと責任者の立場から諫める。そして努めて冷静に、オルトに視線を向けた。
「オルト、状況の説明を頼めるか?」
『了解。映像データは重いから、音声で記録を再生するよ』
その声の後、魔法災害警報から、機能停止までの音声が流れた。途中の混乱した様子に顔をしかめる者がいる中で、分析官と機動隊員の夫妻は顔を見合わせる。
「今の声、あの……ユウくんよね?」
「おそらく」
再び視線がオルトに集まる。
「……成程。つまり賢者の島を覆う強大なエネルギーフィールドは、茨の谷の次期当主マレウス・ドラコニアの魔法によるものだという事だな」
『うん。マレウスさんが展開した魔法によって、島は外界とは隔絶してるみたいで、時間経過すら彼の支配下に置かれてる。現在領域内に存在する生命体は全て、睡眠状態にあるよ』
「……先ほど感じた、島を覆う黒い茨の既視感……あれは、古い文献の図版に残る茨の魔女の伝説に酷似していたからか。術者が妖精……しかも、あのドラコニア家の末裔ならば納得がいく」
「あのエネルギーフィールド内の空間は、魔法により彼に完全に掌握されている。『領域支配』……領域内の世界を意のままに改変できる、古代魔法の一種ね」
「神話の時代より、妖精は気候変動や地殻変動を司ってきた。今も世界と繋がる魔法を使うとは聞いていたが……とんでもないな」
開示された情報とその分析の結果を受けて、思わずといった様子で素直な感想を漏らした。しかしすぐに『S.T.Y.X.』としての視点を取り戻す。
「これほどの規模の魔法……術者のオーバーブロットは免れなかったはずだが」
『僕の内蔵カメラでは、マレウスさんが魔法を発動した瞬間までしか記録できていない。でも、僕が機能停止直前に観測したブロット濃度を考えれば、いま彼はオーバーブロット状態にある可能性が高いね』
「だとすれば、魔法領域の拡張をできる限り抑制しつつ、彼が魔力を燃やし尽くすのを待てば……」
「待って。妖精は自らが持つ魔力の他にも、自然から魔法エネルギーを取り込める者もいるわ。もしマレウスも、その性質を持っていたら?」
「魔力切れによる術の解除は見込めず、このまま魔法領域は拡大し続けるという事か」
所長が溜息を吐く。
「そうなれば黎明の国はおろか、全世界に領域支配が及ぶ可能性も……」
『まさか……マレウスさんはそのつもりで、少しずつ領域を広げ続けている……とか?』
最悪の予測を否定できる要素も今は無い。沈黙が流れ、技術部主任が顔を上げる。
「情報が少なすぎる。……茨の谷に連絡を取り、マレウス・ドラコニアに関する情報提供を求めましょう」
「先代当主も、かの谷との交流には苦労したと聞く。だが……やってみよう」
出来る限り最短ルートを使用したい。時間は待ってくれないのだから。
そしてたったひとつの仕事だけに手をかけてもいられない。
「同時に、我々も独自に島民救助の策を講じなくては。ただ返事を待ってはいられない」
「エネルギーフィールド内の状況を把握、それから強制解呪方法の解明が最優先ね」
「しかし、魔法領域内は全てがマレウスの支配下なんだろう?現状の装備では、カローンを内部に送り込む事すら不可能だ」
「だったら急いであのエネルギーフィールドを突破できる装備を作るっきゃないでしょう!」
技術部主任は明るく言い放つ。分析官が後ろで苦笑いしていた。
一方、所長は慎重な姿勢を崩さない。
「しかし、装備が整ったとしても領域内では何が起きるかわからない。現行のパワードアーマーに搭載されているAIでは、臨機応変な状況判断は難しい。有用な解析データを持ち帰れるかどうか……」
「かといって、有人操縦で領域内に突入するのは危険すぎる。AIエンジニアに改良を頼んではみるけど……ああ、こんな時にお兄ちゃんがいてくれればな~!」
オルトは、悩む両親の顔を見ながら考える。
目の前にある最善の選択肢を取らないのはどうしてだろう、と。
それが人間の愛情というフィルターによるものだとすぐに理解をして、だからこそ提案する。
『その調査、僕に行かせて』
所長と技術部主任が固まる。その反応を、オルトは敢えて無視した。
『僕は現時点で世界最高の自律型AI。的確に状況を判断し、領域内部から情報を持ち帰る事ができる』
マレウス・ドラコニアは世界で五本の指に入ると称えられた魔法士だ。自然に干渉できる妖精でもある。
しかしオルトは妖精が干渉できる『自然』の摂理から外れたものだ。
イデア・シュラウドという人間の天才が生みだした、科学の申し子とでも呼ぶべき存在。
彼の心臓部である魔導リアクターさえ停止しなければ、彼の意識はマレウス・ドラコニアの魔法でさえ書き換えられない。こうして魔法領域の脱出に成功している事が、その何よりの証拠とも言える。
『でも今あるギアじゃ、あのエネルギーフィールド内では活動できない』
ナイトレイブンカレッジで使用していたギアは、魔導回路を使用している物理的な存在であるために、マレウスの魔法の影響を受け休眠状態にある。その事実を否定する事は出来ない。
その状況を覆せるような装備が要る。
『だから、母さん。僕に新しいギアをちょうだい。マレウスさんの支配する領域内でも活動できるギアを!』
「そんなの危険すぎる!」
我に返った母親が叫ぶ。
「まだエネルギーフィールドを構成する要素の解析すら出来ていないのに。たとえ突入できたとしても、無事に戻ってこられるかわからない」
感情は揺れているが、状況分析も冷静だ。
今の段階で、身の安全を保証できる要素は何一つ存在していない。
「もしデータを転送する間もなくコアを破壊されたら、オルくんだって……!」
『んっ、あれぇ~?なんだか電波の調子が……あ~、衛星が惑星の影に入っちゃう!』
人工知能にあるまじき、わざとらしくすっとぼけた発言だ。人間のようなその言葉に対し、人間である母親も我が子に本気で怒っている。
「あっ!?こら、オルくん!?話はまだ終わってないよ!」
『これから僕の構成データを一度バラバラに分解して、「S.T.Y.X.」に送る。しばらく通信できなくなるけど……そっちに帰った時、何も準備してくれてなかったら……』
母の怒りを無視して、オルトは一方的に話を進める。そして兄そっくりの悪どい笑顔を両親に向けた。
『「ケルベロス」と一緒に嘆きの島全体のスプリンクラーを止まらなくしてやるから。じゃあ、またね!』
「待ちなさい、オルト!」
「オルくん!んもう!戻ってきたら覚えてなさい!」
両親の制止も聞かず、通信は切れる。
「通信衛星よりORTHOの構成データのダウンロードを開始しました。ダウンロード完了予定時刻は……四十八時間後です」
オペレーターが告げる。所長はここに来て何度目か知れない溜息を吐いた。
「四十八時間……か。どうする技術部主任…………あれ、主任は?」
「主任なら既に退室されました」
「技術開発部所属の全スタッフに、第四ミーティングルームへの召集命令がかかっています」
「…………これだから天才ってやつは」
更にもう一回溜息を増やしてから、所長は背筋を伸ばす。
内部へ進入する人員は確保できた。彼を守るための装備、情報収集の為のデバイスも、彼女と研究員たちなら完璧に作り上げるだろう。
それ以外の部分のサポートは、責任者の仕事だ。
「では……凡人にもやれる事から着手するとしよう」
非政府組織『S.T.Y.X.』の本部は混乱を極めていた。
外部から採集できるデータや事実を元に出来る限りの準備を進めてはいるものの、発災直後とはいえ情報が少なすぎる。
ファントム発生に備えてカローンも相当数の人員を待機させているが、めぼしい対策も無い現状、ただ緊張だけが高まる状態が続いていた。
「所長、先ほどは失礼しました」
日焼けした肌の女性職員が、ヘルメット姿の男に声をかける。隣には痩せた体格の男性職員が困った顔で付き添っていた。
「体調はどうだい?」
「動ける程度には回復しました。もう大丈夫です」
「旦那さんは心配そうだけど」
彼女は夫を振り返り、ちょっと憮然とした顔で睨む。再び所長に向き直った。
「大丈夫です」
「……正直な事を言えば、貴女が前線に加わってくれるのは心強い」
「状況に変化は」
「何も。まだ侵食は続いているし、内部から誰かが出てきたという話も無い。今は流れ星を待っている状態さ」
「……流れ星?」
「そう。とっても素敵な、幸せの流れ星」
場違いなほどに愛らしい、少女のような声に夫妻が振り返れば、ヘルメット姿の女性が腰に手を当てて胸を張っている。
「きっと素敵なものを私たちにもたらしてくれるわ」
「…………もしかして、ORTHOですか?」
「ご明察!」
「どういう事?」
「ORTHOなら、あのエネルギーフィールドを何らかの方法で抜け出してこちらにコンタクトを取る事が出来る可能性はある。彼の知能と意識は情報として電脳世界を通ってこられるからね」
そこでやっと日焼けした女性が合点のいった顔になる。
「内部の情報が、せめてこの原因が解れば、対策も前進する」
「可能性がある、程度だけどね」
「魔法災害警報を発したのはORTHOだ。この島を一時的にでも乗っ取った彼が、簡単に諦めるとは思えない。どんな手を使ってでも接触を図るでしょう」
「その最も可能性の高い経路は、既に監視下に置いてあるわ」
「さすが技術部主任。仕事が早くてらっしゃる」
男性は苦笑しながら、所長に向き直る。
「カローンの出動に向け追加装備の開発許可を頂きに来たのですが、これならまだ待機状態を保持していた方が良さそうですね」
「ええ。勿論タイムリミットは設定してるけど、情報が明らかになってからリソースを集中させたいの」
「……という事らしいので、そうしてもらえるかな」
「当然の判断です。では、私も解析班の仕事に……」
「テスト用通信衛星より入電!」
オペレーターの声で、管制室が一気に緊張する。
「来たっ!識別IDは!?」
「……ORTHOです!」
所長と主任、その場にいたスタッフたちが一人のオペレーターに注目する。スピーカーから途切れ途切れに流れてきた音声は、確かにオルトのものだった。主任が飛び上がって喜びを露わにする。
「イエース!やった!うちのお兄ちゃんなら絶対に『どんな状況でもネットが無いと生きていけない』とかいって、通信衛星を無断でハックして使ってると思ったの!」
「イデアはまた勝手に『S.T.Y.X.』の設備を……はぁ……」
「デジタルフィルターとノイズリダクションかけて!ゲートウェイのアンテナの照準を調整!」
はしゃぐ母親の横で、父親が責任者としての溜息を吐く。嘆息は無視され、オペレーターは上司の指示通りに受信感度の調整を行った。
情報が受信され、ホログラムが表示される。
『……メーデー、メーデー。こちらオルト。「S.T.Y.X.」本部、応答願います』
「こちら『S.T.Y.X.』本部。聞こえるか、オルト?」
「オルくーん!ママだよ!」
所長と主任が返事をすれば、ホログラムのオルトは表情を和ませた。
『父さん!母さん!ああよかった、やっと繋がった!』
「オルくん、怪我はない!?お兄ちゃんは無事!?あのエネルギーフィールドは何?怖かったね……!」
「少し落ち着きなさい、主任」
矢継ぎ早に質問を投げる母親を、父親がわざと責任者の立場から諫める。そして努めて冷静に、オルトに視線を向けた。
「オルト、状況の説明を頼めるか?」
『了解。映像データは重いから、音声で記録を再生するよ』
その声の後、魔法災害警報から、機能停止までの音声が流れた。途中の混乱した様子に顔をしかめる者がいる中で、分析官と機動隊員の夫妻は顔を見合わせる。
「今の声、あの……ユウくんよね?」
「おそらく」
再び視線がオルトに集まる。
「……成程。つまり賢者の島を覆う強大なエネルギーフィールドは、茨の谷の次期当主マレウス・ドラコニアの魔法によるものだという事だな」
『うん。マレウスさんが展開した魔法によって、島は外界とは隔絶してるみたいで、時間経過すら彼の支配下に置かれてる。現在領域内に存在する生命体は全て、睡眠状態にあるよ』
「……先ほど感じた、島を覆う黒い茨の既視感……あれは、古い文献の図版に残る茨の魔女の伝説に酷似していたからか。術者が妖精……しかも、あのドラコニア家の末裔ならば納得がいく」
「あのエネルギーフィールド内の空間は、魔法により彼に完全に掌握されている。『領域支配』……領域内の世界を意のままに改変できる、古代魔法の一種ね」
「神話の時代より、妖精は気候変動や地殻変動を司ってきた。今も世界と繋がる魔法を使うとは聞いていたが……とんでもないな」
開示された情報とその分析の結果を受けて、思わずといった様子で素直な感想を漏らした。しかしすぐに『S.T.Y.X.』としての視点を取り戻す。
「これほどの規模の魔法……術者のオーバーブロットは免れなかったはずだが」
『僕の内蔵カメラでは、マレウスさんが魔法を発動した瞬間までしか記録できていない。でも、僕が機能停止直前に観測したブロット濃度を考えれば、いま彼はオーバーブロット状態にある可能性が高いね』
「だとすれば、魔法領域の拡張をできる限り抑制しつつ、彼が魔力を燃やし尽くすのを待てば……」
「待って。妖精は自らが持つ魔力の他にも、自然から魔法エネルギーを取り込める者もいるわ。もしマレウスも、その性質を持っていたら?」
「魔力切れによる術の解除は見込めず、このまま魔法領域は拡大し続けるという事か」
所長が溜息を吐く。
「そうなれば黎明の国はおろか、全世界に領域支配が及ぶ可能性も……」
『まさか……マレウスさんはそのつもりで、少しずつ領域を広げ続けている……とか?』
最悪の予測を否定できる要素も今は無い。沈黙が流れ、技術部主任が顔を上げる。
「情報が少なすぎる。……茨の谷に連絡を取り、マレウス・ドラコニアに関する情報提供を求めましょう」
「先代当主も、かの谷との交流には苦労したと聞く。だが……やってみよう」
出来る限り最短ルートを使用したい。時間は待ってくれないのだから。
そしてたったひとつの仕事だけに手をかけてもいられない。
「同時に、我々も独自に島民救助の策を講じなくては。ただ返事を待ってはいられない」
「エネルギーフィールド内の状況を把握、それから強制解呪方法の解明が最優先ね」
「しかし、魔法領域内は全てがマレウスの支配下なんだろう?現状の装備では、カローンを内部に送り込む事すら不可能だ」
「だったら急いであのエネルギーフィールドを突破できる装備を作るっきゃないでしょう!」
技術部主任は明るく言い放つ。分析官が後ろで苦笑いしていた。
一方、所長は慎重な姿勢を崩さない。
「しかし、装備が整ったとしても領域内では何が起きるかわからない。現行のパワードアーマーに搭載されているAIでは、臨機応変な状況判断は難しい。有用な解析データを持ち帰れるかどうか……」
「かといって、有人操縦で領域内に突入するのは危険すぎる。AIエンジニアに改良を頼んではみるけど……ああ、こんな時にお兄ちゃんがいてくれればな~!」
オルトは、悩む両親の顔を見ながら考える。
目の前にある最善の選択肢を取らないのはどうしてだろう、と。
それが人間の愛情というフィルターによるものだとすぐに理解をして、だからこそ提案する。
『その調査、僕に行かせて』
所長と技術部主任が固まる。その反応を、オルトは敢えて無視した。
『僕は現時点で世界最高の自律型AI。的確に状況を判断し、領域内部から情報を持ち帰る事ができる』
マレウス・ドラコニアは世界で五本の指に入ると称えられた魔法士だ。自然に干渉できる妖精でもある。
しかしオルトは妖精が干渉できる『自然』の摂理から外れたものだ。
イデア・シュラウドという人間の天才が生みだした、科学の申し子とでも呼ぶべき存在。
彼の心臓部である魔導リアクターさえ停止しなければ、彼の意識はマレウス・ドラコニアの魔法でさえ書き換えられない。こうして魔法領域の脱出に成功している事が、その何よりの証拠とも言える。
『でも今あるギアじゃ、あのエネルギーフィールド内では活動できない』
ナイトレイブンカレッジで使用していたギアは、魔導回路を使用している物理的な存在であるために、マレウスの魔法の影響を受け休眠状態にある。その事実を否定する事は出来ない。
その状況を覆せるような装備が要る。
『だから、母さん。僕に新しいギアをちょうだい。マレウスさんの支配する領域内でも活動できるギアを!』
「そんなの危険すぎる!」
我に返った母親が叫ぶ。
「まだエネルギーフィールドを構成する要素の解析すら出来ていないのに。たとえ突入できたとしても、無事に戻ってこられるかわからない」
感情は揺れているが、状況分析も冷静だ。
今の段階で、身の安全を保証できる要素は何一つ存在していない。
「もしデータを転送する間もなくコアを破壊されたら、オルくんだって……!」
『んっ、あれぇ~?なんだか電波の調子が……あ~、衛星が惑星の影に入っちゃう!』
人工知能にあるまじき、わざとらしくすっとぼけた発言だ。人間のようなその言葉に対し、人間である母親も我が子に本気で怒っている。
「あっ!?こら、オルくん!?話はまだ終わってないよ!」
『これから僕の構成データを一度バラバラに分解して、「S.T.Y.X.」に送る。しばらく通信できなくなるけど……そっちに帰った時、何も準備してくれてなかったら……』
母の怒りを無視して、オルトは一方的に話を進める。そして兄そっくりの悪どい笑顔を両親に向けた。
『「ケルベロス」と一緒に嘆きの島全体のスプリンクラーを止まらなくしてやるから。じゃあ、またね!』
「待ちなさい、オルト!」
「オルくん!んもう!戻ってきたら覚えてなさい!」
両親の制止も聞かず、通信は切れる。
「通信衛星よりORTHOの構成データのダウンロードを開始しました。ダウンロード完了予定時刻は……四十八時間後です」
オペレーターが告げる。所長はここに来て何度目か知れない溜息を吐いた。
「四十八時間……か。どうする技術部主任…………あれ、主任は?」
「主任なら既に退室されました」
「技術開発部所属の全スタッフに、第四ミーティングルームへの召集命令がかかっています」
「…………これだから天才ってやつは」
更にもう一回溜息を増やしてから、所長は背筋を伸ばす。
内部へ進入する人員は確保できた。彼を守るための装備、情報収集の為のデバイスも、彼女と研究員たちなら完璧に作り上げるだろう。
それ以外の部分のサポートは、責任者の仕事だ。
「では……凡人にもやれる事から着手するとしよう」