7−3:蒼炎の砦

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 賢者の島は眠りに落ちた。
 火は消え、人は眠り、全ての時間が止まったように動かなくなる。
 とはいえ、それは物質の話。
 人々の生活のために島内に張り巡らされた無線通信のネットワークはそこに在り続ける。溢れもせず供給も絶えず、流れ続ける状態が常の存在は、時間が止まっても『在る』からには流れ続ける。『在る』状態で時間が止まったら流れも止まってしまうなら、それは『無い』になったと言う事で、時間停止という現象が許容してはならない明らかな『変化』になってしまうのだ。
 それはつまり、目に見えないネットワークの流れに紛れる事が出来るものにとって、自由に動ける状況は保たれているという事に他ならない。何せ情報通信そのものは人間の目には見えないのだ。パラメーターの可視化を行ってやっと、人間はその存在をかろうじて掴んでいるにすぎない。
 魔導工学の天才によって作られた魔導ヒューマノイドには、己の意識に相当する部分を『情報』へと変換し、ネットワークの海に流す機能があった。
 自身の駆体が著しく破損した時などに自覚的に行う事が出来る他、スリープ状態でもネットワーク接続が保たれていれば、バックグラウンドで意識の情報化が行われ、ネットワークを伝い同じ領域に接続した別の機器へと意識を移す事が出来る。
 マレウス・ドラコニアは人間の文明の中でも、機械技術にとてつもなく疎い。古くて単純な電子機器の玩具で遊ぶ事は何故か出来るのだが、竜という種族の性質上、人の姿をしていても腕力が比較にならないほど強く、また感情が高ぶると溢れる雷は電子機器の弱点であり、つまり相性が悪い。
 結果として、彼にとっては人間の使う機械は『何もしてないのに壊れる弱いもの』だ。その利便性の恩恵を受けた実感は、これまでの人生で一切無かっただろう。
 世界で五本の指に入る魔法士の魔法でさえ、万能ではない。彼の想像……イマジネーションの及ばぬものにまで、完璧に干渉は出来ないのだ。
 オルト・シュラウドは電子の海を駆けながら思案する。
 通信機能が止まらなかったおかげで、スリープ状態の駆体から抜け出せたのは幸運だった。時間はかかったものの、駆体に入っていたデータは全てネットワーク上に持ち出せている。イグニハイド寮にあるイデアのパソコンなどに一時的にでも保存が出来れば、消失の心配も無い。
 そう考えながら、映像データを見返す。
 高濃度のブロットを検出し、警報を鳴らした自分。
 マレウス・ドラコニアを止めるよう指示を出した学園長と、彼に従って戦いを挑んだ生徒と教師たち。その一切の攻撃を跳ね返したマレウス・ドラコニア。
 そんな光景を見て尚、生身でマレウス・ドラコニアの説得に当たろうとした彼。その彼に、マレウス・ドラコニアの施した魔法。
 彼の心臓の真上に咲いていた赤黒い薔薇が散って、代わりに大輪の黒い薔薇が咲き誇る。そこから蔓が全身を覆い、姿を消した後、彼は激痛に叫び床に倒れた。
 オルトに搭載された高性能のカメラだからこそ記録できたが、本来は一瞬にも満たないくらいの高速の変化だった。多くの人には『マレウスに触れられた途端に叫んで倒れた』ようにしか見えなかっただろう。
 気になるのは彼の胸から散って、彼が倒れる直前に消えた赤黒い薔薇の花弁……魔力の欠片だ。
 マレウス・ドラコニアが施したのは『魔力回路の封印』だ。
 厳密には、彼の身体には本来、魔力回路が存在しない。『自然に開かない』とイデアは説明していたが、最初から無いものが勝手に開く道理は無い、という話だ。
 彼の身体にある魔力回路は外科手術のようなやり方で無理矢理拓かれたものであり、ツイステッドワンダーランドの住民が持つ魔力回路とは全く形状や性質が異なる。ツイステッドワンダーランドの住民の魔力は誰と共有しても基本的には問題の起こり得ないものであり、魔力回路はその通り道に過ぎないが、彼の場合は体内にある魔力に属性が備わっており、出力経路を通る間にその属性が削ぎ落とされ、単なるエネルギーとして使えるレベルに加工される。この加工が無ければ、この世界の魔導回路を使った機器は接続不良を起こしてまともに使えなかっただろう。
 彼がこのツイステッドワンダーランドにやってきた時点で、彼の魔力回路は塞がれていた。普段は全く魔力が表出せず、彼も自身の魔力に自覚無く過ごしていた。
 この封印が異世界の魔女によるものである事は、彼自身が話してくれた。兄による質疑応答の様子がしっかりと記録されている。
 だとすると、マレウス・ドラコニアによって魔力回路の封印が上書きされた結果、この異世界の魔女による封印は、押し出された形になったのではないだろうか。
 元より彼が魔力を漏出させる度に綻びを広げていたような封印だ。マレウスの魔法に対抗できるほどのものだったとは思い難い。あっさりと押し出されて散った。それ自体はまあ仕方ない。
 けれど、一見して観測できなくなった事を『消えた』と判断するのはあまりに早計だ。空気中に拡散して限りなく薄まったからと言って『全く存在が無くなった』とは言えない。
 マレウス・ドラコニアは異世界の魔女と話したかのような事を言っていた。あの発言から察するに、彼に施された封印には異世界の魔女の遺志が残っていたと考えられる。そして彼の話を聞く限り、異世界の魔女は野望を打ち砕いた彼に対して、強い恨みを抱いている可能性が高い。
 恨みの思念を伴った魔力が観測できない状態になったというのは、やはり無視できない情報だ。その恨みの対象は、あの場にいた者たちと共に身動きが取れない状態になっている。放置するにはあまりにも危険だ。
 そこまで一瞬で考えて、オルトは一度思考をクリアにした。何をするにしても、まずは詳細な状況の把握からだ。
 こうしてオルトの意識がネットワークを通じて駆体から脱出できたからには、強制スリープの範囲に情報通信規格は含まれていない。魔導回路を経由しないのでやや速度に不安はあるが、それでも動けるだけマシだ。
 最初に兄のところに向かった。この緊急事態を兄に知らせ、更に『S.T.Y.X.』にも報告を行うべきだろうと考えた。
 しかし兄は眠りについたまま起きなかった。
 マレウス・ドラコニアが魔法を発動させたのはディアソムニア寮。イデアの現在地はイグニハイド寮。鏡を経由しなくては辿り着かない場所だが、結論から言えば、マレウス・ドラコニアの魔法は常時接続状態の鏡を経由してナイトレイブンカレッジの本校舎から寮まで全てを包み込んでいた。
 更に言えば、ナイトレイブンカレッジと地続きの賢者の島全体を魔法領域の中に閉じこめていた。麓の街の住人たちも、ロイヤルソードアカデミーの生徒たちも、島内の誰もが眠りに落ちている。例外は見当たらない。
 加えて島内の全ての時計が、魔法災害警報を発した二十一時十八分で止まっている事も解った。一切の例外は無い。自分の内部システムでさえ。
 つまりマレウス・ドラコニアの魔法領域は、内部の時間の流れすら停止させている。そんな魔法を人間が使えるわけがないし、妖精であっても相当大きな負荷を伴う大魔法のはずだ。改めて竜の力の底知れなさを恐ろしく感じるが、怯えて手をこまねいている暇など無い。むしろやるべき事が定まった。
 これは自分たちの手に負えない。早急に外部に助けを求めるべきだ。
 この魔法領域から脱出する必要がある。
 オルトは真っ先に、最も通信強度と速度が保証される海底ケーブル経由の脱出を試みた。しかし情報の状態であっても、ここからの脱出は出来なかった。魔法領域は島の周辺の海中にも至っているらしく、物理的に存在するケーブルはその影響を逃れていなかった。
 島内への電力の供給が続いているのに、海底ケーブル経由で出られない。という事は、外から入ってくるものは通れるが、中から出ていこうとする事は出来ない状態、と考えられる。
 打つ手が無いかと、過去に見聞きした情報を精査する。そうして、賢者の島に来てすぐの頃の会話ログに行き当たった。
 魔導工学の天才であり優秀な技術者であるイデアだが、ネットのヘビーユーザーであり、ソシャゲ及びネトゲの中毒者で、オタクである。『災害が起きてもログボを切らしたくない!』などと言い放ち、『S.T.Y.X.』が僻地での観測業務のために打ち上げた通信衛星に接続する手段を不正に取得していた。そのアンテナをあまり人は来ないが高さのある、校舎裏の大きな樹木に設置し、非常時にちゃんと繋がるよう、たまにメンテナンスも行っている。
 オルトはイデアのタブレットを無線で操作し、ネットワークの状況を調べた。メインの通信規格である海底ケーブル経由のものは全て遮断状態だが、例の衛星経由のネットワークはまだ接続可能だった。物質的な接続でない事が幸いして、魔法領域による遮断を免れたのだ。
 ただし問題が一つ。
 通信速度が信じられないほど遅い。
 時代の寵児であるオルトからすれば知識でしか知らないような、アナログ一歩手前みたいな劣悪な通信環境だ。正直言って、この通信速度で接続したところで、あまりの遅さに通信エラー扱いされてソシャゲのログボなど確保できないのではないか、という疑問を抱かずにはいられない。
 しかし今はそれは関係ない。接続が在る、外に情報を持ち出せる、という事が必要なのだ。
 もし接続が途中で切れたら、といった不安もある。何一つ確定できる事はない。
 それでも今この場で動く事が出来るのは、情報となってネットワークを自由に行き来できる自分だけしかいないのだ。
 大切な人たちの顔を思い浮かべて己を奮い立たせる。
 敬愛する兄。ヒューマノイドの自分を生徒や級友として扱ってくれる学園の人たち。生徒になった自分と変わらず接してくれる寮の仲間たち。
 ……僕たちの『花嫁』。
『……待っててね』
 送り出す情報を細かく分割して優先順位を設定する。
 魔法領域内では時間が止まっているため、物理的な状況の変化を起こす事が出来ない。つまり物理的に存在する物へのバックアップの保存も出来ない。せめて通信不良による完全なロストを防ぐために、映像データは音声と映像に分けて送る事にした。どこまで通用するか解らないが、やらないよりはマシだろう。
 必ず、外に届けてみせる。
 オルトは意を決して、衛星への情報送信を開始した。

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