7−2:疾紅の戦鬼
強い風が吹き、暗闇が払われる。周囲の景色は竜の都に戻っていた。
詰め所でヴァンルージュ先輩を待っていたらしいバウルさんに、先輩は殴りかかるような勢いで詰め寄った。
気迫の衰えないヴァンルージュ先輩に対し、バウルさんも引きはしない。
ツノ太郎はマレノア姫の手を離れたあの時点で、星に還っていてもおかしくなかった。
理由は解らないが、奇跡的に生きながらえていたに過ぎない。それももう限界を迎えてしまった。
バウルさんが揺籃の塔を示す。
鳥籠の部分が激しく明滅している。よく見れば雷が絶え間なく内部を走っているようだ。遠い場所から見ても解るくらい強いエネルギーが、揺籃の塔の内部を暴れ回っている。多分、当たったらひとたまりもない。
三ヶ月ほど前から女王マレフィシアからの魔力の供給を一切受け取らなくなり、鼓動も弱まっていった。先週からは卵の周りに強力な結界を展開し、近づく者に対し激しい雷を発して拒絶を示した。女王は魔法で押さえ込もうとしたが激しく抵抗しており、卵を無事のまま押さえ込むのは困難な状態だという。女王ですら対処できないのに、他の妖精に何か出来るワケもない。
そんな事情を聞いている時だった。ヴァンルージュ先輩はいきなり顔を上げる。驚いた顔のバウルさんに答えた。
泣き声がする、と。
しかし彼以外の誰にも聞こえた様子は無い。でもヴァンルージュ先輩は確信していた。ツノ太郎の名前を呼んで、バウルさんの制止を振り払い塔に登っていく。
『馬鹿野郎。目も開いてねぇガキが独りで泣いてんだぞ!大人が雁首揃えて眺めてるだけでいいわけねぇだろ!』
周囲には雪が積もり、揺籃の塔から見下ろす森は静かな一面の銀世界となっていた。美しいその景色を照らすのは、激しい嵐のような、恐怖すら抱かせるほどの雷の乱舞。
いつも卵に語りかける鳥籠の入り口で、ヴァンルージュ先輩は名前を呼んだ。返事をするように、雷が先輩の足下を打つ。幼体ですらない卵の中の竜、それも命も危ぶまれている状態のものが放ったと思えない威力の雷だったが、ヴァンルージュ先輩は嬉しそうに笑った。
『お前が俺の呼びかけに返事をしてくれたのは、この二百年で初めてじゃないか!』
更に泣き声が聞こえて、ヴァンルージュ先輩は確信した様子で頷く。
『この声……やっぱり間違いない。泣いてるんだ、あいつは!』
しかし雷は容赦なく降り注ぐ。直撃こそしていないようだけど、普通に痛そうに呻いている。それでもやっぱりヴァンルージュ先輩は臆さない。それどころか解る言葉で喋れと怒りさえした。それで喋り出すワケもないが、ヴァンルージュ先輩は要領を得た顔になる。
『よ、よーし……わかった。その意気だ!もっと泣け!赤ん坊ってのは、それでいい!いいぞ!思いっきりやれ!』
それに卵が応えているのかは不明だが、雷の勢いも威力も衰えない。もう弱っているという話なのに、こんな事をしていたら突然に力尽きてしまいそうで恐ろしく感じる。
だけどヴァンルージュ先輩は笑っていた。どんなに雷に打たれても、言葉が解らなくても、卵から離れようとはしない。
『マレノア!レヴァーン!てめぇらは空の上から高見の見物か!?良いご身分だな、オイ!!まだお前らのところに、マレウスは行かせねぇぞ!』
半ば自棄になった言葉のように思うのに、全く絶望を感じない。
『マレウスは見るんだ。お前たちが見る事が出来なかった世界を……!』
二百年。
絶望に打ちひしがれ、希望に縋りながら、それでも世界を見つめ生きてきた。
悲しみに目を曇らせるではなく、楽観で目を背けるでもなく、果実のように紅い目は見てきた。
妖精と戦いながらも人間の身勝手に違和感を覚え、将である自分と竜の卵を見逃がした人間がいた事を。
妖精の誇りともてはやしておきながら、何もかもを竜に丸投げして逃避する妖精がいた事を。
決して簡単に割り切れるものばかりではなく、単純な考えでどうにかなる事ばかりでもない。
それでも、この世界には見る価値がある。まだ見捨てる事の出来ないものがある。
竜の子が生まれ大人になり老齢と至るまで、生きていく価値がある。
また泣き声が聞こえて、ヴァンルージュ先輩ははっと目を見開いた。
『……そうか。マレウス、お前……寂しくて泣いてんのか?』
図星を突かれた事を恥じるようなタイミングで雷が走る。呻きながら、ヴァンルージュ先輩は納得したという顔になった。
『そうか、そうだよな。二百年もひとりでいたら、誰だって寂しいに決まってる。なんでそんな単純な事が分からなかったんだ、俺たちは』
ヴァンルージュ先輩は鳥籠の中に入っていく。卵のある場所までの通路は細い一本道で逃げ場が無い。内部を舞う雷も容赦なく当たるだろう。
確実に前へと進んでいるが、ダメージも蓄積している。旅装束はボロボロで、顔も煤だらけ。それでも、どんなに遅くても、ヴァンルージュ先輩の歩みは止まらない。
容赦ない雷の一撃に身を強ばらせ、しかし力強く通路を踏みしめる。
『い、今のは効いたぜ……。でも残念だったなァ……俺は「翠が原の走る城壁」とまで呼ばれた元右大将だぞ……これくらいでくたばれるほど、ヤワに出来てねぇんだよ……!』
そう言い切ると、歩みが早くなっていく。一気に卵との距離が縮み、ついに手が触れる距離まで辿り着いた。
『さあ、マレウス。次はどうしたい?』
ヴァンルージュ先輩は不敵に笑う。子どもに向ける笑顔じゃないかも知れないが、先輩らしい笑顔だと思う。
『俺はまだまだやれるぞ。あと百年でも、二百年でも……お前が根負けして卵から出てくるまで……あやして、あやして、あやしまくってやるからな……!!』
自棄になったワケではない。とことんつきあってやる、という覚悟の言葉だ。
その言葉を受け止めたのかは不明だけど、鳥籠の中の様子が変わった。雷の乱舞は魔力のうねりに変わり、卵へと収束していく。
急激な変化に驚きつつも、ヴァンルージュ先輩はツノ太郎の卵に笑いかけた。
『お前、やっぱり腹が減ってたんじゃねぇか。やせ我慢しやがって』
ボロボロの手が卵の表面を撫でる。そのまま卵を抱きかかえた。
『いいぜ、俺のも持っていけ。魔力でも、寿命でも……欲しいならいくらでもくれてやる!』
言葉通りに、ヴァンルージュ先輩からも魔力が与えられているのだろう。少し険しい顔をして、でも決して卵は離さない。
そして腕の中の卵に強く呼びかけた。
『だから、出てこい……外の世界に!!』
応えるように、卵が光り輝く。景色が真っ白に弾け飛んで、固いものが粉々に砕けるような音が辺りに響きわたった。次いで、鳥に近いような、でもちょっと不気味な、鳴き声が聞こえてくる。
光が止むと、揺籃の塔の嵐はすっかり収まっていた。
ヴァンルージュ先輩は何が起きたか解らない様子で、腕の中の重みを見下ろす。
それは確かに竜だった。小さな四つの足をヴァンルージュ先輩の両腕にかけて、どこを見ているか解らない目がぱちぱちと瞬きしている。トゲトゲした感じの尻尾が、何となく所在なさげに揺れていた。
呆然とするヴァンルージュ先輩を気にせず、小さな竜は緑色の炎を吐いた。卵が乗っていた台座が煤けている。その姿を見て、ヴァンルージュ先輩は嬉しそうに笑った。
『マレウス……ああ、やっと会えた。……二百年もかかっちまった……』
愛おしそうに呟く。小さな竜を優しく見つめていた目が潤み、幸せそうに弧を描いていた唇は嗚咽に歪む。そして小さな子どものように、ヴァンルージュ先輩は声を上げて泣いていた。小さな竜は意味が解っていない様子で、自分を抱くヴァンルージュ先輩を静かに見つめている。
いつの間にか、自分の頬にも涙が伝っていた。グリムも静かだし、セベクに至っては僕より遙かに激しく泣いている。
「……ずっと思っていた。なぜ親父殿の夢は、こんなに辛い事ばかりが起きるのだろうと。でも……ようやく解った」
シルバー先輩は、優しい微笑みを浮かべてヴァンルージュ先輩を見ていた。
「きっとこれが、『親父殿が一番幸せだった瞬間』なんだ。戦って、傷ついて、失って……たくさんの悲しみの先にしか、この幸せは訪れない。マレウス様がお生まれになった、この瞬間は……!」