7−2:疾紅の戦鬼
誰ともなく、か細い光を辿りながら歩き出した。次の光にはすぐに辿り着いたように思う。
光が広がって見えた景色は、華やかな街だった。お祭りの最中なのだろう。誰もが笑顔で、飲み、歌い、踊り、楽しく過ごしていた。
誰も彼も丸い耳。
人間の街の中に、ヴァンルージュ先輩の姿があった。輝石の国の街に、透明になるドラゴンが現れたという噂を聞いて訪れたが、どうもハズレの様子だ。
今日は年に一度のお祭りだ!旅人さんも一緒に楽しもう!
ドラゴン?そんなの伝説上の生き物だろ?
その尖った耳、あんた、妖精族か……!?
え!?北の大陸を恐怖で支配していた、あの?
か、怪物め!この街から出ていけ!
他人事のくせに辛辣な人間たちの言葉に、ヴァンルージュ先輩は怒りを露わにしたものの、女王マレフィシアの立場を慮り応戦を躊躇った。騒ぎ立てる民衆の目をかいくぐり、街から逃げ出す。
収穫が無かった事を報告しに茨の谷へ戻れば、バウルさんがどこか嬉しそうな顔で出迎えた。
ヴァンルージュ先輩の旅立ちの後、卵の受け取る魔力量が増えたという。ほんの少しではあるものの、確実な前進だ。
バウルさんはヴァンルージュ先輩が揺籃の塔に登れるよう取りはからってくれた。まだ大っぴらに訪ねる事は出来ないけれど、ヴァンルージュ先輩の言葉で卵が元気になるなら隠れてでもやる意味がある。
『よう、マレウス。二年ぶりだな』
ヴァンルージュ先輩が軽く声をかければ、卵は応えるように僅かに光った。
塔の下からよりはマシになったものの、揺りかごの中に入る事までは躊躇われたようで、まだ二人の間には距離がある。とはいえ、声は十分に届くし、卵からの反応も見える。
『お前がいつ星に還っちまうかとヒヤヒヤしてたが……粘ってるじゃねぇか。ん?ずっと寝てるだけじゃ退屈だろう。少し……土産話でもするか』
ヴァンルージュ先輩は明るく楽しい情報を選んで、卵に向かって語りかける。街の華やかさ、食べたものの話。情報収集自体は空振りに終わった事もあり話せる事も少なかった。けれど次の行き先と、ツノ太郎への激励は笑顔で告げた。
映像が切り替わる。旅は続く。
旅人さん!魔法のランプはいかが?
軽くランプをこすればたちまち『お呼びですか?』と中から魔人が現れる。
魔人は三つだけ願いを叶えてくれるんだ。御伽話に出てくるドラゴンの卵を孵す事も出来ると思うぜ。
まあ、このランプはレプリカだから、こすっても魔人は出てこないけど。
それで、買うの?買わないの?
土産は旅の醍醐味だと思うけどねぇ。買わないんなら商売の邪魔だ、どいたどいた!
砂漠の国に竜の噂はなかったが、魔人の話には興味を惹かれた様子だった。厳しい日差しにうんざりしながらもヴァンルージュ先輩は熱心に調べて、やはりこちらも空振りに終わる。
人間にとっては、魔人もドラゴンも御伽話の中の存在。竜が現実に生きている事を知っているヴァンルージュ先輩には、滑稽に見えた事だろう。
そうしてまた報告ために茨の谷に戻れば、バウルさんからツノ太郎の様子について報告を受け、再び塔に登り、卵に親しげに語りかけた。
『よう、調子はどうだ、マレウス?魔力を受け取る日と受け取らない日にばらつきがあるんだって?』
卵はどこか喜んでいるように見えたが、ヴァンルージュ先輩は口を尖らせる。
『一丁前に好き嫌いしてんじゃねえ。お前の母親も好き嫌いが多くて、城の厨房係を困らせてばかりいた。似なくていいんだ、そんなとこは』
溜息混じりに、芋蔓式に出てきた思い出を語る。
『そういや、レヴァーンも普段は優等生を気取ってたくせに、嫌いな野菜はよくテーブルクロスの下に隠してたっけ。親子揃って手間がかかるったらねぇな』
こんな小さな思い出から、卵の両親である二人の事を連想する。懐かしそうに目を細めたかと思うと、ヴァンルージュ先輩は咳払いして話を切り替えた。
熱砂の国で見た街の様子を細かく語る。
賑やかな市場、どこまでも続くような広大な砂漠に、強すぎる日差し。
短い寿命の人間たちが持つ力に驚き、感心したものの、それが妖精にとって望ましいものになるとは限らないと、僅かに表情を曇らせていた。
土産話も尽きて、祈りのような別れの挨拶をしようとして口ごもる。低く穏やかな声が、子守唄を紡ぐ。あの日マレノア姫が歌っていた、優しい旋律。卵の反応は無いけれど、きっと届いただろう。
映像が切り替わる。旅は続く。
竜の噂を聞きつけては、現地に向かい、真偽を確かめては報告に戻る。
その間隔は全く安定せず、半年足らずで戻る事もあれば、十年以上帰らない事もあった。けれど報告に戻った時は必ず揺籃の塔に立ち寄り、旅の土産話を卵に聞かせる。バウルさんの手引きではあるけど、段々と手慣れてきてるし、多分警備兵たちも敢えて見逃したりしてるだろうな。
決定的な解決法も見つからないが、悪化もしていない。
それは寿命の長さから気の長い性質である妖精族にとって、気にはかかるものの解決を急ぐ催促をするような状況でもなかったのかもしれない。まぁ、手は尽くした状況だから、ヴァンルージュ先輩だけが最後の頼みで、下手な事を言って機嫌を損ねるなとかそういうお達しがあったのかもだけど。
映像が切り替わる。旅は続く。
今度は渓谷に住む竜の伝説を確かめに来たが、既に廃城になっていた。辿り着くまでに相当な苦労をしたようで、かなり悔しそうにしている。
妖精が気の長い性質であるとはいえ、孵す方法を探すヴァンルージュ先輩自身は焦っていた。卵は依然として、十分な魔力を受け取っているとは言い難い。孵化する前に星に還ってしまう危機は、旅の始まりから今まで、常に同じ場所にあるのだ。
『少しでもいい。何か手がかりになるものはないのか?妖精も虫もいないなら、城の家具でも敷物でもいい。俺に教えてくれ!ドラゴンの卵を孵す方法を!こうしてる間にも、あいつは弱り続けてんだ!誰でもいい、何でもいい……頼む……教えてくれ!』
悔しさのあまり地面にくずおれる。古ぼけた石畳を殴る手にも力が入らない。
しかし次の瞬間、その拳から光が漏れた。驚いて手を開けば、指先から魔力が溢れて周囲に漂っていく。
『全ては過ぎ去る日のように。どこへ向かうも瞬きの間よ。……「遠くの揺りかごまで」』
溢れ出す言葉を口にすれば、光が広がり城の様子が変わる。古ぼけた景色の上に、華やかな過去の姿が映った。たった数分の映像だが、ヴァンルージュ先輩は希望を見いだした。
残された物の記憶を視るユニーク魔法。
竜の卵を孵す方法を探す手段として、いま生きている竜の話を聞く事や信憑性の薄い魔法道具を探す以外の選択肢が増えた。『竜がいた』という噂が事実でさえあれば、何らかの情報を得られる確率は高くなる。もしかしたら、そこからいなくなってしまった竜の行き先を知り、訪ねる事も出来るかもしれない。
『絶対に見つけだしてみせるぞ、あいつを孵す方法を!』
新しい力を得た事に、夢中になって調査を続ける。
気づけば、旅立ってから八十年も経っていた。卵は今も孵る様子はなく、しかしヴァンルージュ先輩の声には応えていた。
『……なあ、いい加減卵の中にいるのも飽きたんじゃねぇのか?何が気に入らなくて、そこに閉じこもってんだよ。卵から出てきたら、絵本だって読んでやるし、おしめだって替えてやる。……だから、なあ、さっさと出てこいよ』
でも催促には反応しない。ヴァンルージュ先輩の声には心配もあるのだけれど、何が気に入らないのか、卵はむくれてそっぽを向いたような雰囲気だった。
ヴァンルージュ先輩も溜息を吐き、話を変えた。
『そうそう、最近新しい魔法を覚えたんだ。この歳になってだぜ?人生何が起こるかわからないよな』
調査の旅で新しい魔法を使い、得られた情報を嬉しそうにツノ太郎に語った。不自由さも感じるが、手応えを感じているのだと。
ヴァンルージュ先輩は別れの挨拶をして立ち上がり、首を傾げて動きを止めた。卵が呼び止めたような気がしたらしい。卵が喋るわけない、と自分でも指摘しながら、きっと疲れているのだと結論し、もう少し休憩させてもらおう、と言って座り込んだ。そしてまだ語っていなかった旅の思い出を、卵に語って聞かせる。卵はどこか嬉しそうに見えた。
映像が切り替わる。旅は続く。
雪深い山の中で行き倒れになったヴァンルージュ先輩を、老人と大きな犬が見つけて助けてくれた。老人はこの近くで暮らしているようで、雪の中を歩くのも、犬ぞりに人を載せて助けるのも実に手慣れている。
先輩は老人の家に迎えられ、彼の妻にも手厚く看病されて意識を取り戻した。見慣れない風貌の少年に二人も犬も臆する事はなく、興味深そうに先輩の話に耳を傾けている。
へぇ、あんた、ドラゴンを探して旅してるのかい。
そんな身体で何を言ってるの!子どもひとりで山越えは無理よ!
気にせんでいい。こんな山奥にお客さんが来るなんていつぶりだろうな。
耳?……あらまあ!あなた、妖精さんなの?てっきりうちの孫娘くらいの歳かと。子ども扱いしてごめんなさいねぇ。
……怖い?どうして?あなたは私たちに何も怖い事をしていないわ。
せめてこの吹雪が止むまではここにいるといい。冬の夜は長くてな。この老人たちの話し相手をしてくれんかね。
婆さん、温かい飲み物を用意しておくれ。この歳で人生の先輩に教えを乞えるチャンスだ。聞きたい事が山ほどある。
そうね、素敵な語らいには飲み物が必要ね。私たちと同じものでお口に合うかしら?
老夫婦との時間は、とても暖かいものだった。昔の話に花を咲かせ、時には冗談を言い合い、たくさん笑う。
彼らの偏見の無い様子には驚いていた先輩だけど、納得もしているようだった。
もうあの戦いから百年以上経っている。人間たちにとって、争いがあった事は遠い記憶だ。国によってはそんな戦いの存在すら知られていない。当時を生きた者どころか、彼らから直接話を伝えられた者さえ、どれほどいるか知れないのだ。
争いを体験した妖精たちにとっては少しモヤモヤする事かもしれないが、そのおかげで、様々な国で妖精たちにも渡航許可が下りるようになっている。旅を始めた頃に比べれば、安全に世界中を探す事が出来るようになっていた。もっとも、それほどの歳月が経っても、世界にはまだヴァンルージュ先輩が行った事の無い場所が存在している。卵を孵す方法も見つかっていないし、まだ孵ってもない。
『妖精と人間の対立は、人間の歴史の中じゃとっくに過去のものだ。どんなに抗っても、人間らの文明の発展は止められない。俺たち妖精はいずれ古きもの……御伽話の存在として忘れ去られていくだろう』
地続きだった世界が離れていく。
怒りと悲しみと寂しさと、ほんの少しの安堵もあるかもしれない。
でも、ヴァンルージュ先輩はそれとは別の想いもあるみたいで、まだ卵のツノ太郎に希望を託すように語る。
『だが俺は、これから生まれて悠久を生きるだろうお前を、御伽話の主人公にはしたくないんだ、マレウス』
この広い世界で、隠れて暮らす事は不可能ではないだろう。
だが広いからこそ、狭い世界に閉ざされた平穏を過ごすのは、あまりにも勿体ない。少なくとも、ヴァンルージュ先輩はそう感じている。
『だから早くその狭っ苦しい卵から飛び出してこい。外の世界は面倒な事も多いが、きっと卵の中よりは楽しいぞ』
ヴァンルージュ先輩は愛おしそうに卵を見つめる。未だ殻の中にある気配が、どんな姿をしているものかと想像し、自分が見てきたものを見せたら、どんな反応をしてくれるかと期待する。
『なぁマレウス。お前が生まれたら、見せたいものがたくさんあるよ』
偽りのない、深い愛情の言葉。
優しくて暖かい時間だ。この時間がずっと続けばいいと思ってしまうほどに。
だけど、そうはいかない。
ぷつりと映像が消える。突然真っ暗になって、どこからか白い封筒と無機質な便せんがぱさりと地面に落ちた。読んでる途中で捨てられたみたいな状態だけど、不思議と手紙の内容が僕たちにも伝わってくる。
ヴァンルージュ殿、至急竜の都へ戻られたし。
殿下の卵から、急速に魔力が失われつつあります。
次の満月を待たずに、星にお還りになってしまうやもしれません。
ヴァンルージュ殿には、直接顔をお見せいただきたく……。