7−2:疾紅の戦鬼


 見た目からして険しい山だが、やはり実際に登っても険しい。
 竜尾岳とはまた様子が異なり、気温も一段と低い。吹き下ろす風は一段と強い冷気を帯びて、身体から体温を奪っていく。ところどころに刃物のように尖った岩が突きだしていて、人間を拒んでいるかのようだ。
 ディアソムニアの景色とも近いものがあるが、あちらはここまで寒くなかったように思う。寮はグレート・セブンの象徴たる地域を再現しているんだろうけど、ある程度は暮らしやすいように整えてるんだろうな。
 道中で下ってくる近衛兵たちとすれ違った。彼らは茨の国の女王陛下の命令で、黒鱗城中の近衛兵で翠が原に向かっているという。橋が落ちている事を伝え、ヴァンルージュ先輩たちと互いに激励をしていた。
 険しい道のりに体力が奪われていく。時折激しい地震が起きて、時には崖崩れが起き大岩が落ちてきた。敵が居なくても警戒する事は山盛りある。気が抜けない。
 終わりがないように感じても、それでも諦めずに歩き続ければ、終わりはやってくる。
「ついに……辿り着いたぞ……。……黒鱗城に!」
 ヴァンルージュ先輩はそう声を上げた。
 整えられた地面が続く先に険しい山道が続き、その先に立派な城が見えた。城の周囲は城壁さえないが、それを建てるための地面もない。岩山の先端を削って城を建てました、って言われても納得する。
 視線を下の方に下ろせば、厳しい断崖絶壁の合間に明かりが見える。居住区的なものだろうか。竜の都って、あれの事?
 ここがツノ太郎の実家かぁ。確かに違和感は無いな。イメージぴったり。
 城へ向かうものを見張るための詰め所っぽい建物から、近衛兵が何人か飛び出してきた。最低限の警備をするために残った兵士なのだろう。ヴァンルージュ先輩に駆け寄り声を上げる。
「俺の事はいい!卵を……この卵を、王城まで……!急いで『揺籃の塔』の準備を……マレフィシア様に伝えてくれ、早く!」
 近衛兵たちは了解の返事をして、一人が転移魔法で消えた。ヴァンルージュ先輩は到着の安堵で力が抜けたのか、卵を抱えたまま地面に倒れそうになる。
「右大将殿!」
 咄嗟にバウルさんが抱き留めたけど、ヴァンルージュ先輩は彼を振り払って立ち上がろうとしていた。
「医者を呼べ、すぐに治療の準備を!」
 バウルさんの命令を受け、近衛兵たちが走っていく。
「医者なんぞいらねぇ」
 声にも勢いが無い。今の道中のどこかで傷が開いたのか、魔の山の霧でも癒せないくらい負傷していたのをここまでずっと誤魔化していたのか、とにかく見るからに動ける状態じゃない。
「勅命は、果たした……俺はすぐに、翠が原に戻って……!」
「何を馬鹿な!そんな身体で戦場に戻るなど無謀が過ぎます!」
 仮に旅立っても、途中で倒れてしまいそうだ。そもそも橋は落ちているし、この状態では転移魔法の負荷にも耐えられそうにない。無茶だ。
 説得の言葉を探していると、突然光が瞬いた。
 はっと振り返れば、空が明るくなっている。いつの間にか雨が止み、雷の音ももう聞こえない。
「嵐が止んだ。暗雲が、消えていく……」
「夜明け、だ……」
 しんと静まった世界で、ただ空が明るくなっていく。普通なら希望の光であろうその光景が、終わりの象徴のように思えた。
 それを示すように、バウルさんを振り払って立ち上がったヴァンルージュ先輩が、嘆くように声を上げながら膝をつく。
「ヴァンルージュ殿!?」
 シルバー先輩が寄り添うが、ヴァンルージュ先輩の視線は南の方に向いたままだ。
 そしてバウルさんもまた、動揺を隠せない様子で声を上げる。
「まさか、そんな馬鹿な!!こんな、こんな事が……ッ!」
「バウル様、どうなさったのです!?」
 セベクに尋ねられ、半ば放心したような声で呟く。
「マレノア様の魔力が……消滅、した……」
 驚愕に息を飲む。
 あれほど気迫に満ちた竜の姫君が、人間に負けた。
 ツノ太郎のお母さんが、いなくなってしまった。
 信じられない気持ちで、明るくなった空を見上げる。ヴァンルージュ先輩と同じ方向を見つめて、たった数分顔を合わせただけの彼女を想う。
 どうにもできないと解っていても、どうにかならなかったのかと思ってしまう。
「マレノア……マレノア……!!」
 ヴァンルージュ先輩がもう届かない名前を呼ぶ。
「俺にもっと力があれば、無理矢理にでもお前を黒鱗城に連れ帰ったのに……!なんで、どうして……!レヴァーン、お前との約束も……俺は、俺は……!くそおおぉおぉーーーーーー!!!!」
 冴えた空気の中で、ヴァンルージュ先輩の叫びが虚しく響きわたった。
 僕たちは何も言えず、ただそこに立ちすくんでいるしかない。
『なんという事だ……マレノア姫様が、星に還ってしまわれるとは……』
 そんな所に、誰かの声がした。耳元で直接語りかけられているような声の近さなのに、誰もいない。
『人間を前に一歩たりとも退かなかった。なんという気高さ。彼女こそ、夜の眷属の誇り』
『安らかに眠れ、夜の愛し子よ』
『……夜の祝福あれ』
 男の声も女の声もある。何人もの声が同じ場所からしてるように感じるのに、声の方を探してもやっぱり誰もいない。
 困惑するばかりの僕らと違って、バウルさんは苦い顔をしていた。
「……元老院のお出ましだ」
「元老院!?肉体が星に還ってなお、思念をこの地に留めているという、あの?」
 いつも声の大きい二人が小声でやり取りしている。そういえばなんかそんな偉そうな名前を何度か聞いたな。生きてる妖精ですらないんだ。
 こちらの事など気にしない元老院の言葉で、ヴァンルージュ先輩が立ち上がりこちらを振り返った。
「……マレノアが気高い?夜の眷属の誇り?ふざけるな!」
 そして姿の見えない相手に怒りをぶちまける。
「気高さも、誇りも……全部クソ食らえだ!!」
 大声を出したせいで傷が痛んだのか、そこで勢いが止まった。再び膝をついて、悔しそうに、それでも言葉にせずにはいられない様子で呟く。
「星に還っちまったら、そんなもん、何の意味もねぇだろうが……!」
 心から彼女の命を惜しむ言葉だ。口にせずにはいられなかった後悔、なのかもしれない。
『卑しい口を閉じろ、薄汚い蝙蝠め』
 それを慰めるでもなく、元老院は冷ややかに言い放った。
『姫を戦場に残し、おめおめと逃げ帰ってきたのか……!』
『姫をお守りできず、何が近衛兵だ。敵前逃亡とは……恥を知れ!』
『ああ、姫様……妖精の誇りを解さない愚かな部下を持って、なんとお可哀想だこと……』
『わらわは何度も忠告しました。泥のついた蝙蝠など、高尚なる竜のお側にふさわしくない』
『ドラコニア一族への恩を仇で返しおって……この役立たずが!』
 複数の声が口々に罵る。こちらの事情など聞く気も無いらしい。
 なんだこいつら。
「お待ちください!右大将殿はマレノア姫様の勅命で、お世継ぎを守るために……!」
「……よせ、バウル。ご老公がたの言う通りだ」
 ヴァンルージュ先輩はすっかり意気消沈していた。バウルさんは物言いたげだったけど、ヴァンルージュ先輩は気づいてない顔をしてどこへともなく頭を下げる。
「今日をもって私は……王宮近衛隊を退役いたします。右大将のお役目、返上させていただく。部下たちは私の命令に従っただけ。ご寛大な処分を、平に……平に伏して申し上げる」
『役目の返上などでは生ぬるい!二度とこの都に踏み入るでないぞ!』
『早くお世継ぎの卵からその汚濁にまみれた手を離しなさい!穢らわしい!』
 なんだもう、あの。なんなのこいつら。
「さっきから黙って聞いていれば……何様だテメエら!!!!!!」
「ゆ、ユウ殿!?」
「こんな所に引きこもってクソの役にも立たねぇジジババが口だけは偉そうに宣ってんじゃねえよ!!マレノア姫がどんな気持ちで、ひとりで戦ったと思ってやがる!!!!彼女の誇りを、彼女が守ろうとした大切なものを、下らない言葉で貶すな!!!!戦ったヤツに文句付けるならテメエらがまず盾になれってんだ、こんのドグサレ野郎どもが!!!!!!!!」
「お、落ち着いてください。落ち着いてください!」
 バウルさんが慌てながら羽交い締めにしてくる。さすがに腕力では叶わない。
 見かねたシルバー先輩が僕の肩に手を置く。
「落ち着け、ユウ。……俺たちが喚いても何も、何も変わらないんだ……」
 その言葉で、ここがヴァンルージュ先輩の夢の中である事を思い出す。歯ぎしりしながら暴れるのを止めれば、バウルさんも腕を解いてくれた。
「……アイツ、怒るとああなるのか……」
「子分は腹黒陰険暴力メガネだからな」
「……悪口雑言も追加した方が良いんじゃないか」
 後でセベクには厳重に抗議しよう。
 僕たちの喚く声など無視して、ヴァンルージュ先輩の腕からひとりでに卵が浮き上がる。ヴァンルージュ先輩はそれを寂しげに見上げるだけで、もう手を伸ばそうともしない。
「お待ちください!その卵、もしもの時は右大将殿が孵すようにとマレノア姫様は仰いました!いかに元老院のお歴々といえど、ドラコニアの勅命に背く事は許されぬはず!」
 元老員は何も答えない。ただ、卵だけが城に向かって飛んでいってしまう。ほとんど見えなくなった所で、ヴァンルージュ先輩はふらりと立ち上がった。
「…………じゃあな、マレウス」
 そう呟くと、ヴァンルージュ先輩は城に背を向けた。バウルさんが慌てた様子で彼の肩を掴む。
「う、右大将殿!一体どちらへ!?マレノア姫様の勅命を、反故にされるおつもりですか!」
「……俺はもう、近衛兵じゃねえ。姫君の勅命に従う義理もねぇだろ」
「そんな……!」
「もうここに俺の居場所はない」
 バウルさんの手が緩み、自然に二人が離れていく。
「守るべきものも、ない……」
「ヴァンルージュ殿……待ってください!」
 シルバー先輩も駆け寄ったが、ヴァンルージュ先輩はその手を払いのけた。
「もう……放っておいてくれ」
 絞り出すような声だった。
 その声に応えるように、朝日を受けた彼の足下の影が滲む。それは輪郭を失い黒い水溜まりへと変わった。ひとりでに広がって触れた先の建物や岩山の影までもが変質し、ドロドロした『闇』を溢れさせ、ヴァンルージュ先輩を取り囲んでいく。
「あれは……『闇』!?」
「親父殿の絶望に引き寄せられたか!」
 ヴァンルージュ先輩は俯けていた顔を上げ、『闇』へと変わってしまった岩影を見る。その目は虚ろで、何も映していない。
「……マレノア、レヴァーン……そこにいるのか?」
 愛しい者の名を呼ぶ声は弱々しい。
「その先に行ってはダメだ!『闇』に囚われてしまう!ヴァンルージュ殿!」
 シルバー先輩が声を張り上げるが、声が届いた様子は無い。
 こうしている間にも『闇』は凄まじい勢いで広がっていた。影という影、そこら中の水溜まりを侵食し、数を増やしていく。斬っても斬ってもキリが無い。
「連れて行ってくれ……俺も、そっちに……」
 ヴァンルージュ先輩がどこへともなく伸ばした手を、『闇』が掴む。そこから引きずり込まれるように、ヴァンルージュ先輩は『闇』の中に完全に沈んだ。
「親父殿ーーーーッ!!」
 シルバー先輩の声はもう届かない。
「リリア様を追いかけるぞ、シルバー!グリム、ユウ!」
「……ああ、行こう!」
 セベクがシルバー先輩と、僕の腕を掴んだ。僕はグリムをしっかりと抱える。『闇』が僕たちを飲み込もうと手を伸ばしてくるのに抗わず、ただその時を待った。

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