7−2:疾紅の戦鬼


 茨の国の霊峰・魔の山。
 かつて茨の魔女が居城を構えていたという伝承が残っている場所だ。見るからに険しい山々を越えた先には、茨の国の王都である竜の都と、妖精族の長たる竜の女王が住む黒鱗城がある。
 人間を拒絶する雰囲気は見た目だけの話ではない。魔の山には常に暗雲が立ちこめ、竜の許しを得ていない者には雷が落ちるとの事。それが侵入者を退ける要塞の役割を果たしているというのだ。飛行術での侵入など絶望的、仮に王宮近衛隊の野営地で空を飛ぶ騎獣を借りられたとしても、撃ち落とされない保証は無い。見るからに標高も高そうだし、徒歩で竜の都まで人間が向かうのは相当に骨が折れるだろう。
 といったシルバー先輩の説明を聞きながら、僕たちはその魔の山、更にその先の竜の都、の更に奥にあるであろう黒鱗城を目指して歩いている。
 現在地である竜尾岳と、魔の山の間の渓谷にかかる橋が当面の目的地だ。実質的に、徒歩で渡る手段はそこしかないらしい。
 嵐は止まないし、上り坂はキツい。体力はある方だと思ってるけどめちゃくちゃ疲れた。ずっと休みなく動き続けてるし集中力も切れそう。
 だけど腕の中の卵の事を守らなきゃ、と思えば泣き言を言ってもいられない。
「大丈夫か、ユウ?」
「……足を止めたらもう立てなくなりそうなんで、大丈夫、です」
「大丈夫じゃねーじゃねーか」
 呆れたような言葉とは裏腹に、グリムが心配そうな顔をしている。グリムにこんな顔をさせてしまうとは。不覚。
「どこかでちょっとだけ休憩しよう。オレ様の毛皮もべしょべしょで、どんどん寒くなるばっかりだ」
「……そうか、しまった。ユウは制服のままだったな」
 ナイトレイブンカレッジの寮服は、単純な防御力の強化以外に、防寒とか耐熱の機能が備わっている。前にポムフィオーレの寮服を着せてもらった時にそんな事を言っていた。制服にはそういう機能が無い。ただでさえ僕は魔法士じゃないから、対策らしい対策は出来ない。
 シルバー先輩は素早く周りを見回して、はっと目を開く。
「王宮近衛隊の徽章が見える。事情を話して休憩させてもらおう」
 シルバー先輩の視線を追えば、確かに旗のようなものがある。彼の先導に従って、周囲には注意を払いつつ歩く。程なく小さな建物が見えてきた。
 石造りの建物の中は、簡素な家具と寝台が並んでいる。簡易の詰め所らしい。グリムが暖炉に火を点ければすぐに室内が暖かくなった。これも魔法がかかっているのだろうか。助かる。
「ふぃー、あったけー……」
「監督生。卵をグリムに預けて、こちらに来てくれるか」
 ヴァンルージュ先輩を寝台に寝かせると、シルバー先輩が手招きする。素直に従って傍に行くと、風の魔法で服を乾かしてくれた。
「ありがとうございます」
「気づかなくて悪かったな」
「お気になさらず。それどころじゃありませんでしたから」
「……あまり長居は出来ないが、少しでも身体を休めていてくれ」
「……すみません」
 寝台に積まれていた毛布を一枚借りて、暖炉の前に向かう。
 すでに毛布にくるまってるグリムが、毛布とクッションを重ねた上に置かれた卵をつんつんつついていた。
「なあ、この卵……本当にマレウスが入ってんのか?卵っつーより、でっけぇキラキラした石に見えるんだゾ」
「こ、コラ!割れたらどうすんの!」
 慌てて取り上げた。つついていたところは割れたりヒビが入ったりはしていなさそう。良かった。
「そんな固えんだから、ちょーっとつっつくぐらい大丈夫だろ」
「わかんないよ。赤ちゃんは繊細なんだから」
「赤ちゃん?」
「そうだよ。ここにいるツノ太郎は、まだ小さい赤ちゃんなの。自分で歩けないし声も出せない。だから、苦しかったり悲しくてもそれを表せない」
「ふーん……」
「だから、今はグリムが守ってあげて。触るなら優しくね」
 返事は気がない感じだけど、グリムの目は卵を興味深そうに見ていた。じっと見つめた後、恐る恐る、という感じで、肉球の付いた手のひらで表面を優しく撫でる。
「……仕方ねーな。このグリム様がツノ太郎を守ってやるんだゾ」
 乗ってくれさえすれば頼もしい。ほっと一安心。
「ユウ。魔法薬を見つけた。疲労には気休め程度だろうが、飲んでくれ」
「ありがとうございます。先輩の分は……」
「大丈夫、三本あった。グリムも……グリムは魔法薬を飲んでも大丈夫なのか?」
「今更気にするのか!?」
「魔法薬学の授業は受けてますし、人間と同じ食べ物が食べられるので大丈夫、だと思います」
「……だな」
 蓋を開けて一気に飲み下し、残った激しいミント臭と何とも言えない薬品臭さに咳き込みそうになる。なんとか堪えた。
「え、えぐい味なんだゾ……」
「現代の魔法薬って、本当に飲みやすくなってるよね……」
「こればっかりは仕方ないな」
 瓶を集めてすみっこに置いて、シルバー先輩が戻ってくる。
「もう少し休憩してから出発しよう。雨除けの外套もあったし、少しは歩きやすくなるはずだ」
「何から何まで、ありがとうございます。シルバー先輩」
 隣に腰掛けた先輩も、疲れた様子ではある。何となく、最初に会った時よりも影が濃い。いやあ……それでもめちゃくちゃに美形。目の保養。
 シェーンハイト先輩とタイプは違えど、美形以外の表現が無いんだよな。違うんだけど、うまく説明できない。
 ふわふわした内心を誤魔化すように腕の中の卵に視線を落とす。暖炉の炎の火を受けて、表面が薄くキラキラ輝いている。寒かったりしないかな。
 こういう時に、マレノア姫みたいに子守歌が歌えたら絵になるんだろうけど、僕の歌じゃ眠れないだろうからなー。
 せめて優しく撫でてあげよう。
「……俺が物心ついた時、マレウス様はすでに今とほぼ変わらないお姿だった」
 ぽつりとシルバー先輩が呟く。顔を見れば、視線は卵に注がれていた。
「卵からは、一体どのような姿でお生まれになるのだろう」
「あー……ドラゴンの姿だと思いますよ」
 僕の答えに、シルバー先輩が首を傾げる。
「前にツノ太郎が、そんなような事を言っていたんです。二本足で歩き始めた頃、とか、卵の殻を破る前からどうのこうの、とか。詳しくは覚えてないですけど」
「…………そうなのか」
「……撫でます?」
「いや……ああ。じゃあ、少しだけ」
 シルバー先輩が手袋を外して表面を撫でる。どこか複雑な緊張感はあるけど、優しい視線だ。
「……もしかすると親父殿の夢は、マレウス様が生まれる前の記憶だから干渉しづらい……のか?」
「ああ、ツノ太郎が出てこない理由、ですか?」
 シルバー先輩は頷く。
「魔法の根源はイマジネーション。だからマレウス様が知らない、想像の及ばない部分はコントロールが難しい、とか……」
「……魔法は万能じゃない。ツノ太郎のユニーク魔法にだって、出来ない事はある」
 それが攻略の糸口になるかはわからないけど。
 結局はヴァンルージュ先輩からの情報頼りだ。これだけ大事になると、推測だけで動いて絶体絶命は避けたいし。
「……あれこれ考えても仕方がないな。今はとにかく、前に進もう」
「そうですね」
 ツノ太郎の出生の秘密が、僕たちに何をもたらしてくれるだろう。
 僕たちが見ていいものなのだろうかという迷いはあれど、もう今更、足を止めるわけにもいかない。
「もう少ししたら出よう。動けるか?」
「動けない、って言うわけにもいかないです。のんびりしてたらセベクたちに追い抜かされちゃいますし」
「それもそうだな」
「先輩こそ大丈夫ですか?」
「ああ。疲れは感じているんだが……不思議と、力が湧いてくるんだ」
 シルバー先輩の表情は柔らかい。力が湧いてくる、というのも嘘じゃないんだと思う。錯覚かどうかはさておき。
「……あの日を思い出すからかもしれない」
「あの日?」
「父と俺に、血の繋がりが無いと知った日の事だ」
 その日、シルバー先輩はショックのあまり衝動的に家を飛び出した。
 丁度、今のような土砂降りの雨の夜。
 昼には我が庭のように見慣れているはずの森は、夜になるとただ暗く冷たく、帰りたくても天気は荒れる一方。
 前にも進めず、家にも帰れず、幼い先輩はひとり、途方に暮れて泣いていた。
「でも……父は俺を捜しだし、泣きじゃくる俺をおぶって帰ってくれた」
 探したぞ、と笑いかけるヴァンルージュ先輩が目に浮かぶようだ。
 嵐のような雨の中、幼い子どもを背負い、夜に臆する事のない父の背中。きっと、幼い頃の先輩には頼もしく、広く見えた事だろう。
「だから……不謹慎だが、今は少しだけ嬉しさを感じているのかもしれない。このひとを背負って歩ける事に」
 今やシルバー先輩はヴァンルージュ先輩よりも大きく育った。辛い山道も続く戦闘もこなして、大切なものを守るために戦っている。それはヴァンルージュ先輩が彼を強く育てたからこそ出来る事。
「今度は俺が、親父殿を連れて帰ってみせる」
 決意を語る横顔は、とても凛々しく見えた。

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