7−2:疾紅の戦鬼
茨に包まれ運ばれて、ゆらり揺られて多分数分。
「ふぎゃっ!」
またも乱暴にぺいっと投げ出されて顔を打った。痛い。
顔を上げても目の前は真っ暗だ。寒いのは変わらないけど、さっきよりも空気が湿っている。
「その声……ユウか!?」
「グリム!怪我は無い!?」
「オレ様はピンピンしてるんだゾ!」
すぐにグリムが駆け寄ってきて、手に触れてくる。いつもの毛並みの感触にほっとした。
「随分と合流が遅れたな。今までどこにいたんだ?」
「どこにって……あれからずっと茨に包まれてたよ?」
「え?」
「……え、もしかして僕だけ意地悪されてたとかいう?」
誰も答えてくれない。
「…………まぁドラコニアの魔力の匂いにはマレノアなら気づいてただろうから……有り得なくはないが……」
ヴァンルージュ先輩はこちらを訝しげに見ている気がする。本当は何かあったんじゃないか、と言いたそうな沈黙。でもちょっと答えるわけにはいかないなぁ。
「ここって、例の地下水路ですか?」
「ええ。ここから城の外へ向かいます。暗闇に目が慣れるまで、ご不便をおかけしますが……」
「お気になさらず。どうにかしてついていきますから」
足下を照らす魔力も温存したいだろうし、そういうので逃げてる事に気づかれても面倒だしね。
「……行くぞ、お前等。この卵を黒鱗城へ届けるために」
暗闇の中で返事の声が重なる。
「……マレノア様からの勅命……必ず果たしてみせる」
声だけでも、苦しい胸の内が感じられた。
でもどうにも出来ない。僕たちは彼女の強さを信じるしかない。
古い水路みたいだけど、道幅は余裕があるし造りもしっかりしていそう。水の音以外は静かだから何かあればすぐに分かるだろう。
夜の眷属で暗闇でも問題なく、近衛兵として水路の地図も頭に入っているバウルさんを先頭に出口を目指した。他の近衛隊の皆さんは陽動や逃げ道の確保を行っているだろうとの事。あの流れでろくな打ち合わせが出来たとは思えないが、かといって指示が無ければ何も出来ない兵士ばかりでもない。
妖精たちにとって世継ぎの卵の無事の脱出は、何よりも達成されるべき事。それを理解できない彼らではない。
歩いていると突然、重い音と共に通路全体が揺れた。パラパラと天井から小石が降ってくる。
「な、なんだ!?」
「……始まったか」
ヴァンルージュ先輩の呟きで、マレノア姫が戦っているのだと理解する。遠くから聞こえるざわめきは、人間たちの雄叫びだろう。悲鳴も混じってるかもしれない。
やがて地鳴りは連続するようになった。天井や壁が軋む音も頻繁に聞こえてくる。しっかりした造りの通路でさえ危ういと感じるほどに、地上の戦いは激しいようだ。
「急ぎましょう。水路が崩れたら、地上の敵陣を突っ切るしかなくなってしまいます」
「解ってる」
気丈に答えながらも、ヴァンルージュ先輩の声は名残惜しそうだ。足音に未練を残し、それでも前に進む。
暗闇の中を歩くのはちょっとしんどい。水路が軋むのもあって、いつ崩れるかという怖さもあった。結構進んでいるつもりだけど、僕たちは見えないしヴァンルージュ先輩は負傷しているから、速度はさほど出ていないかもしれない。
でもみんな必死で足を動かしていたと思う。
そんな中、突如前方で爆発したみたいな音がした。近い、と思った次の瞬間には、轟音を立てて行く先の水路が瓦礫に埋まっていく。代わりに天井が崩れ、少し明るくなった。分厚い雲と容赦なく降る雨のせいで、視界は良くないけど。
「水路が!」
バウルさんが悲壮な声を上げる。ただでさえ緊張していたし、混乱も無理はない。
崩れた範囲は広いけど、幸いにも瓦礫が坂のようになだらかに積み上がっているので、ここから外に出る事は出来そうだ。
「やむを得まい、外を突っ切るしか……」
ヴァンルージュ先輩が言い掛けた瞬間、その瓦礫に吹っ飛ばされてきた誰かがぶつかった。相当な勢いで、ぶつかった衝撃で更に周りの天井の崩落が進んだくらい。
「ふぎゃー!?なんだ!!??」
瓦礫を警戒しながら、闖入者に誰もが視線を向けていた。
薄暗い中でも白く輝く甲冑。泥に汚れても褪せる事の無い金色の髪。
勘違いでなければ、先程遠くから目にした人物が目の前にいる。
「お前は……夜明けの騎士!」
バウルさんがヴァンルージュ先輩と僕たちを背に庇う位置に立つ。
一方、夜明けの騎士の方はすぐには動けない様子だった。というか、ぶつかった衝撃で気を失っていたっぽい。それでもすぐに目を覚ましたようで、頭を振りながら身体を起こし、僕たちを見て固まった。
「……大きな魔石器に、蝙蝠の面……貴殿はもしや、茨の国の右大将、ヴァンルージュ!?」
そしてヴァンルージュ先輩が抱えている卵にも目を向ける。
「その卵、まさか……!」
驚いた様子の夜明けの騎士に対し、ヴァンルージュ先輩は卵を抱えたまま跳び離れ、警戒の声を上げる。
直後、再び地面に衝撃が走った。抜けた天井の向こうからも、雷鳴とも爆発音ともつかない凄まじい音が降り注いでくる。その音の向こうに、通路が軋む音が紛れた。
巨大な瓦礫が落ちる音で誰もが新たな崩落に気づいた。夜明けの騎士との対面で反射的に距離を取ったヴァンルージュ先輩だけ、天井が崩れ始めた通路の真下にいる。
その事実を理解した時には、目の前を土砂が容赦なく降り注いでいた。崩れている範囲は、明らかにヴァンルージュ先輩がいた場所まで及んでいる。
「先輩!!」
「右大将殿とお世継ぎが瓦礫の下敷きに!」
「そ、そんな……親父殿!マレウス様ーッ!」
とっさに飛びついて瓦礫をどかそうと手をかける。はっとした顔のセベクが僕の腕を掴んだ。
「ダメだ、下手に動かせば更に崩れるかもしれない!」
「そんな事を言ってる場合か!!」
「もし内部に空洞が出来ていればお二人は無事かもしれない。その幸運を潰すかもしれんのだぞ!」
「あるかも分からない空洞に期待してどうするんだよ!どの道、土のせいで空気が入らないんだから呼吸が出来なくなる!!助けるなら早くしないと」
「……すまない、どいてくれ」
静かな声と共に、肩に手を置かれる。一瞬シルバー先輩に声をかけられたと思ったけど、振り返った先にあったのは鉄の兜だった。
夜明けの騎士は剣を抜き、顔の前に掲げる。薄暗い通路の中で、虹色の光が甲冑の胸元から溢れ出した。
「守護妖精よ……我に力を!」
声に応え、剣が眩く光を放つ。夜明けの騎士が鋭く剣を振り下ろすと、放たれた光が積み上がった瓦礫と土砂を一瞬で切り裂いてぶっとばした。物理的にどういう事かは分からないけど、残ったのは僅かな瓦礫と、卵を守るように抱えて倒れているヴァンルージュ先輩だけだ。
「しっかりするんだ。卵は無事か!?」
夜明けの騎士が肩を揺さぶると、ヴァンルージュ先輩はすぐに目を覚ました。身を起こし、抱えた卵の無事を確認して安堵の息を吐く。そして周囲を見回して状況を理解したところで、訝しげな表情で夜明けの騎士を振り返った。
「何故……どうして俺を助けた?」
夜明けの騎士は黙ったまま答えない。答えに迷っているようにも見えた。
その沈黙を破るように、ビシッ、という何かが割れる音が聞こえた。通路の石とかじゃなくて、多分金属。音の出所は夜明けの騎士の方だった。
装飾された兜が、先程吹っ飛ばされた時の衝撃で壊れていたのだろう。音は段々と連続するようになり、やがて一際大きな音を立てて兜の固定具が崩れた。
兜が外れ露わになった顔は、噂通りの美形だった。整った目鼻立ち、長い睫毛。薄暗い場所でもその美しさは曇りない。
しかしその顔立ちは、見知った人物とあまりに似通っていた。
「ど、どういう事なんだゾ!?シルバーと夜明けの騎士……おんなじ顔してるんだゾ!」
誰もが驚く中で、夜明けの騎士だけは動じていないように見えた。……そりゃ、彼はここで顔を上げた時点でシルバー先輩の顔が見えてるもんな。
不意に、薄暗い水路を不思議な虹色の光が照らす。ひとつは夜明けの騎士の胸元、もうひとつはシルバー先輩の胸元から放たれていた。
「……それは、もしや」
夜明けの騎士は自身の首元を探り、鎖に下げられた指輪を取り出した。それを見たシルバー先輩も、同じように指輪を取り出す。
同じ光を放つ二つの指輪は、全く同じものに見えた。
こうして光っている様をまじまじと見ていると、夢を渡る時に見た光を思い出す。あれもこんな色じゃなかったっけ。感じられる柔らかな温もりにも覚えがある。
「…………この指輪は私が幼い頃、守護妖精に授かったもの。世界に二つと無いはずだ」
夜明けの騎士は淡々と話す。やっぱり声もシルバー先輩と似ている。
所々で間違われるわけだ。確かに髪の色が同じだったら見分けがつかない。
「君は、一体何者だ?」
「お、俺は……俺は……!」
シルバー先輩は見るからに混乱している。前振り的なものがあったとはいえ、突然自分と瓜二つの人間と顔を合わせて、冷静でいろっていう方が無理かもしれない。
答えを待つ時間もなく、外が騒がしくなる。その声で夜明けの騎士は我に返り、武装を整えた。途端に指輪の光が止む。
「……話をしている時間はなさそうだ」
そしてヴァンルージュ先輩を振り返る。
「ヘンリク卿がその卵を狙っている。他の者に見つかる前に行け!」
一方的に言い放つと、あっという間に外に向かって走っていった。取り残された僕たちは混乱を避けられない。
「敵に情けをかけられるとは。……夜明けの騎士め、何を考えている!?」
「…………何だっていい。進むぞ!敵に見つかる前に、森に入る!」
ヴァンルージュ先輩がいち早く方針を打ち出す。僕たちは何も考えずにそれに従った。それしかないのは分かり切ってるしね。
出てみれば現在地は城の裏手に近いところだった。建物を挟んで反対側で戦っているらしく、喧噪はあるものの遠い。包囲網も崩れて戦力をそちらに集中させているらしく、邪魔になりそうな兵もいない。
全員固まって、森に向かって走り出す。雨はうっとおしいし、雷は近いところでバリバリ鳴ってるし、時々地面が揺れるのもちょっと怖いけど、そんな事を気にしている余裕は無い。
そうして走っていたはずなのに、シルバー先輩の歩調がどんどん遅れていく。俯いた彼の表情は見えない。
「遅れるな、シルバー!…………シルバー?」
「あの顔……あの、指輪……」
セベクでさえ声を潜めるほどに様子がおかしい。セベクの声で振り返ったヴァンルージュ先輩たちの足も止まっている。
「まさか俺の、俺の……血の繋がった肉親とは……ッ!ぎ、『銀の梟』の……夜明けの、騎士の……ッ!!」
妖精と敵対し、マレノア姫との一騎打ちに名乗りを上げた騎士。
もしマレノア姫の命が失われたのがいま行われているこの戦いの時ならば、彼女を打ち倒したのは、恐らく。
「うそだ……うそだあああぁッ!!!!」
シルバー先輩が頭を抱えて叫んだ。
途端に、闇がそこらじゅうの水溜まりから湧いてくる。今までに見た事のない、ここら一帯を埋め尽くす勢いで広がった。その中心はシルバー先輩だ。
「何だこいつらは!?」
「見た事もない量の『闇』が現れたんだゾ!?」
「くっ……シルバーの感情に引き寄せられたか!」
シルバー先輩に『闇』がまとわりつく。先輩はいっさい抵抗しようとしない。
セベクが『闇』を切り払って彼に近づこうとするが、数が多すぎて全く前に進めない。
「気を強く保て、シルバー!シルバーーーッ!」
そうして僕たちが手をこまねいている間に、彼の姿が『闇』の中に沈んでいく。叫びながら伸ばしたセベクの手は届かなかった。
「シルバーが取り込まれちまったぞ!なんなんだ、あいつらは!?」
ヴァンルージュ先輩とバウルさんは困惑している。僕らに比べると距離があるけど、『闇』はまだ広がっている。バウルさんはともかく、ヴァンルージュ先輩が呑まれるのはヤバい。
「バウル様!リリア様!こいつらの相手は我らが!どうぞ先に森へ!シルバーと共に、必ずや追いつきます!」
「しかし!」
「大丈夫です。早く!」
セベクが力強く叫ぶ。僕もグリムも頷いた。
二人も判断に迷った様子だったけど、『闇』が届く前になんとか森に向かってくれた。
問題はここからだ。
「シルバー先輩、どこに沈んだ!?」
「もうとっくに跡形もない!それどころか……僕たちが呑み込まれるぞ!」
セベクの言う通り、『闇』は僕たちを標的にしていた。切ったり燃やしても雨粒の数だけ増えてるんじゃないかってくらいの勢いで次が出てくる。
「ユウ、グリム!僕から離れるな!」
「ぐえっ」
「うぐっ」
首根っこ掴まれたグリムの呻き声と、腹を抱えられた僕の呻き声が重なる。
次の瞬間、『闇』が壁のようにそそり立ったかと思うと、僕たちを押しつぶすように四方から雪崩れてきた。