7−2:疾紅の戦鬼
僕はなるべく大人しく丸まっていた。下手に抵抗して、みんなと違うところに流されたら大変だもん。茨の勢いでグリムともはぐれてしまったし、こればかりは祈るしかないだろう。
そう思っていたら、いきなりぺいっと地面に投げ出された。
「あだっ!」
顔をぶつけた。痛い。
一体どこに出てきたんだろう、と顔を上げて、まださっきの大広間にいる事に気づく。黒い鱗に覆われた尾がぱたりと動いて、黒いドレスの裾がわずかに揺らめいた。
血の気が引く。
待って僕なにも悪くない。何もしていないちょっと待って無罪です誤解です悪気はないんですぅぅぅぅぅ!!!!
「立て」
「はいぃぃ!!」
ビビりすぎて変な声出た。慌てて立ち上がり姿勢を正す。怖くて顔が見られない。
マレノア姫はしばらく無言で僕を見ていた。おもむろに人差し指を僕の胸元に向ける。
「……あ、あの……」
「黙れ」
きゅっと唇を引き結ぶ。何も出来ない。僕は弱い。
マレノア姫は時々指をくるくる動かしている。何してるんだろう。
「……全く、我が子がこんな粗末な術式しか編めぬとは。教育係どもは何をしていたのだ」
忌々しげに呟いた言葉に、思わず顔を上げる。マレノア姫は作業に集中しているようで、特に何も言わなかった。
やがてぱちん、と何かが弾ける音がして、身体に僅かに電流が走ったような衝撃があった。それも痛くない。ちょっとびくっとした、みたいな感じ。
「……何か言いたい事があるのか」
「あ、あの、我が子って……」
「お前にかけられた封印の魔力は私の知る同族の誰とも違う。……であれば、あとは我が子……マレウスしかおらぬだろう」
呆気に取られる。
この人、ヴァンルージュ先輩の記憶の再現……なんだよね?この行動も再現の結果って事?自由すぎない?
「茨の国の後継者があのような粗雑な術式しか使えぬと噂になっては一族の恥。お前の事など捨て置いてもよかったのだ。ありがたく思うがいい」
「あ……ありがとうございます」
どういう事か解らないけど、とりあえず何かよくしてもらったんだと思う。深々と頭を下げた。
「……マレウスは」
顔を上げると同時に呟かれる。その顔は、うまく説明できないけど、母親らしい顔だった。
「……マレウスはどんな子だ。お前から見て、美しい雄か?」
喉が詰まりそうになる。今のやり取りを見てたら平気で答えられるわけがない。
それでも答えたい。少しでも安心させたい。何の意味も無いとしても。
「……言葉は少ないですけど、親切にしてくれます。何度も助けてくれました。寛大で、冷静で、ガーゴイルが好きみたいで、凄く詳しい研究発表を作ったりもしてました」
僕の下らない話を、マレノア姫は遮らないで聞いてくれる。表情は変わらないけど、きっと聞いてくれている。
「夜の散歩と廃墟巡りが好きみたいで、夜に時々顔を合わせては、取り留めのない話をする事もありました」
最初に出会った日の事を思い返す。
月明かりに照らされた、怖いほど綺麗な人影。
「僕は、人に近い姿の彼しか知りません。でもとても……美しい妖精だと、そう思います」
言葉は頑張って選んだけど、真剣に答えた。
でも僕が話したツノ太郎の姿は、きっとこの人が望む後継者の在り方からは程遠い。
……え、もしかして怒られるのでは?
喋ってしまった後で気づいても遅い。表情は変えないように頑張りつつ、内心慌てた。
そんなこちらの事は気にした様子もなく、マレノア姫は嬉しそうに笑みを深めた。
「……そうか」
とても綺麗な笑顔。ツノ太郎とも少し似ている気がする。
角の様子や髪と目の色はお母さんと同じだし面影はあると思うけど、全体的な雰囲気はちょっと違う気がするんだよな。その辺りはお父さん似なのかも。
「まったく。母子揃って鴉に心惹かれるとは。血は争えぬとはこの事か」
「……鴉?」
「お前の事だ。白き羽根の雛鳥」
こつんと額をつつかれる。
そんな事をツノ太郎も言ってた気がする。いやでも。
「僕はあの、人間なので」
「当たり前だろう。魂の形の事だ」
「魂……?」
「人間というのが気に入らぬが、まぁ器など後でどうとでも出来るか」
なんかすっごい怖い事を言われた気がする。
「それにしても、何故我が子はお前の魔力に封印など施したのだ?」
「えっとそれは……割と僕のせいというか……」
「何?」
ギロリと睨まれた。心臓が止まりそう。
「ぼ、僕が別の世界で受けた呪いをツノた……マレウス様が書き換えてくださいまして!そのせいでちょっと……喧嘩みたいな事に……」
「喧嘩だと?」
「悪いのは僕なんです!魔女の呪いが誰かに語りかけるなんて想像もしてなかったから、だから……彼が、悪者みたいになってしまった。本当は、きっと違う結果に出来たはずなのに」
オーバーブロットするほど大がかりな魔法を使わせてしまった、その一因は多分僕にもある。否定しきれない。
マレノア姫はいつの間にか怒りを引っ込めていた。
「驕るでないぞ、人間」
しかし言葉は厳しい。
「例え幼き竜であろうと、ドラコニア一族の者が下賤な魔女の呪いなどに影響を受けるものか」
「で、でも……」
「見くびるな。その憐れみは侮辱に等しいと知れ」
口を噤む。沈黙が怖い。
一方、マレノア姫は唐突に笑い出す。
「……そうか、喧嘩、か。ふふふ」
ええ、何で笑ってるの?
「子鴉や」
「はい!?」
「いちいち返事の声が大きいな、お前は。……まあ聞こえぬより良いか。鴉は騒々しいものだからな」
ちょっと呆れた顔をされてしまった。
「マレウスのこれは、間違いなくお前への祝福だ。謹んで賜り、後生大事に守るが良い」
「は、はい……」
「竜の寵愛を受けたその身、決して安く売るような真似をするでないぞ」
「……はい。ありがとうございます」
身を案じてくれる言葉だと、やっと合点が行った。深々と頭を下げる。
……頭を下げてる間に茨が退場させてくれるかなと思ったけど、そうはいかないか?
おそるおそる顔を上げれば、マレノア姫は実に機嫌の良さそうな顔をしていた。ごく自然な動作で手が頭に伸び、髪を避けて、額めがけて顔が近づいてくる。呆気に取られている間に、額に口づけられていた。柔らかな音と共に、銀の光がきらきらと目の前を散る。
「……これは私からの餞別だ」
ぽかんとしている僕に悪戯っぽく微笑んだかと思うと、綺麗な魔法石のついた杖を揺らした。すぐに茨が身体に巻き付いてくる。
「幼き白鴉よ。……マレウスとリリアの助けとなるよう、努めるがいい」
「は、はい。あの……マレノア様もどうか、ご武運を!!」
マレノア姫は少し驚いた顔をして、すぐに微笑んだ。優しい、ツノ太郎の卵を抱いている時の、母親らしい笑顔だった。直後に顔まで茨に覆われて見えなくなる。
きっと、あのマレノア姫は気づいている。未来に自分がいない事を。
いつ気づいたかまでは解らない。記憶の再現と言われても納得できるぐらい、ヴァンルージュ先輩とのやり取りは自然だった。
記憶の再現でありながら、その枠組みを越えた行動を平然とやってのける。竜ってそういう生き物なのかもしれない。
もしくは。
ヴァンルージュ先輩の知るマレノア姫は、奇跡を起こすほど愛情深い人、なのかもしれない。
ここで何が変わっても現実では変化がない。解っている。
それでもほんの少しだけ、マレノア姫が勝っちゃえばいいのに、なんて思ってしまった。