7−2:疾紅の戦鬼
一瞬の暗闇、一瞬の違和感。
いつの間にか屋内にいた。石造りの建物の雰囲気は、どこかディアソムニア寮とも似ている気がする。空気はひんやりとしていて、外はあんな大騒ぎなのに不自然なほど静まりかえっていた。
……それにしても。
「なんか、目が回ってる感じ……」
「ふなぁ……」
グリムもしんどそう。慣れないからかもしれないけど、連続したら結構しんどい。ワープは人類の夢だけど、あまり使いたい魔法じゃないなぁ。
「ユウ、シャキッとしないか。まもなくマレ……卵様の御前なのだぞ!」
セベクは通常運転だ。もしかしたら妖精だと耐性が特別にあったりするのかもしれない。うらやましい。
「ぐっ……チクショウ。転移魔法はやっぱり傷に響くな」
ヴァンルージュ先輩が忌々しげに呟く。転移自体は無事に出来たけど、ダメージは残るみたいだ。せっかく塞がった傷が開いてなけりゃいいけど。
「ああ、卵様は今どこに……」
どこか夢見心地の顔をしていたセベクが、はっと目を見開いた。その反応を見て、僕たちも気づく。
「ん……歌?」
女性の声だ。とても優しくて、綺麗な歌声。子どもに聴かせるような、柔らかく甘い旋律だ。
シルバー先輩は驚いていたけど、どうも歌ってる人ではなく歌そのものに驚いている様子だった。尋ねる前にヴァンルージュ先輩が大きな溜め息を吐く。
「……まったく。歌なんか歌ってる場合か。こっちの気も知らねえで」
忌々しげに呟くと、厳しい表情で僕たちを振り返り、顎で行く先を示した。
「行くぞ、お前たち」
迷いなく歩き出す先輩たちについていく。あまり人の気配はしない。
段々と歌声が近づいてくる。眠りを誘う優しい歌声に、緊張感はどこか薄れていた。
「ご無事ですか、マレノア様!」
大きな扉を開けるや否や、ヴァンルージュ先輩が声を張り上げた。
そこは大広間だった。謁見の間、とかそういう雰囲気。奥に偉い人が座る椅子があって、壁には武具が飾られている。
部屋の奥、玉座の手前に人影があった。
とても綺麗な女性。石膏のような滑らかな肌。作り物のように整った顔立ち。聳える二本の黒い角は銀色の冠に飾られ、艶やかな黒髪が背中を流れている。黒を基調とした衣装に銀の装飾を纏った姿は気安く視界に入れる事を躊躇うほどの威厳に満ち、それでいて美しさに目を離せなくなる。
ツノ太郎のお母さんだ。間違いない。絶対にそうだ。
思うと同時に、嫌な汗が背中を伝う。
マザー・ブラッディローズの方がもうちょい老けてたと思うけど、外見年齢割と近そう。雰囲気もちょっと似てる。やっぱり割と影響あったっぽいな……。
人知れず後悔に苛まれながら、マレノア姫の次の動向をそうとは意識せず見守っていた。
マレノア姫は腕に抱いたものに優しく微笑みかけていたが、ヴァンルージュ先輩を見るや目を見開き、滑らかで綺麗な額に青筋を立てる。
「遅いぞ、リリアッ!!」
怒鳴る声と同時に、雷が落ちた。いや抽象とかじゃなくて、本当に雷。厳密には魔法なんだろうけど、違いなんか分からない。
「うおっ!あぶねぇ!」
「ふぎゃーっ!な、なんだぁ!?」
ヴァンルージュ先輩には当たらなかったようだけど、雷はなおも室内に降り注ぐ。
「わたくしと卵が危機に瀕しているというのに、どこで油を売っていた!」
もう誰に当たってもおかしくないぐらいめちゃくちゃに落ちてきてる。怖い。
「馬鹿者!愚か者!この役立たず!!」
室内は混乱状態だ。部屋の広さと格式の割に物が少なく感じるのは、こうして暴れるのが日常茶飯事だからだろうか。そんな気がする。
「申し訳ありません、マレノア様!右大将リリア、敵に不覚をとり馳せ参じるのが遅れました!」
「言い訳など聞きたくない。王宮近衛兵の面汚しめ!」
特大の雷が落ちる。全く収まる気配がない。
「お、お許しくださいマレノア様!ぐわーーっ!!」
バウルさんが床に倒れた。ヴァンルージュ先輩がこちらに逃げてくる。
「ヒィ~!優しい歌声と正反対のコエーお姫様なんだゾ~!!」
「言ったろ、心配なのは俺の命と城の方だって!」
この場の誰もが納得していた。
そんな下々の騒ぎはまるで知らぬ顔で、マレノア姫は腕に抱いているものに、さっきと同じ優しい微笑みを向けた。優しく揺らし、表面を撫でる。
「ああ……音がうるさかったか?よしよし、いい子だ」
その腕の中にあるのは、卵だ。表面のつるりとした質感からそう思ったけど、黒々とした殻は時折緑に煌めいていて、僕らの知る鳥の卵とは全く雰囲気が違う。
あれが、竜の卵。
あそこに生まれる前のツノ太郎がいる。……不思議な気持ちだ。あの大人びた姿の青年が、生まれる前はこんな姿だったなんて、なかなか結びつかない。
「せっかく共に昼寝をしようとしていたのに。役立たずどものせいで台無しだ。なぁ、マレウス?」
母親は優しく我が子に語りかける。その言葉を聞いてヴァンルージュ先輩が首を傾げた。
「……マレウス?」
「王子の名前だ。茨の国の王に相応しい響きだろう?」
「確かに良い響きですが……王子とは?まだお世継ぎは雌雄の判別もついていませんよね?」
「この卵の中で育っているのは絶対に王子だ。母である私にはわかる。レヴァーンによく似た、美しい雄が生まれるに違いない」
マレノア姫は当然だろう、という顔で答える。ヴァンルージュ先輩は呆れて否定する言葉も浮かばない様子だ。
……でもこの言葉のおかげで、ツノ太郎は実の親に付けられた名前で生まれてこられたんだろうな。それは、数少ない幸せな事のように思う。名前は親が子どもにあげる最初の贈り物、なんて言葉もあるしね。
「し、信じられない……僕は今、若様の命名の瞬間に立ち会っている……?」
命名の瞬間……なのか?知らんけど。
とか思っていたら、声に気づいたマレノア姫の視線がこちらを向いた。
「ん?誰だ、その小童どもは。丸い耳……人間か?」
背筋が一瞬で冷える。鋭くて冷たい敵意。今すぐ土下座して謝りたくなる。それはさすがにダメだと思うので、少し顔を俯けるに留めた。怯えたグリムが僕の足に抱きついているのを見つつ、会話に耳を傾ける。
「人間ですが、彼らは敵ではありません。今回の遠征中に出会ったのですが、我が隊によく尽くしてくれました」
「お初にお目にかかります。セベク・ジグボルトと申します!」
「シルバーと申します、殿下」
「親分のグリムと子分のユウです」
「許しもなくその口を開くな、人間ども」
さっきのヴァンルージュ先輩に向けた怒りとも違う、冷たい声。
竜の姫君たる威厳の前に、僕たちの言葉など何の役にも立たない。
「わたくしの目を見るなど、不敬の極み。跪くがいい」
そう言われた次の瞬間、重力が何倍にも増えたみたいな圧力が全身を襲う。足が勝手に膝をつき、呼吸もままならない。グリムもぺしゃりと床に伏せてしまっている。
「マレノア様!お戯れはそこまでに」
ヴァンルージュ先輩の声で圧力が消える。死を感じるほどの恐怖は去ったものの、彼女からすれば僕たちなんて一瞬で殺せてしまうものなのだと実感するには十分だった。
「……姫様の人間嫌いは相当なものだ。ここは大人しくしているがいい」
バウルさんの助言に素直に頷く。次に怒らせたら本当にただじゃ済まなさそうだもの。
「あなた様も、ヘンリクの……『銀の梟』の首領の声は聞いていたでしょう」
「ほう、先程の騒音はあの人間の仕業か。イノシシの鳴き声かと思ったぞ」
耳障りでかなわないな、としれっと貶す。この人からしても嫌いなタイプの人間なんだろうなぁ。いや人間は全部嫌いなんだろうけどさ。
「あと四半時で『銀の梟』どもが城へ攻めいって参ります。この城に残っている兵では、あれほどの大群を退ける事は難しい」
マレノア姫は何も言わない。部下の進言に耳を傾けている。……ような雰囲気ではある。
「大変無念ではございますが……今は退却を選択すべきかと。城塞も、魔法石も……我らの誇りですら、お世継ぎの命に比べれば瑣末なもの」
ヴァンルージュ先輩は真剣な声で訴えかける。尚もマレノア姫は無言だ。
「姫、ご決断を!」
焦れた様子でヴァンルージュ先輩が促す。室内は怖いくらい静かになった。
やがて美しい笑い声が響く。高らかな、しかし底冷えするような気迫を湛えているその声に、震えそうになるのを必死で抑える。
「退けと申したか?このわたくしが負けると?」
機嫌の良い声に聞こえる。確かに聞こえるんだけど、さっきからずっと冷や汗が止まらない。
「お前でなければ炎を一吹きして灰にしていたところだぞ、リリア!」
そしてついに怒りが声の表面にも噴出した。そして視界の端に緑色の炎が見えたかと思うと、炙られたような熱が身体まで届く。距離があってこれなら、直に浴びたらひとたまりも無いだろう。骨も残らなそう。
「姫!」
「奴らの狙いは、私の杖に使われている魔法石『プリンセス・グロウ』……そしてこの卵だろう」
人間の浅はかな考えなど彼女にはお見通し、という事のようだ。それはいい。そこまではいい。
「人間風情が、私に『決闘』を申し込むとは……随分と思い上がったものだ」
弱く、脆く、愚か。
冷ややかな言葉の端々に怒りが滲む。聞いている方も穏やかでいられない。
「人間どもは、よほど滅ぼされたいとみえる」
そして侮りを露わにする。
……こう言ってはなんだけど、すんごい『悪の女王』っぽい。この人間を見下してる感じとか特に。
でも、あの女とは明らかに違う。あの女に滅ぼす対象への『怒り』なんて無かったように思う。もっと嫌な感じの、残虐で一方的な破壊者だった。
だからマレノア姫は間違いなく『妖精』なのだ。誠実に応え、不実に怒り、仲間を愛している。怒りに燃えてさえ、そこには愛がある。
「ならば、望み通り食らわせてやろう。……裁きの雷槌をな!」
……と思うんだけど、今はとにかく怖い。人間に対して脅威だという事を何も否定できない。
「お待ち下さい!あの姑息な男がなんの策もなしに一対一で『決闘』などと言い出すわけがない。これは罠だ!」
「くだらん。下賤の策略など、蹴散らしてくれよう」
「……あ~~~~~~~っ!!もう!この我儘姫!こんな時くらい、真面目に俺の言う事を聞け!!」
ついにヴァンルージュ先輩の我慢の限界が来た。マレノア姫の反応も怖いけど、重傷なのにそんな声を張り上げて大丈夫なのかな、と別の意味でもひやひやする。
「ガキの頃に城を抜け出して大騒ぎになった時も、女王陛下の杖にイタズラしてぶっ壊した時も……はるばる遠方から呼んだドラゴンとの見合いを台無しにした時もそう!」
結構やらかしてるな。まぁ話を聞く限りどれも『らしい』エピソードの気はするけど。
「俺が『やめとけ』って言った事で間違ってた事あったか!?毎回毎回、女王陛下と元老院のジジイどもに大目玉くらってきただろうが!」
そこまで勢いよく吐き出して、ヴァンルージュ先輩は深く呼吸する。
「今回ばかりは、選択を間違えれば取り返しがつかない。絶対に言う事を聞いてもらうぞ」
少しだけ、マレノア姫の殺気が薄れた。なんだか嬉しそうに、無邪気に笑う。
「お前が私にそんな口をきくのは久しぶりじゃないか」
国の跡取りの姫君と、近衛隊の右大将。
幼なじみから立場が変わったからには、何もかも同じではいられないのだろう。言葉遣いひとつでも、昔に戻った様子が嬉しかったのかもしれない。
「だが、『やめておけ』と言いながらも、お前が私に手を貸さなかった事は一度も無い。ふふふ」
「笑ってる場合じゃねーんだよ!解ってんのか?もうお前はヤンチャなおてんば娘じゃない」
笑い声が止まる。幼なじみの言葉に、真剣に耳を傾けているような気がする。
「確かにお前は強い。この国の誰よりもな。だが、万が一って事があるだろう。父親……レヴァーンもいない今、お前に何かあったら、この子はどうなる?」
「母親だからこそ、征くのだ」
ヴァンルージュ先輩の問いに、マレノア姫はきっぱりと答えた。もはや怒りすら感じない、真っ直ぐで凛々しい声音。先輩も息を飲んだのが感じられる。
「私が『決闘』に応じれば、人間どもの注意は私に集中する。その隙を突いて、お前たちは卵と共に脱出しろ」
近衛兵たちが言葉を失う。
確かに、そうすれば安全に卵を逃がす事が出来そうだ。『世継ぎを優先しろ』と言ったヴァンルージュ先輩の方針通りの答えではある。
だけどヴァンルージュ先輩が守りたいのは、卵だけじゃない。
「何を言ってやがる!戦うのは俺たち近衛兵の仕事だ!」
「右大将殿の仰るとおりです!姫をお守りできず、何が近衛兵か!」
近衛兵たちの必死の訴えを、マレノア姫は鼻で笑う。
「そこもかしこも傷だらけ。そのみすぼらしく弱った体で、このわたくしを守る?」
笑わせるな、と答える声音は厳しい。マレノア姫も真剣だ。少しも退く気が無い。
「足手まといは下がっていろ、と言っているのだ。足元をうろちょろされては、うっかりお前たちごと焼き払ってしまいそうだからな」
……話の通りなら、近衛兵が束になってもマレノア姫には勝てない。その時点で、茨の国の近衛兵の役割は『露払い』止まりだ。
マレノア姫が勝てない相手に、近衛兵が勝てるワケがない。
彼女は妖精だ。仲間には情がある。勝てない戦いに出向いて死ね、なんてそうそう言うはずが無い。それが幼い頃から自分の我が儘につきあってくれた大事な友人なら尚更だ。
ヴァンルージュ先輩がマレノア姫を守りたいように、マレノア姫だってヴァンルージュ先輩を守りたいんだ。
「ほら、解ったなら受け取れ、リリア」
「え?うわっ!」
マレノア姫は大事に抱えていた卵を、ヴァンルージュ先輩に投げて寄越した。ヴァンルージュ先輩は慌てつつも難なく受け止める。
「なんて乱暴な事しやがる。卵が割れたらどうすんだ!」
「リリア、バウル。お前たちに勅命を下す」
ヴァンルージュ先輩の抗議を無視して、マレノア姫は言い放った。手にはいつの間にか杖が握られている。緑色の澄んだ石が嵌っている、神秘的な杖。
あれが『銀の梟』の求めている魔法石なのか。……確かに綺麗だし凄い力ありそうだけど、よく要求する気になるな……この姫君相手に……。
「野ばら城を脱出し、卵を黒鱗城へと届けよ。逆らう事は許さぬ。さあ、行け!」
「そんな命令きけるわけねぇだろ!!俺が残る!だからマレノアは……」
「しつこいぞ!」
爆発したような音と共に、雷がヴァンルージュ先輩のすぐ近くに落ちた。思わず顔を上げる。
マレノア姫はヴァンルージュ先輩に杖を突きつけていた。
「右大将殿!!」
「私は『行け』と言った。聞こえなかったか?」
「……その命令だけは、絶対にきけない……ッ!」
「この愚か者!」
今度は当たった。間違いなく当たった。ヴァンルージュ先輩はとっさに卵を庇ったように見えたけど、雷の性質を想像するに接している限りあまり効果は無い。つまり卵にもダメージが行ってる。
「あ、ああッ!若様の卵がッ!」
「マレノア様ッ!どうか、どうかお心をお鎮めください!」
外野の声など聞こえない様子で、マレノア姫は酷薄な笑みを浮かべる。
「ククク……どうするリリア?ここでその卵ごと命を散らすか!?」
「うぐっ……!」
もし間違いが起きれば、取り返しがつかない事は解っている。でもその寸前までの本気を見せなければ、相手は退かない。
だから二人は争っている。どちらも本気だから、どこまでも譲る事が出来ない本気だから、大事な卵を危険に晒してでも相手を力づくで納得させようとしている。
問題は、どんなに本気を示された所で、どっちも全く退く気が無い事だ。このままでは本当に卵が危ない。
「親父殿ッ!!」
シルバー先輩がヴァンルージュ先輩の前に立つ。さっとマレノア姫の表情が怒りに染まった。
「人間風情が、わたくしの前に立つな!無礼者!!」
シルバー先輩が雷に打たれて吹っ飛ばされる。倒れたシルバー先輩に、ヴァンルージュ先輩が駆け寄った。
「シルバー……っ、馬鹿野郎、なんで出てきた!」
「も、もう見ていられません。お二人はお互いを想い合っているのに、なぜ争わなくてはならないのですか!?」
真っ直ぐな声が広間に響く。
「どうか、どうかおやめください……お願いします!」
マレノア姫は何も言わない。僕たちも、近衛隊の皆さんも、見守っている事しか出来ない。
「……姫様。何卒、右大将殿の進言を聞き届けていただきたく存じます」
「頼む、マレノア……決闘など受けるな。この城を捨てて、逃げるんだ。もしレヴァーンもお前も失う事になれば……俺はどうしたらいい」
「くどいぞ」
尚も訴える二人をマレノア姫は切り捨てる。厳しい声だけど、怒りは感じられない。
「私は奴らに負けはしない。どれだけ数を集めようが、ことごとく焼き払ってくれよう」
凛々しく誇り高い姫君らしい、力強い言葉。それをただ無邪気に信じられたらどんなに良かっただろう。
マレノア姫は穏やかな視線をヴァンルージュ先輩と、その腕の中の卵に向けた。
「だが……万が一、私が戻らずとも『その子』がいる」
「お前がいなくちゃ、この卵は孵らない!」
「その時は、お前が孵せ」
「無茶を言うな!ドラゴンは親の魔力と愛情でしか……真実の愛でしか孵せないんだぞ」
卵だけ生き残っても、孵せなくては意味がない。
「俺には親の愛情なんぞわからん。誰かを愛した事だって……そんな俺に、この卵を孵せるワケがねぇだろ!」
ヴァンルージュ先輩の必死の訴えを前に、マレノア姫は目を丸くする。
「私を愛しているだろう?幼い頃に私に求婚したのは偽りか?」
「はァ!?求婚って……二百年以上前のガキの頃の話だろうが!なんで今そんな話を……」
「お前はレヴァーンの事も愛していた。左大将であった我が夫と、右大将であるお前が共に過ごした時間は、夫婦よりも長い」
動揺するヴァンルージュ先輩に対し、マレノア姫は当然とばかりに続ける。
「愛する私たちの血を引く子を、お前が愛さぬわけがない。そうだろう、リリア?」
「何を馬鹿な事を……っ!?」
ヴァンルージュ先輩が、何かに気づいた様子で振り返る。その視線を追えば、次の瞬間、広間の入り口から大量の茨が吹き出した。
「ふなっ!?なんなんだゾ!?ツタがいっぱい入ってきた!」
グリムが驚いて背中によじ登ってくる。
茨は広間を埋め尽くす勢いで怒濤し、その場にいた者たちを絡め取る。近衛隊も、僕たちも等しく。棘があるように見えるのに、巻き付かれても不思議と痛む事は無かった。多分、動いたら痛いタイプだ。
同じく茨に絡みつかれながら、ヴァンルージュ先輩は尚もマレノア姫に訴えかける。
「おいマレノア!馬鹿な事を考えるのはやめろ!」
「マレウスはいずれ、この茨の国に暮らす妖精を明るく照らす吉星に……そして、人間どもにとっては恐れるべき凶星となるだろう」
黒い茨は身体を覆い自由を奪うと、どこかへ移動を始める。少なくとも、この広間から追い出されるのは間違いない。
「姫様!こんな事はおやめください!姫様ーッ!!」
「くっ……!ダメだ!体が、茨に押し流される……ッ!」
訴える声も悲鳴も、茨に押し流され遠ざかっていく。
「マレウス……わたくしの愛しい子。頼んだぞ、リリア」
子を慈しむ母の声。信頼し愛する友に我が子を託す姫君の声。
「……夜の祝福あれ」
「やめろ……だめだ、行くな!!マレノアーーーーーー!!!!」
ヴァンルージュ先輩の悲痛な叫び声が、茨に流されて遠ざかる。