1:癇癪女王の迷路庭園
「……うっし!」
エースが気合いを入れて立ち上がる。クローバー先輩から銀色のカバー付きの皿を受け取る。残りは別の台車に乗っていて、寮長が食べた後に配られるようだ。
「なあ、ユウ。僕たちも一緒に行こう」
「エースが情けなく謝ってる所を見てやるんだゾ」
「そういう言い方やめな、グリム。一応、自分のやった事の後始末を真剣にやろうとしてるんだから。笑う所じゃないよ」
反省はしていないだろうけど、ここでは問題にしないでおく。途端に不満げになったグリムに対し、デュースもちょっとばつが悪そうな顔になった。似たような事を思っていたらしい。
ダイヤモンド先輩のエスコートをやんわり断り、こっそり人混みに紛れるようにエースの後ろに近づく。エースは緊張も何もしてなさそう。その辺りはあまり心配していない。
気がかりなのは不作法を指摘されて全部台無しになる事ぐらい。寮の決まり事に関しては、先輩たちのお膳立てなのだから大丈夫だろう。
「寮長!」
エースが声をかけると、ローズハート寮長は値踏みするように目を細める。
「……ああ、君はタルト泥棒の一年生だね」
「寮長のタルトを勝手に食べてすいませんでした!今日はお詫びの印として、代わりのタルトを持ってきました」
「ほう、タルトを」
雰囲気は悪くない。挑発に乗らなかった事を評価しているように見える。ちゃんと謝罪の言葉もあったし、このままタルトを渡して許しが出れば、万事解決だ。
「旬の栗をたっぷり使ったマロンタルトです!」
銀のカバーを外せば、昨日作ったマロンタルトがそこにある。つやつやでおいしそうなマロングラッセ、薄く色づいたマロンクリーム。見た目にも隙は無いと思う。
けれど、ローズハート寮長の表情は驚きに染まった。その表情に喜びの気配は微塵もない。
「マロンタルトだって!?信じられない!」
「えぇっ!?」
「ハートの女王の法律・第五百六十二条。『なんでもない日のティーパーティーにマロンタルトを持ち込むべからず』」
朗々と読み上げられた文章に愕然とする。
何その決め打ちみたいなルール。適当にいま作ったわけじゃないよね?
「これは重大な法律違反だ!なんて事をしてくれたんだい!完璧な『なんでもない日』が台無しじゃないか!」
「……い、一体何条まであるんですか……?」
「全八百十条。ボクは全て頭に入っているよ」
思わず口にした疑問を、寮長が拾って答えてくれた。寮長なんだから当然だ、とも彼は言う。
八百十条。あの無秩序で理由もよくわかんないルールが、割と普通のそれっぽい規則と混ざって、八百十条。頭がくらくらしてきた。
落とし穴があると分かってる廊下どころじゃない。そこら中にトラップが埋まっててミサイルが無秩序に飛んでくる中、常に頭を狙撃銃で狙われてる状態で目的地まで無傷でフルマラソンしろって言われてるようなもんじゃないか。
「あちゃー、こりゃやばい。トレイくん、知ってた?」
「俺が暗記できてたのは第三百五十条までだ。……完全に油断してた」
後ろの方で先輩たちが囁いている。彼らとしても予想外だったらしい。
ホント最悪だ。考えつかなかった自分たちにも落ち度はあるかもしれないけど。
まさしく『相手が誰であれ何でも鵜呑みにせず、疑ってかかる』べき状況だったワケだ。
「ハートの女王の厳格さを重んじるハーツラビュル寮長であるボクが、この違反に目を瞑る事はできない」
厳しい声音でローズハート寮長は判決を告げる。ここは裁判所じゃない。弁護は許されず、ただ支配者の判決が全て。
「マロンタルトはすぐに破棄しろ!それから、こいつを寮外へつまみ出せ!」
「ちょっと待てよ!そんな無茶苦茶なルールあるか!」
「そうだゾ!捨てるんだったらオレ様が食う!」
タルトを取り上げられ押さえ込まれたエースの前に、先輩たちが慌てた様子で飛び出してくる。
「寮長、申し訳ありません。マロンタルトを作ろうと言ったのは俺です」
「そうそう。まさかそんな決まりがあるなんて全然思ってなくて」
「作った事が重要なんじゃない。今日!今、ここに!持ち込んだ事だけが問題なんだ!」
よく通る声で威圧的に答える。ある意味とても冷静で、ある意味とても残酷な事だ。持ち込んだ当人は有罪でそそのかした人は無罪、と言いたいらしい。
先輩に何とも都合良い考えのように聞こえるが、そういう意図は多分無いのだろう。発案と実行の立場が逆なら先輩が追い出されていたんだと思う。
「……せっかく、みんなで頑張って作ったのに。先輩からアドバイスしてもらって、寮長さんが喜んでくれると思って……」
うまいこと同情を引けないかと、ちょっと声を大げさに悲しげにしてみる。話をどう誘導するか頭を巡らせた。
持ち込んだ事が問題なら、ここから持ち出せばいい。捨てる、という話だけでもどうにかしたい。
……オンボロ寮に冷蔵庫無いし、どう処分するかは考えないといけないけど。
エースの謝罪も仕切り直しだが、この際仕方ない。別の方法でどうにかするしかないだろう。後で考えよう。出来れば先輩たち抜きで。
「さっきから聞いてりゃおかしなルールばっか並べやがって。馬鹿じゃねーの」
ほんの少し同情に傾いた空気が、エースの言葉で一気に緊張した。
「馬鹿……だって?」
「ちょ、ストップ!それは言っちゃダメなやつ!」
慌ててダイヤモンド先輩が取りなそうとするが、エースは意に介さない。
「そんなルールに従ってタルトを捨てるなんて馬鹿だって思うだろ。ふざけんなよ」
「俺もエースに賛成です。もちろん、ルールは守らなければいけないものだとは思いますが……さすがに突飛すぎる」
エースの言葉にデュースが続いた。エースと違って感情に任せたものではないと思うけど、その意味が相手にも通じるとは限らない。
「ボクに口答えとはいい度胸がおありだね。いいかい、小さなルール違反が、大きな問題に繋がるんだ」
だから見逃す事はできないのだと、ローズハート寮長は語る。
「ボクが寮長になって一年。ハーツラビュル寮からは一人の留年者・退学者も出していない。これは全寮内でハーツラビュルだけだ」
高らかに自らの功績を述べる。その事実に自信を持っているのだと理解できた。
このルールだらけの寮に所属してそれを成したのは凄い事かもしれない。ただ、それを誇りと取るべきかは分からない。あの滅茶苦茶な法律に雁字搦めの学校生活は、どんな気分なのだろう?
「この寮の中でボクが一番成績が優秀で、一番強い。だからボクが一番正しい。口答えせず、ボクに従っていれば間違いないんだ!」
強いから正しい、なんて『規律を厳守する』という理性的な行動を重んじる人間から出る言葉とは思えなかった。不気味な違和感がある。恐怖すら感じた。
「他の奴らも、魔法封じられるのが怖くて言い出せないけどこんなのおかしいと思ってるんだろ!?」
エースは寮生たちを振り返るが、返ってくるのはごみごみした戸惑いだけ。
「へえ、そうなのかい?」
「と、とんでもありません、寮長!」
それが寮長に睨まれると、背筋を伸ばしてハッキリと答えた。エースが舌打ちする。
「日和りやがって。ダッセー」
「ボクだって、やりたくて首をはねてるわけじゃない。お前たちがルールを破るからいけないんじゃないか」
その言葉だけ、表情が暗く沈んで見えた。杖を握る手も力がこもったように思う。それは本当に一瞬で、気づいた時には厳しい視線がエースとデュースに向けられている。
「ボクに従えないのなら、まとめて首をはねてやる!」
「みんな、ほら。『はい、寮長』って言って」
「…………言えません」
「こんなワガママな暴君、こっちから願い下げだ!」
「……今、なんて言った?」
底冷えするような、一層冷たい声音だった。正面から言われたら誰でも次の言葉を躊躇う。そんな空間を完全に無視して、グリムが足下から飛び出す。
「オマエはおこりんぼでワガママで、食べ物を粗末にする暴君って言ったんだゾ!」
デュースは慌てた様子で『そこまでは言ってない』なんて言ったけどもう遅い。
「『首をはねろ』ーーーっっっ!!!!」
大きな悲鳴が上がる。デュースとグリムの首に、エースと同じ首輪がはまっていた。
「ぐええ!またこの首輪なんだゾ!」
「くそ、外れない!」
二人は外そうと四苦八苦しているけど、当然ながら外れるワケがない。杖で地面を叩く音がした。
「トレイ、ケイト!こいつらをつまみ出せ!」
「……はい、寮長」
その言葉に答えるやいなや、ダイヤモンド先輩は増殖してデュースを抑え込み、クローバー先輩はグリムをつまみあげた。
「せ、先輩たち!?」
「ごめんねー、オレたち寮長には逆らえないからさ」
「……悪いな。謝れば寮に戻れるように、寮長はなだめておくから」
「くっそー!!ぜっっってぇ謝らねえからなーー!!!!」
クローバー先輩の囁きに対し、エースは更に声を上げて暴れるが、流石に手も足も出ない様子だ。
ダイヤモンド先輩の一人が、ここに入ってきた時のように肩を抱いて手を取ってくる。暴れながら引きずられていく三人を追うように歩かされた。
その途中で身を翻し、寮長の前に躍り出る。今度は何だ、という緊張が会場に走った。
「私の友人が、大変失礼をいたしました事、お詫びします」
会場内が静まりかえる。
「君が謝ろうと、裁定に変わりはないよ」
ローズハート寮長は依然厳しい声だ。
「それに異論はありません。ですが」
「何だい?」
「破棄するマロンタルトを、引き取らせては頂けないでしょうか」
表情は変わらない。
「ハートの女王の法律では、マロンタルトを持ち込んだ事だけが問題だと」
「……そうだね、その通りだ」
「あのタルトは彼らが、食べる人においしいと思ってほしいと、先輩に教わりながら心を込めて作ったもの。ただ捨てられてしまうのは、あまりに忍びない。持ち込んだ事だけが問題であれば、この場から排除する事だけが必要であれば、私が持ち帰っても同じ事です」
ローズハート寮長は無言でこちらを見つめている。油断できる雰囲気ではないが、問答無用の怒りまでは感じない。
「どうか温情を頂けないでしょうか」
もう一度頭を下げる。寮生たちは少し同情的な空気になってきた。
「……良いだろう。好きにしろ」
「ありがとうございます」
タルトを回収した寮生たちが、手早く箱を準備して持たせてくれた。三つ重ねは流石に重いけど仕方ない。礼を述べると、照れくさそうに会釈してくれた。
「魔法が使えないくせに学園に居座るだけあって、図太いものだね。捨てる物にまで群がるなんて卑しい動物みたいだ」
帰ろうと出口に向かう背中に投げかけられる。振り返って相手の目を見て、にっこり笑って膝を折る。その後は退場の列に加わり、つまみ出される三人と一緒に門をくぐった。門を閉める寮生が小さく会釈してくれたので、こちらにも軽く膝を折って挨拶しておく。
「だぁーーーくそムカつく!!あのチビ暴君!自分がハートの女王にでもなったつもりかよ!!」
エースが地面に転がってわめく。その隣で、デュースは沈んだ顔をしていた。
「……寮長に逆らって追い出されるなんて……どんどん優等生から遠ざかってる……」
「面倒な事になったなぁ」
「め、メチャクチャ他人事みたいな言い方しやがった!」
「監督生、なんでグリムを止めてくれなかったんだ!」
「いやー、僕が止めてどうにかなる段階じゃなかったよ、あそこ。っていうか、自分も首輪かけられるぐらいの覚悟があって抗議に加わったんじゃなかったの?」
「冷静に言えば解ってもらえると思って……」
「そっか。うん、まあ、そうだね。だったら良かったんだけど」
思わず同時にため息をつく。
「エースがキレなければなぁ。マロンタルト持って退散して仕切り直し、で済んだんだけど」
「オレのせいかよ!?」
「いや、後から言うのは良くないね、ごめん」
「……だって、お前があんな声出すから……」
思わず顔を見ると、何でもない、と憮然と返された。アレ、もしかして僕のせいだった?
「まぁ、とりあえず戻ってマロンタルト食べながら作戦会議でもしようよ。……三つもあるし」
と、言った瞬間に、抱えていた箱の一つが宙に浮き上がった。三人も目を丸くしている。
浮き上がった箱はあっという間に頭上を飛び越え、独りでに開き、勝手に切り分けられて更に一切れ浮き上がった。誰かが一口かじったように、先っぽから半円の形に消える。
「うまいマロンタルトだにゃあ~」
どこからともなく声が聞こえてくる。いや、浮いてるマロンタルトの傍らから人の顔が現れた。
「な、な、生首おばけぇ~~~~!!!!」
グリムが絶叫すると、人の顔はとぼけたような表情をする。
「おぉ、身体を出すのを忘れとった」
そう言った次の瞬間、首の下に人の身体が現れた。片手にマロンタルトの箱を、もう片方に食べかけのマロンタルトを持っている。
切りそろえられてるのかボサボサなのかよく分からない紫の髪、猫のような金色の目。学生服っぽいけどめちゃくちゃ着崩している。ズボンはカラフルなワッペンに彩られていた。腰の辺りに紫色の縞模様のふさふさした飾りが下がっている。
「その首輪の重ねづけ、イカしとるにゃ~」
「えっと、君はいったい?」
「俺はアルチェーミ・アルチェーミエヴィチ・ピンカー。猫のような、人のような、魔力を持った摩訶不思議なヤツ」
言われてみれば、頭に猫のような耳がある。もしかしてふさふさの飾りは尻尾だろうか。
「アルチェ……なんて?」
「みんなチェーニャって呼ぶかねぇ。少なくとも……そのへんのヤツらとはレベルが違うぜー」
言いながら、チェーニャはマロンタルトを口に運ぶ。何とも楽しげな様子だ。
一応学生服に見えなくはないので、多分生徒だろうと思うが、寮の所属を示すベストも腕章もない。
「オレは暴君に理不尽な目に遭わされて機嫌が悪いんだよ、どっかいけ」
「リドルが暴君……ふふふ、まあそう言えなくもないかもしれないけどにゃあ、ちっこい頃からあいつは真面目なヤツだもんで」
時折意味深な笑いを挟みながら、二切れ目のタルトを食べ始める。独特な口調のせいでしゃべってる事が頭に入ってこない。
「寮長の事、何か知ってるのか?」
「知っとるといえば知っとるし、知らないといえば知らにゃあ」
「どっちなんだゾ」
「なあにぃ?君ら、リドルについて知りたぁの?」
「ああ知りたいね!どうやって育てりゃあんな横暴に育つのか!」
半ばやけくそみたいな返事をしたエースに、チェーニャは気を悪くした様子はなく笑顔で返す。
「それじゃあ、あの眼鏡に訊いてみにゃあ」
「眼鏡って……クローバー先輩の事か?」
「あいつはリドルがちっちゃい頃からよう知っとるよ。リドルについて知りたいなら、俺ならまずあの眼鏡に訊くにゃあ」
「幼なじみって事か、そんな感じはしなかったが……」
「おみゃーがそう思うなら、そうなんじゃにゃーの。ほんなら、俺に訊く必要はないにゃあ。ほいじゃあ」
「あ、おい!」
マロンタルトをかじりながら、チェーニャはあっという間に消えてしまった。箱もタルトももう見えない。
顔を見合わせる。
「とりあえず、一度オンボロ寮に戻ろうよ。……コレどうにかしないと」
三人は賛成を示し、ハーツラビュル寮を後にした。