1:癇癪女王の迷路庭園



「さ、あとは着替えだね」
 ダイヤモンド先輩がペンを振ると、集まっていた分身達が一斉に消えた。それに驚きつつも、エースが首を傾げる。
「『なんでもない日のパーティー』も含め、寮の行事は特別の指定がない限りは寮服で参加するのがルール!……入寮初日に説明してなかった?」
「……言ってたっけ」
「す、すいません!」
 後輩たちがとぼけたり謝ったりするのを、ダイヤモンド先輩は困った笑顔で見ている。
「ま、今更言った所でエースちゃんは寮にも入れないし、時間ないトコ手伝ってもらっちゃったから今日は特別ね」
 言うが早いか、ダイヤモンド先輩のペンが踊る。飛び出した光が二人に降り注ぎ、あっという間に服が変わった。
 モノトーンを基調とした服に、金色のボタンや縁取り、独特な形の襟にあしらった赤色がアクセントになっている。顔のマークの色に揃えているのか、ベストや靴の色、ワッペンのカードの柄など、よく見ると違う部分もあるのだけど、基本的なデザインは統一されていた。礼服に近い扱いのようだけど、ブローチやワッペンが華やかでパーティ向きの服のように思う。顔立ちも雰囲気も違う二人だけど、どちらにもよく似合っていた。
「ふたりともかっこいい!」
「そ、そうかな?ありがとう」
 二人とも照れくさそうにしている。制服姿を見慣れているから新鮮なのもあるだろうけど、本当に似合っていると思った。選ばれて入った寮、というのが納得できる。
「二人はこれで大丈夫。それから」
 いつの間にか寮服に着替えたダイヤモンド先輩が、ペンをグリムに向ける。グリムのリボンが、赤と黒を基調としたデザインのリボンに変わった。ボロボロじゃないし、柄も綺麗でオシャレ。ハーツラビュルの寮服とお揃いだ。
「にゃはは、新しいリボンだ!」
「良かったね、グリム。似合ってるよ」
 グリムはご機嫌でリボンを眺めている。今にも踊り出しそうなくらいだ。
 お礼を言わないと、と思ってダイヤモンド先輩を振り返れば、まだペンを構えている。
「……先輩?」
「ユウちゃん、まさか自分だけそのままで行くつもりじゃないよね?」
 イヤな予感がする。逃げた方がいいのでは、と思った瞬間に、ダイヤモンド先輩のペンから溢れた光がこっちに飛んできた。
「わぁぁぁぁぁ!!??」
 光で視界がふさがり、思わず顔を腕で覆う。
 何の衝撃も無く、おそるおそる目を開けると、服の袖が変わっていた。白い服の袖口に赤い生地の折り返し。ゆっくりと視線を身体に下ろせば、白いブラウスの上に変わった形の襟がついたジャケットを着ていると分かる。視界の奥、下半身が、広がったスカートで見えなかった。膝丈ぐらいの長さで、足を上げるとモノトーンのタイツと艶のあるパンプスが見える。
 顔を上げると、ダイヤモンド先輩が抱きついてきた。
「かわいいーっ!!!!もー最高傑作!ヴィルくんの言う通りじゃーん!」
「か、は、え、はぁ!?」
 頭が混乱してまともに働かない。助けを求めてエース達を見るも、デュースは顔を真っ赤にして固まってるし、エースは顔を覆ってこっちを見ていない。
 そうこうしている間に、ダイヤモンド先輩が身体を離す。
「ヴィルくんから聞いたよ!美人さんなのに顔を隠してて勿体ない、って言われたんだって?」
「え、いや、えっと……」
「オレも噂は聞いてたけど、ちゃんと顔を見てなかったから半信半疑だったんだよねー」
「……噂?」
「入学式で騒ぎを起こした『魔力の無い新入生』が、とんでもない美少女だったって噂!」
 思わずエースたちを振り返った。ようやく見慣れてきたらしいデュースはいつもの様子に戻ったが、エースは相変わらずこちらを見ない。
「そういえば、僕も昨日着替えを取りに行った時、同室の奴に訊かれたけど……ユウは男だってちゃんと否定しておいたぞ!」
「……本人の前で噂話するバカいないでしょ」
 デュースは元気に答えてくれたが、エースはばつが悪そうにしていた。
「他にもかわいい子がいたから、なんか混同してうやむやになっちゃった感じもあったんだよね。納得だよ、メガネかけたら別人に見えるなんてマジ反則!」
 魔法がある世界でそこまで言われるのはなんか釈然としないけど、それをうまく説明もできない。元の世界にいた時から驚かれる事ではあったし、メガネだけで大きく印象が変わる理由は、自分でもいまだによく分かってなかったりする。
「はい、じゃあおめかししたから写真撮ろうね。昨日みたいにグリちゃんで顔隠すの禁止で」
 と、言うが早いか先輩は肩を抱いてスマホを構えていた。困惑している間に撮影が終わっている。
「あ、全身も撮らせて。グリちゃんもおいで」
「オレ様もいいのか?」
「二人でセットのデザインだからね。頑張って考えてよかった~」
 ダイヤモンド先輩は満足そうだ。そこに悪意も下心も感じられない。心から『かわいい』と思って着せている。もちろんバカにする意図も感じられない。あまりにも嬉しそうなので文句を言えずにいる。
 ゴーストたちが僕を『プリンセス』って言ってくるのと同じだ。バカにする意図は一切なく、本気で思っているからそう呼んでいる。幾らなんでも大げさだからイヤだと言うけど、あまりに悪意がないのでたまに罪悪感を覚える事がある。
 ……仮に正面からイヤだと訴えても、なんやかんやと言われて言いくるめられる気がするけど。
 悩んでるこっちの気も知らず、グリムが足下でポーズを決めていた。何枚か撮影して、先輩は戻ってくる。
「よし、じゃあパーティーの会場に行こうか」
「ま、待ってください。こんなふざけた格好してたら、それこそ怒られるんじゃ……」
「だいじょうぶだいじょうぶ、そこはうまく言っておくから」
「で、でも……」
「制服の方が悪目立ちしちゃうって。今日はパーティーなんだから、ね?」
「僕、男ですし……」
「似合ってるから大丈夫。うちの寮服を着せるわけにはいかないし、お客様だと分かりやすいけど、会場にはよく馴染むようにしてるから」
 やっぱり言いくるめられてしまいそう。うまく穏便に回避できる反論が出てこない。
 時間もそう無い。武力行使での回避も選択肢には浮かんだけど、それはつまり揉め事を起こすという事。このままだと自分が揉めたせいでエースの居候期間が延びる事になる。自分とグリムの立場も危うくなる。どっちも避けたい。
 と、そこまで考えて、着替えようにも魔法で服を変えられてるから、自分にはどうしようもない事に気づいた。つまりここまでの抵抗と検討は無駄だったのだ。
 そこに辿りついてやっと、覚悟を決める。
 いっそ別人のように振る舞うしかない。
「……今日ここだけ、ですからね」
「うんうん、ありがとユウちゃん。楽しいパーティーにしようね!」
 ダイヤモンド先輩は肩を抱き、手を取ってエスコートするように歩き出した。グリムたちがついてくる。
 パーティー会場は生け垣の迷路の一角にあった。門が設置されていて、迷路を抜けなくても入れるようになっている。
 広場にはテーブルセットが並び、会場を囲む木々の間を装飾が渡されていた。緑の生け垣に鮮やかな赤い薔薇が映える。少々雑然とはしているけれど、オシャレで楽しげな空間だった。同世代の学生が準備したにしてはしっかりとしたものの印象を受ける。多分、通ってた高校の文化祭の展示とか比べものにならない。
 会場に入った僕らを見て、生徒の何人かが話している様子が見えた。整列する生徒たちの中には、エースと同じ首輪のかかった者もいる。そこだけは、お喋りする余裕がなさそう。
 不意に陰口を叩いているらしい生徒と目が合ったので、にっこり微笑んで会釈しておいた。次の瞬間には黙ったので、そのまま先輩に従って目立たない位置まで移動する。
「我らがリーダー、赤き支配者!リドル寮長のおなーりー!」
「リドル寮長、バンザーイ!」
 高らかな宣言に、寮生たちの声が続く。
 声の間を、ローズハート寮長が歩いてくる。引きずるほど長いマントに、赤い髪を彩る王冠。寮生たちと同じく、白と黒を基調とし赤と金がアクセントのようだが、デザインは大きく異なっていた。王様や貴族のような、着ているだけで立場が上だと見て解るものになっている。
 もちろん、その衣装の威厳を損なわない、ローズハート寮長の立ち居振る舞いも堂々としたものだ。確たる自信が見受けられる。
「庭の薔薇は赤く、テーブルクロスは白。完璧な『なんでもない日』だ」
 ローズハート寮長は満足そうに頷いている。
「ちゃんとティーポットの中に眠りネズミは入ってるんだろうね?」
「もちろん。もしもの時の鼻に塗るジャムも万全です」
「よろしい」
 その視線が会場を滑り、僕とグリムの所で止まった。
「おや、挨拶は受けていないがお客様がいらっしゃるようだね」
 会場の空気に、ピリッと嫌なものが走った。吠えそうなグリムを手で制し立ち上がる。
「一年A組の羽柴悠と申します。彼は同じく一年A組のグリム。ダイヤモンド先輩からご招待を頂き、慣れない場所という事もあり逡巡しておりました。ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません」
 スカートの裾を摘まんで膝を折ると、周りまで息を飲んだのが分かった。
「……君は少しは礼儀を弁えているようだね。本来ならケイトから連絡があって然るべき所だが」
「ごめんごめん、でも外部の人の参加は禁止、なんてルールはないでしょ?」
「……そうだね。良いだろう。参加を許可する」
「ありがとうございます。大切な寮の行事を見学させていただき光栄です」
「君たちの寮には伝統も何も無いだろうからね。存分に見ていくが良い」
 もう一度無言で頭を下げ、椅子に座る。悔しそうな顔のグリムの肩を押さえた。物言いたげな視線がそこかしこから向けられているが、とりあえず無視をする。これ以上目を付けられたくない。
 ローズハート寮長の方は、もうこちらに興味は無さそうだ。何事も無かったように進行に戻っている。
「クロッケー大会の前にまずは乾杯を。ティーカップは行き渡ってるね?では、誰の誕生日でもない『なんでもない日』を祝して!乾杯!」
「カンパーイ!」
 寮生たちの高らかな声が重なる。やっと少し息が抜けた。寮生たちも食事を始めているし、グリムの肩から手を離す。グリムは猛然と目の前のカップケーキにかぶりついていった。
「お前、あんな事もできんの?」
 隣のエースがこそこそと話しかけてくる。
「あんな事って?」
「今の挨拶。アドリブ強すぎない?」
「プリンセスっぽく見えた?」
「見えすぎて引いたわ」
「良かった。この格好の間はこれでいくよ」
 エースは理解不能、とばかりに肩を竦めるが、無視して紅茶を飲む。おいしい。
 正直、プリンセスっぽく振る舞えと言われてもよくわかんない。でも昨日の昼休みの様子などからして、ローズハート寮長は真面目に作法を守ろうとする人間を理不尽に責める事は多分無い。おとなしく礼儀正しくしおらしく振る舞えば、むやみやたらに嫌われる事はないだろう。
 もっとも、入学式で騒ぎを起こした僕とグリムに対しての好感度は地の底のようだから、更に下がる事は無い。が、それはつまり何か粗相をしたら首をはねられる、という事だ。魔法が使えない僕でも、さすがにあの首輪をつけられるのは遠慮したい。邪魔そうだし重そうだし。
「パーティーでのお客様へのケーキのサーブって、ハートの女王の法律になんか書かれてたっけ……」
「おい、しっかりしろ。アレ男だぞ」
「だってすげぇかわいいじゃん……男って話のが間違ってるんだきっと」
「ゴーストたちがプリンセスって騒いでたんだから、じゃあやっぱり……!」
 微妙に聞こえる距離で話す寮生たちに、エースとデュースが哀れみの視線を向けている。
「……知らないって可哀想だな」
「ある意味幸せじゃね?騙されてる間が華ってヤツ」
「プリンセスどころか、陰険暴力腹黒メガネなのに、みんなおかしいんだゾ」
「言ってくれるじゃんお前ら」
「うわぁ、ユウちゃんこーわーいー!さっきのふわふわって感じの笑顔のままでいてー!」
 後ろからダイヤモンド先輩が抱きついてくる。振り返るとクローバー先輩もいた。
「そろそろ良いだろう。エース、行くなら今だぞ」
 クローバー先輩がローズハート寮長を示す。確かに、今は穏やかに紅茶を口に運んでいる。怒りそうな雰囲気は微塵もない。

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