7−2:疾紅の戦鬼
息苦しかったのはほんの数秒。下手すりゃ一瞬。
身体に触れる空気の流れが変わった事に気づいて目を開ければ、そこは見覚えのある夜の湖の畔だった。呼吸すれば澄んだ森の空気が肺に染み渡る。
「ユウ!」
「セベク!」
声に振り返れば、グリムとシルバー先輩がすぐそばにいた。良かった、元気そう。
ふと左手を見ればまだセベクの手を握ったままだった。セベクも程なく目を覚まし、僕の手を握っている事に気づいて慌てて離す。
「ユウ、大丈夫だったか?」
「うん。心配かけてごめんね」
「べ、別に心配はしてねーけど……」
ちょっと照れくさそうな顔をして、膝の上に乗ってくる。ぐりぐりと頭を僕の胸に擦り付けてくるのはどういう意味なんだ。可愛いからいいけど。
「先輩たちこそ大丈夫でしたか?」
「ああ。この指輪が『闇』を払ってくれた」
シルバー先輩は首から下げていた指輪を見せてくれた。大きな宝石が目立つ豪華なデザインで、うっすら虹色に輝いている。
「ソレから出てきた光が、広がってた『闇』をジュワーッて溶かしちまったんだ!そしたら、中からユウとセベクが出てきたんだゾ」
「そうなんだ」
相槌を打ちながら、右手を見れば短剣が握られたままだった。もう光っている様子は無い。あれだけ強く引っ張られた感じがあったのに、戻ってみれば手に痛みは残っていなかった。なんだか不思議。……きっと助けてくれたんだろうな。
「セベク」
シルバー先輩はまだ少しぼーっとしている様子のセベクの正面に屈んだ。兄弟子の顔を見て、セベクの表情も引き締まる。
「確かにお前の言う通り、このまま夢の中にいれば辛い想いをせずに済むだろう。でも……それでも。俺たちはこの夢から脱出しなくてはいけないんだ」
静かに諭すような言葉だった。いつもより心なしか厳しい声だ。
なんというか、セベクに対する時だけちょっと厳しいんだよな。でもそれは嫌いだとか嫌がらせとかそういう事ではなくて、家族みたいに親しいからこそ、他人に迷惑をかけないように叱っている感じに近いと思う。
「眠らされている学友たちの未来はどうなる。お前の帰りを待つ家族はどうなる!」
現に、段々と言葉に熱が入ってきた。
「そして何より……たったひとり、孤独に夢の世界を紡ぎ続けるマレウス様はどうなる!!」
セベクの視線が戸惑うように揺れる。そして顔を俯けた。
「……だが、リリア様はこの眠りから覚めれば……」
「そうだとしても。親父殿なら絶対に、今のマレウス様を諫めるだろう」
「それは……きっと、そうだろうな」
シルバー先輩の言葉を肯定する表情はとても優しい。セベクにとっても、ヴァンルージュ先輩は大切な人。盲目的な部分はあれど、育ての親ほど近くは無くとも、そこはシルバー先輩と共通している。
「臣下の役目は、ただ王を肯定し従う事だけではない。時には諫める事も大切だ。お前も同じ事を親父殿に教わったはず」
違うか?とシルバー先輩はセベクに問う。セベクは真剣な表情で先輩を見た。
「……お前の言う通りだ、シルバー」
セベクの表情は穏やかだ。素直に指摘を受け入れているように見える。
「僕はずっと迷っていた。若様に逆らってしまった事を。怒りと悲しみを込めて僕を睨んだ若様の瞳が……目に焼き付いて離れない」
そりゃあれだけ慕っていれば、敵意を向けられたらトラウマか。ずっと様子がおかしいのも仕方ない事だったんだろう。
ツノ太郎にとっては、可愛がっていた護衛の二人が裏切ったに等しい状況だし、感情がむき出しになるのも無理はない。
不毛な対立だ。どちらも望んでいない事は間違いない。
それなのに、大切な人を想うがために、対立しなくてはいけなくなってしまった。
「まだ、迷いはある。若様の幸せを考えれば、このままでいる方が良いのかもしれないと」
それがセベクの素直な気持ちなのだろう。決して上辺だけの理屈や正義で、敬愛する主を否定する事は出来ない、という意志。下手に正義を語られるよりはよほど信頼できる。
「……だが……僕は……僕の夢は!願いは!若様にとって誰より良き臣下となる事!!この夢は、ここでは叶えられない」
ここはあくまでも夢の中。
何もかもが上手くいくように作られた世界で得る栄光を、素直に喜べる人ばかりではない。
都合良くできた世界で成功するのと、稀有な幸運で成功するのは、労力をかけていないという意味では似てるようで、心情的には違うものなのだ。
「僕が命をかけてお仕えしたいのも、尊敬しているのも、現実の若様ただおひとり」
この言葉に迷いは感じられない。真剣で誠実な、王に仕えるに相応しい気高さみたいなものを感じた。
「ご両親がいらっしゃらない孤独に耐え、リリア様と共に歩み……ガーゴイルがお好きで、廃墟がお好きで、氷菓がお好きで……」
ツノ太郎の特徴を羅列しながら、厳しかった目元が徐々に潤んでいく。
「茨の谷の次期当主でありながらッ……民草と共に制服に身を包みっ、ナイトレイブンカレッジに通っていらっしゃる……現実の若様ッ、ただ、おひとりなのだ……!!」
最後の方は嗚咽混じりの言葉になっていた。涙が溢れる理由が愛情という事もある。
どこまでも感情に嘘が無い。見ていて気持ちいいぐらい真っ直ぐな想いの涙だ。
……これだけ素直で純粋な感じなのに、どうやったら人間に対しての態度がアレになるんだろ。不思議なもんだなぁ。
セベクは涙を乱暴に拭い、キッとシルバー先輩を睨んだ。
「だからもう、夢に耽る事はしないッ!必ず現実の若様のもとへ馳せ参じてみせる!!僕はもう二度と迷わないぞッ……わかったか、シルバー!」
「……お前らしいな」
シルバー先輩は柔らかく微笑んだ。しかしすぐに真剣な顔に戻る。
「その言葉、違えるなよ」
「ふんっ!お前に言われずともッ!」
雨降って地固まる。
グリムも満足げに笑っていた。
「やれやれ。セベクのヤツ、ようやく大声出す元気が出てきたみてーだな」
「そうだね」
僕らがのほほんとしていると、セベクはばつが悪そうな顔でこちらを向いた。
「情けない所を見せたな。魔獣……いや、グリム。それからユウも」
「ふなっ?オメーが謝るなんて、空から槍でも降ってきそうなんだゾ」
「ぐっ……」
「頼れる仲間が残ってくれて嬉しい限りだよ」
「…………それは本心から言ってるのか?」
「もちろん」
物凄く訝しげな顔で言われたので、全力のにっこり笑顔で返しておいた。疑いの視線は変わらなかったが、やがて静かに目を閉じた。
「いや、……今は本心で無くても良い。いつか絶対に、心から僕を認めさせてみせる!」
「あははははー」
「そうやって笑ってられるのも今のうちだからな!!」
別に認めてないつもりないんだけどなぁ。まぁいいや。
「でっ……では、僕はもう休む!お前たちも早く寝ろ!おやすみ!!!!」
セベクは一方的に言うと、さっさと天幕の中に入ってしまった。……どうせ同じ所に入るのになぁ。
「夜中にデケー声出すんじゃねーんだゾ!おやすみ!」
グリムが負けじと声を張り上げたけど、届いたかどうか。
そんな様子を見守っていたシルバー先輩が柔らかく微笑んで僕たちを見る。
「……あいつなりの照れ隠しと感謝だろう。誤解されやすいが、本当は情に厚い男だ。これからも仲良くしてやってほしい」
「にひひっ、ソレはアイツの態度次第なんだゾ」
「向こうが仲良くしたいと思ってくれてるなら良いですけどね」
どっちかって言うと、僕の方が人間性に問題あるからなぁ。自分で言うのもなんだけど。
グリムが大あくびをして身体を伸ばす。
「いっぱい歩いて、いっぱい戦って、もうクタクタだぁ~」
膝から降りて、眠そうな顔で僕を見上げた。
「オレ様、もう寝る」
「うん、お疲れさま。僕もすぐ行くから、先に入ってて」
「ん。おやすみなんだゾ~」
「ああ、おやすみ」
「おやすみ、グリム」
グリムはぽてぽてと歩いて天幕の方に向かった。ちょっと覚束なかったけど、まぁ大丈夫だろう。途中で落ちてたら拾えばいい。
僕も立ち上がる。短剣を鞘に戻し、何となく土と埃を払っていると、未だ動く様子の無いシルバー先輩が目に入った。
月明かりの下、ただ静かに湖を見つめる姿は、一枚の絵画のように美しい。整った顔立ちと凛々しい雰囲気が、真っ直ぐな立ち姿と相俟って物語の騎士のようだった。
まぁ、多分考え事をしているんだろうな。そっとしておくべきか少し悩んで、声をかける事にした。
「……先輩も休みませんと」
「ああ、そうだな」
「何か心配事でも?」
先輩は少し考えてから、僕に視線を向けた。
「俺も、セベクの言葉に一瞬だけ心が揺らいでしまった。……このまま夢の中にいれば、親父殿もマレウス様も……と」
「……気持ちは分かりますけど……でも、それは」
「大丈夫だ、解っている」
僕の言葉を珍しく遮る。そんな自分の様子に何を思ったのか、シルバー先輩は少し目を閉じて、再び真剣な表情で僕を見た。
「もし俺が夢に縋り、『闇』に飲み込まれそうになったら……ユウ。どうか俺を止めてほしい」
言葉はあくまでも淡々としていて、どんな気持ちなのかはよく解らない。
でもきっとこの状況は、先輩にとっても不安な事ばかりだ。ああやって弟弟子を諫めはしたものの、同じ迷いに陥る可能性を否定しきれない。それは別におかしい事でも何でもない。先輩だってまだ学生だし。
それに、その可能性に気づいてこうして言葉にしてくれるのは有り難い事でもある。暗黙の了解に頼るより、ちゃんと言葉にしておいた方が色々と安心だ。
「もちろんです。グリムとセベクと一緒に、ぶん殴ってでも止めますよ」
「……ありがとう」
少しふざけて答えたんだけど、シルバー先輩の返答はどこまでも穏やかに真面目だった。口元が僅かに微笑んでいるぐらいなのに、とても優しい雰囲気で、うまく言葉に出来ないくらい綺麗。
「晴れた日の夜は冷える。暖かくして寝るといい。おやすみ」
「おやすみなさい」
天幕に入っていく背中を見送る。確かに肌寒いなぁ、と思いながら夜空を見上げた。
シェーンハイト先輩もまだ眠っているとしたら、どんな夢を見ているのだろう。
とても幸せな夢だったとして、その世界に僕はいるのだろうか。
……いなかったら、それは喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか、どっちなんだろう。ちょっとわかんないや。
早く現実に戻って、大好きなあの笑顔を見たい。柔らかくて甘い化粧品の匂いと、優しい温もりに包まれたい、なんつって。欲望はとどまる所を知らないなぁ。
そりゃいつかは離ればなれになるけれど、今ぐらいは再会をモチベーションにさせてほしい。
ふと湖に映った顔を覗きこむ。いつもと変わらない自分の顔。
……好きな人を想ってる時の目はすぐ解る、なんて言われたけどホントかなぁ。ホントだとしたら気をつけなくちゃ。またからかわれるの嫌だし。
何となく頬をマッサージしてから顔を上げる。
僕も寝ようっと。