7−2:疾紅の戦鬼
「セベク、ちょっと訊きたいんだけど」
「…………何だ」
声が怒りに震えている。出来るだけ気にしないようにした。
「道中でロープとか見かけなかった?こいつ縛っておきたいんだけど」
「……見ていない」
「そう」
それ以上会話が進まない。抑えるのを代わってくれるか、探してきてくれたら有り難いんだけど、ちょっと頼みづらいな。シルバー先輩たちがすぐに戻ってきてくれると助かるんだけど。
そんな事を考えていたら、声が飛んできた。人間の言語ではない、弾丸のような声。雰囲気だけで何となく意味を察せる。
緊急事態だ。
セベクも意味が解ったからか表情が変わった。
「人間!ここから離れるぞ!」
了解、と返しかけた瞬間、全身に悪寒が走る。殺気の向きが判りやすいのが唯一の幸運だ。
「セベク!!!!」
全力の体当たりでセベクを押し倒した。次の瞬間、セベクのいた所の後ろの壁が大きく抉れる。あと少し遅かったら頭が潰れていたかもしれない。
後ろを振り返れば、巨大な魔獣がそこにいた。多分、狼がベースだろうか。ギリギリ坑道を通れてるような大きさで、黒い毛皮から黒い粘液のようなものを滴らせている。
「な、あ……」
「セベク、走って逃げて!!!!」
「な、何故僕が逃げねば」
「お前が狙われてるからに決まってるだろうが!!!!」
坑道の壁が魔獣の一撃で大きく崩れる。衝撃で天井に吊されたランプが砕けて明かりが薄れた。
「せめて誰かと合流してきて!僕たちじゃ太刀打ちできない!」
「お、お前はどうすると……」
「うるせえ黙って逃げろ!!!!」
「ひ、ひひゃひゃひゃ!そうだやっちまえ!ひゃはははは!」
耳障りな笑い声が聞こえた。盗掘者が起き上がり勝ち誇った顔でこちらを見ている。
「ざまあみろ!俺の仕事を邪魔するからだ!やれやれ食っちまえ!ひゃーははは、あ」
魔獣はうっとおしそうに盗掘者の方を振り返った。笑い声が中途半端に絶えて、代わりに骨が砕けるような音と不快な水音が響く。
「……え、あ……」
目の前の状況を飲み込みきれない様子で、セベクは立ちすくんでいる。まぁ、夢の中とは言えちょっとグロがすぎるわな。
とはいえ、今がチャンスだ。セベクの手を引いて外に向かって走り出す。
まだヴァンルージュ先輩は中にいるとして、外にはバウルさんたちがいるから挟み撃ちに出来る。シルバー先輩やグリムとも合流できれば心強い。それにこのデカブツと戦うなら、広い場所の方が楽なはずだ。
しかし相手もそう簡単に見逃してはくれない。……そりゃ今まで見た中で一番食い出のある『妖精の子ども』だろうしな。
魔獣は坑道を削るようにして走ってくる。そのおかげでスピードは緩んでるみたいだけど、何せでかいから間合いが広い。通り過ぎた天井のランプが割れる度、その姿が闇に紛れて恐怖を煽る。
たまたま坑道が狭くなっている所を通り抜け、そこに魔獣が詰まった。暴れる度に坑道全体が揺れる。まだ外まではかなりあるし、突破されるのも時間の問題だ。
「外まで走れ、振り返るな!」
背中を押しやると、セベクは何か言いたげな顔をして、すぐに口を引き結んだ。走り出す背中を見送り、衝撃で落ちてきたランプの残骸と壊れて捨てられたらしいツルハシを拾い上げる。
……この組み合わせどっかで見た気がする。まあいいや。
ランプの金属部分をツルハシで打ち鳴らし、逃げているであろう彼の足音をごまかしつつ居場所を知らせる。
挑発としても機能しているようで、魔獣の表情は見るからに険しくなっていた。思うように動けない苛立ちもあるだろう。
坑道が崩れた瞬間に、相手は飛び込んでくるはずだ。向こうが一息で仕留められる間合いを保ちながら、必死で呼吸を落ち着け相手を睨みつける。
一瞬でも反応が遅れたら死ぬ。
シルバー先輩の言葉を信じるなら、夢の中だから、なんて油断は出来ない。肌に感じる殺気は現実と何も変わらないし、ただじゃ済まない事を感覚で理解している。
恐らくはヴァンルージュ先輩もシルバー先輩たちもこちらに向かっている。セベクがうまく助けを呼んでくれてればバウルさんも来てくれる。
それだけの数がいれば倒す事は出来るはずだ。
坑道はいつ崩れてもおかしくない。崩れ方によっては自分も生き埋めだ。
獣は獲物の恐怖を察知する。それだけで相手の態度が変わる。だから怯えた顔をしてはいけない。そんな素振りや気配を見せてはいけない。
……しかしまぁ、外見の得体の知れなさとでかさに誤魔化されそうだけど、キングスカラー先輩の威嚇に比べたら屁でもないや。
力で捩じ伏せる事しか知らない狭い世界の強者なんて、恐れる必要はない。
口元に笑みを浮かべる。それを見て、恐怖を糧としてきたであろう獣が怒りを露わに暴れた。洞窟が削れて身体が前に出てくる。食らいつこうとするのを後ろに跳んで避けた。かなりギリギリだったけど、まぁ問題ない。ぶつけそこねたツルハシを握り直す。
獣は飛びかかる機を見ているらしく目を離さないが、すぐに飛びかかってくる気配は無い。睨み合う分には時間が稼げて助かる。助かるけど、集中が切れたら最後だと思うと気が抜けない。
どれほどの時間、睨み合っていたかは分からない。
唐突に、魔獣が飛びかかってくる。転がって避けて、ツルハシを投げつけた。やっぱり大したダメージにはならないが、顔にぶつけたので怯みはしている。その代わり、肌に感じる怒りが更に強くなった。
もう少し先まで逃げれば開けた休憩スペースに出る。そこまで行くと相手が動きやすくなる分、一対一のままでは僕には更に不利だ。
それを解っているのかいないのか、魔獣は僕が避けられるギリギリの攻撃を繰り返してくる。こっちは後ろにしか逃げ場が無い。必然的に開けた場所へと追いつめられていく。
狭い場所から抜ければ、我が世の春とばかりに飛びかかってきた。どうにか転がって避けるが、起きあがる隙を許さない。
振り上げられた前足と鋭い爪が見えた、と思った次の瞬間、黒い影が前に立ちふさがった。影は手に持った警棒で魔獣の一撃を受け止める。
「ふなぁ~~~っ!!!!」
直後、聞き慣れた雄叫びと共に特大の炎が魔獣の顔面を覆った。魔獣は飛び退く。
「ユウ、無事か!?」
「無事です!!!!」
シルバー先輩とグリムの声が揃ってたので、思わず元気に返してしまった。グリムは僕の隣に立ち、シルバー先輩も構えを正す。
加勢が来た事で、魔獣は少し戦うのを躊躇ったように見えた。坑道に戻ろうと後ろ足が下がりかけた瞬間、風が吹き荒れる。続いて、魔獣の苦悶の声が響いた。
「せっかく親玉を見つけたんだ。逃がすわけにはいかねえな」
坑道の向こうから聞こえた声はヴァンルージュ先輩のものだった。今の一撃で魔獣は全身が傷つき、後ろ足を一本断たれている。凄い。
退路を塞がれた事で、魔獣は再び殺気をこちらに向けてきた。ヴァンルージュ先輩よりはこちらに勝ち目があると踏んでの事だろう。足を失って動きが鈍っているとは言え、生身の人間には十分な脅威だ。正面から攻撃を受けるわけにはいかないので、こちらは入り口の方へ逃げるしかない。
「どけ、人間!!」
後ろから聞こえた怒号は雷鳴のようだった。背を打たれたような感覚を頼もしく思いつつ、身体を坑道の壁に貼り付けるようにして道を開ける。
雄叫びと共に駆け込んできたバウルさんは、持っていた長柄の斧を魔獣の顔面に振り抜いた。まるで鉄球で殴られたみたいに、魔獣の頭が吹っ飛んで壁にめり込む。
「ぬおおおおおおおおおおお!!!!」
更に吼えた。狭い坑道だと言うのに器用に武具を操り、魔獣の首を断つ。斧の刃の何倍も太く大きな首なのに、骨も皮も無いもののように簡単に切り捨てた。その気迫と力強さは、結果に何の違和感も生み出さない。
魔獣の全身から力が抜ける。毛皮に滴っていた黒い液体がじわじわと地面に広がったかと思えば、端から黒い砂に変わっていく。やがて毛皮も肉も骨も、何もかもが黒い砂へと変わり、魔獣の姿は跡形もなく崩れた。坑道内に静寂が訪れる。
「……カッ……コイイ~……」
「第一声がそれかよ」
ヴァンルージュ先輩が律儀にツッコミを入れる。バウルさんはちょっと照れくさそうに咳払いした。
「右大将殿。外に逃げてきた子どもたちは無事に保護しました」
「おう。……親玉が片づいたら、雑魚どもも砂に変わったようだな」
坑道の奥を見ながら言っているので、どうやら奥にいる妖精の兵士たちが何か言っているのだろう。
「道中に人間の血の臭いがしたが……あれのヌシが魔物を引き込んだってわけか」
「ええ、本人がそう言っていました」
「その人間はどこに!」
「それの腹の中に」
魔獣の残骸を指させば、バウルさんは絶句していた。
ひとまず子どもたちや盗掘者、魔獣との遭遇の一部始終を報告。特に疑われもしなかった。まぁ嘘を言う理由も無いし。
「でかいのを逃したってんで急いで警戒を報せたが……雑魚を追ううちに距離が離れてたみてえだ。これも魔獣の戦略だったわけか」
随分ずるがしこい魔獣だったんだな。盗掘者の男も利用したつもりで利用されてたのかもしれない。
「あ、セベクとはお会いになられました?」
「……ああ。あれが報せを寄越したからな」
「でしたら、彼も無事ですね。よかった」
バウルさんは複雑そうな顔で僕を見ていた。首を傾げると目を逸らされる。代わりにヴァンルージュ先輩が笑みを深めた。
「本当に、度胸の据わった姫さんだ。護衛を逃がして自分が残って、危険も省みず音まで鳴らして」
「だから護衛じゃないですってば。彼はただの同行者です。僕の足が遅いから伝令役を任せたに過ぎません」
「こりゃ本気でマレノア様に会わせてみたくなったな。案外あっちも気に入るかもしれねえ」
「右大将殿。あまりお戯れを口にされるのはいかがなものかと」
バウルさんがしっかり釘を刺しても、ヴァンルージュ先輩はご機嫌だ。
「……ユウ、すまなかった」
「謝っていただく事は何もありませんよ。あんなデカいのが出てくるのは想定外ですし」
「子どもたちを送り届けて、戻る途中でセベクとすれ違った」
「セベクはバウルを呼ぶって言って行っちまったから、オレ様が音と匂いで探して道案内してやったんだゾ」
「ああ、とても助かった。……セベクは、自分から退避を?」
「いいえ?三回ぐらい怒鳴りつけました。魔獣がどう見てもセベクを狙ってたので」
あの時、セベクより僕の方が魔獣の近くにいた。にもかかわらず、魔獣が狙ったのはセベクの方だった。倒れていた盗掘者とその上に座った状態の僕の方が楽な獲物だったはずなのに、だ。
「あいつが、どうして?」
「味を覚えてたんじゃないですかね。『妖精の子ども』の」
「…………それでか」
シルバー先輩は物憂げに目を伏せる。
「お前に撤退させられたにしてはいつになく落ち込んだ様子だと思ってな……気に病んでいなければいいが」
「ま、セベクがバウルさんを呼んできてくれたおかげで無事に済みましたし。きっと大丈夫ですよ」
坑道内がだんだんと騒がしくなってきた。奥で討伐をしていた兵士たちがこちらに向かってきているのだろう。
ふと思い立ち、魔獣の亡骸の傍らに膝をつく。
「子分?何するんだ?」
「あ、ほら。亡くなった妖精の子にお祈りをね」
「それ、なんか意味あるのか?」
「んー、気持ちの整理かな」
僕たちがここに来た時点で亡くなっていたのだろうけど、やっぱり犠牲者がいるのは悲しい。
無言で手を合わせ目を閉じ、心の中で『安らかに眠れますように』と唱える。別に神様を信じてる訳でもないし形式なんか知らないけど、しないよりマシだと思いたい。
ふと振り返ると、グリムも僕の真似をするように目を瞑って前足を合わせていた。シルバー先輩は帽子を、ヴァンルージュ先輩たちは仮面を胸に抱え、目を閉じて祈っている。
種族が違っても、産まれた場所が違っても、不幸な死を迎えた者の安寧を想い祈る気持ちに変わりはない。
そう思わせる光景だった。