1:癇癪女王の迷路庭園



「監督生、起きろ」
 肩を揺さぶられ意識が浮上する。目の前にデュースの顔。もう制服に着替えているし、スペードのペイントもばっちり描かれている。
 起きあがろうとすると、お腹の上にいたらしいグリムが大あくびしてから飛び降りていった。
「……グリム、寝た時は一人用のソファにいたような気がするんだけど」
「僕が起きた時には一緒に寝てたから、寝ぼけて監督生の方に来たのかもな」
「勘弁してほしいわ、変な夢見たし」
「変な夢?」
「…………思い出せないけど、なんかムカつく夢」
 具体的な内容が思い出せないのに、腹の辺りに確かに不快感が残っている。グリムが乗ってたせいかもしれないけど。
「エースは?」
「いま顔を洗いに行ってる。監督生も洗ってこいよ」
「そうする。……忘れてた。おはよう、デュース」
「ああ、おはよう」
 デュースが笑顔で返してくれた。不快感も少しずつ薄れてきたし、気を取り直して顔を洗いに洗面所に向かう。
「おはよ、エース」
「あ、お、おう、おはよう」
 なんだか妙にぎこちなく返された。エースも既に制服に着替えているし、顔にはハートが描かれている。昨夜の雑談で聞いたが、顔に描かれたマークはハーツラビュル寮生のルールらしい。なんだかんだで二人ともこの辺りは遵守しているようだ。
「デュースはともかく、エースも休みなのにちゃんとしてるんだね。意外」
「そりゃ『なんでもない日のパーティー』に行くわけだし。だらしない格好で謝ってもあの寮長許してくれなさそうだし」
「それはそっか。まあ頑張ってね」
 僕が言うと、エースはむっとした顔になった。
「なに他人事みたいな顔してんだ。お前も来いよ。謝るの見届けるって約束だろ!」
「でも、僕は部外者だよ?普通に謝りに行くならともかく、寮の行事に同行するわけにはいかないでしょ」
「そ、れは……せ、先輩に確認するから保留!」
 エースは慌てて洗面所を出ていった。とりあえず顔を洗う。
「なあなあ、『なんでもない日のパーティー』って、オレ様たちの作ったマロンタルトが出るんだろ」
「そうだね」
「他にもお菓子が出るんじゃないか?」
「そうかもね」
「オレ様も行きたい!」
「……先輩の許可が出たらね」
 グリムは身体を弾ませてエースの後を追いかけていった。……なんだかんだで行く事になりそうだなぁ。
 二階の自室に行き、クローゼットを開く。見た目は年季が入っているがこれも良い品物らしく、蝶番は軋むものの、外装の板やハンガーをかける部分はしっかりしていた。昨日もらった洋服が綺麗にかけられていて、両端には虫除けなのかポプリの袋までぶら下がっている。
 どの服もこうして見るととても綺麗だけど、寮の行事という事は学校行事に等しいだろう。これを着る時ではない。……正直コーディネートとかわかんないし。エース詳しいかな。
 制服に着替え、暖炉の上の鏡を見ながらヘアブラシで髪を整える。メガネをかけて準備完了。
 談話室に戻ると、朝食の準備が終わっていた。ゴーストたちに朝の挨拶をすると、笑顔で挨拶が返ってくる。
「朝ご飯持ってきてくれたの?」
「エースが、少しでも長くユウを寝かしてやりたいって言ってたら、ゴーストたちが用意してくれる事になって」
「ば、ちがっ、おまっ」
『ユウに迷惑かけてる事、気にしてるんだね~』
『そこが本心かはさておき、ユウを休ませてあげたいのは僕らも同意見だからね』
「そんな所は気にしないでいいんだけどなー……」
『さあ、冷めないうちに召し上がれ!』
 改めて礼を言ってから食べ始める。今日はチキンとハムチーズの二種類のトーストサンドに、とろとろのスクランブルエッグ。あっさりしたドレッシングのグリーンサラダに、野菜たっぷりのコンソメスープ。デザートのフルーツヨーグルトは果肉がたっぷりで食べ応えも抜群だ。
 名門校は飯もうまい。最高。
 昨日の卵事件を思い出したデュースがちょっと沈んだ顔をしていたが、それ以外は特に問題なく食事は終わる。キッチンで食器を洗っていると、玄関の方から物音がした。
「僕が行ってくる」
 デュースが玄関に走っていくのを見送り、残りの食器を洗い終えた。拭いて籠にまとめると、食堂に返すべくゴーストが持って行く。
 玄関に向かうと、人が増えていた。
「おはよう、ユウちゃん」
 ダイヤモンド先輩がにっこり笑いかけてくる。エースもグリムも玄関にいた。
「おはようございます、ダイヤモンド先輩。どうされたんですか?」
「エースちゃんから連絡来たから、迎えにね」
 先輩は携帯を片手にウインクしている。
「他寮の生徒がパーティーに来るなんて普段は無い事だけど、ユウちゃんもグリちゃんもいろいろ手伝ってくれてるし、問題ないと思うんだ」
「って事は、オレ様たちもパーティーに行けるんだな!」
「そういう事。あと人手も足りないから、ちょっと手伝ってほしいんだよね」
「……そっちがメインでらっしゃる?」
「あはははは!」
 明らかに笑ってごまかされたが、抗議をするのもめんどくさい。
「仕方ない、エースが寮に戻れるようにしないとだもんねー……」
「面倒くさそうに言うなって」
「ごちそうもいっぱい用意してるから、楽しみにしてて」
 それで喜ぶのはグリムだけなんだよなぁ。
 と思いつつも、ひとまず予定通りハーツラビュル寮に向かう。
 マロンタルトはクローバー先輩が、朝のうちに厨房の冷蔵庫から寮の冷蔵庫に移しているという。パーティーが始まったら、クローバー先輩からエースに一つ預けて、謝罪と共に寮長に渡す、という算段のようだ。
「あ、オレくん来た来た。遅いよ~」
 寮の前にある生け垣の迷路から、ダイヤモンド先輩が顔を出す。ぎょっとして思わず側にいる先輩を見た。
「ごめんごめん、ちょっとお喋りしちゃった」
「忙しいんだから勘弁してよね~」
「ほら、あっちの薔薇がまだ塗り終わってないよー」
「こっちも手伝って~」
 そこかしこから同じ声がしている。全部ダイヤモンド先輩だ。
「せ、先輩がいっぱい……!?」
「よ、四つ子!?」
「ううん、これはオレくんのユニーク魔法だよ」
 ちなみに本体はオレね、と最初に生け垣から顔を出した先輩が挙手する。
 分身を出す魔法。しかも、会話しても見破れないくらい精巧で、いろんな作業を同時にこなす事が出来る。
 ……ローズハート寮長の能力ばかり取り沙汰されてる雰囲気だけど、彼も相当に凄いのではないだろうか。今までにユニーク魔法を教えてもらった二人に比べて、あまりに汎用性が高い気がする。
「魔力消費えぐいから長くは持たないけど、今日は時間無いから特別。パーティーの時間に間に合わなかったら、首をはねられちゃう」
 という事で、と言いながら、ダイヤモンド先輩たちがペンキを手渡してくる。
「薔薇を塗るのを手伝って!」
「またかよ……」
「これも寮生の仕事だ、仕方ない」
「オレ様もまたやるのか!?」
「楽しいティーパーティーのためだと思って!」
「おいしいお菓子もあるからさ!」
「し、仕方ねえな……オレ様の華麗な色替えを見せてやるんだゾ!」
 あれよあれよと言う間に、白い薔薇の残る庭園を走り回る羽目になる。生け垣の迷路は迷いそうだったけど、そこかしこからダイヤモンド先輩の分身が出てきて助けてくれた。走り回っていたせいか、体感は前回よりも短く終わったように思う。それはみんなも同じだったようで、合流した時にはみんな満更でもない顔だった。
「前回より手際も良くなってたし、色もバッチリ!今日はみんな花丸だね」
 手伝ってくれてありがとう、と笑顔で礼を言われれば、みんな照れくさそうにしていた。最初の頃はイヤそうだったのに。ダイヤモンド先輩が巧いのか、僕たちが単純なのかは考えない事にする。

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