7−1:微睡む黒茨の塔


 湿った土の匂い。草の匂い。わずかに湿気を帯びた風が頬を撫でる。
 うっすらと目を開けば辺りは暗い。しかし闇の中のような何もない空間ではない。鬱蒼とした、という表現がぴったり合いそうな木々がそこらじゅうに生えている。
 僕たちは草の生い茂った地面の上に投げ出されていた。身を起こし周囲を見る頃には、シルバー先輩たちも起きあがっている。
「……ここ、は……?」
 誰も心当たりはなさそう。まぁ木しか見えないしノーヒントだよな。
「みんな無事……っぽいですね」
「ふなぁ~……ドロドロのグチャグチャからは逃げられたのか?」
「そのようだ……誰の夢に渡ったのかはまだわからないが……」
 とはいえ今のところは平穏だ。グリムは仰向けに転がり、シルバー先輩も深々と息を吐いている。
 一方セベクはといえば、先ほどの事を思い出したようで頭を抱えていた。
「ぼ、僕は、若様に逆らって……なんて事をしてしまったんだ!信じられない!」
「落ち込むのは後だ。まずはどこかで一度体を休め、状況の整理をしたい」
「見た感じ森のど真ん中ですよね。近くに休める場所あるかなぁ」
 最悪の場合、休む場所を探して森の中をさまよう羽目になる。セベクの精神状態も不安定そうだし、グリムもだいぶ疲れている。ここから更にハイキングは避けたい。
「先輩に縁のある誰かの夢って事なら、最低限この夢の主は近くにいそうな気はしますけど……」
 言いながら、シルバー先輩の表情が変わった事に気づく。
「この森の風景、風の匂い……ここはもしかして」
 どうやら覚えがあるらしい。尋ねる寸前、先輩の表情が一気に険しくなった。
「伏せろ!!」
 叫びながら僕たちの頭を掴んで地面に伏せさせた。直後、頭上を何かが通り過ぎていく。
「投擲か!?」
 飛んできたものが木にでもぶつかってくれれば多少情報が増えるのに、運悪くそうした事は起きていない。せめて物陰に隠れるべきだろう。
 多分同じ判断で、身を低くしたまま先輩と共にセベクとグリムを引きずって動こうとしたが、その前に足音が近づいてきた。
 木々の間から姿を見せたのは、奇妙な仮面を着けた兵士たちだった。姿形こそ人間だし、それらしい鎧も纏っているが、聞こえてくる声は理解不能な響きだった。
 ツイステッドワンダーランドでは古い時代から共通言語の整備が行われていて、国籍が違っても言葉が通じる。文字は未だに国籍によって異なるが、こちらは翻訳する魔法道具などの発展によってそのままでもほぼ問題ない。
 言語はコミュニケーションの手段と言うよりは『文化』であり、異なる言語を知る事は教養とされている。古代呪文語は魔法の歴史の一部としてナイトレイブンカレッジでも学習科目に含まれているが、この教科を得意とする人たちも何となく教養深い人が多い気がする。
 ツイステッドワンダーランドの翻訳魔法は異世界人の僕にも通用するようで、なんなら口語もどうしてか何不自由なく通じている。日本語しか喋ってないのに。そしてみんなの喋ってる内容もほぼ日本語に聞こえていた。助かるけど。深く考えたら負けな気がする。
 とにかくそんな感じだから、ここまで言語に困った記憶はあんまりないのに、目の前の人たちは何を喋ってるのか全く分からない。……いや、あんまり良い雰囲気ではなさそう。それだけはさすがに分かる。
 奇妙な兵士は三人。全員着けている仮面のデザインが違う。しかし誰が上官、という感じはしない。おそらく階級に差はなさそう。
 さっき飛んできたものを投げてそうな道具は手にしていないし、他にも周囲に仲間が潜んでいる可能性がある。前ばかりに気を取られてもいられない。
 喚き立てる兵士たちの声を聞いていたセベクの顔色がさっと変わった。
「て……『鉄の者』、だと?僕たちはそんな者ではない!」
「セベク、コイツらが何言ってるのかわかるのか!?」
 驚きの展開。
 説得を試みるセベクに対し、兵士たちの反応は厳しい。敵意を剥き出しにして、こちらを睨んで喚く。しかしセベクも諦めない。
「嘘ではない!僕たちは学生で……っ!」
 彼の声を遮るように、獣の威嚇のような音が飛んできた。
 そう、飛んできた。明らかにこちらに、正確には異形の兵士たちに向けられていた。その余波で怯えたように周囲の木々から無数のコウモリが飛び立つ。
 兵士たちは声の主を知っているようで、無闇に喚くのを止めた。やがて草を踏む足音が近づいてくる。兵士たちのものよりずっと軽い。そして気配が希薄だ。
「……何を騒いでいる、貴様ら」
 聞こえてきたのは、静かで低い男性の声。声を聞いたシルバー先輩とセベクの表情が変わる。
 僕もちょっと聞いた事がある気がする。誰だっけこれ。
 やがて姿を見せたのは、小柄な兵士だった。異形の兵士と似た意匠の仮面を被り、長い髪を束ねている。他の兵士と比べて鎧のデザインもやや軽装という印象だ。
 異形の兵士たちは小柄な兵士に対して姿勢を正し、先ほどとは打って変わって丁寧な言葉を返していた、ように見える。だって何言ってるかわかんないし。
 一通り訴えを聞き、小柄な兵士は鼻で笑った。
「……愚か者どもが。こいつらの纏う気の流れを見ろ。夜の眷属に祝福を授けられている。『鉄の者』ではないだろう」
「……祝、福?あなたは一体……」
「……だが、怪しい事には変わりはない」
 小柄な兵士は静かに武器を抜く。
 鉈のような斧のような不思議な形状。透き通った翡翠色の宝石で出来た刃を、銀色の金属が飾っている。一見して刃物には見えないが、そうとは言い切れない威圧感を纏っていた。
 武器を見たシルバー先輩とセベクが目を見開く。
「そ、その魔石器は……!?」
「黙れ、人間」
 武器が軽く振られただけで、鋭い風が通りすぎた。シルバー先輩の髪の一房がはらりと落ちる。
「余計な事は一切喋るな」
 鋭く言い放ち、動けないこちらに歩いてくる。
 ある程度距離が縮まった所で、その周囲に光が舞った。さっきのセベクと同じ、夢の主が纏う鳥のような光。
 小柄な体格。低い声。高い戦闘能力。兵を統率する地位。
 縁のある人間の夢にしか渡れないシルバー先輩のユニーク魔法で行き着いた先の夢の主。
 何より、ディアソムニアの二人の反応。
 僕の知る彼とは全く違う様子で、彼は武器をこちらに突きつけてくる。
「お前たちは何者だ?素直に吐け。この魔石器の曇りと消えたくないならな」

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