7−1:微睡む黒茨の塔


「……そこに、誰かいるの?」
 どこからか誰かの声がした。
 聞き覚えがある、不思議な声。いつもよりずっと近くから聞こえた。
「…………あっ、君は!!」
 驚いたような声に振り返れば、そこにいたのは大きな丸い耳が二つ並んだ不思議なシルエット。
 オンボロ寮の鏡の向こうにいたミッキーが、立体としてそこに存在していた。鏡の前では身長差は感じなかったけど、身長は僕より小さく、グリムよりは大きい。デフォルメされたキャラクターめいた不思議なシルエットだけど、これまた不思議な事に違和感を覚えない。非の打ち所のない着ぐるみを見た時とも違う、本当に不思議な感覚だった。
「ミッキー!」
「わぁっ!本当に?本物のユウなの?」
 僕が声を上げると、ミッキーの表情がぱあっと輝いた。
「すごいや、やっと鏡越しじゃないユウに会えた!ハイタッチしよう!」
 ミッキーが差し出した手に、少し屈んで自分の手を合わせる。
「イェーイ!」
 柔らかな手がちゃんと触れた。鏡の冷たさも固さも無い。人間……ではないんだろうけど、とにかく無機質な感じはしなかった。
「あ!コイツ、ゴーストカメラの写真に写ってたミッキーってヤツだ!」
「わっ!驚いた。ユウの他にもお客さんがいたんだ。君は……」
「オレ様はグリム!オンボロ寮の親分なんだゾ!」
「グリム?そうか、前に言ってたユウのルームメイトだね」
 グリムの不遜な態度も気にせず、ミッキーは朗らかに笑う。
「夢の中で会える友達が増えて嬉しいよ。僕はミッキー。ミッキーマウスだ。よろしく、グリム!」
「おう!」
 グリムとミッキーもハイタッチする。かわいい。
「にゃははっ!結局『ミッキー交信調査』に成功したのはオレ様って事だな!エースたち、悔しがるに違いねぇんだゾ」
「『ミッキー交信調査』?なんだい、それ?」
「あー……話せば長くなるんだけど……」
 不思議そうな顔で首を傾げるミッキーに事情を説明する。
 僕が暮らしていた世界の事。現在はツイステッドワンダーランドに原因不明の移動をし、帰れない事。元の世界へ帰る方法について、現在暮らしている部屋にある鏡でミッキーと話せる事が何らかの手がかりである可能性がある事。
 我ながらあまり流暢な説明ではなかったと思うんだけど、ミッキーは真面目な顔で聞いてくれた。
「ツイステッドワンダーランドとは別の世界にいる僕が、鏡越しにユウとおしゃべりできること……それが、ユウが元の世界に戻るヒントになるかもしれないんだね。なるほど」
「おう。だからオレ様たちにオマエの話をもっとたくさん聞かせてくれ」
「もちろんさ。ユウの力になれるなら、いくらでも!」
 最高の笑顔で、気持ちの良い返事をくれる。よくわからない事が多くて不安だけど、それだけで少し気持ちが和らいだ。
「まずこのヘンテコな部屋はなんなんだゾ?」
「ここにある家具や道具は、みんな勝手に動くんだ。気が合うヤツも、そうじゃないヤツもいる」
 こないだはトランプ兵たちと喧嘩しちゃった、とちょっと困った感じで、でも無邪気に笑っていた。
「トランプ兵って、あっちの棚の上にあったインクまみれのトランプの事か?」
「そう。あいつら、身体のハートやスペードを投げつけてきてさ!だから僕は万年筆のインクを水鉄砲みたいに発射して、応戦したんだ」
「にゃははっ!トランプは紙だから水に弱いって事か」
「うん。だから今は身体が濡れてしおれてるみたい」
 グリムは楽しそうに話を聞いてるけど、なんだか変な感じ。ハーツラビュルの設備や規則にも通じる、唐突なヘンテコぶりだ。
「どうしてトランプ兵に攻撃されたの?」
「クイーンのカードとダンスをしてたら、キングのカードがヤキモチをやいちゃって……僕は二人っきりのピクニックデートを邪魔したわけじゃないんだよ?だけどトランプ兵全員に命令して、追いかけてきたんだ」
 ……なんだかそれはそれで変な気がする。勝手にダンスしてたらそれはもう邪魔してない?
 僕の困惑に気づく事なく、ミッキーは肩を落とす。
「後で誤解は解けたけど、トランプ兵たちには悪い事しちゃったな」
「オレ様、ここにあるものはミッキーが魔法をかけて動かしてるんだと思ってたゾ。でもトランプ兵と喧嘩したって事は、オメーの魔法じゃねーのか?」
「魔法?もし自由に魔法を使えたらすごく素敵だね。でも、僕は魔法使いじゃないよ」
 グリムの言葉に、ミッキーは屈託なく笑った。
 ミッキーは魔法使いじゃないんだ。ミッキーにとっても鏡の出会いは偶然って事になるのかな。
「ふなぁ……じゃあ、誰がこの部屋に魔法をかけてるんだゾ?」
「うーん。それは僕にもわからない」
 ミッキーは真剣な表情で、ハッキリと答える。
「僕は最初、この不思議な部屋もユウも、僕の夢の中だけの存在だと思ってた」
 鏡の向こうに知らない人がいる。
 そんな不思議な現象を受け入れろという方が多分、難しい。夢の中の想像の存在、実在しないものと考えた方が解りやすい。
「でも違ったんだ。この部屋も君たちも、僕の想像が生み出した存在じゃない……そうだよね?」
 ただ頷く。
 部屋はともかく、僕たちはツイステッドワンダーランドに暮らしてたし、僕に至っては更にその前の記憶もある。
 僕の記憶の中の世界も含めて全てミッキーの想像から生まれているとしたら、ある意味で魔法よりずっと凄い事をしている気がする。
「本当に、不思議な事ばっかりだ」
「そういや、ミッキーはどうやってここに来たんだゾ?オレ様たちは気づいたらここにいて、どうやって来たのかよく覚えてねーんだ」
 しみじみと呟くミッキーにグリムが尋ねる。そういえば、扉は開かなかったし、窓も開けられそうになかった。気が付いたら部屋の中にミッキーがいた感じ。
「ここに来る時はいつも、ベッドで寝ている僕からスゥッと『もう一人の僕』が抜け出すんだよ」
「意識だけが身体から抜け出す?……幽霊になる、みたいな?」
「そうそう!それで、僕の部屋の暖炉の上にある大きな鏡を通り抜けると、この部屋に来る事が出来るんだ」
 元の世界でも『幽体離脱』という超常現象の名前くらいは聞いた事あるけど、信憑性の薄いものとして扱われている。ツイステッドワンダーランドでは居て当たり前のゴーストも、僕の世界では『まことしやかに居るとはされているが立証は出来ない』みたいな扱いでしかない。どちらも魔法と同じくらいの現実味がない存在だ。
 異なる世界とは言っても、ミッキーの世界はツイステッドワンダーランドに近いような気がする。
 そして現実のミッキーの部屋にも、暖炉の上に大きな鏡があるようだ。この部屋の中の鏡も、暖炉の上に飾られている。
「鏡から出入りするなんて、ナイトレイブンカレッジの寮みてーだな」
「起きている時にチャレンジしても、鏡は通り抜けられなかった。この部屋に来られるのは、僕が眠っている間だけみたい」
 そしてこの部屋の鏡を覗きこむと、時折オンボロ寮のあの部屋に暮らす僕が見えた、と。
「ん?ちょっと待てよ。……つーことは、今ミッキーは寝てるって事か?」
「うん。『僕』はこうして起きているけど、『僕の身体』はベッドでぐっすり眠ってるはずさ」
 ミッキーがこの部屋に入る条件は『眠って意識だけで鏡を通る』事。
 僕たちの状態もそれに倣っているとすれば、今の僕たちって、実体が無いって事にならない?
「……じゃあもしかして、僕やグリムもここにいるからには、意識だけの存在になってる、って事なのかな……?」
「えぇーっ!?じゃあオレ様の身体はどこいったんだゾ!?まさか、ディアソムニアに置いて来ちまったのか!?」
「幽体離脱どころか、最悪これは……」
 ツノ太郎が使った魔法が実際にどんな効果を発揮したのか解らない。
 遠目には眠りに落ちたように見えたけど、見た目通りの効果とは限らない。
 何より『世界で五本の指に入る魔法士』のツノ太郎がオーバーブロットしていたのだ。効果か範囲、あるいはその両方で、相当な規模の魔法が使われた可能性は高い。
 ツノ太郎が何の罪も無い人の死を願うような事は無いと思うけど、妖精である彼が人間の耐久性にどこまで理解があるかは解らない。結果的に最悪の状況を招く可能性は否定できない。
「……まさか、あそこにいた全員が本物の幽霊になってたりして……?」
「ふな……一緒にいたエースたちはここには来てねぇみてーだし……これからオレ様たち、どうすりゃいいんだ?」
「えっ?一緒にいたはずの友達がいないのかい?」
 僕たちの言葉にミッキーが反応した。
 頷くと、それは心配だね、と言葉通りの表情を浮かべる。本当に良い人だなぁ。
「もしかすると、近くにいるかもしれない。外に出て捜してみよう」
「でも、部屋のドアは開かねぇんだゾ」
「一度きりのチャレンジで諦めちゃダメさ!」
 ミッキーは明るく言い放つ。『ドアが開かない』だけの事にこんなポジティブなコメントをされるとは思わなかった。
「ひとりじゃどうにもならない事も、友達と力を合わせれば解決できる」
 凄く良い事を言っているのだが、それを遮るように鐘の音が聞こえた。部屋の中ではなく壁を隔てたどこかなんだけど、目覚まし時計の鐘みたいにけたたましい音なのは想像できる。
 ミッキーがはっとした顔になった。
「この音は……!」
「オイ、ミッキー!オメー、ゴーストみてぇに身体が透けてきてるんだゾ!」
 言われて見れば、本当にミッキーの身体が透けている。さっきまでは確かに実体があったのに。
「どうしよう!きっともう朝になったんだ!僕の身体が……目覚め……」
 鐘の音が続く。ミッキーの身体が透け、声も不明瞭になっていく。
「もっと……君たちの……なりたい……に……」
 名残惜しそうな声を残して、ミッキーの姿が完全に消えた。
「ミッキー!!!!」
「もう行っちまった……せっかく『ミッキー交信調査』が成功したのに!」
 もう目覚まし時計の音は聞こえない。だけどミッキーの姿も無い。完全に目覚めたようだ。手がかりが増えているようで増えていない。
 落ち込んでいたのも束の間、部屋が大きく揺れ始めた。グリムが悲鳴を上げる。
「な、なんだぁ!?部屋がぐらぐら揺れてるんだゾ!!」
 混乱していると、窓枠の下の方が黒く滲んだ。窓に描かれた黒いお化けが蠢き、窓枠の隙間から室内に入り込んでくる。
「うわぁっ!外からなんか黒いぐねぐねしたのが入ってきた!」
 グリムが足に抱きついてくる。振り返れば入り口の扉の下からも黒い液体が蠢きながら広がっていた。部屋の角、壁と床の境目、家具の後ろ。あらゆる隙間から黒い液体が溢れてくる。
 まるで意思を持つように蠢いたそれが飛びかかってきた。反射的に叩き落としたけど、手にまとわりついて離れない。
「これは……インク?」
 黒いインクのように見えるけど、手を振ってもなかなか落ちない。
 ……もしかして、ブロット?いや正確な違いはよくわかんないけど。
 とにかく黒い液体は粘度を高めて腰ぐらいの高さまで盛り上がり、手のような形を作ってこちらに伸ばしてきた。なんとか避けたけど、黒い液体の化け物はどんどん数を増やしていて、どんどん逃げ場が無くなっていく。
 その間も足元は揺れているし、家具や小物が溶けて黒い液体の中に消えていく。壁も天井も崩れて穴が開き始めていた。
 伸ばされた手を払おうとして掴まれる。
「しまっ……!」
 振り払おうとしたけど全く離れない。それどころか化け物の方に引き寄せられそうになる。必死に足に力を入れているけど、うまく踏ん張れない。
 動きが鈍ったのを察知して、更に化け物の手が伸びてくる。引きずり込まれたらどうなるかなんて考えたくない。
「ふなーーーッッッ!!!!」
 そろそろヤバい、と思った瞬間にグリムの炎が化け物の手を焼き払った。更にグリムが火の玉をぶつけると、化け物は黒い液体に戻る。残る化け物はグリムの炎を警戒し、少し包囲の輪を広げた。
「ユウ!オ、オ、オレ様から離れんじゃねーんだゾ!こんなぐねぐね、オレ様の炎で焼き払ってやる!」
 勇敢に立つグリムに対し、化け物が警戒を見せたのはほんの数秒。
 すぐに狙いをグリムに変えて飛びかかってくる。グリムの炎は化け物を一撃で焼き払う事が出来るけど、向こうは黒い液体の溜まりから何体でも出てくる。分が悪い。
 グリムが対処してくれている間に、僕は脱出できる場所を探したけど、とてもじゃないけどまともな脱出路なんて無い。崩れた壁や天井の向こうは、床に広がる液体と似た色の暗闇。抜けた床からも黒い液体が溢れだしているし、黒い液体に覆われた床が無事だという保証もない。期待を込めて振り返った鏡も、もう黒い液体に覆われて見えなかった。
「倒しても倒しても湧いてくるんだゾ!このままじゃ……」
 目の前にいる化け物が笑う。液体が泡立つ時のような音だけど、確かにそう感じた。
 グリムは容赦なく焼き払ったけど、また新しい化け物が出てくるだけ。
「……うぅっ、もう炎が出ねぇ!」
 苦しそうに咳込むグリムを見て、部屋中の化け物が笑い出す。手を伸ばされる前にグリムを抱き上げたけど、とうとう出来る事が無くなってしまった。
 化け物は包囲の輪を狭めてくる。グリムを抱きしめれば、グリムも僕の首にしっかり抱きついてきた。
「うわぁっ!?」
「ひえぇっ!?」
 片足が急に落ちて揃って悲鳴を上げる。見れば床が抜けて右足が闇の中に落ちていた。慌てて引き抜こうとしたけど、化け物の手に掴まれている。
「クソ、ざっけんなっての……!」
 渾身の力で振り払って戻ったものの、尚も手は伸びてくるし、いま立っている床もいつ抜けるかわからない。
 万事休す、ってこういう状況かな。
「だ、誰かぁ~~~~~っ!」
 グリムが情けない悲鳴を上げた。僕はグリムをしっかり抱きしめて目を閉じる。
 すると、強い光が瞼の向こうで閃いた気がした。思わず目を開いて顔を上げる。
「ユウ!グリム!」
 そこにいたのはシルバー先輩だった。手にした警棒に光を纏わせ、化け物を薙ぎ払いながらこちらに向かってくる。
 僕もグリムも呆気に取られた。いつからそこに、いやどこから来た?
「オメーはディアソムニアの……」
「話は後だ!ふたりとも、俺に掴まれ。早く!」
 こんな窮状で手を差し伸べられれば、今の僕たちに断る理由はない。
 意を決して液体に覆われた床を踏み、シルバー先輩の方へ駆け寄った。床が抜けていたとしても、あの液体なら多少弾力がありそうだし、きっとどうにかなる。覚悟はしていたけど、幸いにも床は抜けていなかったようで、無事にシルバー先輩の手を取れた。化け物がシルバー先輩を警戒して飛びかかってこなかった事にも助けられたな。
 もうミッキーの部屋は部屋とは呼べない状態だ。床や家具の残骸がわずかに面影を残すだけ。
 シルバー先輩は警棒をしまうと僕を抱き寄せ、グリムの事もしっかり掴んだ。
「いつか会った人に、いずれ会う人に……『同じ夢を見よう』」
 魔法の詠唱だと気づいたのは、視界が光に包まれてからだった。

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