7−1:微睡む黒茨の塔


 誰かの寝息が聞こえる。聞き慣れた穏やかな、眠りを誘う音。
 ……の、はずなのに、意識は覚醒に向かっていた。誰かの寝息を聞きながら、船を漕いでいた首が持ち上がる。
 ぼんやりと見回した部屋は、見覚えがあるように思えた。いつも過ごしている部屋と雰囲気が似ている。膝の上の温もりは、いつも一緒に眠っている同居人だ。重さがいつもと同じ。
 僕、ソファで寝たっけ?っていうか、いつの間に寝ちゃったんだろう。何してたんだっけ。
 考えているうちに視界がハッキリしてくる。自分の部屋に雰囲気は似ているけれど、なんだか違和感があった。
「ここは……?」
 自分の身体を見下ろす。座っていたのは黄色の布が張られたソファだった。膝の上にはグリムが丸くなっている。
 室内を見回すと、オンボロ寮と同じ種類だけど、色や雰囲気の違う家具が並んでいた。見覚えの無い小物も多い。
 一体どこなんだろう、ここ。ディアソムニア寮の中にしては雰囲気が違いすぎる。
 そこまで考えて、不意に眠る前の出来事が鮮烈に脳裏を過った。
 ツノ太郎のオーバーブロット。
 魔法の発動後に意識を失った事。
 その直前、ツノ太郎が施した何か。
 ……恐らく、マザー・ブラッディローズが僕にかけた呪いと似たような魔法をかけたのだ。痛みの感覚は記憶よりも強かったけど、恐らくあの時は強化装備で呪いの与える痛みが緩和されていたんだろう。今はその痛みを欠片も感じない。
 ……また、何も出来なかった。
 それどころか、僕のかけられていた呪いがツノ太郎に悪い影響を及ぼしていたのかもしれない。
 魔女にして魔王。マザー・ブラッディローズ。
 孤独に苦しみ滅びゆく道連れとして地球を選んだ、と言えばなんか悲壮な感じがするけど、現実にやった事はろくなもんじゃなかった。
 宇宙の凶悪犯罪者を連れて地球を訪れ、保護団体の被害地域予想を逆手に取って、『魔法少女』になるはずだった怜ちゃんを誘拐・洗脳して配下に加え、やりたい放題に暴れ回っていた。
 保護団体がいなければ一週間で日本は地獄になってた、なんて言葉も聞いたくらい。真偽は不明だけど。
 しかも洗脳した怜ちゃんを『後継者』としていたので、地球との無理心中は建前で、まだまだもっと破壊活動をする気だったと考えられている。
 戦いを離れて思い返せば同情の余地もあったかもしれない、なんて思った事もあったけど、今回の事で吹っ飛んだ。
 あの女が『僕を想って』行動するはずない。
 自分の楽しい破壊活動をことごとく邪魔してきた保護団体の手先なんだから、苦しめこそすれ、助けるとは考えられない。間違いなくそういう女だ。じゃなきゃあんな趣味の悪い犯罪者ばっかり揃えてくるわけない。思い出すだけで背筋がざわざわする。
 死んで尚まだ影響を及ぼすなんて、本当にとんでもない魔女だ。
 ……僕の個人的な恨みは、とりあえずいったん横に置こう。現状についての情報整理が終わっていない。
 見る限り、グリム以外の人の気配はない。現在地は見覚えがある気がするのに何もかもが違う気がする、奇妙な部屋だ。暖炉の上の大きな鏡も、オンボロ寮の自室のものと似ているけど、装飾とかは違う気がする。窓の外は暗くて何も見えない。
「ふな……空からツナ缶が降ってくる~……オレ様、ツナ缶富豪……むにゃむにゃ……もう食べきれないんだゾ~……」
 膝の上のグリムが幸せそうな寝顔で寝言を言っている。とても愛くるしい。このまま寝かせておいてやりたいけど、さすがにそういうワケにもいかないか。
 肩を掴んで揺さぶる。起きない。
「幸せぇ……ずっとこのまま……ぐー……」
 もう少し強めに揺さぶる。起きない。
「グリム、起きてってば!」
 声をかけて更に揺さぶる。起きない。息を大きく吸い込む。
「起きろ、寝坊すけ!!!!」
「ふがっ!?何すんだ、ユウ!?」
 身体を持ち上げて耳元で大声を出すと、やっと目を開いた。そして周りの景色を見てきょとんとした顔になる。
「なっ……オレ様のツナ缶の山は?あれ?あれっ?もしかして……全部夢?」
 グリムは泣きそうな顔で僕を振り返る。頷くと、しょんぼりとうなだれた。
「ふなぁ~~~ガッカリなんだゾ……」
 がっくりと肩を落としたけど、しかし意外と切り替えは早い。目の前の疑問もあって、すぐに調子を取り戻す。
「というか、いつの間にオンボロ寮に戻ってきたんだぁ?」
「それなんだけど……」
「オレ様たち、さっきまでディアソムニアでリリアのお別れ会をしてたよな?それで……たしかツノ太郎が急に現れて……」
 グリムは先ほどの出来事を思い返して、はっとした様子で目を見開いた。
「ツノ太郎のヤツがオレ様たちをぶっ飛ばして、それから……うう、ダメだ。よく思い出せねぇんだゾ」
 グリムは頭を抱えて振る。頭を撫でると振り払われた。悲しい。
「気が付いたらここにいたのは同じって事か」
「オレ様たちだけしかいねえな?」
「そうみたい。……みんなはどうなったんだろう」
 意識を失う直前、抱きしめてくれたシェーンハイト先輩の姿を思い浮かべる。……あんな辛そうな顔、見たくなかったな。
 エーデュースもエペルもジャックもオルトも、キングスカラー先輩やハント先輩も近くで守ってくれていた。
 もし、魔法で転移させられたとして、僕たちだけを動かす理由もよくわからない。……いやまあ、そりゃ学校からすれば存在が例外なんだけどさ。
「とにかく、外に出てみようぜ」
「……そうだね」
 グリムを起こしたのは正解だった。行動が早い。
 早速グリムはドアに向かって駆け出す。いつものようにドアノブに飛びついて、しかしうまく開けられない。
「ふなっ!?ドアが開かねぇんだゾ!」
 僕もドアノブを掴んで動かしたけど、やっぱり動かない。
「また建て付けが悪くなっちまったのか?」
「うーん、そう……なのかな?」
 なんか変な感じだなぁ。蹴り飛ばせば開けられるかもしれないけど、とりあえず最終手段にしよう。出来るだけ建物は壊したくない。
「よし、じゃあ窓から……ぎゃーっ!?」
 踵を返したグリムが悲鳴を上げて、僕の身体に飛びついた。
「ま、まままま窓の外に何かいるんだゾ!!」
 言われて目を凝らせば、暗闇の中にもっと黒い何かがいる。しかしなんか変だ。近づくと、グリムが怯えて僕の首にしがみつく。苦しい。
 よく見ると、窓に絵が描いてある。それが不気味で奇妙な雰囲気なので、おばけと勘違いしたようだ。
 グリムも気づいたようで、僕の背中から降りてぷりぷり怒り出した。
「誰だ!?オレ様たちのオンボロ寮に落書きしたヤツは!」
「うーん……?」
 全くもう、と怒りながら部屋の中央に戻っていき、ソファの横に置かれていたオットマンの飾りを踏みつけた。途端、犬の鳴き声が響きわたる。
「うわ!!犬!?」
 起きあがったオットマンが、まるで犬のように動いている。グリムを睨んで唸り、何度も吠えたてた。
「し、尻尾を踏んだのはオレ様のせいじゃ……ふぎゃー!」
 突進してきたオットマンを避けて、グリムが部屋中を走り回る。慌てて僕の背中に登ると、追いかけてきたオットマンは僕の膝に前足をかけて更にグリムに吠えた。
「謝りなよ、グリム」
「だ、だって、アレって家具だろ!?」
「家具だけど怒ってるんだもん」
「う、うう……わ、悪かったんだゾ」
 その言葉でやっと、不承不承という感じながら前足を下ろした。まだ唸ってるけど。
「ごめんね、許してやってね」
 走り回って乱れた房飾りを整えてやると、唸り声は止んだ。興味を失った様子でぽてぽてと歩き、ソファの横に座り込む。それっきり動こうとはしない。
「な、なんであんなのがオンボロ寮にいるんだゾ!?」
「……グリム」
「ふな?」
「多分ここ、オンボロ寮じゃないよ」
 グリムはきょとんとした顔になった。まじまじと部屋を見回し、目を何度もしばたかせる。
「たしかにこの部屋……よく見たら、いつもの部屋じゃねぇ。フンイキが似てるけど、違う部屋なんだゾ」
 よかった。僕にだけ違う部屋に見えてるのかと思った。
「……って、じゃあここはどこなんだ!?」
「わかんない。……一通り部屋の中を調べてみようか」
 グリムは頷く。と、言ってもそんなに広い部屋でもないので、調べるポイントは限られている。
 机の上を見れば、くるみ割り器がくるみを割っていた。自由に動く手足がついているようで、隣に置かれた皿からくるみを手にしては割り、中身を皿に戻して殻を頬張っている。どうやら殻の方が彼の主食らしい。
「パーティーの料理でハラいっぱいだけど……せっかく出してくれたもんを食わないのは失礼になるんだゾ」
 いや、彼にとって殻が主食なら中身を戻すのは捨ててる感覚なのでは?
 ツッコミと制止が間に合わず、グリムは元気にくるみを口に運んだ。くるみ割り器はドン引きしている。気がする。
「……うーん、香ばしいお味」
 味は悪くないらしい。
 と、思っていたらグリムの身体が膨らみ始めた。慌てた様子で机を飛び降りる。一瞬僕よりも大きいくらいになったけど、すぐに萎んで元の大きさになった。
「び、び、びっくりした!今のなんだったんだ?」
「もしかして、くるみに魔法がかかってるから、くるみ割り器は殻を食べてたのかな」
「ふな……つまり、殻の方がうめぇって事か」
「そうとは限らないけど。とにかくこれ以上触らない方がよさそう。殻を横取りしたらオットマンみたく襲ってくるかもしれないし」
 グリムは皿に積まれたくるみを見てちょっと物欲しそうな顔をしていた。こんな状況でも食い意地は健在なんだなぁ。ありがたい事ではあるんだけどね。パニックになられた方がしんどい。
「オレ様、ビッグな男になりてぇとは思ってるけど、あんなにビッグになったらこの部屋から出られなくなっちまうとこだったんだゾ」
 物憂げな溜め息を吐いていたグリムは、ふと思い出した顔をする。
「そういや魔法薬学の授業で……ハートの女王の国には身体がデカくなったりチビになったりする魔法のキノコが生えてたって習ったっけ」
 そんな話あったな。
 グレート・セブンの伝説には不思議な、それこそ魔法としか思えないような現象の話が沢山あって、現代の魔法では再現が難しいものも少なくない。
 この話もキノコに魔法がかかっていたのか、それがどのような魔法なのか、錯覚なのか本当に身体の大きさが変わっていたのか、今も定かではないらしい。
「でも魔法のくるみがあるなんて習ってねぇ!週明けクルーウェルに会ったら文句言ってやるんだゾ」
 ぷりぷり怒りながらもグリムは周囲に注意を向ける。
 次に見つけたのは、踊っている手袋だ。部屋の隅のミュージックボックスの奏でるささやかな音楽に合わせて、杖を手に帽子を掲げている。というか、ミュージックボックスも踊っている。ここだけご機嫌だな。
「帽子と手袋が一緒に踊ってる!おもしれぇ魔法だな~!」
 跳ねる傘が合流してきた。完全にパーティーである。
 そんなご機嫌な様子をよそに、棚の上のトランプはなんだかしおれている。よく見えるようにグリムを持ち上げた。
「インクがかかって汚れたトランプと……これ、マジカルペンか?」
「とりあえず、立派な万年筆だね」
「でも、インクが切れてるみてーだ」
 グリムは自然に万年筆を手に取り、後ろ側のキャップを外した。確かにインクの入ってる部分は空っぽみたい。使い捨てのカートリッジとかじゃなくて、古いもののように見える。
 万年筆を戻してもらい、改めて部屋の中を見渡す。
 ヘンテコなからくり仕掛けがいっぱいの、不思議な部屋。
「変なものがいっぱい!なんなんだゾ、この部屋?」
 ふと脳裏に声が蘇る。
『ここには動くソファと、犬みたいなオットマン……くるみ割り器が乗ったテーブルがあるよ。どう?』
 グリムを抱えたまま、最初に座っていたソファに歩み寄る。つんつんとつつくと、うっとおしそうに身体を揺らした。グリムが悲鳴を上げ、オットマンが敵意を向けてくる。
 これで言われた内容とは全部一致した。という事は。
「もしかして、ミッキーがいつもいる部屋?」
 そう呟いた瞬間、視界が揺れる。足下もなんだか不安定になった。グリムが首に思い切り抱きついてくる。
「ふなっ!なんだ!?へ、部屋がぐにゃぐにゃだ!突然どうしたってんだゾ~~!?」
 悲鳴を上げながらぎゅっと絞めてくるのを振り払わないように堪えて、宥めるために背中を撫でる。すると少しして視界がまた平坦に戻った。足下の不安定さももう感じない。最初と同じ木の床だ。
「い、今のはなんだったんだ?」
「……何だったんだろう?」
 首を傾げるしかない。そんな時。

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