7−1:微睡む黒茨の塔
「ヴァンルージュくん。お話中失礼しますよ」
「学園長」
「……迎えの馬車が来ました。出発の時間です」
学園長の言葉で、セベクの表情が変わる。ヴァンルージュ先輩は微笑むばかりだ。
「もうそんな時間か。楽しい時はあっと言う間じゃな」
「お、お待ち下さいリリア様!まだ若様とシルバーが戻っておりません!出発の前に、せめて一目だけでも!」
「よいのじゃ、セベク。馬車を待たせるわけにはいかぬ」
先輩は優しく微笑む。名前の挙がった二人の顔を思い浮かべているのだろう。
「あの二人にはお前からよろしく伝えてくれ」
「そんな!」
「……五百年以上前の事じゃ。茨の谷の王城に、一通の手紙が届いた」
五百年…………ごひゃくねん?
待ってヴァンルージュ先輩おいくつ?どういう事?
「黒い封筒に入っていたのは、わし宛のナイトレイブンカレッジの入学許可証。だが……当時のわしは、この学園の門を叩く事など考えられずにそれを捨ててしまった」
先輩はこちらの困惑など知らないまま続きを語る。
……妖精にも入学許可証って届くんだ。不思議。
「数年前、あやつが王室の書陵部に保管させていたと知った時は驚いたが……今は、その粋な計らいに心から感謝しておる」
その入学許可証があったから、ヴァンルージュ先輩はツノ太郎と一緒にナイトレイブンカレッジに入学できたって事か。同学年で入学できたのも、護衛や世話をするのに都合が良かったのだろう。
ヴァンルージュ先輩は記憶の中の誰かに向けたのと同じ優しい笑みを、学園長にも向けた。
「そしてディア・クロウリーよ。老齢のわしの入学を許可してくれた事、礼を言う」
「五百年以上前の許可証を持った生徒が現れるなんて、想像もしていませんでしたよ」
呆れたような口調だった。まぁ想定してろって方が無理だと思う。
「ですが……学びたいという気持ちと入学許可証さえあれば、どんな問題児でも受け入れる。それが我がナイトレイブンカレッジのポリシーですから」
そんなポリシーあったんだ。知らなかった。金と利権に汚いイメージが強すぎる。
「あらゆる種族が共に過ごし、切磋琢磨する学び舎での三年弱……まさに夢のような時間であった」
ヴァンルージュ先輩は、日々を懐かしんでいる様子で呟く。
先輩にとってこの学校で過ごした日々は、間違いなく素晴らしい時間だったのだと伝わってきた。半年程度、ほとんど交流の無い僕でも胸を打たれる。
何となく、会場中がヴァンルージュ先輩の動向に目を向けていた。先輩も会場を見回し、眩しそうに目を細め、そして笑う。
「名残惜しいが……みなのもの、さらばじゃ!」
誰の目にも明らかに、最後の挨拶だった。
次の瞬間、建物に大きな衝撃が走る。地面が揺れて、食器が倒れる音がそこかしこで響いた。先輩も含め、みんなの表情が困惑に染まっている。
「これはこれは……随分華やかなパーティーだ」
低く豊かな声が会場に響く。
どこから、と思ったら、談話室の入り口の方にツノ太郎の姿があった。
「生徒も教員も……みなお揃いで」
会場内がざわついている。多分、魔法で出てきたから驚いたとかだろうか。いつもの事のように思うけど、でも不自然に感じる気持ちはなんとなく解る。なんだかいつもと雰囲気が違う気がした。
不意に、ツノ太郎の傍に人が現れる。銀色の髪の少年は困惑した様子で周囲を見回していた。
「……こ、ここは?ディアソムニア?」
「マレウス、シルバー!?どうしたんじゃ、二人ともそんなに雪まみれになって」
ヴァンルージュ先輩は驚いた顔で二人に駆け寄った。言われてみれば、二人の黒い寮服にところどころ白いものがついている。……いや、雪なんか降ってたっけ?
……そういえば、こないだオンボロ寮にツノ太郎が来た時も雪が降ってた。……ツノ太郎、ひとりで落ち込んでたんだろうか。シルバー先輩がうまく宥めて連れてきてくれたって事か。やっぱり僕はいらなかったかも。
「鼻の頭が真っ赤だぞ、シルバー…………お主、泣いておったのか?」
「いえっ!違います、これはそのっ……」
「リリア」
慌てふためくシルバー先輩に助け船でも出したようなタイミングで、ツノ太郎が声をかける。
「今日は招待状をありがとう。来るのが遅くなってすまない」
言葉ばかりは親しげだけど、いつも以上に感情の起伏が少ない気がした。不自然なくらい。
間に合ってよかったはずなのに、なんだか嫌な予感がする。
「ずっと考えていたんだ。僕からお前に……いや、お前たちにどんな贈り物をするべきか」
そしてようやく答えが出た、と語る表情はどこか誇らしげだ。
どんどん不安が大きくなっていく。
「どうか受け取ってほしい……僕の心からの贈り物を」
「贈り物?マレウス……お前、何を考えている?」
ヴァンルージュ先輩の言葉を無視して、ツノ太郎は部屋の奥へ進んでいく。中心に近いところで、室内を振り返り声を張り上げた。
「よく聞くがいい、皆の者!」
談話室にいる誰もが、ツノ太郎を凝視している。好意的な期待はあまり感じられない。
「お前たちに素晴らしい贈り物を授けよう。もう別れを惜しんで涙を流す必要はない」
言ってる事が解らない。解らないけど、不穏な空気はどんどん膨らんでいく。
「今日祝うべきは別れではなく、誕生だ!」
「はじ……まり?」
「……そう。お前たちは今日、新しく生まれなおす。家族、友……何もかもを失わずに済む、悲しみのない世界に!」
背筋に悪寒が走る。膨らんでいた不穏が現実味を増した。怯え、強ばる人の顔が会場中のそこかしこにある。
「ふなっ!?全身の毛がゾワゾワするんだゾ!」
グリムが声を上げる。みんなも険しい顔だ。
立ち上がろうとして自分の膝の震えに気づいた。自分で自分を制御できないほど、恐怖と緊張が高まっている。
「ドラコニアくん!?何をするつもりです!?」
学園長が声を張り上げると、警報音が響いた。途端に、周囲に黒い煙のようなものが立ちこめていく。
『半径十メートル圏内にブロット濃度の急速な上昇を感知。緊急魔法災害警報を発令。早期避難、及び予防措置を推奨します』
「魔法災害、ですって!?」
オルトが事務的な声で告げる。室内の混乱が一層極まった。
とっさに立ち上がれない僕を庇うように、エースとデュースが前を塞ぐ。グリムも険しい顔でツノ太郎を睨んでいた。
「総員、攻撃魔法の使用を許可!ドラコニアくんを止めなさい!」
実力ある魔法士ほど、その判断に迷いは無い。
寮長を筆頭に教員、生徒たちも一斉に魔法を放つ。もちろん咄嗟に動けない生徒だって少なくないし、生徒の避難を促してる先生たちもいた。
そんな混乱の中で『ツノ太郎を狙う』という一点以外は無秩序な魔法たちがブロットの煙に揺らぐ空間を舞う。しかしツノ太郎は微動だにせず、ただ杖を一度振っただけで全ての魔法を打ち消してみせた。
「……下がれ、愚か者が」
殺気と呼ぶにはあまりにも静かな敵意。
尚も攻撃しようとする者たちを雑に弾き飛ばした。教師も加わってさえ、ツノ太郎には傷ひとつ付いた様子がない。負けん気が強いはずの生徒たちも彼らを御してきた教師たちも、次の攻撃を放つ意欲を削がれるほどに、実力差は圧倒的だった。
腹の奥が重い。このままだとまずいと、解っているのにどう説得すればいいのか分からない。だけどこのままにもしておけない。
思い上がりかもしれないけど、話を聞いてくれる可能性があるなら、黙っているワケにはいかない。
何度か深呼吸して、意を決して立ち上がる。震える膝は気合いで黙らせた。
「……ツノ太郎!」
エーデュースの間から身を乗り出す。止めるみんなを振り払うために勢い余って転びかけたけど、何とか前に出られた。
「……ユウ」
みんなの注目が集まっている状態で顔を合わせると、別の意味の緊張もあった。
そういう雑念が、次の瞬間に全部吹っ飛ぶ。
「よかった。探す手間が省けた」
微笑んだツノ太郎の表情に、不気味なものを感じた。
僕の世界を滅ぼそうとした、魔王と同じ気配。
必死で恐怖を追い出す。ツノ太郎は違う。友達だ。そんなハズはない。
あの女のハズがない。
「つ、ツノ太郎。とりあえず落ち着こう。みんな驚いちゃってるし。ね?」
僕は必死で朗らかな表情を作る。それに対し疑念を向ける事もなく、ツノ太郎は笑顔のまま僕に歩み寄ってきた。
そして指先を僕の胸元に触れさせる。
途端に、目の前が真っ赤になって真っ暗になった。声の限り叫んだ気がするし、声にならなかった気もする。胸から広がった激痛が全身を走り、意識さえ一瞬飛んだかもしれない。
気づけば床にうずくまって荒く呼吸していた。痛みで指すら動かせない。息をするのもやっとの状態。それすら痛い。
「ユウ、しっかりして。ユウ!!」
シェーンハイト先輩の声が聞こえる。人の気配が近くにある。
「マレウス、アンタ……ユウに何をしたの!?」
「……そのヒトの子には必要な事だ」
「必要、って……」
「封印が解けてしまえば、ユウは故郷で家畜に等しい扱いを受けると。黒薔薇の魔女は語っていた」
「……なに、それ。どういう事よ」
「ユウの世界には、星を守るという名目でヒトを家畜扱いする者たちがいるそうだ。ユウは彼らに目をつけられていると教えてくれた」
だいぶ痛みが引いてきた。そして聞き捨てならない単語が聞こえた。
歯を食いしばって無理矢理立ち上がる。
「……その、黒薔薇の魔女って」
「お前にその封印を施した美しい魔女の事だ」
「何で彼女の事を知ってるの?」
「見れば解る事だ。お前を想う無念が伝わってきた」
ツノ太郎が微笑んでいる。いつも以上に優しい微笑みだが、今はときめく余裕も無い。
「無垢なるものを利用し悪逆を成す者たちの毒牙がお前に迫っている事を、その黒薔薇は僕にずっと教えてくれていたんだ」
良い事をした、と言わんばかりの満足そうな笑顔だ。こっちは苛立ちをぶつける対象がもう死んでる事実に暴れ出したい気分だってのに。
誰が予想して対策できるんだよこれ。
「……あのクソアマ、死んだ後もろくな事しやがらねえな……!」
「ユ、ユウ?」
シェーンハイト先輩の困惑した声で我に返る。
とりあえず、今は置いておこう。誤解を解くのは後でいい。ひとまずツノ太郎を落ち着かせる方が先だ。
「と、とにかくね、ツノ太郎」
「ずっと考えていた。どこまで信じるべきか。どうするべきなのか」
場に相応しくない幸せそうな笑顔を僕に向けてきた。次の言葉が出てこなくなる。
「やっと答えが出たんだ。これならお前も、僕も、何も失わずに済む」
子どもみたいに無邪気な笑顔。
嫌でも感覚で理解させられた。あの悪辣な魔女の『遺志』が彼に何をしたのか。
こちらの事情に詳しくない人が見たら、何かの行動をそそのかされるものを残してたんだ。よりにもよって一番影響を受けさせてはいけない人物に届いてたなんて。
いやでも、あの女ならそれぐらい折り込み済みだったかもしれない。
ツノ太郎レベルの、強い魔力の持ち主にしか解らないように仕込んでいたとも考えられる。あの女自身が、元の世界の宇宙でも指折りの、とんでもない力を持つ犯罪者だったんだから。
この世界では相対的にどれぐらいの位置にいるのかは分からないけど、多分そういう事だ。
不死に近い時間を生きながら、それでも訪れた終わりを前に何の関係もない星を道連れにする事を望み、滅びに向かう混沌を楽しむために悪辣な犯罪者を手下にして送り込んできた魔王。
その遺志を、こちらの事情を全く知らず、それでいて他の追随を許さない大きな力を持ち、どこか孤独ながら心根が無垢である彼が見つけてしまった。
最悪だ。騙されるに決まってる。
それを引き合わせたのが自分というのが更に悪い。疫病神ここに極まれり。マジで僕ろくな事してない。
説得の言葉を考えている間に、ツノ太郎の手が僕の肩に触れる。それだけで、無理をしていた体から力が抜けて地面にへたり込んだ。せめて説得の言葉を、と思うのにもう声もうまく出ない。
その間にもツノ太郎を狙って魔法が飛んでくるが、ツノ太郎はあっさり跳ね返した。そこかしこで悲鳴と怒号が上がる。
「やめよ、マレウス!!これ以上はならぬ!!」
ヴァンルージュ先輩は反射的に手を振るが、舞っていた光は結ばずに消えていく。悔しげに表情を歪めた。
「……この体はもう攻撃魔法ひとつ撃てぬというのか!」
「ああ、リリア……あんなに強かったお前が、なんていたわしい」
そんなヴァンルージュ先輩を見て、ツノ太郎は悲しげに目を細める。ヴァンルージュ先輩は厳しい目をツノ太郎に向けた。
「馬鹿者!お前は自分が何をしているか、解っておるのか!?こんな事をして何になるッ!」
「お前を失わずに済む!!」
切実な声だった。滅多に声を荒らげる事が無いからこそ、強い気持ちを感じ取れる。
……また何も出来ない。悪い事ばかり起こして、誰も助けられない。
痛みに軋む身体を動かそうとすると、シェーンハイト先輩が僕を抱きしめて止めた。僕を見つめて、首を横に振る。
いつの間にかグリムが僕の傍らに寄り添っていた。怯えている様子なのに、視線はツノ太郎の方を向いている。
僕たちを背に庇う位置で、キングスカラー先輩がハント先輩と並んでツノ太郎を警戒していた。エーデュースも近くの一年生たちも、ツノ太郎の次の行動を警戒している。
「親父殿!下がってください。マレウス様は冷静さを失っておられる!」
「わ、若様……どうか、どうかお心をお鎮めください!」
シルバー先輩はヴァンルージュ先輩を背に庇い、その隣に立ったセベクはいつになく悲しそうな表情でツノ太郎を見ていた。訴えかける声量は変わらないのに、声は混乱と不安を帯びている。
「なぜ怯える?素晴らしい未来が待っているというのに」
ツノ太郎の表情は自信に満ちていた。自分の行動の正しさを少しも疑っていない。
「さあ、その手をこちらへ。ふ、ふふふ……ははははは!」
「よせ……やめろッ!」
ヴァンルージュ先輩の声を無視して、ツノ太郎は笑顔で口を開く。
「運命の糸車よ、災いの糸を紡げ」
優雅に、残酷に、朗々と言葉が紡がれる。
美しい歌のように甘く、それなのに声に合わせて起こる空気のうねりは嵐のようだった。
「深淵の王たる我が授けよう」
手は尽くされた。もう誰にも止められない。
逃れられない世界の終わりを前にしたような絶望感。
それでも尚、ツノ太郎の近くに立つ魔法士は皆、詠唱の先にある魔法の発動を警戒している。防壁を張りながら、一撃でも止められる隙は無いか探し続けた。
それでも、無慈悲に時は進んでいく。
「『祝福』」
「マレウスーーーーーーーー!!!!」
詠唱が完成する。同時に、ヴァンルージュ先輩が叫んだ。
ブロットの煙が濃さを増す。広がった闇の中に、ツノ太郎の姿が完全に埋もれた。同時に、室内に灯っていた明かりが消えていく。
そして急激な眠気に襲われた。全身を満たしていた激痛が遠ざかり、意識が遠のいていく。周りを見れば、ツノ太郎を警戒していたはずの人たちが次々に地面にくずおれていった。
それだけじゃない。
怯えて震えていた人たちも、逃げようとしていた人たちも、みんな力が抜けて次々に床に倒れていく。それを見てた人たちも、驚いた顔がすぐに脱力して、足から力が抜けて倒れていった。
僕を抱きしめるシェーンハイト先輩の手も力が抜けていく。キングスカラー先輩の杖が床を転がる音がした。
みんなが眠りに落ちていく。
警戒の緊張感が消え、広い世界で寝息だけが聞こえてくる。
ツノ太郎の方に目を向ければ、その姿は先ほどと全く違った。額の甲殻が露わになり、黒く艶のある角は禍々しく輝いている。威厳のあるディアソムニアの寮服は、茨を巻かれたような衣装へ変わり果てていた。そこかしこに黒い液体が浮いている。
……オーバーブロット。
止められなかった。また何も出来なかった。
ツノ太郎の視線がこちらを向いた。気がした。もう瞼がろくに開かない。身体も力が入らない。
静かな室内にツノ太郎の足音が響く。僕の身体が抱き起こされた。うっすらと見える視界いっぱいに、鱗の浮き上がったツノ太郎の顔がある。愛おしそうに目を細めた。
「おやすみ、僕の白鴉」
良い夢を、と囁かれた直後、唇に何か柔らかいものが触れた。
そこで完全に力が抜ける。もう目が開かない。身体の感覚さえ曖昧になり、意識は闇に落ちていった。