7−1:微睡む黒茨の塔


 何度か寝返りを繰り返す。何気なく視線を向けた窓の外で、光がひらめいた気がした。みんなを起こさないように静かに起きて窓に近づく。
 黄緑色の光が舞う中、見覚えのある人影が庭にいるのが見えた。一瞬、昼間のみんなの顔が浮かんだけどすぐに振り払う。上着を掴んで足音を気にしつつ部屋の外に出た。
 玄関の扉を開くと、刺すような寒さを感じる。夜の闇に白い雪が舞っているのが見えた。
「雪が降ってるーっ!?」
 もう春なのに真冬みたいな寒さ。そりゃ春でも夜は冷えるけど、それ以前に天気予報では雪が降るなんて言ってなかったし。
「……ん?その声はヒトの子か」
 ツノ太郎が顔を上げた。今日は制服ではなく寮服姿だ。ロングコートだけど材質のせいか、ちょっと寒そうに見える。
「ツノ太郎、寒くないの!?」
「寒い?」
 問いかけられてやっと、雪が降っている事に気づいたらしい。
「ああ、気づかなかった。これでは庭の木に霜が降りて枯れてしまうな」
 光が舞って、雪が消える。寒さも少し緩んだ。
 一方、ツノ太郎の表情は晴れたわけではない。自分に反省を向けているような気がする。
「僕のよくない癖だ」
「くせ?」
「幼い頃にも、城を氷漬けにしてリリアに怒られた事がある。僕がようやく二本足で歩き始めた頃の話だ」
 ……それって割と赤ちゃんの頃では?よく覚えてるなぁ。
「僕が癇癪を起こしたのは、本当にくだらない理由だった。一緒に晩餐をとる予定だったおばあさまに急用が入った。その程度の」
 大人からすればくだらない。でも、子どもからすれば日常の変化は一大事だ。
 それにツノ太郎は次期当主って話だから、家族との時間が取れる事って少なかったのかも知れない。だとしたら、一緒にご飯を食べる程度の事でも、凄く大切な時間だったんだろう。
「けれど、その日の僕はどうしても我慢ならなくて……気づけば、机も椅子も……給仕すらも全てを凍らせていた」
 世界で五本の指に入る魔法士の素養は、赤ん坊の頃から健在だったらしい。
 暴走に近かろう幼いツノ太郎の癇癪に、誰も近づく事は出来なかった。むしろ怯え逃げまどい、その姿は幼いツノ太郎の心を傷つけ、傷は苛立ちという形に変わり、また凍てつく嵐を酷くした。
「いよいよ城中が凍ろうという時。近衛兵に呼ばれたリリアが、城へやってきた」
 ……あ、ヴァンルージュ先輩の方が年上なんだ。外見はともかく、普段の振る舞いからすれば納得できる。
 当時のヴァンルージュ先輩は、暴れるツノ太郎の視界に入らないように家臣たちを助け出した。彼らに大量の器とシロップを用意させると、城のそこらじゅうにある氷を砕いてカップに盛り、シロップをかけてその場にいた者たちに配り、一緒に食べ始めたという。
「今思うと、家臣たちはいい迷惑だっただろう。凍えるほど寒い城の中で無理やり氷菓を食べさせられて」
 言葉とは裏腹に、ツノ太郎は柔らかな微笑みを浮かべていた。申し訳ない、とは思ってなさそう。いや思ってるかもしれないけど、そこまで深い傷にはなってないみたい。それは良い事かも。
「大きなテーブルを囲んで『うまい、うまい』と氷菓を食べる者たちを見て、僕はひどく羨ましくなってな」
 子どもが敏感だと言っても、そうではない時もある。うまく説明できない感情に振り回されているのは子ども自身も同じ事。
「その頃には少し頭も冷えて、僕は後悔しはじめていた。感情に任せてとんでもない事をしてしまったと……リリアにもひどく叱られると思った」
 そして自分のやってしまった事に後悔もする。
 ……しかしまぁ、ツノ太郎は子どもの頃から大変そうだ。
「あいつは本気で怒るととんでもなく怖い。普段のあいつを見ていると想像がつかないだろう?ふふふ」
 僕の表情を見てどう思ったのか、ツノ太郎はいつになく嬉しそうに笑っていた。確かに想像はつかない。
 感情をむき出しにして怒るというより、笑ったまま威圧してくるタイプっぽいもんな、今のヴァンルージュ先輩。何があっても動じなさそうなツノ太郎に『とんでもなく怖い』って言わせるって相当だよな……。
「それで、遠くで様子を窺っていた僕に気づいたリリアは魔石器を振り上げると……僕を囲んでいた氷を打ち砕いた!」
 そこだけちょっと言葉に力がこもっているように感じた。怖かったのか、かっこよかったのか、その両方か。自分をちゃんと見つけてくれた事も嬉しかったのかもしれない。
「そして……砕いた氷を山盛り器によそうと、たっぷりとシロップをかけた。それから怯える僕の手を引き、席に招いて……こう言ったんだ。『美味いから食べてみろ』とな」
 怒られると思っていたツノ太郎は拍子抜けしたらしい。いや考えようによっては十分罰ゲームだと思うけど、多分ヴァンルージュ先輩がしたかったのは罰じゃないだろうしな。
「味気ない、シロップをかけただけの氷だ。それでも……普段は一人か、おばあさまと二人だけで囲む食卓に、たくさんの者が集っているのは悪くない気分だった」
 当時を思い出しているらしいツノ太郎の表情は嬉しそうな笑顔だった。それが、先輩の判断の正しさを物語っている。
 ツノ太郎が本当に求めていたものに、ヴァンルージュ先輩は応えたんだ。
 世界で五本の指に入る魔法士とか、茨の谷の次期当主とか、そういう能力や立場があっても、ツノ太郎の心には人間とも共通する感情がちゃんとある。幼い頃からずっと。
「城の者たちと一緒に氷菓を食べているうちに、いつの間にか僕の苛立ちは収まって……氷漬けになっていた城も、元に戻った」
 ツノ太郎が落ち着きを取り戻したのを見て、ヴァンルージュ先輩はこう言った。
『お前は大きな力を持っている。みだりにその力を振りかざしてはならない。この席に座っているのは、今日お前が失いかけた者たちだ』
 今もこうして覚えているからには、ツノ太郎にはその言葉がきちんと届いている。もしかして気難しそうな雰囲気なのは、感情で暴走した事があるからなのかな。偉い人って大変だな。
「ヴァンルージュ先輩がいてくれて良かったね」
「……そう、だな。僕もそう思う」
「気持ちを解ってくれる人がいるって、貴重な事だし」
 分かり合うって難しい。現に、ツノ太郎は沢山誤解されてそうな感じする。学校の生徒たちもそうだけど、今の話の感じからして、地元でも恐れられてはいるみたいだし。……理由があるとはいえ、自分が望んだわけでもないもので遠巻きにされるのって、やっぱ辛いよなぁ。
「きっと、ツノ太郎は寂しかったんだよね」
「寂しい?僕が?」
 ツノ太郎はきょとんとしている。でもすぐに何か考え込むような顔になった。
「どうだろうな……一人で過ごす事には慣れている。それこそ、まだ卵の殻を破る前から僕は一人だったからな」
 …………卵?
 まぁツノ太郎は妖精族って話だから、人間と同じ形で生まれてくるわけではないのかもしれない。……あれ、じゃあさっきの二本足ってのも赤ちゃんの頃って事じゃないのか?
「でも……確かに、生まれてからはずっとリリアが近くにいた。……だがこれから先はもう、あいつに叱られる事もなくなる」
 僕が大混乱している間にツノ太郎は何か呟いていたけど、はっと我に返った時にはいつもの表情に戻っていた。
「くだらない事を話しすぎた。忘れてくれ」
 そう言ってから、こちらが何か反応を返す前に言葉を連ねてくる。
「ユウこそ、こんな時間に庭に出てくるとは珍しい」
「まぁ、普段は寝てる時間だからね」
「それに、ずっと何か言いたげな顔をしているな。話してみるがいい」
 そんなつもりは無かったんだけど。まぁ言われてみれば、言わなければならない事はある。
「あのー……ツノ太郎に、協力をお願いしたい事が、あるんですけど」
「協力?」
「元の世界に帰るために」
「元の世界に……?」
 僕は事情を軽く説明した。
 自分が異なる世界から『ツイステッドワンダーランド』に来た事。
 オンボロ寮の自室にある鏡から、『ミッキー』という存在の夢と不定期に繋がっている事。
 鏡から異世界に渡るヒントを得るため、まずは様々な状況で『ミッキー』と接続する条件を探している事。
 ツノ太郎は真面目な顔で話を聞いてくれた。
 なんか人間とは視点が違う感じがするから、全然驚かれたりしないんじゃないかとか、新情報が出てくるんじゃないかとか、そんな期待はあったけど、残念ながらそういう事は無さそう。
「お前の部屋の鏡が別の世界に繋がっている……ありえなくはない話だ」
 そしてどこか寂しそうな表情で目を伏せる。
「……そうか。お前もこの場所を去るのだな」
 本当に何もかもが瞬きの間だ、と呟く。いなくなってしまうヴァンルージュ先輩の事を思っているのだろう。ちょっとだけ罪悪感も増す。
「まぁ僕の場合は、元いた所に戻るだけなんだけどさ。闇の鏡が事故を起こさなきゃ、こんな風にツノ太郎と喋る事なんか絶対無かっただろうし。何せ異世界だからね!」
 何とか明るく済ませたかったけど、それには思う事が多すぎる。今、ツノ太郎の前で明るく取り繕うのも違う気がした。
「でも、うん。……みんなと会えなくなるかもって考えると、やっぱり寂しいよ」
「寂しい、か」
 沈黙が流れる。ツノ太郎は何か考えている様子だった。僕も何も言えずに俯く。
 帰らなきゃいい、とか言われたらどうしよう。それはそれで複雑だなぁ。
「……もし」
 声が聞こえて顔を上げる。冷たいぐらいの美貌が冴える無表情だが、内心はどうか知れない。
「もし……家族や、友、何もかもを失わずに済む方法があったとしたら……お前はそれを願うか?」
 問いの真意はともかく、少し考える。
 確かにそんな都合の良い方法があるのなら、それを望むだろう。現実にはなかなかそうはいかないだろうけど。
「まぁ、願わない人はいないと思う。大切な人と離れるのが寂しくない人なんていないし」
 大切な人、と口にするだけでいろんな人の顔が浮かぶ。この世界でも元の世界でも。
 一方、ツノ太郎の表情は険しくなったように思った。
「ならばあいつは何故……いや、よそう」
 僕の視線に気づいたのか、表情を和らげる。
「少し考えさせてくれ。僕に良い方法が思いつくかもしれない」
「ありがとう。……なんか、ごめん。大変な時なのに」
「お前がそんな事を気にする必要はない」
「……あ、そうだ。もうひとつ」
「何だ」
「えーっと、『嘆きの島』から帰った後、僕が倒れちゃって、ツノ太郎が運んでくれたって」
「ああ。……そんな事もあったな」
 そうだね、だいぶ時間が空いたもんね。何となく言いそびれちゃったんだもん。会おうと思うと会えないし、今朝はあんなんだったし。
「あの時は助けてくれてありがとう、ツノ太郎」
「構わない。……お前は律儀だな」
「そうでもないよ。本当に律儀なら寮まで正式に会いに行ってお詫びの品とか渡してるって」
 ツノ太郎はちょっと嬉しそうに笑った。この雰囲気なら訊けるかも。
「あのさぁ、それで。……あの時、何か言いたそうにしてなかった?」
「……何か、とは?」
「いや僕が解ってたら訊いてないよ。……その、あの時の僕、何か変な所があったりした?」
 途端に、ツノ太郎の表情が消えた。それだけで『何か』があるのは明白だったけど、すぐにツノ太郎は笑みを戻す。
「いや?何も。いつも通りのお前だった」
「本当に~?」
「ああ、本当だ。いつも通りの、怖いもの知らずの白鴉だ」
「……白鴉?」
「そうだ。羽色の違う雛鳥」
 ツノ太郎の手が頬に触れる。じゃれつく鳥を撫でるみたいに、髪に優しく触れて離れていく。
「お前はそのままでいればいい。……それがお前にとって、もっとも幸福な道だ」
 心臓が跳ねた。何か悍ましいものの影をツノ太郎の言葉から感じた、ような気がする。
 ツノ太郎はとても優しい微笑みを浮かべているのに、そこに嘘なんて何も感じないのに、何か取り返しのつかない、決定的な行き違いが起きているような予感がした。
「……ああ、もうあんなに月が高いな。部屋に戻って休むといい」
 話は終わり、と梯子を外された気分。でも、これ以上何か質問したとしても、答えてはくれなさそうだ。
 きっと気遣ってくれてるのだから、そこは無難に応えておくべきだろう。諦めを顔に出さないように、なるべくにこやかな表情を浮かべた。
「ありがとう。……おやすみ、ツノ太郎」
「ああ、おやすみ。ユウ」
 いつもなら唐突に姿を消すのに、今日は笑顔で庭に佇んでいる。どうも僕が建物に入るまで見守る気らしい。
 考え事をしたくてオンボロ寮まで来るって言ってたから、今日はまだ考え事をする気なのかもしれない。
 寝なきゃいけないのも事実だし、もやもやしつつも建物の方に向かった。中に入る前に手を振れば、僅かに振り返してくれる。そのまま玄関に入った。
 扉に背を預けて考える。
 やっぱりツノ太郎は、僕の魔力の事に気づいてるんじゃないだろうか。それが封印されている事にも。
 そしてツノ太郎にとっては『封印されたままでいた方が良い』って事のように聞こえた。もちろん、全然違う意味なのかもしれないけど。
 シュラウド先輩のようにメリットとデメリットを提示した上での見解を述べるのとは訳が違うと思う。確信している様子なのも引っかかるし。
 しかし問いただそうにもちょっと躊躇わしい。よっぽど核心を突かないとちゃんと正直に答えてくれなさそうだ。
 それになんていうか、ヴァンルージュ先輩の事があるから大変だろうし。さっきの話からして、やっぱりヴァンルージュ先輩が退学しちゃうの結構ショックみたいだし。本人から尋ねられたとはいえ、調査協力の話もするべきじゃなかったかもしれない。
 悩み始めればキリがない。
 鏡の事なんか何も解ってないし。
 ふと、今朝の事を思い出す。『茨の魔女』の夢。
 今までの傾向を考えるなら、大体グレート・セブンの夢を見た後にオーバーブロットが起こっている。そしてオーバーブロットを起こすのは、夢に出てきたグレート・セブンを象徴する寮の人間だ。
 オーバーブロットを起こすのは優秀な魔法士である、という前提が存在するので、これまでの事例は寮長、あるいは副寮長という学校でも飛び抜けて優秀な人ばかりだ。
 ただ一方で、ディアソムニアの寮長であるツノ太郎は、世界で五本の指に入ると言われるほどの魔法士であり、なんというか、そういう問題を起こす姿が想像つかない。寮長の中でも更に頭ひとつ抜けてる存在だ。
 ディアソムニア寮の生徒って結構成績優秀者が多いイメージもあるし、警戒したくても誰が起こしそうかなんて全く想像がつかない。
 そもそもシュラウド先輩みたいに体質上起こりえない人だってオーバーブロットしたし。もう何がなにやら。
 結局、現段階で出来る事は何もない。
 そう結論するしか無く、深々と溜息を吐いた。
 水でも飲んで、トイレ行って寝よう。

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