6−2:宙を睨む奈落の王
ざわめきが聞こえる。誰かの話し声。
消毒液の匂いがする。身体がうまく動かない。
「……ユウ?」
誰かに名前を呼ばれた。顔を柔らかいものがぺちぺち叩いている。
自然と目が開いた。視界いっぱいに、グリムの顔が見える。その顔は途端にくしゃっとした泣き顔に変わった。
「ユウ~~~~!!!!」
ぎゅうっと首に抱きつかれる。苦しい。
周りを見ればたくさんの人がいた。エーデュースもいるし、『嘆きの島』から帰ってきたメンバーも全員いる。みんなほっとしているみたいなんだけど、いまいち状況が飲み込めない。
「……えっと、何事?」
「何事?じゃねえよ!!」
「心配したんだからな!!」
もはや反射的に怒ってくる友人たちを横目に、アーシェングロット先輩は心配そうな顔で口を挟む。
「『嘆きの島』から帰ってきて、突然倒れたんですよ。覚えてないんですか?」
「えー……あー……そっか、そう、なんだ?」
「こっち見たと思ったらそのままぶっ倒れてマレウス先輩に抱き留められてるし、本当に三日も目を覚まさないし」
「ツノ太郎……そういやそうだっけ」
段々と記憶が戻ってきた。
確かに、飛行機を降りてツノ太郎の魔法でシェーンハイト先輩が若返って、エーデュースの無事を確認した所までは思い出せる。その後の事がわからない。誰かと話してた気がするのに。夢でも見てたのかな。
手を動かしてみようとして、点滴の付いてる左手の重さに気づく。そちらを見ると、シェーンハイト先輩が僕の手を握って俯いていた。
「……良かった……本当に……」
「シェーンハイト先輩……」
「アナタにまで何かあったら、アタシ……どうしようかと……」
凄く心配をかけてしまったらしい。多分、いま周りにいる人たちみんな心配してくれてたんだと思う。凄く申し訳ない。
「しかし、どうしていきなり倒れたんだ?」
「どうしてと言われても……エーデュースの顔を見た所でいきなり記憶がぷっつり途切れてるので……」
「疲労の限界を迎えた、と見るのが妥当な所だろう」
ハント先輩が冷静に見解を述べる。
「オンボロ寮での交戦後、エペルくんの箒に同乗して『嘆きの島』まで行き、最後は夜を徹してあの大立ち回りだ。道中休憩や仮眠は取っていたが、私が見る限りあまり休めていない様子だったからね」
「大立ち回りって……お前またなんかしたの?」
「その話は今度にしよう、今度に」
訝しげな視線を向けてくるエーデュースにひらひら手を振ってごまかす。
「……しかし、マレウスの野郎が妙に冷静だったのも癪に障る」
キングスカラー先輩は深々と息を吐きつつ、明後日の方向を見ながらぽつりと呟いた。顔を見つめても目が合わないせいか説明はしてくれない。
「ツノ太…………ドラコニア先輩が何か?」
「あなたの様子を見て『三日も寝れば元気になる』と言い切っていたんです」
「事実、そうなったわけだが」
言われてみると、ちょっと引っかかる事もある。ツノ太郎、何か言いたそうにしているように見えた。不思議そうに僕を見ていたし。
ツノ太郎は凄い魔法士だし、僕たちには見えないものが見えてたのかもしれない。今度聞いたら教えてくれるかな。
「……り、リドルサン、大丈夫ですか?」
エペルの視線の先を見ようとしたけど、ベッドの影になっていて見えない。点滴が外れないように気をつけて起きあがると、ほぼ同時にローズハート先輩が立ち上がった。髪の色はすっかり元の綺麗な赤色に戻っている。
「……すまないね。足から力が抜けてしまって」
「だ、大丈夫ですか!?」
「ああ。もう大丈夫だよ。……キミも目が覚めてくれてよかった」
「ご心配おかけして申し訳ないです。先輩も、髪の毛戻って良かったです」
ローズハート先輩は嬉しそうに微笑んでくれた。つられて僕も笑う。
「さて、オンボロ寮の修繕が終わるまでのユウとグリムの引き取り先についてなんだけど」
「またその話かぁ!?」
グリムが不満そうな声を上げる。が、先輩たちの表情は敵意に満ちていた。怖い。
「ユウが目を覚ましたのだから、本人の希望が反映できる。今日こそ決着がつくよ」
「ほう、それはそれは。随分と自信があるようだなァ?毛玉も手懐けられてねえのに」
「おや、グリムさんのご意向は『ユウさんに一任する』でしたから関係ありませんよ」
「ああ。それにグリムもユウも満足する生活環境はこちらも整えている。あとはユウが選ぶだけだ」
「あら。じゃあうちに決まりだわ。ねぇ、ユウ?」
みんなの目が怖い。一年生たちがおののいている中、ハント先輩がにこにこ笑って見守っている。否、高みの見物してる。
いや選べって言われても、僕の宿泊先を勝手に決めていいのかな。一応、『嘆きの島』に行く前はポムフィオーレにお世話になるって話してたけど、アレは寮長がいない状況を鑑みての判断だったし。
そうだ先生に訊いてみよう。
「仔犬ども、保健室で何を騒いでいる」
提案しようとした瞬間に、冷ややかな声が入り口の方から聞こえてきた。高らかな革靴の音に続いて、クルーウェル先生が顔を見せる。
「ここは保健室。病人が寝ている時に騒ぐんじゃない。目覚めたなら養護教諭の診察を行う。とっとと出ていけ」
いつになく殺気立った様子で言い放つと、先輩たちは不承不承、一年生たちは怯えた顔で出ていった。
「お、オレ様もかぁ……?」
「グリムもだ。……とりあえずトラッポラかスペードの近くにいろ。診察が終わったら知らせる」
「わ、わかったんだゾ。……子分、あとでな」
「うん、おとなしくしててね」
グリムがエースたちを追いかけて保健室を出ていく。扉が閉まれば室内は静かになった。ふと、クルーウェル先生が深々と溜息を吐く。
……嘆きの島に向かう前、先生に怒られる事を覚悟しないと、と話していた事を今更思い出した。いま近くにいる先生からはなんの怒りも感じないが、それが余計に怖い。
「ハシバ」
「はいっ!!」
勝手に背筋が伸びる。クルーウェル先生はベッドの隣まで歩いてきて、静かに僕を見下ろしていた。
「フェルミエとハントは『自分たちが巻き込んだ』としきりに強調していたが、お前がただ巻き込まれたとは俺は思っていない」
「…………はい」
「自発的に出ていった事を認めるな?」
「……はい。エペルが提案してくれたから乗ったのは事実ですが、僕もグリムを捜しに行くつもりではありました」
「そうか」
僕の答えを聞いて、クルーウェル先生はまた深々と息を吐く。
「この三日、お前への処遇を色々と考えていた」
「はい」
「今更叱った所で何の意味もない事は解っている。お前がただの反抗心や好奇心で出て行ったのではない事も理解しているつもりだ」
先生は言いながら懐を探った。
「だから、今後は毎日必ずこれを持ち歩きなさい。それを今回の出奔への罰とする」
取り出したのは、首輪だった。
犬とかに着けるヤツのちょっと大きいサイズ。多分、人間でも着けられる。革の部分は白地に黒のぶち模様で、新品らしく金具がキラキラしていた。
「………えっと……」
反応に困っていると、クルーウェル先生は首輪の効果を力説し始めた。
「これには俺が首輪の位置情報を把握できる魔法がかけてある。自動で魔法障壁が発動し、物理的な衝撃も軽い魔法の攻撃もかき消す。更に寮服と同等の気温調整機能を付けておいた。込めた魔力が切れたらアラートが出るから俺の所に必ず持ってくるように」
「そ、それは凄いですね……」
「よくトラブルに巻き込まれる仔犬には必要な機能だろう?パニックになって飛び出してもすぐに追いかけられる。着けて過ごす事は強制しないが、身に着けても快適なように最高級の品質で作っておいた。さあ、これを」
バシッ、という音と共に前のめりになっていたクルーウェル先生が固まった。
「生徒に首輪を贈るな。倫理規定違反で関係機関にぶち込むぞ」
保健室の先生が、持っていたバインダーでクルーウェル先生の後頭部を叩いた音だったらしい。ぎこちなく振り返ったクルーウェル先生は、恨めしそうな表情で保健室の先生を睨んでいる。
「随分なご挨拶じゃないか」
「ご自分の立場を考えてくれよな、デイヴィ。同僚を告発するのは心が痛むからよ」
ベッドに置かれた首輪をクルーウェル先生に投げつけ、保健室の先生は僕の顔を見る。
「うん、相変わらず顔色はいいね。頭がくらくらしたり、気持ち悪かったりはしないかな?」
「は、はい。大丈夫です」
「受け答えもしっかりしてる。これならもう普通に生活して大丈夫かな~。一応、一通り診察はするけど」
そこまでにこにこ笑っていたのに、クルーウェル先生を振り返ると表情が冷たくなる。
「じゃ、診察するんで関係ない人は出ていってもらえます?クルーウェル先生」
「俺はその仔犬の担任だ」
「危篤状態ならまだしも、元気な状態なら保護者の立ち会いは必要ないから。とっとと職員室に報告してきて」
「俺とお前の仲じゃないか!!」
「ただの元同級生で、ただの同僚だが?誤解を招きそうな表現をわざと使うんじゃねえよ」
とっとと出てけ!!と保健室の先生は力づくでクルーウェル先生を追い出していた。
「……面倒なオトコだね、全く」
呆れた様子で言いながら、保健室の先生はこちらに戻ってくる。
「……クルーウェル先生と同級生だったんですか?」
「んー?そう。ずーっと同じクラスでね。向こうは問題児だけど優等生、俺は中の下の地味な陰キャで接点ほぼ無かったけど」
さらりと答えながら、先生は点滴を外す準備に取りかかる。
「魔法薬学でちょっと成績が競る事はあったけど、それ以外は全然かすりもしてないのにね。都合のいい時だけ同級生なの持ち出してきやがる」
むしろそのせいで覚えられていたのでは?と思ったけど指摘はしないでおいた。なんか、面倒な大人の事情が関わってそうな気配がする。
点滴を外して処置をして、健康診断でやるような診察をしてもらう。特に異常は無かったし、僕も問題なく立ったり歩いたりする事が出来た。
「うん、やっぱり問題ないね。オンボロ寮が直るまでどこの寮の世話になるか決めた?」
「あ。実はそれ、クルーウェル先生に相談しようと思ってて……」
「うちで面倒見るとか言い出しかねないから止めた方がいいかも」
「……そう、ですか……」
ナイトレイブンカレッジの敷地内には教員用の宿舎とかは無くて、先生たちは麓の街で暮らしてるんだよな。まぁ敷地内に先生が暮らしてたらそれはそれで息が詰まりそうだけど。怖い先生も多いし。
「こういう時つい古巣を推しちゃいそうになるけど、イグニハイドはいま寮長いないしね」
……そっか。シュラウド先輩、まだ戻ってないんだ。
本人も言ってたけど、やっぱり退学とかになっちゃうのかな。……寂しくなるなぁ。
「順当な所ならポムフィオーレかな。気候が落ち着いてるから療養にも適してるし、寮長のヴィルくんも寮生たちもしっかりしてるし、安心して任せられる」
「そ、そうですか……」
「……なんか気まずい?」
「気まずくは、ない、です」
どんどん語尾が怪しくなってるので、たぶん全く説得力は無かっただろう。先生は口元に手を当ててじっと僕を見た。居心地が悪い。
「先生は青春が灰色だったから、若人のお悩みに良い助言は出来ないんだけど」
「は、はぁ……?」
「大人なので、子どもが酷い目に遭ってたら守る義務があります」
「そういう事は無いです。……無いんですけど……」
一緒にいられるのは嬉しい。幸せでたまらない。
だけど、せっかくの決意が揺らいでしまいそうで怖い。
言葉の先が続かない僕を見て何を思ったのか、先生は真剣な表情を向けてくる。
「……君はさ、もう少し都合の良い夢を見ても良いんじゃない?」
「都合の良い、夢?」
「俺から見て君は大人びて見えるけど、それっていつも『最悪』に近い展開を想定してるからじゃないかな。期待して傷つくのを繰り返した子どもはどうしてもそうなっちゃう」
傷つく事を防ぐために、期待する事を止めてしまう。
いつも『最悪』を想定して、それを防ぐために動き、邪魔する自分の気持ちにも蓋をしてしまう。
説明をされて、慌てて否定する。
「そ、そんな事は、無いです。いつも失敗ばかりで……そんな風に備えられてるなら、失敗なんてしてないです」
「それね、成功した事を覚えてないだけ。失敗した事ばかり焼き付いてるから、自分はうまく出来てないと思いこんでるだけ」
ばっさり切り捨てられてしまった。そうは言われても反論も浮かばない。自分の事なのによく解らない。
「だからね、もう少し気楽にやんなよ。人生なんてどうなるかわかんないんだから。若い時間は短いぞ?青春は特に」
「はぁ……」
「例え離ればなれになっても、また何かの縁で顔を合わせるかもしれない。現実は小説より奇なり、だ」
言ってから、先生は快活に笑う。
「今は別れの寂しさを考えるより、好きな人たちとの時間を大切にしなよ。イヤな言い方するけど、明日も無事に顔を合わせられるとは限らないんだよ?」
その言葉は胸に刺さる。つい数日前に実感したばかりだ。
「楽しい時間は一分一秒でも長い方が良い。それが辛い時に自分を支えてくれるからね」
「……離ればなれになって、もう二度と会えなくなっても?」
「うん。大切な人がいる事、その人と過ごした時間は、一人で寂しさや苦しみに潰れそうな時も支えてくれる。それは君だけの話じゃない。君を大切に思う人たちにとっても同じ事だ」
「僕だけの、話じゃない」
「そりゃ、別れの時は悲しいさ。仕方ない。でも人生に無駄な時間なんて無いからさ」
誰かに縛られた時間も、心を閉ざして無気力になっていた時間も、成功も失敗も忙しい時も暇な時も何とも言えないような曖昧な時間も全て、未来の自分を形作っていく。
「だったら、楽しい思い出は増やしておきなよ。その方が絶対良い。灰色の青春時代を送った先生が断言しておく」
「……そんなに灰色だったんですか……」
「もーホント灰色。男子校なんて来るんじゃなかったって思った。夢も希望も無かった。マジで」
あんまりそういう感じしないけどなぁ。
僕が違和感を覚えている事に気づいた様子も無く、先生はにっこり笑って椅子から立ち上がった。
「さ、ポムフィオーレには先生から連絡しとこう。制服の替えとか教科書の予備とか、生活必需品も送るように学生課に依頼しとくわ。なんか他に欲しいものある?」
「あ、……メガネ……ありますかね」
「あー、前に文化祭で使ったコスプレグッズの残りね。多分まだあるんじゃないかな。伝えておくよ」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。じゃ、グリムくん回収したら直接ポムフィオーレ行ってね。もし具合が悪くなったら、遠慮せず保健室においで」
「はい、ありがとうございました」
再び礼を言って、イスから立ち上がる。
時間の事を気にしてなかったけど、もう放課後だったみたい。廊下の窓からは夕日が射し込んでいる。
今していた話が頭の中をぐるぐる回っていた。
そんなに都合良く考えていいものか、と迷う気持ちは今もある。
だけど、楽しい時間が僕にも一緒に過ごした人にも支えになるなら、寂しさを恐れて一歩引いて、その楽しさを損なってしまう事の方がいけない事なのかもしれない。
まだうまく割り切れるかは分からない。
でもなんだか、目の前の世界は少し明るくなったように感じられた。