6−2:宙を睨む奈落の王


 第一層に戻れば、他の先輩たちが疲れた様子で待っていた。
 ローズハート先輩の髪の色の変化には驚いたけど、今はそれどころじゃない。
 ハント先輩たちが積んでいた『雷霆の槍』を一旦置いて、バイパー先輩の操縦するもう一台のチャリオットも一緒に最下層へ向かった。
 戦っている間は意識が薄かったけど、本当に底が遠い。ブロットの瘴気で底が見えない事もあって、本当は底なんて無いんじゃないかと思ってしまう。寒く感じるのは気温の低さだけじゃないのかもしれない。
 そんな恐怖をよそに、ブロットの瘴気の向こうにうっすらと石造りの床が見えてくる。巨大な円形のオブジェと周りに作られたよく分からないレール、床が近づいてくるにつれて、見慣れた灰色の毛並みが倒れているのが見えた。
「グリム!!」
 操縦席のキングスカラー先輩は僕の視線の先を確認して、近くに下ろしてくれた。転げ落ちるようにチャリオットを降りた僕は、一目散にグリムに駆け寄る。抱き上げると、その身体は脱力しきっていた。体温は薄く、揺さぶっても反応がない。
「グリム、しっかりして!グリム!!」
 どんどん体温が下がっている気がした。手を口元にやっても呼吸を感じられない。
「息……して、ない……?」
 頭がパニックになっている。何かしなくちゃと思うのに何も思い浮かばない。
「私に見せてもらえるかな」
 ハント先輩に声をかけられ、グリムを差し出す。先輩は手袋を脱いでグリムの顔の前に差し出したり、胸に耳を当てたりした。
「自発呼吸はないが、心臓は止まっていない」
 言いながらグリムの口を指で開き、はっと目を見開く。
「喉の辺りに何か詰まっている!」
 それが、息が出来なくなっている原因。
「グリムくんをうつ伏せに抱え、頭を胸よりも低くしてくれ。背中を強く叩いて!遠慮はいらない、吐き出すまでやるんだ!」
「はい!」
 言われるがままグリムの姿勢を変え、背中を叩く。
 いつか黒い石を食べていた時に『吐き出させよう』なんて冗談混じりに言った事はあるけど、本当にやる日が来るとは思わなかった。
「大きな声で彼を呼んで!」
「グリム!!起きて、グリム!!」
 気持ちは焦る。叩き方が悪いんじゃないかと不安を覚えた。
 それでも程なく、グリムは勢いよく石のようなものを地面に吐き出した。滑っていったそれには誰にも目をくれず、咳込むグリムの様子を見ている。
 僕は背中をさすりながら名前を呼び続けた。苦しそうな呼吸音が聞こえる。それは段々と落ち着いていき、やがてグリムはゆっくりと目を開いた。
「グリム、僕がわかる?」
「……ユウ」
 苦しかったのか、グリムは目元に涙を滲ませていた。指で拭って、また背中を撫でる。
「よかった……グリムが目を覚ましてくれて」
「ユウ……オレ様……ダメな親分だ……」
 落ち込んだ様子のグリムに微笑みかける。
「グリムが無事ならいいんだよ」
「ユウ……」
 頭を撫でると、ほっとした顔で受け入れてくれた。僕の手に前足で触れて、頭を擦り付けてくる。
「……こないだ、引っかいてゴメンな……ゴメンな、ユウ……うう……」
「いいんだよ、もう。僕は大丈夫だから」
「オレ様、学園に……オンボロ寮に帰れるのか……?」
「当たり前じゃない。僕たちはふたりでひとりの生徒なんだよ?親分がいなかったら、僕もいられないんだから」
「そうそう。エースクンとデュースクンも、きっと待ってるよ」
 エペルの言葉にも頷く。
「一緒に帰ろう。グリム」
「ふ……ふ、ふなぁ~~~~……!」
 グリムは水色の目からぽろぽろ涙を溢れさせたかと思うと、僕の首に抱きついてきた。暖かい身体を僕も抱きしめる。鼻をすすりながら、ふなふな言って泣いてる後ろ頭を撫でた。
「……全く。こんな状況でも拾い食いをしてノドに物を詰まらせていたなんて。本当に食い意地が張ったモンスターだこと」
 しわがれた声が聞こえて、僕もグリムも泣きやむ。
 声の方から歩いてきたのはどこからどう見ても老人だった。白髪に曲がった腰、枯れた肌。でも身に纏っているものや細かな仕草が、見知っている人のものと同じだった。
「シェーンハイト先輩……」
「……アナタは一目で気づいてくれるのね」
 嬉しそうに細められた紫の瞳に、見知った宝石の輝きは無い。
「ヴィ、ヴィル!?どうしてそんな」
 グリムが不自然な所で言葉を切った。僕がぼろぼろ泣いているのが目に入ったからだろう。
「なんで、そんな事に……」
「……『冥府』に近づきすぎたせいだよ」
 そう答えたのは、シェーンハイト先輩の後ろから歩いてきたシュラウド先輩だった。オーバーブロットしていた時の姿ではなく、『S.T.Y.X.』の職員の姿に戻っている。
「生きた人間が『冥府』に近づけば生気を吸われるんだ。『冥府』そのものになっていたオルトと一緒に底まで落ちたようなものだったから、その時間の分、生気を失っちゃったわけ」
「イデアを助けるのに手間取っちゃってね」
 少し歩くのも辛そうだった。慌てて立ち上がり支えようと手を伸ばすと、記憶よりずっと細く弱々しくなった指が僕の頬に触れる。
「泣かないで、アタシは大丈夫よ」
「……だって、僕がちゃんとしてなかったから」
 飛び込む前に機械が限界を迎えている事に気づいていたら、僕を助ける手間は必要なかった。その分、『冥府』に近づく時間だって短く済んだかもしれない。
「ごめんなさい。僕が行けばよかったのに。先輩を酷い目に遭わせてばっかりで、こんなの本当に疫病神だ」
「……ユウ」
 まともな言葉が出てこない。謝る事しか出来なくて、それも嗚咽混じりでろくに言葉にならない。情けない、こんなの良くないって解ってるのに、涙がどうしても止められない。
「そんな風に背負ってしまわないで。……本当に、アタシは大丈夫だから」
 子どもをあやすように抱きしめられる。けどいつもよりずっと弱々しい力で、腰が曲がった分、身長差も変わってしまって、事実が胸を刺すばかりだった。化粧品の甘い匂いさえ、どこか遠ざかってしまったように思う。
「ほら、いい加減に泣きやんで。武器にならない涙はしまっておきなさい」
 鼻をすすりながら顔を上げた。優しい目で僕を見る。
「可愛いアナタをこんなに泣かせて。アタシってば罪作りね」
 そう言って笑う表情は、よく知っているシェーンハイト先輩の面影があった。
 腰は曲がっても、顔が皺だらけでも、堂々としたその笑みの力強さは変わらない。
「例え汚泥にまみれ老いて痩せさらばえた姿になったとしても……今この時、アタシは世界で最高に美しい」
 老いた声でも、この人の言葉には力が込もっている。本当にそう思っているのだと信じてしまいそうになる。少なくとも、哀れんで泣くのは止めないと、と強く思わされた。
 乱暴に涙を拭って、どうにか頷く。それを見て先輩も目を細めた。
「さて、後は……っ」
 シェーンハイト先輩が振り返ろうとした拍子によろける。僕が慌てて支えると礼を言われたけど、駆け寄ろうとしていたハント先輩やエペルには困った顔をしていた。
「大げさね……少しよろけただけじゃない」
 足の筋肉が痩せたのかブーツがゆるいのよ、とぶつぶつ文句を言ってる。よくよく考えたらこの老体でハイヒール履いて歩いてるのが凄すぎるよなぁ。杖代わりになるように隣に立てば、肩に手を置いてくれた。
「姿が変わるほど魔力も体力も消耗したんです。安静にして、一刻も早く魔法医術士の診断を受けるべきだ」
「そうしたいのは山々だけど、システムがほぼ壊滅状態で、ここじゃヴィル氏たちの治療を満足に行えない」
 ……そりゃそうか。『タルタロス』も階段とかぐっちゃぐちゃだし。これ直すの大変だろうな……。
「『賢者の島』は世界的に見ても魔法医療の設備が充実してるし、ヴィル氏たちのカルテも揃ってるはずだから、一旦みんなを学園まで輸送しよう」
 いつの間にか館内の通信は復旧していて、シュラウド先輩は管制室と連絡を取り合っていた。向こうの人もシュラウド先輩に言いたい事とか無いんかな。無いわけ無いと思うけど、それよりも負傷者保護を優先してくれてるのかもしれない。大人だもんな、向こうにいるの。
 賢者の島まで行ける航空機が確保できたとの事で、そこまでチャリオットで運んでくれると話がまとまった。
「……やっと、帰れるのね」
 シェーンハイト先輩が感慨深げに呟く。
「ああ。みんなで一緒に学園に戻ろう」
「そうですね。早く行きましょう!」
 ポムフィオーレの面々が笑顔を取り戻す中、他の先輩たちは疲れを表情に表していた。
「おい、まさかまたエコノミークラス以下の輸送機に詰め込むつもりじゃないだろうな?」
「もう貨物機でもなんでもいい……さっさと寮に戻って、自分のベッドで眠りたい」
「同意です。これだけ消耗させられたのに、一マドルにもならないだなんて、悪夢のような一夜でした」
「でも、悪い夢はもう終わった」
 ローズハート先輩は、はっきりとそう言い切った。
 グリムと先輩たちがさらわれて、本当に悪夢のような日々だった。それがやっと終わったんだ。
 グリムも先輩たちも、取り戻す事が出来たんだもの。
「帰ろう、グリム」
「オンボロ寮の親分のご帰還なんだゾ!」
 シェーンハイト先輩がシュラウド先輩を振り返る。
「それじゃあ……イデア。また学園で」
「……え?」
 返事が疑問符だったので、チャリオットに乗り込みかけた誰もが足を止めた。『何か文句あんのか』って顔で。
 しかしシュラウド先輩も引かない。
「せ、拙者もSSR[前代未聞の問題児]の仲間入りをしちゃったわけで……この後は今回の事件の首謀者として、たぶん世界中から責任を追及されると思うし」
 その覚悟も出来てるし、と小さく呟く。
「だからもう、学園には戻れないと思うよ……というか……こんな問題起こしたら即刻退学処分に決まってるでしょ、普通」
 まぁ普通はそうなんだけど。
 でも多分あの学校、普通じゃないんだよなぁ。
「はぁ?なに言ってんですか!」
 エペルが喧嘩腰で言えば、シュラウド先輩は目を丸くする。
「イデアサンちがオンボロ寮をめちゃくちゃにしたんですよ。責任とって、ちゃんと直してください」
「そうだそうだ!やっと雨漏り全部直したところだったんだゾ!」
 オンボロ寮に大穴が空いてる事をグリムも思い出したらしく、はっとした顔で抗議の声を上げた。
 後輩たちの姿に、ハント先輩は笑みを浮かべる。
「そうだね。このままじゃ『VDC』の報酬が全て修理費に消えてしまう」
「あの崩壊っぷりじゃ、五百万マドルでは到底直しきれないでしょう。まずは原状復帰、よろしくお願いします」
「は、はぁ……」
「植物園も元に戻しておけよ。あそこが一番昼寝に最適なんだ」
「えぇ……昼寝……ハイ……」
「厩や芝生の整備もよろしくお願いします」
「そ、それはリドル氏が燃やしたんじゃ……いや、なんでもナイデス」
「そういえば、ゲームの途中で邪魔が入ったせいで、勝負がついていませんよね。確か僕が優勢だったはずです。逃げないでくださいよ」
「は?間違いなく拙者が優勢でしたが?ちゃっかり誤魔化さないでくださらんか」
 先輩たちが口々に自分の要望を出していく。シュラウド先輩は律儀に返し、最後にはいつもの調子にほぼ戻っていた。
「と、いうわけで」
 シェーンハイト先輩が力強く締める。
「アンタにはまだまだ学園でやる事がある。いいこと?逃げるんじゃないわよ」
「あ~、わかった。わかったよ」
 意地悪く笑うシェーンハイト先輩に、シュラウド先輩も呆れた様子で返した。
「あ、例の非常口の改善案も出しておいた方が良いと思います。将来先輩があの場所使う時に困っちゃいそうだから」
「……アレね、その……非常口とは名ばかりのものだから。多分」
「名ばかり?」
「父さんがあそこにいると寂しいって、母さんが外周通路を利用して突貫で開けたんだよ。先代の目を盗む偽装工作までして」
「……あぁ……そういう……」
「うん。だから、改善案は必要ないかな。……君が通れるなら問題ないし」
 ぼそりと添えられた一言で後ろの方が殺気立った気がする。
 シュラウド先輩は表情を変えずに僕を見つめていた。
「さ、もう地上に帰りなよ。……君の大切な人たちと一緒に」
「はい。……それじゃ、また。学園で待ってます」
「うん。……また、学園で」
 挨拶を終えて、チャリオットに乗り込む。程なく動き出して、『冥府』が遠ざかっていく。シュラウド先輩に手を振れば、すぐに振り返してくれた。その姿もどんどん小さくなっていく。やがて見えなくなった。

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