6−2:宙を睨む奈落の王

 ………


 静かな石造りの回廊の中で、控えめなくしゃみが鈴の音のように響いた。
 リドルが音の出所を振り返る。
「風邪かい?」
「いえ、僕は寒さには慣れてますから」
 凍結されていたファントムが融解を始めている状況とは言え、『タルタロス』は気温が低い。優れた耐熱耐寒性能を持つナイトレイブンカレッジの寮服を纏って尚、凍えるような肌寒さだった。
 とはいえ、北方の海出身の人魚であるアズールにとっては不快になるような気温ではない。
「きっと誰かが僕の有能ぶりを噂しているんです。……陸では理由の無いくしゃみが出たら、そのように言うのでしょう?」
「特に理論的な根拠は無いよ。ただの免疫反応だ。埃などの軽度の刺激でも発生するから、理由が思い当たらなくてもおかしい事はない」
「それぐらい解ってますよ。冗談ですから」
 つまらない人だ、とアズールはぽつりと呟く。耳敏く拾ったリドルはむっとした顔でアズールを振り返った。
「今は緊急事態だ。冗談を言っている暇はない」
「それに異論はありませんが、焦ってへばっても結局意味が無いでしょう?」
 二人は万事こんな感じで噛み合わない。多少の共闘をし、ある程度の相互理解はあるものの、仲良く雑談をするような空気にはならなかった。
「先は長いんです。負担は最小限で進まなくては」
「人質を取られているのに、そんな悠長な事を言ってられないよ」
「……人質、ですか」
 アズールが意味ありげに復唱すれば、リドルは首を傾げる。
「異議があるのかい?」
「……ええ。ルークさんも仰っていたでしょう。イデアさんがユウさんに危害を加えるとは考えにくい、と」
「……僕はとても信じられないけどね。君も同意見なのかい?」
「まぁ、そうですね」
 アズールは複雑な表情で曖昧に答える。
「歯切れの悪い言い方をするんだね」
「……僕は、彼が以前からユウさんに好意を持っていたのを知ってました」
「そうなの?」
「ええ。……もっとも、ユウさんは少しも気づいている様子はありませんでしたけど」
 イデア・シュラウドの対人反応は複雑なものである、とアズールは分析している。
 基本的に人とは関わりたがらない。明るく社交的な人間は『陽キャ』と呼んで忌避するけど、自分の同類と見なすと途端に遠慮が無くなる。そのくせパーソナルスペースはとてつもなく広く、自分の事は語らず他人の事も興味が無く、好きな事と得意分野については他人が口を挟めないくらいの饒舌ぶりを発揮する。
 それでいて妙に他人に対して世話を焼く。本人が得意分野については有能であり、また寮長という立場もあって、文句こそ言うものの身近な人間の問題の解決には協力している事が間々ある。
「僕が知った時には、ユウさんはイデアさんにとって『身近な人間』になっていたように思います」
 寮も部活も違う、たまに顔を合わせる程度の関係にしてはイデアが入れ込んでいる、というのがアズールの評価だった。その理由について遠回しに探ってみた事はあったが、結局何も解らないままである。
「ただ、ユウさんは人と接するのが上手な人ですから。コミュニケーションに難があるイデアさんすら虜にしてしまった、というなら順当なのでしょう」
「人と接するのが上手?」
「気づいてませんか?ユウさん、自分の印象をコントロールするのが非常に上手なんですよ」
 リドルはきょとんとした顔でアズールを見る。
「無意識かどうかまでは解りませんが。ユウさんはたまに『大人しくて礼儀正しい普通の人間』を演じているように見えるんです」
「……演じている……」
「元々、話術や交渉術に長けた人物であろうとは思っていましたが、実際に人となりを知ると評価を変えざるを得ませんでした」
 うまい事やって学園長の後ろ盾を得て、魔力が無く魔法が使えないのに魔法士養成学校に在籍している、という流布されていた前提がそもそも間違いだ。彼が入学式に紛れ込んだ事それ自体が学園側の不手際であり、それを誤魔化すためにグリムを巻き込んで『入学させられた』という方が正しい。
 本人も今はグリムに愛着があり、彼の夢を応援するために在籍を許容しているが、グリムがいなければとっくの昔に学園を離れていただろう。
 経緯はともかく、あれだけ目立つ事をやってのけながら、なんだかんだで学園に馴染んでいる。
 騒ぎは起こすが『無害』なのだ。
 グリムが暴れれば謝り、迷惑をかけないよう抑えている姿が嫌でも目に入る。ちょっかいをかけられれば返り討ちにするが、自分から誰かに喧嘩を売る事はない。
 愛らしい素顔でさえ、常に眼鏡をかけて過ごしていれば『一部が妙に持ち上げているだけ』という評価になっていく。
 そうやって『異例の新入生』は『普通の生徒』に限りなく近い存在となっていた。
「実際は『普通』とは程遠い、とんでもない度胸の持ち主だ。ハッタリで相手の虚を突いて出方を見る、なんて事も平気でやる」
「……確かに、オーバーブロットした魔法士と殴り合いをしようとする所なんて、普通じゃないな」
「そうなんですよ。でも普段は好戦的ではない。おそらくは『そういう人間でいた方が面倒がない』から」
 リドルは続きを待つようにアズールの顔を見つめる。
「推測ですが、ユウさん自身は本来とんでもなく受け身、言い換えればダウナーです。『積極的にやりたい事がない』または『自分の望みを通す事が苦手』であると考えられる」
「望みを通す事が、苦手」
「学園に残る事も、誰かの望ましい姿を演じる事も、身に降りかかった火の粉を払う事さえ『自分のため』じゃないんです」
「……まさか、元の世界に帰りたいって、ずっと言ってるのも」
「明確に理由を聞いた事はないですが、もし『家族が心配するから』だったら、やっぱり自分のためじゃないですね」
「……よくそんな事を思いつくものだね」
「訊いた事があるんです。ユウさんに『あなたの叶えたい願いは何ですか?』と」
 元の世界に帰りたい。
 当然のような顔をして答えたが、明らかに言葉を詰まらせていた事を、アズールは覚えている。
「本人が心からそう思っているのなら即答できるくらい、当然の内容です。言葉に詰まる理由が無い」
「……キミが信用されていなかったからじゃなくて?」
「そ、そそそそそそそんな訳ないでしょう!!……いやそうかもしれないけど!重要なのはそこじゃないんです!」
 アズールは咳払いしてからリドルを睨む。
「ユウさん自身は、本当はこの世界から帰らなくていい、むしろ帰りたくないと思ってるかもしれないんですよ」
 リドルは目を見開く。その反応に気を良くしたようで、アズールは胸を張った。
「僕はユウさんの『本当の願い』を叶えてさしあげたいんです。グリムさんを思いやるばかりで、自分の気持ちを抑え込んだままにさせるなんて可哀想じゃないですか」
「……で、ユウにどんな対価を要求する気だい?」
「僕の伴侶として一生添い遂げていただきたい!」
 話し相手がリドルである事を忘れ、勢いよく答えた。アズールははたと我に返り慌てだす。一方、リドルはアズールに冷ややかな視線を向けた。
「だってそうでもしないとヴィルさんに勝てないじゃないですか!!」
「勝つとか負けるとかそういう問題じゃないだろう。婚姻は両者の合意があって成立するものなんだから」
「そう、合意さえ取れればいいんですよ!どうせ心の内なんか見えやしませんからね!」
 リドルは躊躇い無く軽蔑の眼差しをアズールに向ける。アズールは気まずそうに目を背けて咳払いした。
「……僕だって、好きになってもらえるならその方が嬉しいですよ。そのために出来る事は続けるつもりです」
「…………好きになってもらう、か」
「望み薄な事は解ってますよ。ええ解ってますとも。だって僕はユウさんの嫌いなタコの人魚だし。愚図でノロマだし万能の力だって無くなったし、オンボロ寮を取り上げようとしたしデートはしてもらったけどアレは助ける対価だからだろうし二回目はぜんぜん誘えてないし触れたらダメな所触れちゃったしライバルは多いし。なんだよ世界的インフルエンサーとガチの王子様が恋敵とか印象マイナススタートで勝てるわけないだろあああああああああああ」
 勝手に地面に膝を着いて壁を殴っているアズールを放置して、リドルは何事か考え込んでいる。
「ボクはユウにどう思われてるんだろう」
「……は?」
「前に、名前で呼んでいいと言った時は断られてしまって。お茶会に誘えば来てくれるけど、……友達になるのって難しいな」
 リドルからすれば真剣な悩みだ。
 ハーツラビュルでの騒動からずっと、仲良くなりたいという漠然とした望みは抱いている。学年の違いもあって接点は足りない。寮の問題児たちと仲が良いので話せば話題には事欠かないが、勉強や寮長の仕事の合間を縫って交流を深めるのは困難な事だとリドルは感じていた。
「リドルさんはユウさんをどう思ってるんですか?」
「どう、って?」
「好ましい、というのは解ります。具体的にどうなりたいんですか?」
「どうなりたいって、友達に」
「どんな友達に?」
「どんな!?」
「友達と言ってもいろいろあるでしょう。顔を合わせたら気軽にお茶できるくらいの関係になりたい、趣味の時間だけ共有したい、プライベートな事も何でも話してほしい、とか」
 リドルはまたも考え込む。
「それは……何でも相談してほしい、と、思う」
「先輩としてではなく?」
「……そこに違いってあるの?」
「あります。相談を受けるとは『弱みを知る』という事です。目上と対等では弱みを話すリスクも違ってきますから」
「む、難しいな」
「主観で、『この人たちのような関係になりたい』といった理想は無いのですか?」
 理想、と鸚鵡返しをしてリドルは少し黙り込む。
「とても漠然としているんだけど」
「構いませんよ」
「伝承の、ハートの女王と王みたいな、支え合う関係が良い」
 アズールが真顔になる。反応を見たリドルは不安そうな表情になった。
「あなた、それ…………」
「へ、変かな。トレイにユウと並んだ所を『揃いの人形みたいだ』って言われた時からずっと、そんなイメージを漠然と抱いているんだけど」
「僕が訊いたのは『友達』の理想像ですよ。何で『夫婦』が例に挙がるんですか」
「だ、だってユウとどんな関係になりたいかって言われたから、それを答えただけで、だから……」
 二人はしばらく無言で顔を見合わせる。リドルは頬を赤らめ、アズールは頭を抱えた。
「自覚させてライバル増やすとか僕は馬鹿なのか!!??」
「あ、アズール落ち着いて。ボクはもう少しちゃんと自分で考えてみるから」
 アズールは暗い表情のままリドルを見る。
「さっきも言ったけど、漠然とした感覚なんだ。落ち着いた時にもう一度、自分ひとりで向き合ってみれば変わるかもしれない」
「……変わらなかったら?」
「えっ。それは、まぁ……その可能性はもちろん否定はしないけど」
「ダメじゃないですか!!僕より好感度の高いライバルがこれ以上増えてたまるか!!!!」
「好感度?」
「僕より好かれてない奴がジャミルさんしかいない!!こんなのあんまりだ!!!!」
「お、落ち着いて。本当に落ち着いて」
 リドルが必死で宥めると、アズールは鼻をすすりながらも黙った。
「とにかく。この話は一旦忘れて、今はイデア先輩を止めて、ユウを助ける事に専念しよう」
「……そうですね。イデアさんがユウさんに危害を加える可能性は低いとはいえ、点数を稼ぐチャンスには違いない!」
「て、点数……」
「俄然やる気が出てきました。無理なく、無駄なく進んでいきましょう」
「……無論、最初からそのつもりだよ」
 話がまとまったところで再び歩き出す。無駄話で時間を浪費してしまった、とはどちらも思いつつも、二人の足取りは軽やかではない。
 リドルは、自分が言語化した感情の事実に戸惑い考えながら歩いていた。
 アズールは、しかし点数を稼いだところで果たして自分の評価は上向くのか、というネガティブな感情と戦っている。
 長い道のりも戦いの重要性も重々理解しながら、その最中でも青春の悩みは頭を離れないものだった。

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