6−2:宙を睨む奈落の王
最初に耳に聞こえてきたのは機械の音。
無機質でささやかな、機械が動いている音。
目を開いても、目の前の景色は薄暗い。状況が理解できなくて、しばらくぼんやりしていた。
……なんか最近、こういう事多いな。
「お、おお、起きた?」
横から声が聞こえた。誰の声か考えて、やっと意識が一気に覚醒する。勢いよく上半身を起こしたら『ひぇっ』という悲鳴が聞こえた。
「……シュラウド先輩」
「お、おはよう。よく眠れた?って眠らせたの拙者なんだけど」
「……おはようございます」
一応返しつつ周囲を見る。自分をさらってきた相手に起床の挨拶をしてやるというのも変な話なんだけど。
ざっと見る限り、研究室という感じの雰囲気の部屋だった。自分が寝ているのは簡素なベッドで、部屋の大半は書類や荷物が山積みになっていて雑然としている。一角にあるそこそこ大きいであろう机も、大きなモニターなどを含めた機械類が埋め尽くしていた。多分、シュラウド先輩が腰掛けているのは机とセットになってるイスなんだと思う。
「ここはどこですか?」
「……墓守の小屋」
答えた先輩は少し遠い目をしていた。
「『冥府』の門を見張るために、ご先祖様が建てた小屋。……の代わりに、最下層の一部を削って作られた詰め所。基本的にシュラウド家の当主しか来ない」
「基本的に?」
「何事にも例外はあるでしょ。……現に君がここにいるし」
「あなたにさらわれて来たんですけど」
「れ、例外は例外でしょ。……僕だって前から連れ込むつもりならもっと準備ぐらいしたよ。部屋の掃除とか、ベッドメイクとか……」
何事かぶつぶつ言っているけど続きは聞き取れない。自分の姿を見れば、ポムフィオーレの寮服のままだ。髪の毛が顔の横に滑り落ちた感触で、まとめてもらった髪が解けている事を知る。
「あ、寝かせるのにしんどそうだったから髪だけは解いたよ」
「……ありがとうございます」
「どういたしまして。……その服だって変えたかったけど、今はとにかく時間が無い」
時折向けてくる忌々しげな視線は、どうも寮服に向いてるみたいだった。……ホント縄張り意識強いな、ナイトレイブンカレッジの生徒。
「時間が無いのに、どうして僕をわざわざ連れてきたんですか?」
「…………わかってないんだ?」
シュラウド先輩はおもむろにイスから立ち上がり、顔を近づけてくる。
「君が好きだからに決まってるだろ」
「好き、って」
「あーーー人間として好きとかそういうんじゃないから。恋愛感情、シンプルに言えば性欲」
凄まじくド直球。先輩からこんな言葉が出てくるとは思わなかったのでちょっと面食らっている。
「だって、ビジネスパートナーって言ってたじゃないですか」
「ああそうだよ、そう言って必死で虚勢張ってたんだよ!!」
いつになく語気が強い。でもどんどん弱まっていく。
「でも僕に好かれて嬉しいハズがない、嫌われるぐらいなら……こんな気持ち、抑え込めばいいんだと、思って」
勢い余った感じで、シュラウド先輩の身体がもたれ掛かってくる。とっさに動く事も出来ない。目の前で青い炎が自信なさげにゆらゆら揺れている。
「……ほら、やっぱり」
「え?」
「君は嫌がらない。僕を怖がらない」
先輩は僕の肩口から静かに顔を上げる。目を引く端正な顔立ちなのに、どこか虚ろな表情で僕を見ていた。口元だけが穏やかに微笑んでいる。
「君は、この髪を見てどう思った?」
唐突な質問に首を傾げる。
神秘的に揺れる青い炎の髪。薄暗い場所でわずかな光を受け輝いているようにすら見える。
「……綺麗、だと、思いますけど」
「普通の人はそんな事を思わない。不気味だ、気持ち悪いって言う」
先輩は忌々しげな顔で自分の髪を掴む。
「この髪は呪いの発露なんだよ」
「呪い……?」
「呪いと祝福は表裏一体とか言う奴もいるけど、僕にとっては間違いなく呪い。謀反を起こしたご先祖様が、罰として食らったクソみたいな呪いだ」
シュラウド家は神話の時代、『タイタンズ』を率いてジュピター家に謀反を起こした。結果は失敗に終わり、罰として一族は呪いを受け、『嘆きの島の番人』の役目を科せられた。
ファントムの周囲にはブロットが溢れる。数多のファントムを封じている『タルタロス』や『冥府』もブロット由来の瘴気が存在し、シュラウド先輩の炎の髪は、それを無効化する事が出来る。その代わりに、ブロットが存在しない環境では魔力を常に消費しなくてはならず、ハンデのある生活を強いられる。
『嘆きの島の番人』でいなくては、まともに生活する事もままならない。
「この呪いが具現化した髪を見て、みんな怖がるんだ」
……学校でもそんな事を言う人がいたのかな。いたかもしれないな。名門のくせに不良の多い学校だし。
そうやって傷ついてきたせいで、こうやって思い詰めてしまったのだろう。
こんなに綺麗な人なのに。
「でも君は違った」
愛おしそうに目を細めて僕を見つめる。
「君は僕を怖がらない。心地の良い距離感で接してくれる。怯えもせず気味悪がらず、普通に接してくれる」
僕は普通に、友好的な人として失礼のないように相手をしていたつもりだった。
それが彼にとっては、全く意味が違ったという事らしい。
「そんな子を、好きにならずにいられるわけなくない……?」
問いかけられてもうまく返す言葉が見つからない。どう断っても傷つけるし、逆上されたらまずい事になるかもしれない。
「……どんな気持ちでいたと思う?やっと見つけた好きで好きでたまらない子が、他の男と親しげに笑っている所を毎日のように見せられて」
虚ろな目に静かな殺意と憎悪を宿して僕を見る。……正確には、僕を通して誰かを睨んでいる。
「生まれのせいで僕は気持ちひとつ伝える事が出来ないのに、あいつらは暢気に君を口説いて、君が優しいのを良い事に図に乗って好き勝手触れて、…………耐えられなかった」
絞り出すような言葉だった。
目の前の先輩は、触れたら爆発しそうな爆弾みたいに見えた。抱きついたり腕に触れたりは出来るだろうけど、今そんな事をしたら同情みたいに思われるんじゃないだろうか。
僕はこの人の願いを叶えられない。
「……前にも言いましたけど、僕は故郷に帰る事しか、考えていません」
「これから世界が滅ぶっていうのに?」
「僕の故郷には関係ないので」
シュラウド先輩は怪訝な顔をしている。聡い人ではあるけど、さすがに『闇の鏡が帰す事が出来ない場所』が『魔法の無い異世界』だとは思ってなさそう。
「それぐらい遠くにありますから、ここの人たちと仲良くなっても、いつかは離ればなれになってしまう。帰ったらきっと、二度と会う事は出来ない。誰に気持ちを寄せられようとも、応じる気はありません」
「ヴィル氏にも?」
「……はい」
「それは嘘だ」
力強く否定された。
ぐっと歯を食いしばる。
「嘘でも、貫き通します。故郷に帰れば全部過去になるのは変わりませんから」
「じゃあ、君をここから帰さなければいいだけだよね」
シュラウド先輩の手が僕の腕を掴んだ。身体に力が入らなくなり、あっさりとベッドに押し倒される。簡素なベッドフレームの軋む音がした。
先輩の顔が目の前にある。青い炎の髪がカーテンみたいに垂れ下がっていた。両手は少し体重をかけてるだけみたいなのに、全く力が入らず押し返せない。足も鉛みたいに重くて動かせなかった。
「身体の自由を奪う魔法ぐらい、僕でも使える。このまま君の身体を好きなように弄んで純潔を奪う事だって出来るんだよ」
意地の悪い笑顔を浮かべて僕を見下ろしている。そのまま顔を近づけてくるでもなく、距離は保ったままだった。髪の毛の炎だけがゆらゆら揺れている。
僕は特に何も反応せずにいた。先輩の顔を見ている事しか出来ないし。
微妙に気まずい沈黙が流れる。
「……表情筋まで動かせなくしたつもりないんだけど。怖くないわけ?」
「いや……男の身で純潔がどうとか無いのでは?と思っちゃって……もしかして実は女だと思われてました?」
「さすがに男だって知ってるよ。……あーもう、調子狂うな」
シュラウド先輩はあっさり身を起こした。気が抜けた様子でイスに戻りぐったりしている。
先輩が離れると手足が動くようになった。起きあがっても異常は無い。
「…………もしかして経験済み?」
小さい声だったので危うく聞き逃す所だった。顔を見つめかえすと、ばつが悪そうに目を逸らされる。
「ごめん、バカな事訊いた。忘れて」
「……まぁ、一般的に言う綺麗な身体ではないですね」
机に向かい何か作業しようとしていた手が止まる。ぎこちなくこちらを振り返った顔は、信じられないものを見るような目をしていた。
「そ、それって、つまり、あの」
「あ、故郷での事なんで、こっち来てからは有り難くもそういう事は一切ないです」
「え、え、こ、恋人がいたとか、そういう……」
「事でもないです。おかげさまで故郷では色恋沙汰には縁遠い生活してたもので」
処女信仰タイプなら、これで萎えてくれるだろう。嘘はついてないし。
シュラウド先輩はしばらく頭を抱えていた。全く動かない。もしかしてトドメでも刺してしまったんだろうか。
声をかけようか悩んでいると、突然シュラウド先輩が奇声を上げてイスから立ち上がった。驚いて動けずにいると、猛スピードでこちらに向かってくる。
「だったら尚の事!!そんな危険な場所に君を帰すなんて出来ない!!!!」
「え」
「僕の『花嫁』。安心して。不埒な輩にはもう指一本触れさせない。僕が絶対に守ってあげる」
先輩の胸元に抱き寄せられる。薄くて固いけど、居心地は悪くない。髪を撫でる手も優しくて心地良い。きっとこうして誰かと触れ合う事に不慣れではないのだ。ちょっと意外。
身体が離れると、先輩はさっきよりも優しい目で僕を見つめる。愛おしそうに僕の頬を撫でて微笑んだ。
「この部屋は空気清浄機が動いているから何ともないけど、外はブロットの瘴気が満ちてて危ない。『タルタロス』の融解も進んでてファントムもそこら中をうろうろしてる。でも、この部屋から出なければ安全だからね」
「えっと……」
「ああ、部屋のガラクタは危ないからいじらないで。変な積み方してるから下手に触ると崩れる。右から三つ目のモニターがタッチパネルで動かせるから、それでデータベースに入ってる映画とか見られるよ。ゲーム機は真ん中のキャビネット。ソフトはその下。食べ物は机の傍にある段ボールにいっぱい入ってるから好きなの食べて。ミネラルウォーターと湯沸かし器もその辺にあるから」
「せ、先輩……?」
「この部屋の扉はシュラウド家の人間にしか開けられない。君を連れ出す事は誰にも出来ない。だから、安心して過ごして。大丈夫、そんなに長くはかからないから」
俄然やる気が出てきた、とシュラウド先輩は邪悪な笑みを浮かべた。
もしかして僕は、ブレーキをかけるつもりで、ブレーキをぶっ壊してしまったんじゃなかろうか。
僕が冷や汗をかいている事には全く気づかない様子で、シュラウド先輩の表情はさっきの優しいものに戻る。僕の手を取って、包み込むように握った。
「愛してるよ、ユウ。絶対に幸せにするからね」
熱の籠もった視線を向けられ、何も言えずにいた。それを了解とでも取ったのか、シュラウド先輩は踊り出しそうな勢いで部屋を出ていく。
部屋を出た瞬間に地面に突っ伏しそうなぐらいの黒歴史を今この短い時間に量産した気がするのだが、気にしないであげるのが情けだろうか。多分そう。そんな気がする。