6−2:宙を睨む奈落の王

 ………

「ユウ!!!!」
 障壁の向こう側で、悠の身体がくずおれる様を見たヴィルが悲鳴に近い声を上げた。
 意識を失ったらしい悠はイデアに抱き留められ、そのまま抱えられる。
「イデア!!ユウをどうする気!?答えなさいよ!!!!」
 魔法障壁に殴りかかりながら、ヴィルが力の限り叫ぶ。
「その子に何かしたら承知しないわよ!!」
 それまで無反応に悠を運んでいたイデアが、この言葉に足を止めた。静かに顔だけ振り返ったかと思えば、鋭くヴィルを睨みつける。
 憎悪と殺気の込められた視線に、ヴィルだけでなく、その近くで障壁を破ろうと四苦八苦していた面々も動きを止めた。抗議の声すら出なくなる。
 沈黙は長く続かない。
 イデアは視線を逸らし、『タルタロス』へ続く扉へと歩き出した。足音が扉の向こうに消え、扉は再び閉ざされる。
「……ユウが、さらわれた……!?」
「おい、オルト!どうせ見てやがるんだろ!てめえらどういうつもりだ!!」
 困惑が広がる中で、レオナが声を張り上げる。
 その声に答えるように、空中にオルトの姿が浮かんだ。実体のないホログラムは、いつものように愛想の良い笑顔で面々を見下ろしている。
『どういうつもりも何も、兄さんはお嫁さんを迎えに来ただけだよ』
「お、およめさん!?」
 一部が素っ頓狂な声を上げる一方、リドルは冷静に首を傾げる。
「ユウとイデア先輩の間に婚姻関係の事実があるとは聞いた事がないけど……」
『まぁ確かに今は無いけど、そんなもの後からどうとでもなるし。今の世界は壊れちゃうんだから、既存のルールを守る必要もないしね!』
「……この折りに強硬手段に出たというわけか」
「そんな真似して、タダで済むと思ってるの?」
『やだなぁ、怖い顔』
 ホログラムが楽しそうに肩を揺らす。
『安心してよ、人質にしたわけじゃないから。無事に返して欲しければ何もせず帰れ、なんて言う気はないし、ユウさんに危害は加えないよ』
「その言葉を俺たちが信用すると思ってるのか?」
『信用しなかったら何が出来るの?何もしてこないと油断しきって、「愛しの姫君」も守れなかったくせに』
 オルトの嘲笑にレオナの表情が更に険しくなる。
「……イデアくんは最初に我々を捕らえた後も、ユウくんを気にかけている様子だった。危害を加えるつもりが無い、というのは事実だと思うよ」
「オルトさんは、お兄さんの行動に文句はないんですか?」
『文句?』
「先の話によればあなたたちは『冥府』に封じられたお友達を解放するための作業中なのでしょう?お兄さんがお友達よりもご自身の欲を優先した事に文句は無いんですか?」
 アズールはやや挑発的に言ったが、オルトには全く効いていない。
『ぜんぜん無いよ!だってユウさんと家族になりたいのは僕も一緒だから!』
「…………なんて?」
 理解不能という顔をする面々に対し、オルトは上機嫌に答える。
『ユウさんがね、僕との関係性の定義付けを僕に任せてくれたんだ。「友達」とも迷ったんだけど……ユウさんの事はもっともっと特別大事にしたいなって思って』
「それで、家族?」
『そう!』
 凍り付きそうなほど悪くなった場の空気を物ともせず、オルトは今にも踊り出しそうなほど上機嫌だ。
『兄さんはユウさんの事が大好きだし、兄さんとユウさんが夫婦になったら僕とも家族になれるでしょ?だったら、これぐらいのタイムロスは問題ないよ』
「えっと……ユウクンの気持ちは?」
『ユウさんは兄さんの事を嫌いじゃないって言ってたし、兄さんとの関係について定義付けは兄さんに任せる、って言ってたから問題ないよ!』
「…………あの子、危機意識が低すぎるんじゃない?」
「あの時はまさかこんな事になると思わなかったからね」
 穏やかに返しつつも、ルークの表情は険しい。
「イデアくんほどの人がこんな手段を執るとも思わなかった」
『僕たちは出来る事をしてるだけだよ。ゼロをゼロのままにしないためにね』
 オルトは意地の悪い笑みを浮かべて一行を見下ろす。
『好きな人を見ているだけで幸せだなんて、行動しないための言い訳だ。みんなだってそうでしょ?』
 誰も答えない。
『手を触れて抱きしめて、自分だけを見てくれた方が良いに決まってる』
「……確かに、言い訳かもしれないわね」
「ヴィル」
 穏やかな言葉とは裏腹に、ヴィルの視線は強い敵意でもってオルトのホログラムを睨みつける。
「自分の手で幸せにしてあげたい。自分を選んでほしい。その気持ちは常にある」
『ほらね』
「でもね」
 勝ち誇った表情のオルトが、言葉を遮られて首を傾げた。
「人間には矜持ってものがあるのよ。アタシは自分の幸せにあの子を道連れにするよりも、あの子が自分で夢と幸せを掴めるように守る事を選ぶ」
『強がっちゃって』
「何とでも言いなさい。嘘も貫けば真。崩れぬ虚勢は威厳に至るわ」
 そこまで言って、ヴィルは表情を崩した。花すら恥じ入るような余裕の笑みをオルトに向ける。
「もっとも、アンタたちがあの子の夢を教えてもらえる事なんて一生無いでしょうけどね」
『……どういう意味?』
「そのままの意味よ。アタシ、この中では一番ユウの信頼を勝ち得てる自覚があるの。半年近くかかっちゃったわ」
 オルトの表情が消えていく。悔しそうに顔を歪めるでもなく、ただ無機質な目で女王を見下ろしていた。
「アタシがアンタたちを殴りに行くまでの間に堕ちてくれるほど、あの子は易くないわよ」
『……アドバイスとして受け取っておくよ』
 いつになく冷たいオルトの声を合図に、閉ざされていた『タルタロス』への扉が開く。流れ込んでくる冷気と瘴気に誰もが顔をしかめた。
『僕たちの居場所はさっきと同じ。「タルタロス」の最下層、「冥府」の門だ。ユウさんも一緒にいると思ってくれていい』
「……厳密には違う場所にいると?」
『耐性の無い人間には酷な環境だからね。さっきも言ったけど、ユウさんに危害を加える気はない。僕たちが悲願を遂げるまで、傷一つつけずに守るよ。大切な「花嫁」なんだから』
 オルトの言葉はいつになく優しい声音だった。状況を考えれば不気味にも聞こえるが、その指摘を誰かがする事はない。
『それじゃあ、せいぜい頑張ってね』
 出てきた時と同じ無邪気な笑みを浮かべ、オルトのホログラムは消えていった。通路を塞いだ魔法障壁ももう無い。
 しばらく沈黙が流れた。
「……コレーとペルセポネ、か」
 レオナの呟きに視線が集まるが、当人はそれを完全に無視した。
「で、急に人員が減っちまったが、編成の変更は必要か?」
「必要ないわ」
 ヴィルはきっぱりと言い切る。他のメンバーも異論はない。
「条件は変わらない。一番最初に『冥府』に着いた奴が、誰にも邪魔されずにイデアをボコれるっていう部分もね」
「ユウの救出もしなくては。……無事だといいのですが」
 心配そうな表情のリドルに対し、レオナは肩を竦める。
「どうだろうな。モタモタしてたら俺たちが着く前に、カイワレを四つ折りに畳んで自力で逃げてくるかもしれねえ」
「……否定できないな」
「フィジカルなら圧倒的にイデアさんよりユウさんの方が強いですからね」
「だが、魔法を使われればユウくんの方が分が悪い事に変わりはない。やはり救出は急いだ方がいいだろう」
 誰とも無く顔を見合わせ、特に合図をする事も無く『タルタロス』の門をくぐる。最低限の照明しかない薄暗い通路を下り、分岐でそれぞれの目的地へと分かれて進んだ。
 誰一人迷いなく足は進む。
 それぞれの想いを胸に抱え、『世界』の命運を賭けた戦いが始まった。


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