6−2:宙を睨む奈落の王
既存の世界を壊し、ファントムと人間が共存する世界を作る。
オルトはそう語り、『嘆きの島』を乗っ取った。
伝承の通りシュラウド家は『嘆きの島の番人』として、オーバーブロットの化身であるファントムを管理する責務を与えられていた。
ファントムは通常オーバーブロットした魔法士から発生し、魔法士の魔力を食らい尽くすと、人に危害を加えるファントムだけがこの世界に残される。それを回収、収容し管理するのが『嘆きの島の番人』の役割だった。完全な隔離こそが人々の安全を守るための手段であると信じて。
神話の時代から蓄積されたファントムの収容数は一万体を越えており、十二層の三つの塔から成る収容所『タルタロス』だけでなく、さらに最奥の『冥府』と呼ばれる封印の向こう側にも多くのファントムがいると見られ、明確な数はわからない。
彼らの管理を命じられたシュラウド家は、『タルタロス』と『冥府』がある限り、『嘆きの島の番人』であり続けるしかない。
だからオルトはシュラウド先輩と自分を解放するために『嘆きの島』のシステムを乗っ取った。島内の警備システムである『ケルベロス・システム』を停止させ、カローンを操って職員を襲撃。AIである彼からすれば、人間を超越した演算処理や平行した島全体のシステム管理なんて造作も無いようで、最新の魔導工学で便利かつ効率的に作られていた島の全てがオルトに掌握されてしまった。
シュラウド先輩はその初期対応中、オルトを説得するために離脱したらしいが、どうやらオルトの側に寝返り、彼と共に『冥府』にいるらしい。ただ、彼が『冥府』にいるというのはオルトの発言でしかないので、彼が本当に寝返ったのかは定かではない。
ただもし寝返っていたとしたら、シュラウド先輩の頭脳が高性能AIに荷担しているという事で、このハイテク設備満載の島の中だとほぼ詰んでる気がする。
現状システムへの干渉は出来ないけど、データの閲覧などは可能らしい。なので管制室周辺にカローンが接近すれば分かるし、過去の実験のデータを見たりする事は出来るとの事。
一方、僕たちはハント先輩のユニーク魔法で追跡してきた経緯や、外の様子を報告。恐らく外周部には人が残っているだろうが、そこからの脱出は望み薄であろう事もここまでの情報共有で理解できた。
「粗方の事情は理解できた」
キングスカラー先輩が面倒くさそうに言う。それなのに相変わらずハント先輩に厳しい目を向けていた。
「これ見よがしに寮服なんか着せやがって」
「緊急事態だったのでね。他意はないよ」
ハント先輩が涼しい顔で返す。微妙に居心地が悪い。
「ルーク先輩はともかく。……一年生が箒一本で、しかも二人乗りで海を越えるなんて、無謀がすぎる」
ローズハート先輩にぴしゃりと怒られ、エペルと一緒になって小さくなる。バイパー先輩も同調していた。
「こうして無事に合流できたから良かったものの、一歩間違えば大事故になっていたんだぞ」
「う……す、すみません」
思わず謝ると、バイパー先輩は深々と溜め息を吐いた後、僕を見て手招きした。首を傾げつつ駆け寄ると、手を広げて迎えられる。
「……はい?」
「俺に無事を喜ぶハグはくれないのか?」
ちょっと呆然とした。なんというか、いつもの『困らせてやろう』という気配は感じる。恐らく嫌がられる事を想定しての構えだ。
なので抱きついてみる。バイパー先輩の体は一瞬強ばり、すぐに緩んだ。自然に腕が背中に回され、頭を撫でられる。
「ご無事で良かったです」
「うん」
「アジーム先輩の事、任せてくれたのにうまくやれなくてごめんなさい」
「……気にしなくていい。君がああ言ってくれて、俺は嬉しかったよ」
離れると、バイパー先輩の表情はいつもより優しく緩んでいた。もう意地悪な感じはしない。
「カリムくんは今頃、立派に寮長としての勤めを果たしているだろう。安心するといい」
「……そうだといいですがね」
そしてハント先輩の言葉で、バイパー先輩は疲れたような表情に戻り再び溜め息を吐く。多分、戻ってからの事後処理を想像してるんだろうな。従者って大変。
「……ハグにはリラックス効果やストレス解消効果があるとされる」
ローズハート先輩がぽつりと呟いた。
「状況を考えると今のボクたちには必要なものだろう」
「リドルさん!?」
「おいで、ユウ」
実に自然に手を広げられた。素直に小走りに駆け寄って抱きつく。細い体も背中に優しく回される手も、柔らかくて優しい。
「ローズハート先輩も、ご無事で何よりです」
「……うん。君も、何事もなくてよかった」
顔は見えないけど、体が強ばったりしていないからある程度リラックス効果は提供できていると思いたい。
離れると頭を撫でられた。……これなんか僕の動き、ペットの犬みたいだな?まぁでもペットセラピーとかあるからなぁ。先輩が癒されてくれるならなんでもいっか。
「ぼっ、僕も!僕もお願いします!!」
「タコ野郎、お前……」
「先の事を考えれば格好なんかつけていられません!対価は帰ったら幾らでもお支払いしますから!!」
必死すぎる。
全員微妙に離れて立ってるから移動時間が発生するのが億劫だなぁと思いつつ、アーシェングロット先輩に駆け寄る。明らかに所在なさげで緊張しているのを無視して、胴体に抱きついた。
「へぁっ」
緊張して固まる背中を撫でる。速まる心臓の鼓動を聞きながら、少しもたれた。
「もうちょっとお腹の力抜いてください。あと手を背中に」
「は、はい……」
「少し強く抱きしめても大丈夫ですよ。柱にしがみつくぐらいだとあれですけど」
「さっ、さすがにそれは解ります!……こ、これぐらいですか?」
本当にちょっとの誤差みたいなレベルで腕の力が強まった。一方、胴体の強ばりは慣れると少し緩んで、緊張が抜けているのが感じられる。
「……本当に、恐れ知らずな人だ」
「今更ですよ」
「貴方にこうして触れられるのなら、寝返らずに頑張った甲斐がありました」
「……これからも寝返らないでくださいね?」
「勿論」
名残惜しそうに手が離れる。顔を見れば、さっきの緊張した様子はもう無い。僕も笑顔を返した。
そして視線を感じて振り返ると、キングスカラー先輩がいる。何となくみんなの視線もキングスカラー先輩に向いていた。
「……何だ」
「恥ずかしいなら、アタシたちは後ろを向いててあげましょうか?」
「必要ない」
「意地張っちゃって」
うっすら笑っている気配に苦笑しつつ、一応キングスカラー先輩に駆け寄る。
凄く不満げな視線を感じつつも、敢えて明るく切り出す。
「キングスカラー先輩も魔力があったらポムフィオーレだろって思ってたんですよね?」
「突然何だ」
「似合ってますか?」
目の前で一回転してみせる。少しの沈黙を置いて、キングスカラー先輩は微笑んだ。
「ああ。……綺麗だ」
いつもよりずっと優しい目をしている。本当にそう思っているようにしか聞こえない、甘くて静かな声で言われた。
心臓を撃ち抜かれたような衝撃に、思わず顔を覆う。その場にしゃがみこんだ。
「ど、どうしたんだいユウ!?耳まで真っ赤だよ!!??」
「なんでもないですぅぅ……」
複数人の舌打ちが聞こえてきたところで何とか立ち上がって顔を上げた。当の本人はこちらの反応が面白かったのか、さっきと打って変わって機嫌良く笑っている。
「キングスカラー先輩も大した役者ですよね、全くもう」
「生憎、俺はどこぞのスターのような演技は出来ないんだ」
キングスカラー先輩は笑顔のまま、腰掛けていた机から降りて歩いてくる。
「愛しの姫君に会えた喜びでつい本音が出ちまった」
「…………それはどうも」
「これで他のオスの匂いがついてなきゃもっと喜ぶところなんだが」
「そう言われましても」
「俺の事も心配してたのか?」
「そりゃあ、しますよ」
頬を撫でてくる手に触れる。
「あなたが無抵抗で従って、群れまで誰かに預けるなんてただ事じゃないって誰だって思うでしょ」
少しだけ頬をすり寄せる。視線を上げれば少し泣きそうな、穏やかな表情のキングスカラー先輩が見えた。
頬に触れていた手が腰に回され、力強く抱き寄せられる。甘いのにどこか突き放すような、心地よい先輩の匂いでいっぱいになった。暖かい体も頭を撫でてくる手も、守られているようでなんだか安心する。
ほんの短い時間の抱擁を終え、キングスカラー先輩はまた僕の頭を撫でた。
「……で、だ。お前は毛玉を追っかけてここまで来たんだったな」
「は、はい」
「あの毛玉は何でここに連れてこられたんだ?」
質問は管制室内にいた『S.T.Y.X.』職員に投げかけられていた。……今のスキンシップを全部見られていた事にやっと気づいたけどもう遅い。
一方、職員の人たちは冷静だった。子どもたちのじゃれあいなど何とも思わなかったらしい。良かった。
「あの魔獣は『高濃度のブロットが検出された魔獣』として、他の被検体と共に収容を行ったと記録されている」
「でも、魔法に関するテスト結果はどれも並の魔法士以下。隔離棟のドアを破るほどのパワーは一度も計測されていない」
「チーフ、待ってください。確か被検体Fには、一点だけ特記事項があったはず……」
職員の女性が機械を操作し始めた。画面を見ても流れが速すぎて何が書いてあるのかさっぱり解らないけれど、女性は最後に出てきた画面を見て声を上げる。
「ありました、これです」
薄暗い部屋の中で、モニターの光が輝く。専門用語らしき難しい言葉が沢山あって、文字は読めるのに何を書いてあるのか全く解らない。
「被検体Fは、何度テストしてもブロット蓄積値が正確に計測できない状態だったんです」
「どういう事?」
「『S.T.Y.X.』の保有するデータでも同様の事例がヒットせず、精密検査をしても原因は特定に至りませんでした」
それでも調べて解った事はあるという。
グリムには古代魔術が何重にも重ねがけされている事。その効果は特定できなかったものの、条件付けされた状況下でのみ発動する呪い、あるいは祝福の可能性が高いとされた事。
「………呪い」
思わず呟く。
グリムの姿は猫っぽいが、人と同じように話せてルールも頑張れば理解できる。俗っぽい価値観もあるし、ほとんど人とあまり変わらない気持ちで接している自覚はあった。
例えばそういった、人間と接するのに不自由しない部分が、彼にかけられた呪いのせい、という可能性もあるのだろうか。
「……呪いと祝福は、人間が効果によって呼び分けているだけで根本的には同じものよ」
見かねた様子で、シェーンハイト先輩が補足する。
シェーンハイト先輩のユニーク魔法『美しき華の毒』も、手で触れたものに呪いを付与するという効果だが、条件付けによっては『呪い』と言いつつも良い効果をもたらす事も出来る。
「魔法は使う人間の感情一つで、善にも悪にもなるという話ね」
「……感情……」
そんな事を考えるべきではないのに、脳裏に浮かぶ光景がある。
死闘を繰り広げた魔王の最期。
呪い。祝福。
あの女もそんな事を言っていた気がする。……思い出す事を拒絶するように頭が痛む。
『そしてお前は、お前の力の源……あの聖女と同じように、孤独と後悔の最期を迎えるだろう』
思い出してはいけない。
思い出さなくてはいけない。
どちらも同じ強さで頭の中を駆け巡っている。目を背けてはいけないという危機感と、直視してはいけないという忌避感がせめぎ合っていた。
「なぜそんなものをグリムに?」
「さぁ。それこそかけた本人じゃなきゃ解らないんじゃない?」
「本魔獣の健康状態は安定しており、経過観察をしつつ解析する予定だったのですが……」
「あっ!!」
説明してくれる女性の隣で作業していた男性が声を上げた。全員の注目がそちらに集まる。
「『タルタロス』内部の通過センサーに、被検体Fのウェアラブルデバイスの通過ログがあります!」
「……グリムが、『タルタロス』にいる?」
「ログによれば、緊急事態発生直後に『タルタロス』の門をくぐったようです」
「どうやって……そうか!『ケルベロス』が停止して、以降は『タルタロス』への出入りが自由になっているから……」
「しかし、なぜそんなところに?」
「オルトクンが言ってたけど、『タルタロス』って凄く危険なところ……なんだよね」
「ああ。ファントムが一万体以上収容されている収容所だからね」
エペルの呟きに職員が答える。
とても予想がつかない、という顔をしながら少しだけ頭に引っかかっている事もあった。
グリムはファントムの残した『ブロットの結晶』と見られるものを食べた結果、凶暴化したと考えられている。グリムがあの黒い石を食べている時、匂いを嗅いで『美味しそう』だと評価していた。
ファントムが大量にいる場所なら、グリムが彼らの中にあるブロットの結晶の匂いを嗅ぎ取って向かう可能性はゼロではない。
「しかも今は凍結システムがオフにされている。いつファントムたちが動き出してもおかしくない」
もはや一刻の猶予もない。
不意に肩を叩かれる。振り返れば、シェーンハイト先輩がにっこり笑っていた。
「グリムの居場所が判って良かったじゃない。しかも『タルタロス』にいるなら都合がいいわ」
実に頼もしい笑顔のまま、当然という感じで言い切る。
「『冥府』まで降りる途中で、ついでに拾っていくわよ」
この物言いには職員の皆さんもぎょっとしていた。
「む、無茶だ!そんなの危険すぎる!」
「だって、イデアもオルトもそこにいるんでしょう?アイツらの世界リセット計画を止めたいのなら、危険だろうがなんだろうがそこまで行くしかないじゃない」
「……確かに、それしか道はないでしょうが……」
「随分と気軽に言ってくれる……」
先輩たちがちょっとうんざりした顔をしている。気持ちはわからないでもない。
「待ちなさい。君たちはまだ魔法士免許も持っていない学生だろう!?」
職員の男性の一人が声を張り上げる。
「今、この危機的状況に必要なのはアマチュアの魔法士じゃない。プロの魔法機動隊だ。外部からの救援が来るのを待とう!」
冷静で模範的な大人の意見だ。きっとこの判断も間違いではない。
けれどキングスカラー先輩の職員たちに向ける視線は冷たい。
「……『タルタロス』に収容されたファントムの凍結が全て溶けきるまで、あとどれくらいだ?」
「ろ、六時間を切っています」
「その間に外部との通信が復旧し、救援が来る見通しは?」
誰も答えない。……答えられない、と言った方が正しいのかもしれない。
「救援は望み薄、本部に詰めてるのは非力な研究員が大半。頼みの綱のカローン用パワードアーマーも、魔導デバイスも、オルトに乗っ取られて動かせねえ」
扉の向こうで壊れているカローンたちだって、いつまでも壊れたままとは限らない。この施設の設備の全てはオルトの制御下にあるのだから、修理だって不可能じゃないだろう。
そこに更にファントムが加わった状態での籠城戦を、来るかも分からない救援を支えにやるなんてどう足掻いても無理筋だ。食料などの備蓄があったとしても戦力が圧倒的に足りない。
「で、もうどうしようもないから『みんなで震えながら奇跡が起きるようにお祈りしましょう』って?冗談じゃないぜ」
職員たちに一瞬立った大人の矜持は見事に砕け散った。その通りなんだけど、ホント容赦ない。
「確かにボクたちはまだ魔法士免許を持たない学生です。しかし、重大事案発生時においての初動処置については学園で訓練を受けています」
「そして……被検体として連行された俺たちは全員、オーバーブロット経験者だ」
「確かオーバーブロットとは、『魔力保有量が多く実力ある魔法士しか陥らない稀な現象』……でしたよね?」
二年の先輩たちが畳みかける。アーシェングロット先輩などは実ににこやかな顔で職員を見ていた。
「それはつまり、僕たちが非常に有能な魔法士である事の証明だ。そうでしょう?『S.T.Y.X.』の皆さん」
「そ、それは……!」
ブロットを研究する大人たちが、オーバーブロットを起こした被検体たちに言いくるめられている。何とも不思議な光景だが、反論が無いなら僕たちとしてはそれでいい。
「私は『やれるだけのことはやった』と言うためにここまでやってきた。最悪の事態を回避するために、私たちにはまだやれる事があるはずだ」
「僕も、覚悟は出来てます!」
「じゃあ善は急げね」
寮生たちの心強い言葉を受けて、シェーンハイト先輩は笑みを深める。そして僕を振り返った。
「行きましょう、『タルタロス』へ!」
「はい!」
「ま、ま、待つんだ君たち!」
高揚している僕たちに水を差すように、男性職員が立ちはだかった。確か、チーフと呼ばれていた男性だ。
「あら、まだ何か御用?」
「……我々に対抗手段が無い事は認めるが、何もせず黙っている気はない」
「と、いう事は」
「こちらでも抵抗は続けるよ。君達を支援できるようにね」
「それはありがとう。で、引き留めたのはその宣言のためだけ?」
「いいや」
職員の男性は首を横に振り、奥のテーブルに積まれていた黒い機械を持ってきた。太めのストラップがついてる。教科書に載ってた昔の携帯電話みたい。
「こちらから情報を知らせねばならない事もあるだろう。通信機は必要だ」
「通信機?これが?」
「アナログ無線のトランシーバーだよ。館内の通信デバイスと違ってインターネットや中継器を必要としないから、遮蔽物が少ない場所でなら通信が可能なはず」
説明しながら、男性は書類棚の引き出しから地図を取り出した。使い込まれた様子の大きなものと、そのコピーらしき小さめのものが数枚。小さめのものを僕たちに渡して、大きなものを僕たちの近くのテーブルに無造作に広げた。自然とみんながそこに集まる。
「『タルタロス』は三本のタワーからなる巨大地下収容施設で、最下層に近いほど危険なファントムが収容されている」
地図は建物の複雑な構造を解説するためのもののようだが、複雑すぎてまるで分からない。とりあえず現在地である管制室と同じエリアに、タルタロスに降りるための門があり、そこから三つの塔に別れる通路へ続いているようだ。
「中でも特に危険なのは、最下層である第十二層に収容された三体の『タイタンズ』。『神々の時代』に封じられたとされる、『原初のファントム』だ」
強大な力を持つために、収容エリアを分けたという事なのだろう。その下の冥府にも多くのファントムがいて、最強クラスのファントムがその手前にいるのは、当時の封印の都合とかなんだろうな。現代でも『凍らせてしまっておく』しか出来ない状況のワケだし。
「いかに君たちが優秀な魔法士であろうと、『タイタンズ』に特別な武器なしでは太刀打ちできない」
「特別な武器?」
「そう。我々には一応、その備えがある」
答えながら、彼は管制室の一番奥にある机に向かった。下に潜り込みガタガタと何かを動かす音が聞こえたと思うと、立ち上がった彼の手には三本の紐が握られていた。
地図の上にその紐が置かれる。よく見ると紐に付いてる石の先の方に、いかにもどこかに差し込みそうな雰囲気の端子っぽいものが付いてていた。
「このストラップが、特別な武器?」
「正確にはその起動キーだ」
対ファントム用決戦アームズ『雷霆の槍』。
神話の時代、ジュピター家の始祖が『タイタンズ』を封じた際に用いたとされるもので、現在は有事に備え各タワーの六層にある格納庫に一本ずつ安置されているという。
「その起動キーがあれば、格納庫から『雷霆の槍』を持ち出す事ができる。本体に起動キーを差し込めば、使用方法についてはナビシステムがサポートしてくれる」
「昔の武器の割にハイテクなんですね……」
「根幹の部分には手をつけられない代わりに、いじれる部分は常に改修しているんだよ。いざという時に使用方法が複雑で分からない、では困るからね」
「古代の魔法は、現代の技術でも解析出来ないものが多数ある。下手に分解してその神秘と威力を失うより、威力は保ったまま使い勝手だけでも良くしようとした訳だ」
「そういう事だね」
ただ、そんな神秘に満ちた強力な武器にも欠点がある。
単純な話、出力の分、燃費が悪い。
決戦アームズと言うだけあって、『雷霆の槍』は魔力を帯びた強烈な雷撃を放つ事が出来る。その反面、一度使うとエネルギーの再充填に時間がかかる。電力を変換する充填システムが付けてあるので、基本的には嘆きの島の中にある大きめのコンセント的なものに接続すれば補充が出来るらしい。
……このシステムも後付けなら、神話の時代の当時は魔力を直接注いでいた、って事になるんだろうか。凄いと言っていいのか、怖いと思った方がいいのか。
「島内全体が非常電源に切り替わった今、『タルタロス』内でも魔導エネルギーをチャージできる場所が限られているはずだ」
使ったら必ずチャージするのを忘れないでくれ、と男性は念を押した。基本的には各層に備えられた格納庫にそのための電源が用意されているらしい。
「各層の格納庫は有事の避難先となる事も想定されているから、医療品や食料の備蓄もそれぞれに設置されている。遠慮せず使ってほしい」
「勿論、必要に応じて使わせていただくわ。ありがとう」
シェーンハイト先輩が礼を言うと、職員の男性は再び表情を暗くする。
「学生である君達に託すしかない、無力な我々を許してほしい……」
「私たちが『タルタロス』に向かう事に、あなたたちが責任を感じる必要はない」
多分、彼らを慮った訳ではない。事実として、そう思ってるから言っただけ。
さっぱりとした言い切り方が本当に似合う人だ。
「どうやらオルトを焚きつけてしまったのは、アタシみたいだしね」
ぼそっと言った言葉の声音から察するに、責任を感じている部分はあるみたいだけど。
地図の上の起動キーをまとめて掴み、シェーンハイト先輩は不敵に笑う。
「『雷霆の槍』、ありがたく使わせてもらうわ」
「我々もできる事に手を尽くす。……どうか無事で」
見送りの視線を受けながら誰とも無く管制室の出口に向かった。扉の前を塞ぐカローンの残骸を蹴飛ばしつつ避けて通る。
シュラウド先輩が勝てば、ファントムたちが世の中に解き放たれ、この世界は秩序を失う。先輩たちの望みが叶う代わりに、たくさんの人の夢や希望が失われるだろう。
僕があいつらと戦った時と同じなんだ。相手の望みが叶えばこちらの損失が大きい。だから止める。それだけ。
相手の事情は関係ない。
知っても肯定してはいけない。
それは解っているけれど、内心は複雑だった。