1:癇癪女王の迷路庭園




 学園の中には、何区画かに分かれて森がある。景観上残しているであろうものから、果樹など用途があって置いているもの、多分放置しているだけであろうものまで、雰囲気はどれも異なる。
 植物園裏の森は、景観と用途、両方が理由だろう。ガラス張りの温室を囲うような森には、ほとんどの木に何かしらの果実が実っている。木のそばには注意書きがあり、許可無く採集する事が禁じられているため、食べ頃と見られる実もまだ木に残っていた。
「本当にたくさん栗が落ちてるんだゾ!」
 地面を見たグリムがはしゃいでいる。グリムの言うとおり、特徴的なトゲトゲの実がそこかしこに落ちていた。遠目から見るとさほど大きな森ではないのだが、この学園の施設は外観通りの広さじゃない事が多い。この森も見た目通りの広さではないと考えるべきだろう。でなければそこらじゅうに落ちてても、クローバー先輩の指定した数に届きそうにない。そんな無理難題を後輩に与えるとは考えにくい。
「素手で拾うのは無理そうだな。拾ったものをいれるカゴかバケツも欲しい」
「植物園の中にあるんじゃね?」
 エースの提案に乗り、植物園へと足を踏み入れた。ガラス張りの建物はやはり見た目よりも広く、色とりどりの花が咲き普段の生活では見かけないような木がそこかしこに生えている。
「思ったより広いな」
「手分けして管理してる人を探そう」
 自然と三手に分かれて捜索を始める。
 それにしても広い。天井は高いし、木々と土の匂いが濃い。それに外に比べて暖かい。
「なあなあ、コッチにフルーツがたくさんなってる!」
「勝手に取っちゃダメだよ!」
 油断も隙もない。
 思わず声を上げ、駆け寄ろうとした瞬間だった。
「いって!」
「うひゃあ!?」
 声に驚いて飛び退いた。いま何か踏んだ?
 声のした方を見れば、のそりと人が起きあがる所だった。焦げ茶の髪に浅黒い肌。よく見ると瞳孔が縦に長い緑の目。左の目元には目を塞ぐように走る傷跡がある。着ているのは制服……だと思うがとんでもなく着崩しているし、随分と大人びた顔立ちだ。身長も頭一つ高い。間違いなく美形。多分先輩、だと思う。
 青年は己の尾の汚れを払って、こちらを見る。そう。尾。長い尾の先に髪の毛と同じ色の毛がふさふさしている。よく見れば頭には人の物ではない耳がついていた。
「おい、人の尻尾を踏んでおいて詫びもなしか」
「あ、ご、ごごごごめんなさい!気づかなくて……」
「こちとら気分良く昼寝してたトコだってのに、思いっきり尻尾踏みやがって。最悪だ」
 見れば彼の足下にはそこそこ芝生のスペースがある。あるのだが。
 自分は敷かれた道を外れて歩いてはなかった。それにあれだけ長い尻尾なら、あのスペースをはみ出して道に出ていたとしてもおかしくはない。
 これは当たり屋の可能性が出てきたぞ、と警戒心を強める。
「……お前、入学式で鏡に魔法が使えねえって言われてた草食動物か」
「へ、あ、はい」
 そうですけど、と言いかけると、おもむろに顔を近づけてきた。逃げようとした時には肩を掴まれてる。喉笛に牙をかけられたような感覚。
「本当にちっとも魔力の匂いがしねえ」
 緊張と警戒をもって見つめていると、青年は笑いながら手を離した。自分より遙かに弱い者に対する嘲笑だ。膨れる苛立ちを表に出さないよう必死で抑える。
「……無抵抗の相手を傷つけるのは気が進まないんだけどなァ、このレオナ様の尻尾を踏んでおいて、なんにもナシってそりゃねえだろ?」
 言うが早いか、片手で顎を掴んでくる。首が痛い。
 痛みに苦しむ顔で、怒りの視線をごまかす。手を離そうともがくフリをした。
 そのクソ綺麗な鼻っ柱、最高のタイミングでぶち折ってやる。
「気持ちよく寝てた所を起こされて機嫌が悪いんだ。歯の一本も置いてけよ」
 相手が拳を握った瞬間に、自分も相手の手首に添えていた右手を離して拳を握る。
「レオナさーん」
 場違いな誰かの声で、青年の手が止まった。僕も拳を解く。
「もー、やっぱりここにいた。なにじゃれてんスか」
 声の主は、丸い耳を頭に生やした少年だった。大きな垂れ目が特徴的で、耳の大きさも相まって愛嬌がある。自分の知識だと、何の動物かよくわからない。
「……うるせぇのが来た」
「今日は補習の日ッスよ。またフケる気だったんでしょ」
 少年が小言を言い始めると、青年の殺気がどんどん小さくなっていく。顎を掴む手も緩み、ついには下ろされた。
「うるせえな、キャンキャン言うんじゃねえよ」
「オレだって言いたかないッス!やればすぐ終わるんだから、ほら行くッスよ!」
 青年は舌打ちして、少年に引きずられていく。思い出したように僕の方を見た。
「今度俺の縄張りに入るときには気をつけろよ、草食動物ども」
 警告らしい。はーやーくー!と喚く少年がいなければ、もうちょっと格好がついただろう。とはいえ、その姿が見えなくなるまではある程度の緊張感が残っていた。僕が息を吐くのと同時に、グリムの大げさなため息が聞こえる。
「き、緊張したんだゾ。なんなんだあの凄みのある管理人さんは!?」
「……管理人さんではないんじゃない?補習サボってたみたいだし」
「アイツに睨まれたら背中の毛がゾワゾワしたんだゾ」
 グリムは尻尾を抱いて身震いしている。あの怖いもの知らずなグリムでさえこの反応だ。……いや、モンスターだからこその反応かな。
 あの人の頭には獣の耳があったし、尻尾もついてた。動物には詳しくないけど、自分が知る限りで思いつくのはライオンだ。実際にそういう雰囲気があった。弱い獲物に牙を見せる、相手に命の危機を感じさせるその仕草に殺気は無い。戯れだから。
「……悔しい」
「何が?」
「肩掴まれた時、反応遅れた……ぜっっっったいアレで格下だって思われた!くっそ腹立つ!」
 地団駄を踏む僕を見て、グリムが呆れた顔をしていた。
「そんな事で怒るのオマエくらいだゾ……」
 丁度、遠くからエースの声が聞こえた。グリムと一緒に声のする方に行けば、人数分のカゴとトングを持った二人がいる。
「あっちの倉庫にカゴとトングがあったぜ」
「……ふたりともどうかしたのか?」
「当たり屋の被害にあったわ」
「当たり屋?」
「怖い管理人さんの話は栗を拾いながらするんだゾ」
「怖い……管理人?」
 エースとデュースは顔を見合わせ、揃って肩を竦めた。

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