6−1:影闇に揺蕩う悲嘆の暗渠
うきうきとした笑顔は、無線通信の受信音で一気に消沈する。反射的にスマートフォンを懐にしまった。
「はい、こちらイデア・シュラウド」
『所長代理。ケースナンバーLOD−627へ適応される「レテの河」についてのご報告です』
オペレーターが落ち着いた様子で作業報告を読み上げる。全ての準備は滞りなく整い、後は実行を待つだけの状態。
「予定時刻ピッタリ。さすがですわ」
プロらしい仕事ぶりに素直な賞賛を口にしつつ、決定事項を伝える。
「では予定通り『洪水』は」
日付が変わると同時に、と言い掛けた瞬間に視界が真っ暗になった。イデアは目を見開く。
「なんだ!?急に電気が落ちた!?」
叫んだが応える声は無い。
「管制室、応答せよ。管制室?ダメだ、繋がらない」
無線通信は切断されてしまったようだ。扉横につけられた有線の通信機器も全くの無音。当然、電子制御の扉も開かない。
通常、館内で停電が発生した場合、すぐさま非常用電源に切り替わり最低限の設備が動き出すはずだが、数分経ってもどこも反応が無かった。スマートフォンを見れば通信が切断されている。仕方なく、画面の光源を頼りに非常用ドアコックを探した。
「とにかく状況を確認しないと」
程なくドアコックは見つかった。扉に書かれた操作説明の通りに操作し、扉を開くためにドアコックを掴む。
「んぐぐぐぐぐぐ……!おっっも!」
腕の力だけでは全くびくともしない。己の非力を呪うでもなく、イデアは怒りのままに声を張り上げる。
「非常時に使用が想定されてるなら挙動は軽くすべき!改善を要求する!ふんぬっ!」
何とか全体重をかける事でドアコックを動かした。あともう少し体重が軽かったら部屋から出られなかったかもしれない。事が終わったら非常用ドアコックの軽量化案を提出しようと心に決めつつ、やっと廊下に飛び出す。
「オルト!『S.T.Y.X.』本部の非常用電源の確認を!」
イデアは静かな廊下で声を張り上げた。応える声は無い。何度か声をかけたがまるで反応がない。電源が落ちているから、館内の集音マイクも動作していないようだ。
困った、と思った瞬間にけたたましい警報が廊下に鳴り響いた。
『ブロット警報。ブロット警報。館内にてブロット濃度の上昇を確認。所員はただちに緊急配置についてください』
自動的に再生される無機質なアナウンスが繰り返される。
「警報が鳴ったって事は、非常用電源は復旧したな」
ほっと胸を撫で下ろしたものの、それどころじゃない。
ブロット濃度が上昇しているという事は、ブロットを発する存在がいる『タルタロス』か『冥府』で何かトラブルがあったと考えられる。
「『ケルベロス』!島内全域のセキュリティレベルを最高に設定。カローン用パワードアーマーをオートパイロットモードで緊急配備。全『チャリオット』を格納庫から発着ポートへ移動」
再び声を張り上げた。反応がない。
イデアは何度か呼びかけたが、やはり応答は無かった。非常電源に切り替わったのなら、館内のセキュリティに干渉できる集音マイクもセキュリティシステムそのものである『ケルベロス』も動いているはずだ。なのに全く反応がない。
「オルト!応答して、オルト!」
機械かシステムの故障か、ケルベロスの異常か。
どちらか判断をするためにも再びオルトに呼びかけたが、やはり反応はない。
「……クソッ、どうなってんだ!?」
誰もいない廊下で毒づきながら、とにかく現状把握を優先すべきと脳内で結論を出す。いつになく早足で管制室に向かった。
誰ともすれ違わずに目的地に入ったが、そこは廊下の静寂とは比べものにならないほど慌ただしい状態だった。
「『ケルベロス・システム』、完全に沈黙。外部からのコマンドを受け付けません!」
「『タルタロス』凍結維持レベルが低下!第一、第二、第三タワー内、第一層にて、ケージ内の融解開始を確認。各被検体の意識レベル、上昇中です!」
「外部への緊急要請、所長への緊急コール共に応答がありません!賢者の島へ向かったカローン・ヘキサ班とも連絡が途絶えました!外部との通信が全て遮断されています!」
「インビジブル・シールド、緊急解除コード、否認!」
オペレーターたちがそれぞれシステムの現状を確認して結果を叫ぶように報告している。その全ての内容を理解した上で、イデアは呆然とするしかない。
「こ……これは……一体何が起こってんだ?」
「所長代理!『ケルベロス・システム』が全ての機能を停止しています!」
声を聞きつけたオペレーターの責任者が駆け寄ってくる。その内容にイデアは目を剥いた。
「あり得ない!『ケルベロス・システム』の設定を変更するには、シュラウド家の人間の生体認証が必要だ。この島で今その権限を持ってるのは僕だけのはず……なのに、どうしてこんなことに?」
絶対にあり得ない事が目の前で起きている。
混乱する頭を必死で落ち着けて、イデアは前を向く。
「と、とにかく原因究明は後。まずは『ケルベロス』を叩き起こさないと!生体認証で起動できないなら、手動で再起動用のコードを打ち込んでいくしかない」
イデアは猛然と機械の前に向かう。
『……兄さん』
コードを打ち込もうとした瞬間に、スピーカーから声が聞こえて手を止めた。程なくオルトのホログラムが表示され、イデアはそちらに安堵の笑みを向ける。
「オルト!よかった、やっと繋がった。『ケルベロス・システム』が止まってる。復旧に協力して!」
イデアの言葉に、オルトは首を横に振った。
『ごめんね、兄さん。それはできない』
「えっ……?」
予想外の答えに固まるイデアを気にせず、オルトは語り出す。
『僕、たくさん考えたんだ。ゼロをゼロにしないためには、なにをすればいいのか。「やれるだけの事をする」って、どういう事なのかって……』
「オルト?なに言ってんの!?今それどころじゃないって!」
『それでね、さっきやっと最適解を導き出す事が出来たんだ』
空気に不穏が滲む。室内のオペレーターたちも、作業は続けつつ二人の話に耳を傾けていた。
『未来を修正するのが難しいなら、一度全部消して、最初から書きはじめればいい』
プログラムだってそうでしょ?とオルトは無邪気に言う。
『いろんなエンジニアを経由してバグが積み重なったプログラムを地道に修正するより、一から書き直した方が早い。つまり……このバグだらけの世界を、一度リセットして兄さんが新生すればいいんだ!』
「オルト、何を言ってるんだ!?」
本気で困惑の声を上げ、同時にイデアは夕方頃のオルトの様子を思い返す。妙に動作が鈍くなっていた事には気づいていた。
「……やっぱりあの時、AIの演算装置内でバグが発生してたんだ。すぐにメンテしてれば!」
『バグじゃないよ、兄さん。これは僕の「意思」だ』
「違う。お前は……」
即答で否定しておきながら言いよどむ。しかし沈黙は長く続けられない。
「……今のお前は、僕の『弟』を模して作られた自立型AI搭載の魔導ヒューマノイド。お前が『意思』だと思ってるものは、全部プログラムされているんだ……!」
『そうだね。僕は確かに造られた存在だ』
兄の苦悩に満ちた言葉を、弟は涼しい顔で肯定する。
『……でも、知らないの?』
そう言いながら、兄そっくりの悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
『僕を造った兄さんは「異端の天才」と呼ばれた魔導工学の申し子。だから僕はロボットの枠を……プログラムを超える!』
オルトの宣言に続いて、管制室内に警報が響いた。
「『S.T.Y.X.』のメインサーバーが何者かにハッキングを受けています!」
オペレーターが青ざめつつも必死で抵抗する。対抗措置の為の逆探知の結果を見て更に青ざめた。
「これは……ヒューマノイド・ORTHOのAIプログラム!?」
「侵食領域が拡張していきます!防壁『アイギス』、機能しません!」
無秩序に画面が乱れ、オペレーターの操作が空振りに終わった。いま制御できていた権限が、次の瞬間には奪われる。
「『S.T.Y.X.』全システムのコントロールが、ORTHOのAI制御下に切り替わっていきます!」
「嘘だろ!オルトにそんな権限は持たせてない!……僕が止める!」
イデアも操作に加わる。AIを強制停止させるセキュリティコードを打ち込むが、実行を拒否し明らかに不可解なエラーを吐いた。
「なっ!?」
「ORTHO、緊急停止コードを否認。なおも侵食を続けています!」
「『ラケシス』『クロートー』『アトロポス』全サーバーに侵食を確認!」
「あらゆるシステムのアクセスコードが、すべて書き換えられていく……!」
人の手ではAIがプログラムを書き換える速度に追いつけない。
オペレーターたちは絶望の表情で画面を見つめていた。
イデアはまだ諦めない。最終手段は残されている。
「緊急用を含めて、全電源を手動で落として!」
オペレーターたちがコンピューター本体の方へ走った。電源を強制的に停止する操作を行うが、機械は止まらない。
電源を供給するコードを物理的に断つには専用器具が要る。そもそもコードが機械から直接壁の中に埋まっていて、断つ事が出来ない機械も多い。機械ごと壊そうにも、こちらもテロや破壊工作対策で特別頑丈な素材を使用しており、非力な研究員の手ではどうにもできない。
「ダ……ダメです!電源、落ちません!」
「嘘だろ……」
イデアが力なく呟く。その間にもモニターは表示内容をめまぐるしく変え、管理者が書き換えられていく様子を見せつけてくる。
「こ、このままじゃ……『嘆きの島』が全部、乗っ取られる!」
イデアの叫びに応えるように、管制室の全ての画面が消えた。電気も消え、オルトのホログラムだけが勝ち誇った様子で輝いている。
『どう、驚いた?RTSは僕の勝ちだね』
「やめるんだ、オルト。世界を新生するなんて不可能だ!」
『不可能じゃない』
どこか冷たくオルトが言い切る。すぐにいつもの無邪気な笑顔に戻った。
『ヴィル・シェーンハイトさんが言ってたでしょう?小数点以下のパーセンテージでも可能性があるなら、それは「可能」って事なんだ!』
真っ暗な部屋の中、唯一の光が希望を語る。
『新しい世界では、ファントムと既存の生物が共存する事になる。「冥府」と「タルタロス」を解放するんだ。そうなれば世界はブロットで満たされて……ブロットを焼却できる呪いを持つ僕たちが、新しい世界のボスになれる!』
その歪な理想は、その場にいる者の心に恐怖を侵食していく。オペレーターの中には床にくずおれる者もいた。
『そうしたら、「普通」の人みたいに気軽に友達を家に呼べちゃう。一緒にゲームをしたり、映画を見たり……友達が帰る時に記憶をリセットする必要もない。「また遊びに来てね」って言えるよ』
無邪気な少年の声で、幸せな未来の世界を語る。
くだらなくて、傲慢で、彼らが喉から手が出るほど欲しかったであろう『自由』がある世界。
『漫画の続きも、「がけも」のライブも、ゲームも、兄さんが望めばなんだって叶う』
弟は嬉しそうに兄を見た。誰よりも尊敬し、誰よりも愛している大切な人に、最高の笑顔を向ける。
『新しい世界では「兄ちゃん」は全宇宙の支配者で、スーパーヒーローなんだ!』
「『兄ちゃん』……だって!?」
イデアは目を見開く。気づきを自分から否定する。
「……そんな、ありえない!だって、オルトはあの日……!」
そこまで言い掛けて気づく。
「待てよ、『ケルベロス・システム』をシャットダウンできるのは、シュラウド家の遺伝子を持つ者だけ……」
嘆きの島のセキュリティシステムの中枢である『ケルベロス・システム』の重大な変更は、シュラウド家の人間にしか出来ないように設定されている。その認証にはあらゆる生体認証が用いられており、音声もその対象だ。シュラウド家独自の遺伝子情報に反応するように出来ており、いちいち登録をする必要はない。遺伝子情報が確認され、システムに承認されれば、操作が可能となる。
魔導ヒューマノイドであるオルトの音声は、弟の声を元にして作られた合成音声なので、生体認証は反応しない。
仮に誰かが声を模した場合、音がそっくり同じでも遺伝子情報が異なるので、やはり反応しない。
本人の肉声でなければ反応しない。
それはつまり。
「……ほ、本当、に……?」
イデアはホログラムのオルトを見つめる。触れることの出来ない映像に手を伸ばし、唇を震わせる。
「本当に、お前なのか……オルト?」
『そう……「僕」だよ、兄ちゃん。僕があの番犬を眠らせたのさ』
オルトが答えた。その僅かな口調の違いは、イデアの脳に確信をもたらす。
止める声も聞かずにイデアは走り出した。
息が上がって苦しくても足を止める事は出来ない。突き動かされるままに駆け抜け、牢獄の入り口へと辿りつく。
門を潜り複雑な通路を抜けて、洞穴を降りる石段を前にしたその瞬間、見計らったように魔導ビークルが滑り込んできた。イデアの目の前でぴたりと止まる。
乗って、兄ちゃん。
忘れられない声が導く。
疲労と興奮で息を切らし、それを必死で落ち着けながら、イデアはチャリオットに乗り込んだ。チャリオットはすぐに動き出す。まっすぐに牢獄の底へ向かって降りていった。
遙か昔、災厄を封じた亡霊の墓場。
神話時代の遺物。
円形の門は、僅かに開き始めていた。物理的な制御も含め緊急時に使われる機構は何一つ動作した形跡がない。ただそこにあるだけ。
チャリオットは門の真横に止まった。イデアは底に降り立ち、ふらつきながら、まだ開ききらない門扉に膝をつく。
「……オルト、そこにいるの?」
うん。ここだよ、兄ちゃん。
扉の隙間の向こうから、応える声があった。懐かしい声にイデアは思わず目を細める。
あの日からずっと、また会える日を夢見てた。
今度こそ一緒に遠くへ行こう。
嬉しそうな声が陰る。
でも、ごめん。
外に出るには少し時間がかかりそう。
僕、昔に比べて凄く大きくなったから……。
弟は申し訳なさそうに口にした。どこか抑揚の薄い不気味な声だが、それを指摘する者はここにいない。
兄は真剣な表情で門を睨み、愛する弟に言い切った。
「……兄ちゃんに任せとけ」
………