6−1:影闇に揺蕩う悲嘆の暗渠
………
青い炎を揺らして、少年の姿が滑るように廊下を移動する。
時刻は十六時過ぎ。元から施設の大きさに比べて人の数は少ない施設だが、いつにも増して廊下に人の気配は薄い。先ほど実施されたテストの結果を分析するために、スタッフはみんな計器と睨み合っているのだろう。
オルトはどこか虚ろな顔で通路を移動しながら、人間と遜色ない思考回路を忙しなく巡らせていた。
自分は兄のために何が出来るだろう、と。
人間の作り出したモノは、人間の生活をより良くするために存在する。
数多の学習情報の中にあったこの言葉を、オルトは守っている。つまりイデアという人間に作られた自分という存在は、イデアの生活をより良くするために存在すると考えている。人間の理想的な生活習慣や環境の情報に基づき、イデアの生活を修正しようとしているのも、それを全うするためだ。
イデアは、諦めている。
理想的な人間となる事も、未来を夢見る事も、何もかも。
それは『どうにも出来ない事』を理解してしまう天才だからこそ至る無気力だ。
オルトは『そういう思考回路』を彼なりに理解して、イデアが傷つかないように、生命維持に必要だと感じる部分だけは妥協せず、彼に寄り添ってきた。それしか選択肢は無いものだと考えてきた。
けれどここに来て、その計算に変化が訪れている。
イデアの学校の友人を自宅に招く、という『絶対に起こりえない』事が起きたのだ。どんな経緯であれ、そしてイデア的には友人ですらないにしろ、崩れる事のない『絶対』が崩されたのは、オルトの中で揺るぎない事実だ。
その『絶対』を崩した人々の言葉は、オルトの考えに再計算の余地を与えた。
イデアが『どうにも出来ない事』と定義づけた内容の中には、自分が動く事でどうにか出来るものがあったのではないか?
呪いの証である青い炎の髪。ブロットが溜まらない代わりに、平時は魔力を常に消費し続け、魔法士でありながら補助機材を必要とする不自由な体。『嘆きの島の番人』である証のユニーク魔法。
だから、番人の務めを捨て、嘆きの島から出る事は出来ない。
それは勝手な思い込みに過ぎなかったのではないか?
不意に少年の顔が浮かぶ。魔法が使えないのに魔法士養成学校に通う異端の少年。イデアの姿を恐れず、またイデアも緊張せず普通に会話が出来る相手。
話を聞くに、彼はグリムがいるからナイトレイブンカレッジに在籍しているようだ。グリムがいなければ、彼は学校に戻らないと言った。
それはいけない。
だって、彼はイデアにとって特別に大事な人だ。落ち込んでいれば励まし、寝込んだ時には差し入れをする、そんな相手だ。
彼がいなくなったら、イデアは悲しむ。
オルトは知っている。
彼が彼の友達と話している時に、イデアがどこか寂しげにその姿を見ている事。話しかけて仲間に入ればいい、と提案するとイデアは『無理だ』と首を横に振って逃げてしまう事。
イデアが友達になりたいのは『彼』だけ。彼の友達とまで仲良くするつもりはない。
そう理解すればこその『友達になってほしい』という提案だった。結果は望ましいものだったとオルトは分析する。イデアの意識さえ変われば、二人は友人と呼んでもおかしくない関係だと解った。オルトのタスクを達成に導く良い内容だ。
そこでオルトの移動は止まる。目的地に着いたわけではない。ただ計算を優先して移動を止めた。
さっきの提案も、『洪水』が起これば彼の記憶から消えてしまう。
そうしたら、イデアと彼の関係は元のままだ。結局は何も進まない。
『……ユウさんも「S.T.Y.X.」に来てくれないかなぁ』
ナイトレイブンカレッジを出ても構わないなら、ここを拠点にしたって良いはずだ。故郷に帰る手段を探すにしたって、『S.T.Y.X.』なら世界中の文献資料や最新の技術を提供できる。兄は友達を失わないで済む。
彼がナイトレイブンカレッジにいる理由はグリムだ。つまりグリムが嘆きの島に留まり続ければ、彼を『洪水』の対象から除外して、ここに居させる事が出来るのではないだろうか。
でも、グリムの検査結果は『S.T.Y.X.』に留め続けるほどのものではない。環境へのストレスはあるようだし、不明点は多いもののブロット研究に関係するとは思えず、引き留めてまで研究するほどの題材でも無いというのが研究班の見解だ。
イデアもその結論に異論は無い。きっとイデアにとっては『大切な人たちを元の環境に無事に帰す』事が優先事項だ。
全ては『ゼロ』に戻ってしまう。
それがイデアの心からの願いだとして、しかし『生活を良くする』という命題に向けては明らかな後退となってしまう。
『ゼロをゼロのままにしないために、僕が出来る事ってなんだろう……』
少年の呟きは、無機質な廊下で誰にも届かず空しく消えた。……はずだった。
……教えてあげようか。
『誰!?』
集音装置が拾った音の方向にオルトは顔を向けた。そこには誰の姿もない。
拾ったはずの音声データを解析しようとしたけど、聞こえたはずの声は記録されていなかった。
……おいで。
こっちへおいで。
尚も声は続く。質感は少年のものと推測されるが、相変わらずデータに記録されない。
オルトの知能が経路不明の計算を続け、音の聞こえた方角を根拠もなく割り出す。
『……この声……「タルタロス」の方から……?まさか、ファントム……!?』
集音装置にデータが記録されていないのに、音の方角が割り出せるはずがない。それなのにオルトの人工知能は疑義を唱えない。推測は確定事項とされ、声は尚もオルトに聞こえている。
知りたいんでしょう?
君に何ができるか……。
『……知りたい』
オルトは少年の声に応える。
自分を作り出した主のために、やりたい事があるのは事実だ。それを隠すような知恵は今の彼では働かない。
『どうしても変えたいんだ……未来を』
人と遜色ない声で、人間のような言葉を紡ぐ。
なら、もっとこっちへ……おりておいで。
声に誘われるままに、オルトは移動を開始する。武装しなくては近づけない、職員でさえ必要がなければ寄りつかない、嘆きの島の根幹へと近づいていく。
もっともっと……深いところまで……。
先人たちの作り上げた古く深い洞穴を下っていく。
番人が見張らなくてはならない災厄の保管庫を通り抜け、命ある者を拒絶する死の世界へと降りていく。
もっと暗くて、寒い、地の底まで……。
オルトは止まらない。我に返る事などない。一度確定された行動は目的を完遂するか中断の指示があるまで止まらない。その指示を出す者はここにはいない。
目的地に辿りつき、オルトは止まった。『亡霊』を冷凍保管する極低温の保管庫の底は、人間は活動する事が出来ない領域だが、オルトには何の問題もない。
何代も前の番人が築いたであろう古びた建造物。『冥府の門』と呼ばれる最古の保管庫。シュラウド家の人間が嘆きの島を離れられない理由。
『……そこに、いるの?』
うん。君が生まれる前からずっと……。
問いかければ、先ほどから聞こえる少年の声が応えた。相変わらず集音装置の記録は増えないのに、オルトは冥府の門から声がすると認識している。
でも、寂しくなかったよ。
ここにはたくさん友達がいるから。
『友……だち?』
僕は、君に……ううん。
世界中のみんなに、僕たちの友達になってほしいんだ。
そうすれば……この檻はいらなくなる。
兄ちゃんは自由になれる!
『「兄ちゃん」って……君はまさか……っ!』
青い炎を揺らして、少年の姿が滑るように廊下を移動する。
時刻は十六時過ぎ。元から施設の大きさに比べて人の数は少ない施設だが、いつにも増して廊下に人の気配は薄い。先ほど実施されたテストの結果を分析するために、スタッフはみんな計器と睨み合っているのだろう。
オルトはどこか虚ろな顔で通路を移動しながら、人間と遜色ない思考回路を忙しなく巡らせていた。
自分は兄のために何が出来るだろう、と。
人間の作り出したモノは、人間の生活をより良くするために存在する。
数多の学習情報の中にあったこの言葉を、オルトは守っている。つまりイデアという人間に作られた自分という存在は、イデアの生活をより良くするために存在すると考えている。人間の理想的な生活習慣や環境の情報に基づき、イデアの生活を修正しようとしているのも、それを全うするためだ。
イデアは、諦めている。
理想的な人間となる事も、未来を夢見る事も、何もかも。
それは『どうにも出来ない事』を理解してしまう天才だからこそ至る無気力だ。
オルトは『そういう思考回路』を彼なりに理解して、イデアが傷つかないように、生命維持に必要だと感じる部分だけは妥協せず、彼に寄り添ってきた。それしか選択肢は無いものだと考えてきた。
けれどここに来て、その計算に変化が訪れている。
イデアの学校の友人を自宅に招く、という『絶対に起こりえない』事が起きたのだ。どんな経緯であれ、そしてイデア的には友人ですらないにしろ、崩れる事のない『絶対』が崩されたのは、オルトの中で揺るぎない事実だ。
その『絶対』を崩した人々の言葉は、オルトの考えに再計算の余地を与えた。
イデアが『どうにも出来ない事』と定義づけた内容の中には、自分が動く事でどうにか出来るものがあったのではないか?
呪いの証である青い炎の髪。ブロットが溜まらない代わりに、平時は魔力を常に消費し続け、魔法士でありながら補助機材を必要とする不自由な体。『嘆きの島の番人』である証のユニーク魔法。
だから、番人の務めを捨て、嘆きの島から出る事は出来ない。
それは勝手な思い込みに過ぎなかったのではないか?
不意に少年の顔が浮かぶ。魔法が使えないのに魔法士養成学校に通う異端の少年。イデアの姿を恐れず、またイデアも緊張せず普通に会話が出来る相手。
話を聞くに、彼はグリムがいるからナイトレイブンカレッジに在籍しているようだ。グリムがいなければ、彼は学校に戻らないと言った。
それはいけない。
だって、彼はイデアにとって特別に大事な人だ。落ち込んでいれば励まし、寝込んだ時には差し入れをする、そんな相手だ。
彼がいなくなったら、イデアは悲しむ。
オルトは知っている。
彼が彼の友達と話している時に、イデアがどこか寂しげにその姿を見ている事。話しかけて仲間に入ればいい、と提案するとイデアは『無理だ』と首を横に振って逃げてしまう事。
イデアが友達になりたいのは『彼』だけ。彼の友達とまで仲良くするつもりはない。
そう理解すればこその『友達になってほしい』という提案だった。結果は望ましいものだったとオルトは分析する。イデアの意識さえ変われば、二人は友人と呼んでもおかしくない関係だと解った。オルトのタスクを達成に導く良い内容だ。
そこでオルトの移動は止まる。目的地に着いたわけではない。ただ計算を優先して移動を止めた。
さっきの提案も、『洪水』が起これば彼の記憶から消えてしまう。
そうしたら、イデアと彼の関係は元のままだ。結局は何も進まない。
『……ユウさんも「S.T.Y.X.」に来てくれないかなぁ』
ナイトレイブンカレッジを出ても構わないなら、ここを拠点にしたって良いはずだ。故郷に帰る手段を探すにしたって、『S.T.Y.X.』なら世界中の文献資料や最新の技術を提供できる。兄は友達を失わないで済む。
彼がナイトレイブンカレッジにいる理由はグリムだ。つまりグリムが嘆きの島に留まり続ければ、彼を『洪水』の対象から除外して、ここに居させる事が出来るのではないだろうか。
でも、グリムの検査結果は『S.T.Y.X.』に留め続けるほどのものではない。環境へのストレスはあるようだし、不明点は多いもののブロット研究に関係するとは思えず、引き留めてまで研究するほどの題材でも無いというのが研究班の見解だ。
イデアもその結論に異論は無い。きっとイデアにとっては『大切な人たちを元の環境に無事に帰す』事が優先事項だ。
全ては『ゼロ』に戻ってしまう。
それがイデアの心からの願いだとして、しかし『生活を良くする』という命題に向けては明らかな後退となってしまう。
『ゼロをゼロのままにしないために、僕が出来る事ってなんだろう……』
少年の呟きは、無機質な廊下で誰にも届かず空しく消えた。……はずだった。
……教えてあげようか。
『誰!?』
集音装置が拾った音の方向にオルトは顔を向けた。そこには誰の姿もない。
拾ったはずの音声データを解析しようとしたけど、聞こえたはずの声は記録されていなかった。
……おいで。
こっちへおいで。
尚も声は続く。質感は少年のものと推測されるが、相変わらずデータに記録されない。
オルトの知能が経路不明の計算を続け、音の聞こえた方角を根拠もなく割り出す。
『……この声……「タルタロス」の方から……?まさか、ファントム……!?』
集音装置にデータが記録されていないのに、音の方角が割り出せるはずがない。それなのにオルトの人工知能は疑義を唱えない。推測は確定事項とされ、声は尚もオルトに聞こえている。
知りたいんでしょう?
君に何ができるか……。
『……知りたい』
オルトは少年の声に応える。
自分を作り出した主のために、やりたい事があるのは事実だ。それを隠すような知恵は今の彼では働かない。
『どうしても変えたいんだ……未来を』
人と遜色ない声で、人間のような言葉を紡ぐ。
なら、もっとこっちへ……おりておいで。
声に誘われるままに、オルトは移動を開始する。武装しなくては近づけない、職員でさえ必要がなければ寄りつかない、嘆きの島の根幹へと近づいていく。
もっともっと……深いところまで……。
先人たちの作り上げた古く深い洞穴を下っていく。
番人が見張らなくてはならない災厄の保管庫を通り抜け、命ある者を拒絶する死の世界へと降りていく。
もっと暗くて、寒い、地の底まで……。
オルトは止まらない。我に返る事などない。一度確定された行動は目的を完遂するか中断の指示があるまで止まらない。その指示を出す者はここにはいない。
目的地に辿りつき、オルトは止まった。『亡霊』を冷凍保管する極低温の保管庫の底は、人間は活動する事が出来ない領域だが、オルトには何の問題もない。
何代も前の番人が築いたであろう古びた建造物。『冥府の門』と呼ばれる最古の保管庫。シュラウド家の人間が嘆きの島を離れられない理由。
『……そこに、いるの?』
うん。君が生まれる前からずっと……。
問いかければ、先ほどから聞こえる少年の声が応えた。相変わらず集音装置の記録は増えないのに、オルトは冥府の門から声がすると認識している。
でも、寂しくなかったよ。
ここにはたくさん友達がいるから。
『友……だち?』
僕は、君に……ううん。
世界中のみんなに、僕たちの友達になってほしいんだ。
そうすれば……この檻はいらなくなる。
兄ちゃんは自由になれる!
『「兄ちゃん」って……君はまさか……っ!』