6−1:影闇に揺蕩う悲嘆の暗渠


 エペルは疲れた様子ながらも、励ますように僕の腕を掴んだ。特に反応もせず、引っ張られるまま従って歩く。
 ポムフィオーレ寮に繋がる鏡の前に着いたところで、突然鏡の方から誰かが飛び出してエペルにぶつかった。
「うわっ!?」
「ノンッ!」
 ふっとばされたエペルを思わず受け止める。次の瞬間、砂糖菓子のように甘やかな少年が豹変し、殺気に満ちた視線をぶつかってきた相手に向けた。
「だいだ、急に鏡がら飛び出してきたのは!危ねべな!」
「すまない、ムシュー・姫林檎」
 そうして返ってきたのは聞き慣れた声だった。瞬時にエペルの殺気が消える。
「先を急いでいて……怪我はないかい?」
「なんだ、ルークサンか……」
 ハント先輩は心配の言葉と共に優雅に手を差し伸べてくる。しかし何だかちょっといつもと違う雰囲気だ。
「珍しいですね、前もろくに見ないほど慌ててるなんて。……どこか出かけるんですか?」
 エペルはハント先輩の大荷物に視線を向けながら言った。箒も持っている。何か荷物運びでも頼まれたのだろうか、と思ったけど、今の状況で?という疑問もある。
「そうなんだ。しばらく学園には戻れないかもしれないけれど……どうか元気で」
「えっ!?しばらく戻れないって、どういうこと?一体どこに行くつもりです!?」
「嘆きの島さ!」
 即答されたが、すぐには話が繋がらない。エペルも首を傾げていたが、すぐにはっとした顔になった。
「ちょっと待ってけ!まさが今がらヴィルサンだぢっと追っかげる気ですか!?」
 ハント先輩は肯定を返す。
 つまり『嘆きの島』が、グリムと先輩たちが連れて行かれた場所。ハント先輩はそこに向かおうとしている。
 後輩たちの戸惑いを前にして、ハント先輩は珍しく厳しい表情だ。
「危険は承知の上だよ。だが、どうか止めないでくれたまえ。私は寮に戻り、恐ろしい事実に気がついてしまったのさ」
「お……恐ろしい事実って……!?」
「囚われた時に、ヴィルがスキンケア用品を何一つ所持していなかった事に!!」
 人気のない鏡舎の時間が止まる。呆然とする僕たちとは対照的に、ハント先輩は真剣な表情を全く崩さなかった。
「……はい?」
「季節の変わり目は肌が揺らぎやすい。特に乾燥は美肌の大敵。適切なケアを怠れば、すぐに額や顎に禁断の赤き果実が実るだろう」
「禁断の赤き果実って……?」
「ニキビ……それは若さの象徴であり、チャーミングでもある。しかし……ヴィルは来週、雑誌のカヴァー撮影が控えているからね」
 シェーンハイト先輩の顔を思い浮かべたのだろう。表情が少しだけ緩んだ。
「『撮影には万全なコンディションで』が彼の美学だ」
「そんな事気にしてる場合ですか?」
「撮影もなんも、まず戻ってこられるがどがもわがんねのに……!っつが、あんた副寮長だべ!?寮あげだらまねべよ!」
 思わずツッコミを入れると、エペルも怒りをぶつけた。何を言ってるかよくわかんないけど、多分至極まっとうな抗議をしてると思う。
 しかしハント先輩の決意は揺るがない。
「私はポムフィオーレ副寮長である前に、美を求め、美を助く事を人生のテーマとする『愛の狩人』……今まさに損なわれようとしている『美』を見過ごすことはできない!!」
 いや、なんか自分の世界に入ってしまっている。この緊急事態に。みんな学校が襲撃されるなんて恐ろしい状況に怯えたりなんだりいろいろ悩んでるのに。
 悪い人じゃないのは解ってる。解ってるけど、ツッコミどころが多すぎる。
「ゆえに私は、我が友の美を守るために今……旅立つ!!」
「いや、そういう事を言ってるんじゃなくて……!」
「だいたい、あんな怪しい連中の本拠地?が箒一本で行けるような場所にあるんですか?」
 確かに連中は乗り物に乗ってきたけど、見た目は板一枚。侵入してきた人数は多いし、連れ去った人数も一人や二人じゃない。あの見た目で人を抱えたまま長距離を飛び回るなんて目立つ事をしたら目撃者も出てくるだろう。
 そんな情報があったら先生たちは『どうにか出来ないか考える』なんて暢気な事を言わずに乗り込んでるはずだ。
 少なくとも、生徒たちより遙かに優れた魔法士であろう先生たちでさえ、即座に対処できないような状況にある事は間違いない。
 僕の疑問を受けてハント先輩は目を細めた。
「嘆きの島の所在地は神秘のヴェールに包まれている……でも、心配はご無用さ」
 言葉は確信に満ちている。いつも朗々とした言葉を吐き不安と縁もゆかりも無さそうな人だけど、今日は一層鋭いものを感じた。
「私にはヴィルたちがどこにいるのか、『視える』からね」
 穏やかな言葉とは裏腹に、『絶対に一矢報いてやる』という冷たい怒りを含んでいる気がする。
 ……それが出来る根拠を、ハント先輩は握っているのだ。
「視える?それってどういう……」
「ああ……刻一刻と日没が迫っている。名残惜しいが、私は行かねばならない」
 話を一方的に終わらせて、ハント先輩は足早に鏡舎を出ていった。慌てて追いかけたけど、既に飛び立った後で、あっという間にその影は小さくなっていく。
「ま、待ってくださいルークサン!ルークサーーーーン!!!!行っちまった……」
 辺りが静まりかえる。人の気配はない。
「嘆きの島って、ヴィルサンたちをさらった鎧の奴らがウジャウジャいるの、かな。いくらルークサンでも一人で乗り込むなんて、絶対危ないよ……。どうしよう、先生に報告……いや、その前に追いかけて止めた方が……駄目だ、クルーウェル先生は大人しくしてろって……でも、ううっ……」
 ぶつぶつと呟いていたエペルが、そこで俯いて固まる。励ます言葉でもかけようかと思った瞬間。
「うあああぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!!」
 雄叫びが辺りに響いた。固まってる僕の前で、エペルは声を張り上げる。
「わいーーは!ごちゃごちゃ考えでもしかだね!こったの、じっとしていらいねじゃ!」
 相変わらず何を言ってるのかよく分からない。でも何かの決意は決まったらしい。僕の方を振り返った。
「俺、ルークサンを追いかける!」
「えっ」
「やっぱり俺、誰かがなんとかしてくれるのを眠って待ってるだけなんて……嫌だ!ユウだってそうだろ!!」
 強い言葉に射抜かれてはっとする。
 ……そりゃ確かに、何も進展が無ければ抜け出して探しに行こうとはうっすら考えていたけど。
 あまりに早すぎる。
 でも、ハント先輩がさらわれたみんなの位置を知っているというのなら、大人の対応を待つ必要がない。現状、助けに行きたくても行けない最大の理由はそこだから。
 だけど。
 固定されている自分の両手を見る。
 今の自分の力ではあの連中に勝てない。行ってもきっと足手まといになる。
「わかってる。俺たちが行ったって、足手まといになるだけかもしれない」
 まるで見透かしたようなタイミングで言われたから、思わず息を飲んだ。普段はキラキラしているばかりの水色の目が、強い怒りを含んで僕を睨んでいる。
「でも、お前だって相棒とダチがやられたのに黙ってらんないだろ!お前の『力』は大切な人たちを守るためにあるって言ってたじゃんか!!」
 エペルの言葉がぐさりと心に刺さる。同時に、心にかかっていた霧が吹き飛ばされたような感覚があった。
 強化装備の無い僕に誰かを助ける事なんて出来ないと思う。事実、ここに来てから僕が出来た事なんて大して無い。
 だけど、強化装備が無い事は、動き出さない理由にはならない。誰かを助けたいと思う気持ちを、弱さを理由に塞ぎたくない。
 悲しい事が続いて、いつの間にか臆病になっていた。
 だけど、出来る事が無いなんて、まだ決まってない。
「また失敗するかもしれない、けど。……可能性があるなら、このままで終わりたくない」
 僕がどうにか言葉にすると、エペルは力強く頷いた。
「やられっぱなしでいるなんて、ナイトレイブンカレッジ生じゃねえ!!」
 内容には苦笑するけど、気持ちは分からなくもない。
「行こう、ユウ!」
「うん!!」
 グリムも先輩たちも、きっと助けてみせる。
 だから、どうか無事でいて。

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