6−1:影闇に揺蕩う悲嘆の暗渠


 僕たちが負傷者を外に運び出した頃には、学園中が大騒ぎになっていた。学校の結界が破られ、侵入者が暴れ、生徒がさらわれているのだから当たり前だけど。
 警戒と状況把握のために様子を見に来てくれた人たちが、負傷者を運ぶのも手伝ってくれた。比較的迅速に、保健室で手当を受けられたとは思う。でもみんなの意識が戻る気配はなかった。
 天井が崩れた範囲はまさに僕がいた真上で、エースとデュースは僕を庇おうとしなければ難を逃れていただろう。
 僕が間抜けだったせいだ。
 右手はなまじ力を入れて装甲を殴っていたために、骨にヒビが入っている、最悪折れている、と先生に言われた。左手は利き手じゃないからそこまでじゃないけど、その寸前ぐらいとの事。床板に嵌まっていた足も捻っていたし、ハント先輩の防壁と二人の身体に守られたとはいえ、瓦礫に押しつぶされたために身体のそこかしこが痛む。
 保健室の中は静かだ。一通り来訪者の手当を終えると、先生は生徒たちの様子を見るために校内を回ってくると言っていなくなってしまった。扉に何か掲示しているのか、人の気配が部屋の前に来ても中には入ってこない。それが助かるのか助かっていないのかはよくわからない。
 寮長と副寮長は学園長室に集まるように連絡があり、ハント先輩とアジーム先輩は行ってしまった。
「……グリム……」
 檻の中に入れられたグリムの姿を思い出す。いつものグリムだったのは間違いない。
 ずっと学校の中にいたんだ。全然知らなかった。学園長も捕まらないし。
 諦めずに探しておけばよかったのかな。そうしたら、グリムは助けられたのだろうか。
 唐突に保健室の扉が開いた。思わず振り返ると、見慣れたシルエットが近づいてくる。
「クルーウェル先生」
「トラッポラとスペードの様子はどうだ」
 首を横に振ると、そうか、と短く返ってきた。いつも自信に満ちた高らかな足音が、今日はどこか力ない。
 先生は二人の寝顔を覗いた後、僕の座っている椅子の隣に立った。また部屋の中が静かになる。
「……よくやった、と褒めてやる事は出来ないが」
 先生がぽつりと呟く。
「命が助かったのは幸運に間違いない」
 それはそう、だと思う。ハント先輩の防壁が無ければもっと危なかった。
「……攻撃を受けた時、一年生はあの場から離れる事を優先するべきでした。そう動いてました。途中まで」
 先輩たちが倒れて、グリムの声が聞こえて、完全に我を忘れてしまった。
 失いたくない気持ちが焦って、今の自分に何も無い事を見ないフリした。
 その結果、大切な人たちは守れず、怪我をしなくてよかった友達を負傷させてしまった。
「僕がみんなを誘導するべきだった。早く外に出ようって。それが出来なくちゃいけなかったのに」
 戦闘で建物が壊れる可能性だって気づく機会が無かったワケじゃない。交戦開始直後からほぼ絶え間なく瓦礫は降り注いでいた。何より、半年もの間オンボロ寮に住んでいる自分が一番、その可能性に気づくべきだった。
「僕のせいです」
 悔しくて腹の奥が痛む。視界が歪む。
 拳を握りしめたくても、固定されてるし力が入らない。唇を噛んでも涙を止められない。
「僕がちゃんとしていれば、みんなに怪我をさせずに済んだのに」
 本当に疫病神だ。何の役にも立てていない。『VDC』の時も、今も、これまでだってずっと。何かに巻き込まれても、誰かが助けてくれていただけ。僕は何もしていない。
 オンボロ寮だって壊れてしまったし、きっともうここにはいられない。グリムがいなくなってしまったのなら、いる意味も無い。
「……俺はお前を買いかぶっていたようだ」
 ぽつりとクルーウェル先生が呟く。感情が無く平坦な声音は冷たい。その冷たさに傷つく権利なんか僕には無いけど。
「お前は従順で賢い仔犬だと思っていた。状況に順応しつつも気軽な迎合はせず、己の為すべき事を見つけては全うできるのだと」
「……出来が悪くてすみません」
「違う。これは飼い主である俺の落ち度だ」
 イヤにきっぱりと言われたけど、怖くて顔は見られない。
「故郷から引き離された仔犬のケアを怠った俺が悪い」
 すぐには話が飲み込めなかった。先生は尚も続ける。
「知らぬ土地に連れてこられ、全く縁のない勉強をさせられ、モンスターの世話をさせられ、与えられた仮宿は廃墟。何の不安も感じていなかったらその方がおかしい」
 頭に何か触れた。宥めるように撫でられている。
「仮宿に馴染んだからといって、帰り道の無い恐怖が薄れるものでもないというのに」
 おそるおそる顔をあげれば、クルーウェル先生の表情はいつになく悲しそうだった。心配している、という事だと思うけど。
 先生は僕の正面にしゃがみ込んだ。目を見ながら、改めて頭を撫でられる。
「怖い想いをさせたな」
 怯えている仔犬を安心させようとしている。
 何となくそう思った。頭を撫でるのも目を合わせるのも、動物を宥める時の動きなのだろう。
「お前は俺の預かった仔犬だ。グリムもそう。トラッポラとスペードも、うちのクラスの他の仔犬たちも、等しく」
「……クルーウェル先生」
「お前が故郷に帰れるようになるまで、それは変わらない。こちらの都合で引き入れておきながら、途中で放り出すなど論外だ」
 わずかに感じられた怒りは、誰に向けたものだろうか。その真意を知る事は出来ないけれど、先生が自分に温情を向けてくれている事は理解できた。
「後の事は大人がカタをつける。身体を休めて回復に努めるように」
 僕は頷く事しか出来なかった。それでも先生は優しく目を細め、一層力強く頭を撫でてくる。ちょっと痛い。
「とはいえ、両手がそれではろくに生活できんな。オンボロ寮も人が暮らせる状態ではないし……」
 言い掛けた声を遮るように、扉をノックする音がした。先生が立ち上がりつつ入室を許可すると、失礼します、と低い声がして大柄な少年が顔を出す。
「ハウルか」
「ラギー先輩から、保健室に担ぎ込まれた寮生がいないか見てこいって言われて……って、ユウ、どうしたんだその怪我!?」
「静かに」
 ぴしゃりと怒られて、ジャックが口を閉ざす。心なしか足音を殺して近づいてきた。
「な、何があったっていうんだ」
「侵入者がオンボロ寮で反省会をしていたNRCトライブを襲撃した。シェーンハイトとバイパーが連れ去られている」
「ヴィル先輩が!?」
 ジャックはまた声が大きくなりかけて、クルーウェル先生に睨まれて耳を垂らした。
「それでお前も応戦したって事か」
「まるで歯が立たなかったけどね」
「……一体、どうなってやがる。レオナ先輩も変な連中に連れて行かれたって話だし」
「……キングスカラー先輩が?」
 心の中がざわつく。怪我をしたみんなや連れ去られた先輩たちの事で頭がいっぱいだったから、周りの事は何も知らない。
「侵入者どもは、その他にローズハートとアーシェングロット、シュラウドたちを拐かしていった。……シュラウドは自ら従いアーシェングロットに投降を促した、という情報もあるが」
 背筋が寒くなった。
 シュラウド先輩を除けば、あとはみんなオーバーブロットの経験者だ。そしてグリムは恐らく、彼らのブロットから作られた結晶を食べて凶暴化していた。
 でもそれってつまり、どういう目的になるんだろう。オーバーブロットした魔法士に何か利用価値があるって事?グリムは?
 それにシュラウド先輩も連れて行かれたのはどうしてだろう。先生の言う情報が確かなら、自らついていったって話だけど。
 まだ例の夢を見ていないのは、イグニハイドの『死者の国の王』と、ディアソムニアの『茨の魔女』。
 シュラウド先輩はイグニハイドの寮長。あの石像の男性と同じように、炎を宿した不思議な髪を持っている。
 妙に波立つ胸の内を必死で抑え込む。ただの偶然だ。安易に結びつけてはいけない。
「レオナ先輩も、無抵抗で連れて行かれたらしい」
「……そう、なんだ」
 キングスカラー先輩は頭が切れる。相手の装備を見抜いて抵抗の無駄を悟ったのかもしれない。……違和感はあるけど。
「ハウル。サバナクローの様子はどうだ」
「どう、というと……」
「オンボロ寮が酷い有様でな。ハシバの寝床が要る」
 クルーウェル先生はぽんぽんと僕の頭を叩く。ジャックは僕の様子を見て、眉間に皺を寄せた。
「空き部屋はありますけど……今はやめた方がいいっす」
「ほう。何故」
「うちの寮の連中は、ユウの事をレオナ先輩と肩を並べられる存在だと見てるんで。レオナ先輩がいない今、その分ユウに頼っちまうかもしれない」
「……成る程。キングスカラーがブッチに群れを託しているのに、無用な混乱を招きかねんな」
「だったら、ポムフィオーレに来たらいい、と、思います」
 仕切で見えないベッドの方から声がした。エペルがこちらに歩いてくる。
「歩いて大丈夫?」
「うん、寝てばかりもいられないし」
 そうは言うけど、時折痛そうに顔を歪めている。ますます罪悪感は募る。
「うちは結構個人主義だし。……ヴィルサンなら、困ってるユウクンを放っておくなんて絶対しないと思うから」
「……だな」
 二人して優しい顔で頷くものだから、なんだか所在ない。特にクルーウェル先生も疑問に思わなかったようで、納得したような顔で頷いている。
「そうだな。ポムフィオーレにはハントという副寮長もいる。あれもマイペースだが、頭を欠いた群れの統率に手間取る質でもない」
 クルーウェル先生もハント先輩を評価しているようだ。とりあえず行き先は決まった。
「フェルミエ、身体に違和感はあるか。養護教諭が見て分かる外傷の処置は済ませていると思うが」
「とりあえず……大丈夫、だと思います。ちょっとまだ身体がビリビリする、かな」
 クルーウェル先生がエペルの手を取って、懐から教鞭を取り出す。光の粒が舞い、先生はしばらく無言でエペルの事を見つめていた。
「……対象者の動きを止める魔法か。物理的な衝撃と共に全身を痺れさせるが、命に関わるような影響は及ぼせない。残っている痺れも、時間と共に薄れていくだろう」
 侵入者は青い雷撃のような魔法を多用していた。恐らくあれがそうなのだろう。
 エペルは礼を言いながらも、表情を暗くした。
「向こうは動きを止める魔法しか使ってないのに、こっちは手も足も出なかった、って事か」
 何も言えない。装備の差はあったと思うけど、それを覆す方法が思いつかなかったのも事実だし。
「戦った場所が悪かったな」
 クルーウェル先生は、授業中と同じ冷静な声で指摘する。
「あんなボロい建物の中で派手に魔法をぶっ放せばどこかしら壊れるに決まっているだろう。防魔加工が技術として存在していない時代の建物や、安普請の建造物で戦闘となった場合、建物の耐久性には留意する必要がある」
 魔法の撃ち合いとなれば、それを弾いたり防いだりした余波が建物を破壊する。降ってくる瓦礫などを魔法障壁で防ぎながら、目の前の敵と戦う事は一年生には難しい、とクルーウェル先生は解説してくれた。
「だから、ヴィルサンは一年生に『下がってろ』って言ったんだ……」
「突発的に応戦状態に陥った時こそ、冷静な状況判断が大切になる。不利な状況を鑑みて戦う場所を変えるのも判断としては悪くない」
「……失敗しましたけどね」
 僕が呟くと、クルーウェル先生は気にするなと言いたげに頭をぽんぽん叩いてくる。複雑な気分。
「あの時、シェーンハイト先輩は相手に勝てるつもりであの場所での応戦を決めたと思う。でも一撃目を防壁で受けた時に、こっちを見た」
 相手の力を察し、後ろにいる後輩を守りきれるか、といった事を考えたんだろう。多分。
「だからまず、応戦するにしても逃げるにしても、向こうの目的を探ろうと思って。わざと相手にも聞こえるように大声で『一年生とアジーム先輩は外に逃げる』って言ったんだけど」
「あれ、そういう事だったんだ?」
「ああいう悪そうな連中が標的にしそうなのってアジーム先輩じゃん。『逃げるぞ』ってアピールすれば向こうに変化が起きるかなって」
 でも結果は想像とは違った。相手の標的は前面で戦っていたシェーンハイト先輩とバイパー先輩だった。
「あそこで僕たち一年生とアジーム先輩が離脱して、先輩たちが後ろの心配をせずに戦える状況を作りたかったんだけど」
「それより早く、先輩たちがやられちゃったから……」
「……それでも、あの場所に残ったのは完全に悪手だった。先輩たちが勝てない相手に、一年生が勝てるわけないし」
「だからって退がれるわけねえだろ!!」
「ステイ、フェルミエ」
 思わず熱くなった感じのエペルをクルーウェル先生が諫める。
「状況を正しく把握する事は非常時対応において必要なスキル。俺は意地や矜持で命を失う事を肯定する気は無い」
「だけど……!」
「今回は運良く命が助かっただけだ」
 気持ち良いくらいすっぱり言い切られた。
「相手に命を奪う気があれば、今頃は取り返しのつかない事になっていただろう」
 エペルが悔しそうな顔になって俯く。僕も目を伏せる事しか出来ない。
「……わ、こったのばっかだ」
 訛りの強い言葉で呟く。
「負げでばっかで、情げね。ヴィルサンだぢが連れで行がれだのっと、見でるしかできねがった……」
 大きな目にみるみる涙が溜まって溢れ出す。慰めの言葉は浮かばない。きっと悔しい気持ちの理由は同じだから。
「……最初から何でも出来るヤツなんかいねぇよ」
 ぽつりとジャックが呟いた。エペルとほぼ同時に彼の顔を見る。
「先輩たちも、最初から強かったわけじゃねぇだろ。何度も悔しい思いして、歯ァ食いしばって強くなってったんじゃねぇのか?」
 言わんとする事は解る。恐らくは彼なりに励まそうとしている事も。
「あれができなかった、これができなかったって、ヘコんでばっかじゃ何も始まらねぇ。こっから何ができんのか。俺たちに大事なのは、そっちだろ」
 これからの事。
 起きてしまった最悪の事態を、これ以上悪くしない。または、少しでも良い方向に取り戻す。
 落ち込んでいては、そうやって動きだす事もきっと上手くできない。
「だから、いつまでもメソメソしてんじゃねえよ。……うっとおしい」
 最後の方は言葉とは裏腹に、なんだか恥ずかしそうだった。
「ジャッククン……」
「ウェルダン、ハウル。良いアンサーだ」
 エペルは表情を明るくしてジャックを見てるし、クルーウェル先生も満足げに頷いていた。
 これから何が出来るか、か。
 長い目で見れば、負けた経験は次に戦う時に活かされるものだ。決して無駄ではない。
 でも大切なものを失う後悔は、そんなに前向きに捉えられるものだろうか?
 この一度の失敗で、もう二度と会えないかもしれない。
 失う事を繰り返して、別れを飲み込んで強くなった先の未来に、そこまでの価値があるんだろうか?
 それは『何も守れないままただ生き残っただけ』と何が違うの?
「連行された生徒と学園長の身柄については、学園側からも何か出来る事はないか探ってみる」
 クルーウェル先生はいつも通りの声音で言う。それは子どもたちを安心させると同時に『勝手な事をするなよ』と釘を刺す意味もあるのだろう。
 連れていかれた先も分からないのに、僕たちに出来る事があるとは思えないけど。
「フェルミエも、今は身体を休めて回復に努めろ」
「わかりました。僕、もう歩けるので寮に戻ります」
「見たところ保健室にうちの寮生はいないみてぇだし、俺も寮に戻るぜ」
 二人の言葉にクルーウェル先生は頷いた。僕に視線を向けたので、僕も立ち上がる。捻った右足に痛みが走るけど、顔には出さないように努めた。
「ではフェルミエ。ユウの事を頼むぞ」
「はい。クルーウェル先生、エースクンとデュースクンの事、よろしくお願いします」
「言われずとも、二匹とも俺が預かった仔犬だ。しっかり面倒は見る」
 エペルと一緒に頭を下げると、当然とばかりに返された。
「もちろんユウも……グリムもな」
 そして、いつになく暖かい目を向けて言う。と、思ったら瞬時にいつもの厳しい表情に戻った。
「一年A組の生徒は、全てこのクルーウェル様の仔犬だ。なのに……他人が躾けるなど許せない。実に腹が立つ!」
 本気の怒りを感じた。……教師が受け持ちの生徒を傷つけられた事に怒っている、という実に良い場面なんだけど、どうしても単語のせいで違和感が凄い。
「わも……がっぱどきまげる!」
「シット・ダウン!」
 思わずそれに応えてぶち上がった仔犬を、すぐに制した。エペルも我に返り口を噤む。
「いいか、仔犬ども。ここからは大人が対処する。妙な事は考えず、大人しくしていろよ」
「はい!失礼します!」
 従順に返事をして、三人揃って保健室を後にした。
 気づけばもう外は薄暗い。すぐに夜が来る。
 生徒たちは部活や自習を切り上げて寮に帰っているのだろう。校舎内は人の気配が全く無かった。何となくする話も無くて、無言のまま鏡舎に入る。
 鏡舎にも人の気配はない。ジャックがサバナクローの鏡の前でこちらを振り返った。
「じゃあな、二人とも」
「うん、今日はありがと、ジャッククン」
 手を振れば満足そうな笑顔で頷いた。そのまま鏡の向こうに消える。見送ったエペルは小さく息を吐いた。
「長い一日だったね」
「……うん」
 つい数時間前の事が、妙に遠くの出来事のようにも思える。未だに現実が飲み込めていない。
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