6−1:影闇に揺蕩う悲嘆の暗渠
文化祭後の二日間の休みは都合が良かった。ゆっくり眠れたし、ちゃんと学校に向かう準備も万全に出来ている。
食事は食堂に行かなくても済むようにと、アーシェングロット先輩やバイパー先輩が手を尽くしてくれたらしく、明らかに二日間で収まらない量が入っていた。アジーム先輩が持ってきたであろう果物も明らかに一人で食べるのは無理な量だったので、エーデュースやエペルに来てもらって一緒に食べた。
一人で過ごす時間は慣れているし、ゴーストもいるからそこまで一人でもないし、不便な事はなかったけど、何もしていないとグリムの事を考えてしまう。
今どうしているのだろう。お腹を空かせてないか、怒られていないか。
考えても仕方ないのに止まらなくなるから、一生懸命頭から追い出し続けた。
時間が止まってくれない事は、この場合ある種の幸いなのだろう。
いつも通りの時間に教室に入れば、見慣れた顔が出迎える。
「おはよー」
「おはよう、ユウ」
「おはよ」
エースもデュースもいつもの対応だ。定位置に座り授業の準備を進める。
ただクラスメイトは異変に気付いた様子で、何人かは顔を見合わせている。そのうちの一人が近づいてきた。
「おはよう、ハシバ。今日グリムはどうした?」
「おはよう。ちょっと色々あって、いま学園長のトコで診てもらってる」
「そうなのか」
「いつ戻ってくるかはちょっとわかんないけど」
「モンスターも大変なんだな」
そんな他愛ない感じの会話で終わる。エーデュースがちらちらこちらを気にしていたけど、気付かないフリをした。
授業は普通に進んでいく。先生たちは事情を知ってるから、グリムがいない事に触れる事は無い。無いけど、他の生徒に訊かれれば『病欠』と連絡を受けていると答えていた。
寮長が召集された事を知っている生徒もいるだろうけど、知らない、思い当たらない生徒には、グリムが暴れた事を隠し通す方向なのだろう。正直とてもありがたい。もし学園長の温情で戻れる事になった時、暴れた話が広がっていたらまた遠巻きにされてしまうだろうから。
「今日の魔法薬学、B組と合同だって」
「そうなんだ。じゃあ実験かぁ」
実験の授業、グリムは結構楽しみにしてるんだよなぁ。
そんな言葉が頭を過るのを必死で無視する。過剰に反応するのは良くない。
白衣に着替えて魔法薬学室に入れば、人数がいつもの倍でちょっと騒がしい。黒板には『四、五人の班を作って着席しておく事』と書かれていた。
「ユウクン」
声をかけられて振り返れば、エペルとジャックが立っていた。
「よかったら一緒に組まない?丁度五人だし」
「うん、いいよ。エースたちもいい?」
「もちろん。いちいち分かれる必要ないっしょ」
お互い了承して、空いてる机を場所取りして座る。
「グリムはまだ戻ってねえんだな」
「うん。学園長から連絡も来てない」
「早く戻ってくるといいね」
程なくクルーウェル先生が教室に入ってきて、雑談は中断される。今日の実験のポイントや手順、レポートの評価などについて説明された。五人もいるからには工程を手分けするんだけど、それぞれの作業に対する評価も必要でさりげなく面倒くさい。
材料をひとつずつ確認して、手順通りに進めていく。クルーウェル先生が席を外せば、どことなく賑やかさが増した。
「大釜の順番、先に取った方がいいか?」
「間に合わなかったら結局後回しにされちゃうし、準備が出来てからでいいと思う」
「授業だと一斉に使うんだから数増やせばいいのに」
「しょっちゅう使うものでもないからね」
「普段場所を取るから、あまり増やしたくないんだろ」
雑談しながら手も動かす。ジャックもエペルも魔法薬学の成績良いから、いつもよりは安心して進められる。
「今日は静かだと思ったら、うるさいケモノがいないんだな」
妙にわざとらしく大きい声が後ろから聞こえた。確か、そっちの席にはB組のディアソムニア寮の生徒が固まって座っていたと思う。
「いつもこうなら良いのに」
「人間の魔法士養成学校にモンスターが通うなんて無理があるよ。モンスターの学校に通えばいいのに。あるのか知らないけど!」
「それを言うなら、魔法が使えない人間だっているべきじゃないだろ」
分かりやすい嘲笑の気配が後ろからしている。そしてこちらの机の面々が明らかに怒りを見せ始めた。
「相手にしない方がいいよ。喜んじゃうから」
「でも……!」
「ほら、刃物持ってる時にイライラしないの。危ないよ」
材料を刻んでいたエペルが苦虫を噛み潰したような顔をする。
その間にも向こうは調子づいて楽しそうに笑っていた。皆がますます苛立っている。
「一発ぶん殴ってきたらスッキリすると思うんだけど、どう?」
「同感だ」
殺気立ったエペルの発言にデュースが同意を示す。エースもジャックも言葉ですら止めようとしない。
「やめなってば。クルーウェル先生に怒られるよ」
「お前はちょっと我慢しすぎじゃね?」
「まぁ、僕に元々入学資格が無いのは事実だし。学園長が退学って言ったらすぐにでも出て行かなきゃいけない立場なのは今も変わんないよ」
気まずい沈黙が流れる。
「案外そっちの方が好都合かも。帰る方法も探さないといけないし」
「ユウ……」
「グリムも授業には慣れてきたし。逆に、もう僕がいなくてもうまくやっていけるんじゃないかな」
「……それ本気で言ってる?」
「もちろん」
エースたちの意識は僕に集まってるけど、相変わらず後ろは失礼コントで盛り上がっている。いつそっちに皆の意識が向くかと気が気じゃないので、早くクルーウェル先生戻ってきて叱ってくれないかな、と思っていた。
「……お前たち、いい加減にしないか」
そんな中、誰かが後ろの机の連中を諫めた。振り返ると、A組のディアソムニア寮の生徒が、彼らを厳しい目で睨みつけている。
「ハシバもグリムも学園長が認めた立派な生徒だ。愚弄するのは学園長の決定を貶めるのと同じ事だぞ」
「なっ……」
「なんだよお前。お前も『お姫様』に惚れてるのか?」
「他人の善意を色恋に結びつけないと死ぬのか?高尚な茨の魔女の精神に砂をかけるような短絡的な思考回路だ。恥と思った方が良い」
ニヤニヤ笑ってからかっていた生徒が、一転して青ざめた顔になり絶句する。
「ま、魔法が使えない奴が魔法を学んだって意味ないだろうが!」
「それはお前が決める事じゃないだろう。勉学の場で他人の悪口に熱心な人間に、教育の価値を語る資格があるとでも?」
面白いほど綺麗にぶったぎっている。気付けば周囲の他の生徒たちも、クラスにかかわらず非難めいた視線を彼らに向けていた。
「お前たちのような化石並の思想の人間が存在しているとは。同学年の生徒として、同じ寮の人間として恥ずかしいくらいだ」
「お、お前何様のつもりで……!」
「その言葉そっくりそのまま返してやろうか。マレウス様でさえ人間を平等に扱ってくださるというのに、お前たちは何様のつもりだ?」
後ろの机の連中は反論も出来ないらしい。
ふと、どこかの机からくすくすと笑う声が聞こえた。
「あの人たち、人のこと言えるくらい成績いいの?」
「さあ?知らない。目立ってる所見た事ないし」
「ユウさんは体力育成なら学年トップグループだけどなー」
「馬鹿馬鹿しい。人の事を気にしている場合じゃないだろうに」
「そうそう。魔法が使えるってだけで偉くなった気になっちゃダメだよなー」
「使える『だけ』の奴は町中にいくらでもいるんだし」
「魔導工学分野なんか、魔法使えないのに魔法士より魔法に詳しい技術者がゴロゴロいるのに。遅れてるよ」
「こっちは今からインターン見越して苦しんでるのに、授業中に人の悪口言う余裕があるなんて羨ましいね。ディアソムニアはマレウス・ドラコニアが進路の面倒を見てくれるのか?」
「んな訳ないだろ。一緒にしないでくれよ。俺みたいにちゃんとやってる奴だっているから」
魔法薬学室の中にさっきまでの賑わいが戻った。違うのは、聞こえてくる声がところどころ、後ろの机の連中に聞こえよがしに冷たい事。そして今度は後ろの机が静かになった。
黙られても正直居心地は悪いままなんだが、エースたちも殺気が引っ込んだので良しとしよう。
「仔犬ども、何を騒いでいる」
タイミング良くクルーウェル先生が帰ってきた。話していた生徒たちは涼しい顔で黙り、後ろの机の生徒に注意していた生徒は『何でもありません』と言って自分の席に戻っていった。
その後は大きなトラブルもなく実験は進んだ。例の生徒たちが動く度にエーデュースが睨みつけるのは正直どうかと思ったけど、向こうは自分のクラスにも味方がいなかった事にショックを受けたのか大人しい。
かといってA組の他の皆が特に僕たちに声をかける事もない。ただ平穏に授業が進んで、そこそこ良い結果を残しつつ課題を終える事が出来た。
授業終了の鐘が鳴り、先生が部屋を出て行くと生徒たちも脱力する。
「昼飯だ~……っと、ユウは今日どうすんの?」
「ずっと食堂来てなかっただろ?今朝もいなかったし」
「いやー、先輩たちがいっぱいご飯作って冷凍してくれてるんだけど……すっごくいっぱいあってさ……」
多分、いつグリムが戻っても良いように、という配慮もあっての量なのだろう。冷凍しているから日持ちするとは言え、油断すると悪くなってしまいそうで怖いから、なるべく早めに消費したい。
「オレたちも消費に協力しよっか?」
「あーそれ助かる。悪くなったら申し訳ないもん」
「じゃあ、今日はオンボロ寮で昼飯だな」
「ねえ、それ僕も行っていい?」
エペルが後ろから顔を覗かせる。
「いいよ。おいでおいで」
「食堂のご飯、おいしいけど場所取りが忙しないんだよね。ジャッククンもどう?」
「お前が誘うのか。……ユウが良いなら、まぁ付き合ってやってもいい」
「素直じゃねえなぁ、相変わらず」
「うるせえ」
じゃれ合う姿に和みつつ、笑顔を返す。
「もちろん大歓迎だよ。ありがとう」
ジャックは真面目な顔で頷いてたけど、尻尾がご機嫌に揺れている事は言わないでおこう。
……本当は、食事の消費は建前だ。
グリムが帰ってきた時、自分が一番に出迎えてやりたいから、なるべくオンボロ寮にいたいだけ。
今どこにいるのか分からないけど、抜け出したりした場合はオンボロ寮に来るだろうから。……そうであってほしい、という願望も込めているけど。
だって、あの時のままだったら、僕を見ても正気に戻る可能性は低いし。
右手首をさする。もう痛みは無い。
多分、シェーンハイト先輩の魔法薬のおかげだろう。マジフト大会の時の怪我、あっという間に治ったし。凄いよなぁ。
今度作り方教わった方がいいかもしれない。同じ効果が出せるとは思えないけど、ちょっとは怪我するのが怖くなくなる。
次に会った時あの状態なら、少し無理してでも捕まえよう。
次こそは臆さずに立ち向かわなくちゃ。