6−1:影闇に揺蕩う悲嘆の暗渠
誰かの声が聞こえる。
少しずつうるさく感じ始めて、意識が起きている事を自覚した。目を開いてまず窓を見れば、外はもうすっかり暗い。
「あ、起きた?」
エースの声が聞こえてそちらに視線を向けると、昼間にはいなかった人がいた。
「ユウ、大丈夫かい?」
「お見舞いに来たよ~」
ローズハート先輩とダイヤモンド先輩、その後ろにはクローバー先輩もいる。デュースもエースの後ろにいた。
「ええと、ご心配をおかけして申し訳ないです」
「気にしなくて良いよ。起きあがれそうかい?」
ローズハート先輩に言われて、のっそりと身を起こす。まだちょっとぼんやりするけど、昼間に比べると少しは楽になった感じがした。
「だいぶ良くなりました」
「……それなら良かった」
向けられる微笑みが温かくて、どこかくすぐったい。
他の人たちは帰ったようで、もう寮の中は随分静かだ。
「もう大丈夫そうだな」
「うんうん。よかったよかった」
先輩方がベッドに戻った僕の頭を撫でる。困っていると、ローズハート先輩があからさまな咳払いをした。
「それで、なんだけど」
「はい」
「その……えっと、だね……」
なんか凄く言いにくそうにしている。何事なんだ。
「リドルくんからユウちゃんにプレゼントがあるよ!」
「ケイト!!」
ローズハート先輩が顔を赤らめる。ダイヤモンド先輩は涼しい顔だ。
「早くしないと門限超えちゃうでしょ?ほらほら」
「う……ん」
ダイヤモンド先輩に背中を押されてやってきたローズハート先輩は、手に持っていた大きな包みをこちらに押しつけてきた。上半身が軽く隠れるぐらいの大きさがある。
「な、なんですかこれ?」
「ほら、開けて開けて」
促されるままリボンを解いた。魔法がかかっているのかしゅるしゅると袋が縮み、中身だけが膝の上に収まる。
大きなハリネズミのぬいぐるみだ。赤みがかった毛並みは柔らかく、独特の弾力があって抱き心地がいい。
「ぬ、ぬいぐるみ?」
「寮長、これどうしたんですか?」
「他校の展示を見回っている時に見つけてな」
文化祭の展示の中には、手作りの品を販売している部活もある。これは手芸部の作品、という事らしい。生徒の手作りにしてはしっかりしている。普通にお店に売っているものと遜色ない。
「リドルがじっと見てるから欲しいのかと思ったんだけど」
「べ、別にそういうわけじゃ……」
「って言うじゃん?で、よく見たら、グリちゃんと同じぐらいの大きさじゃないかなって気付いて」
「ずっとグリムと一緒に寝てたんなら、傍に何かないと落ち着かないんじゃないかと思ってな」
「でも、こんな大きいの高かったんじゃ……」
「そういうのナシナシ!」
「日頃からうちの後輩たちが世話になってるからな。迷惑料だと思って受け取ってやってくれ」
そう言われても、こっちも割とエーデュースに助けられてるし。なんだか申し訳ない気がする。
「……なら、誕生日プレゼントという事で、どうだろう?」
ローズハート先輩が提案する。先輩たちも明るい顔で頷いた。
「いいじゃんそれで!っていうか、ユウちゃんって誕生日いつ?」
「えー……あー……」
ずっと誰に訊かれてもごまかしてきたのに、どうにも今は頭が働かない。
「九月六日、です」
馬鹿正直に答えてしまった。どんな反応が来るかなんて予想できてたのに。
「マジ!?とっくの昔に過ぎてるじゃん!!」
「入学式の直後じゃないか」
先輩たちが驚きの声を上げる中、エースだけ憮然とした顔になる。
「なんでずっと教えてくれなかったワケ?」
「ちょっといろいろあって」
「ずっとそれじゃん」
「エース、おやめ。ユウが言い出しづらくなるのも無理はないよ」
責める調子のエースをローズハート先輩が諫めた。一応は引っ込んだけど、不服そうな表情は変わらない。
「……僕たちのごたごたに巻き込んでる間に過ぎたって事だもんな」
デュースの一言で、空気がお葬式になる。こっちが申し訳ない気持ちになってきた。
「ええっと、それだけじゃなくて。……僕がいた世界とこっちで、暦に微妙にズレがあるみたいで、……あの時に誕生日って言われても全然そんな気分になれなかったというか」
「暦にズレ?」
「詳しい事が分からないので何とも言えないんですけど、そんな感じだから説明も面倒だし、言わなくていいかなって」
「お前は人の誕生日祝うのに?」
「お祝いは損得勘定でするもんじゃないでしょ」
そうだけど、と言いつつもエースはまだまだ不満げな顔だ。
「……ともかく、誕生日を過ぎてのお祝いになってしまったのは申し訳ない。いずれきちんと祝わせてもらえないかな?」
「大丈夫です気にしないでください」
反射的に言い放ってから後悔する。……体調崩してるとこんなにダメになるもんか。
取り繕うために笑顔を作りローズハート先輩に向けた。
「こんなに立派なプレゼントいただいたのに、この上にお祝いされるのは貰いすぎですよ。ただでさえ、先輩たちには良くして頂いてるのに」
「そんな遠慮しなくても」
「本当に大丈夫ですから。お気持ちだけで嬉しいです」
しょんぼりと落ち込んだ様子のローズハート先輩の後ろで、クローバー先輩とダイヤモンド先輩が顔を見合わせている。エーデュースたちも何も言わない。
「……そろそろ俺たちは帰ろう。無理に今決める事じゃないさ」
「……そう、だね」
クローバー先輩の言葉に、ローズハート先輩が応えて顔を上げる。いつもの表情に戻っていた。
「体調が悪いのに、長居してすまなかったね」
「いえ。……ハリネズミくん、ありがとうございます。大事にしますね」
「そうしてくれると嬉しいな」
やっとローズハート先輩の表情が綻んだ。って暗い顔してたのは僕のせいなんだけど。
クローバー先輩はエーデュースに顔を向ける。
「お前たちはどうする?外泊許可は今からでも出せるけど」
「……ユウが良いなら、僕は残りたいです」
「僕はもう大丈夫だから、帰っていいよ」
少し被せ気味に応えると、エースもデュースも不満そうな顔で僕を見た。
「そんな事言って、また倒れたらどうすんだよ」
「その時はその時だよ。四六時中二人が見張ってるワケにもいかないでしょ?」
「そりゃそうだけど」
「これぐらいの体調不良ならずっと一人でどうにかしてきたし、明日明後日は振替休日だからゆっくり休めるし。一人で問題ないよ」
「でも……」
「お前たち、それぐらいにしときな?」
尚も食い下がろうとするエーデュースを諫めたのは、ダイヤモンド先輩だった。いつもよりちょっと笑顔が冷たい感じがして怖い、とエーデュースも思ったらしく、口を引き結んでいる。
ダイヤモンド先輩は僕を見ると表情を和らげた。ベッドの隣まで来て、僕の頭を抱きしめて撫でる。
「でも困った事があったら絶対にオレたちに言ってね。助けに来るから」
「……ありがとうございます」
丁度良いというか、心地よい体温に包まれて気持ちが緩んだ。身体を離すとダイヤモンド先輩はいつもの笑顔を見せてくれる。
「じゃあ、鍵は閉められる?」
「あ、はい。一緒に降りますね」
先輩を追いかけてベッドから立ち上がる。うっかりハリネズミくんを抱えたままだったが、まあいいかと思ってそのまま抱いて歩いた。グリムよりは遙かに軽いけど、確かにサイズは凄く丁度良い。
「それじゃあ、ボクたちは寮に帰るよ」
「戸締まりはしっかりな」
「何かあったら絶対に連絡しろよ」
「もちろん。いつもありがとう」
憮然としていたエースにそう返すと、ちょっと居心地悪そうな顔をした。なんか可愛い。
「おやすみ、ユウちゃん」
「また学校でな」
「はい、おやすみなさい」
五人は庭を通り過ぎて門を出る時にももう一度振り返り、手を振ってくれた。僕も手を振り返し、適当な所で玄関扉を閉める。鍵を閉めて、自室までに通りすがる電気を消して歩いた。
部屋に入り、まっすぐベッドに向かう。ハリネズミくんをベッドの足下にぶん投げて、自分は枕の方に倒れ込んだ。
「あ~~~~~~…………」
喉から声が漏れる。なんかどっと疲れた。
何気なくごろりと転がれば、ハリネズミくんがこっちを見ていた。手を伸ばして腹の上に乗せて抱きしめる。新品の滑らかな毛並みを撫でていると、体温が無い寂しさがこみ上げてきた。
「…………グリム」
今頃どうしているのだろう。スマホを見ても着信履歴に学園長の名前は無い。専門機関って平日しか動いていないのかもしれないし、もしそうなら時間がかかるのも当然だ。
検査って何をするんだろう。グリムの事、ちゃんと理解してもらえるのだろうか。
我が儘で人のルールには無頓着だし、学校の勉強も実践じゃない所はあまり積極的でもなかったけど、大魔法士になるって夢を追いかけて頑張っていたのは事実だ。助けられた事だって一度や二度じゃない。
今回の事だけで、もし退学させられてしまったら。
自分の不手際が悔やまれる。おまけは僕の方のはずなのに。
ふと思い立って右の手首を見る。包帯が巻かれたままだけど、もう痛みはない。何気なく包帯を解いて、目を見開く。
手首には何の変化もない。爪でひっかいた痕すら存在しなかった。寝間着の袖口には裂けたようなほつれと血の跡が茶色く残っているのに。
まるで何事も無かったかのようだった。グリムの存在自体が夢になってしまったような気味の悪さが腹の中に満ちる。
次にこみ上げてくるのは恐怖だった。
これまでの日々が全部、自分の勘違いだったんじゃないかという、恐怖。
グリムとの日常が嘘だったのではないかという不安が心をかき乱す。寒気で震えが止まらなくて、乱暴に布団をかぶりハリネズミくんも引き込んだ。
ただ抱きしめて、言葉にする事も躊躇わしい恐怖を堪える。
『でも入学してから半年、ユウとコンビでなんだかんだ上手くやってたじゃん。……オレらともさ』
『ああ。他のクラスメイトとも、すっかり打ち解けてた』
ふと、エースとデュースの声が脳裏に蘇る。そこから遡るように、三人と一緒に騒いできた日常が浮かんでは消えていく。それを見ていた人たちの顔だって、なんとなくだけど思い出せた。
…………決して、嘘なんかじゃない。夢でもない。
今ここに無い温もりをちゃんと思い出せる。
ハリネズミくんをぎゅっと抱きしめた。頭の中では思い出の景色が幾つも繰り返し流れている。半年とは思えない濃さの日常。さほど日は経っていないというのに懐かしさが胸に満ちて、不安を押しのけていく。
温かい気持ちに包まれて、いつの間にか意識は眠りに落ちていた。