6−1:影闇に揺蕩う悲嘆の暗渠
うっすらと目を開く。見慣れた木目の天井。
身体を動かそうとするとやけに重い。
「ユウ!!」
近いところで人の声がした。エーデュースとエペルが僕の顔を覗き込んでいる。
「……おはよう、なんでいるの?」
僕が尋ねると三人が同時にずっこけた。
「お前覚えてねーの?昨日の晩に、すげー熱出してぶっ倒れただろ」
「…………ああ」
言われてなんとか思い出した。二人と一緒にグリムを捜しに出た時、いきなり身体がだるくなって頭がぼーっとして上手く歩けなくなって。
「グリムは?」
「……まだ帰ってきてない」
デュースが沈んだ表情で答えた。落胆しつつ、窓を見ればとても明るい。
「……今何時?」
「昼の十二時過ぎ。だいたい十二時間ぶっ倒れてた事になるんじゃね?」
「そっか」
どうにか身を起こす。そこでやっと、額の上のタオルの存在と寝具の変化に気づいた。
「布団変わってる……」
「レオナ先輩とヴィル先輩が寮の備品と取り替えてくれたんだって」
「……そうなんだ」
身体が重いと感じていたのは、体調が悪いだけではなかったようだ。
「具合はどう?なんか食えそう?」
「んー……身体が重い感じ。お腹は……」
タイミング良く、胃がきゅるる、と鳴る。なんだか少し食欲が出てきた。
「おなかすいた」
「あ、誰かの差し入れのゼリー飲料あったよな」
「とりあえずそれで腹抑えにしてもらお。ジャミル先輩に言ったらなんか作ってくれっかな」
「シェーンハイト先輩に連絡もしないと」
「もうしたよ」
「早っ」
「じゃ、オレ下にいる先輩たちに言って、飯の事も聞いてくるわ」
エースが部屋を出ていく。デュースは机の上の紙袋からゼリー飲料と紙切れを持ってきた。
「手紙に名前があるかと思ったけど、書いてないな」
差し出されたノートの切れ端には、特徴的な文字が乱雑に書かれている。端っこの小さく照れくさそうな『お大事に』がとても彼らしい。
「シュラウド先輩だこれ」
「そ、そうなのか?」
「またお礼言いに行かなきゃ」
ゼリー飲料の蓋を開けようとして、包帯に覆われた右手首が目に入る。そういえば動かしてみても全く痛くない。そんなに浅い傷だったっけ。
と、思っていたら扉の外が騒がしくなった。間もなく扉が吹っ飛びそうな勢いで開けられる。
「あ、おはようございます」
なだれ込むように入ってきた先輩たちに挨拶する。僕の様子がお気に召さなかったのか、何人かがその場で膝をつく勢いで脱力していた。
混沌の中でジェイド先輩とフロイド先輩が傍まで歩いてくる。
「おはようございます、ユウさん」
「おはよ、小エビちゃん」
「……なんか、ご迷惑をおかけしたようで申し訳ないです」
「まぁそれはお気になさらず。まだ体調が戻ったとは言えない様子ですし」
「なんか食べれそう?」
「えっと、雑炊とかスープとかなら食べれそうかなぁ、と」
「だってよウミヘビくん」
フロイド先輩の視線の先にはバイパー先輩がいる。やっと脱力から立ち直り、咳払いしてから僕を見た。
「さっき作ったスープがあるから、米を足して雑炊にしようか?」
「是非お願いします」
「じゃあ、ストックの卵と米を使わせてもらうな。少し待っててくれ」
「ありがとうございます」
バイパー先輩が部屋を出ていく。アジーム先輩もベッドに近づいてきた。
「元気になってよかったな、ユウ!」
「皆さんにご迷惑おかけしたみたいで申し訳ないです」
「気にすんなって!困った時はお互い様だろ!」
「朝っぱらから呼び出し食らったし何事かと思いましたけど……まぁ、元気になったなら良かったんじゃないスか」
「食欲もありそうだし、もう問題なさそうだな」
ブッチ先輩はいつもの調子だし、ジャックも心なしか嬉しそうだ。
無言でこちらを見ていたキングスカラー先輩がおもむろに歩いてくる。やんわりと前を塞いだ双子を押し退けて、ベッドの横に立った。
「あ、お布団ありがとうございます。洗ってお返ししますね」
返事はない。無言で手袋を外し額に触れて、そのまま頭を撫でてくる。
「まだ熱あるじゃねえか。メシ来るまで寝てろ」
「え、あの」
「毛布は返さなくていい。そのまま使っとけ」
再度礼を述べたけど反応はない。ブッチ先輩とジャックに視線を向ける。
「うるせえのが来る前に帰るぞ」
「へーい」
「じゃあ、また学校でな、ユウ」
「うん、ジャックもありがとう。おつかれー」
サバナクローの面々が穏やかに帰っていく。入れ替わりにアーシェングロット先輩が近づいてきた。
「その、身体はどうですか?」
「怠くて重い感じはしますけど、起きるのもつらいというほどではないので」
「……良かったです。ずっと目覚めないと聞いていたものですから」
アーシェングロット先輩もほっとしたような笑顔を見せてくれた。この人までこんな顔をするなんて、一体どんだけヤバかったんだろう。
「文化祭は大丈夫ですか?」
「滞りなく盛況ですよ。『VDC』のあった昨日に比べれば穏やかでしょうが」
「ブースの監視は代理の方に頼んでありますから問題ありません」
「ドリンクの販売も運動部の連中が頑張ってるしね」
「そうなんですね」
他愛のない話をしていると、部屋の扉がノックされた。ジェイド先輩が開けに行くと、バイパー先輩が料理の乗ったお盆を手に立っている。
色とりどりの野菜と肉、卵が入った雑炊。見ているだけで食欲が湧く。
小さな器に分けてスプーンと一緒に手渡された。中華スープっぽい感じのいい匂いがする。
「スープもまだあるから、足りなかったら言えよ」
「ありがとうございます!いただきます!」
口いっぱいに広がる見た目通りの旨味。温かくて優しくて、お腹の寂しさが満たされていく。
……のだが、みんなに食べている姿を見られるのはなんだか落ち着かない。
「み、皆さんお昼ご飯は……?」
「君が食べ終わったらサイドストリートに買いに行くよ」
「ええ。食事中に何かあっては困りますし」
「そろそろ交代で食べに行こうとは話してたんだ」
そうは言うものの誰も動かない。僕の状態を心配しての事だとは思うけど、本当に落ち着かない。
…………でも、なんていうか、こういうの久しぶりだ。風邪ひいた時の、レトルトじゃないご飯とか、誰かがタオルや寝具の替えを用意してくれるとか、そういうの。
元の世界では体調を崩しても家に親がいないのが当たり前だし、怜ちゃんが留学してからは一人だし。
申し訳なく思いながらも、少しだけ嬉しい。
小分けにしてもらったものの、結局、器は全て空になった。さすがバイパー先輩。めちゃくちゃおいしい。
「ごちそうさまでした。おいしかったです」
「完食してくれて嬉しいよ」
バイパー先輩に裏の無い笑顔で言われてちょっと恥ずかしい気持ちも湧いた。……病人の割によく食うなとか思われてそう。
食器を片づけてくれたバイパー先輩とそれを追いかけるアジーム先輩を見送る。……さすがに申し訳ない気持ちも大きくなってきた。
「僕はもうあと寝てれば大丈夫だと思うんで、皆さんは文化祭に戻った方が……」
「でも、ぶり返したらまた大変だろ?」
「昨日はオレらがいたから良いけど、誰もいなくなったらマジで一人じゃん。ゴーストもふらふらしてるしさ」
「一人で寝てるだけなら慣れてるし、大丈夫だって」
精一杯笑顔で言うのだが、誰ひとり納得してくれない。困った。
「ほら、ユウクンは気にせず寝てて。談話室だけ使わせてもらうから」
「う、うん。ありがとう」
エペルに肩を押されたので枕に頭を預けて布団に潜り込む。ひんやりした濡れタオルが額を覆った。気持ちいい。
「多分、そろそろヴィルサンたちが来ると思うんで、僕がこのまま見てますから。アズールサンたちもお食事先にどうぞ」
エペルが愛想良く笑うと、アーシェングロット先輩の顔がわずかに引きつった気がした。リーチ先輩たちも顔を見合わせている。
「で、では、僕たちは食事を買いに出ますね」
「すぐ戻ってきますので、何かあればご連絡を」
言いながらオクタヴィネルの三人は部屋を出ていく。
エペルは次にエーデュースを向いた。
「エースクンもデュースクンも、先にどうぞ。ジャミルサンたちにも声かけてあげてね」
「分かった。エペルの分も何か買ってこようか?」
「ううん、僕も二人と交代で買いに行くよ。自分で見て選びたいし」
「りょーかい。じゃあまたな、ユウ」
「僕らの事は気にせず、しっかり休んでくれ」
「そっちこそ、買い物ぐらい楽しんできてね」
二人は手を振って応え、部屋を出て行く。
残ったエペルは小さく息を吐いた。
「……これで邪魔者は消えたと」
「じゃまもの?」
「こっちの話」
可憐な微笑みをこちらに向けてくる。ベッドの横に置かれていた椅子に座って僕を見た。
「昨日の晩から大変だったみたいだよ、ヴィルサンたち」
「シェーンハイト先輩たちも来てくれたの?」
そういえばシェーンハイト先輩も寝具を交換してくれたって話してたっけ。交換された寝具のうち、二枚重ねになってる毛布の片方は確実にポムフィオーレの備品って事か。
「来てくれたも何も、ぶっ倒れた直後から朝までユウクンの面倒見てたのヴィルサンとルークサンだもん」
「そうなの!?」
そして新情報に目を剥く。申し訳なさがこみ上げて止まらない。
シェーンハイト先輩は昨日あんな事があったばかりなのに。
「……僕、迷惑かけてばっかりだ……」
オーバーブロットを止められなかった事だって、悔しくてたまらないというのに。
っていうかちょっと待て。
「シェーンハイト先輩、ここに来るの?」
「目が覚めたら教えてって言われたから、来るつもりだと思うよ」
エペルはにっこりと笑って答える。タイミング良く来客を知らせる玄関のブザーが鳴った。
「ちょっと行ってくるね」
エペルはこちらの反応も見ずにとっとと行ってしまった。
どうしようなんかもう合わせる顔が無い。
いろんな気持ちが浮かんでは消えていくばかりで時間が過ぎていく。そうして考えていると熱が上がったような気がして、とりあえず目を閉じた。
そうだ、このまま寝たフリでもしてようか。そうしよう。それがいい。下手に喋ると何を口走るか分かったもんじゃない。
布団の中で体勢を整えて出来る限りリラックスする。呼吸もゆっくりと落ち着かせた。いっそ本当に寝入ってしまえればいいのに、意識が落ちるより早く部屋の扉が開く音がする。話し声は聞こえない。近づいてくる足音も一人分だ。
心臓がうるさい。本当に熱が上がってるかもしれない。
足音がベッドの真横で止まる。誰かの指が顔にかかっていた髪の毛を払った。化粧品特有のいい匂いがする。
ぎし、とベッドが軋む音がした。傍にいる誰かが顔の横に手をついている。体温が近い。
鼓動の音がさっきより格段に騒がしくなった。
誰かの吐息が顔にかかる。間違いなく、至近距離に顔がある。脳内は大混乱でどうにもならない。
鼻先に何か触れた、と思った瞬間に目を開く。
目の前に宝石のような紫の瞳。ばっちりと目が合うと、嬉しそうに細められた。
「狸寝入りなんて良い度胸じゃない、小ジャガ」
あ、凄い意地悪な笑顔浮かべてるぞこれ。
「お、おはようございます。先輩」
なるべく考えないようにしつつ笑顔を見せた。シェーンハイト先輩は呆れた表情になって身体を離す。
「調子はどう?」
「まだ身体は重い感じですけど、そこまでは」
「そう」
尋ねながらも首筋に触れて、横を向いたせいで落ちていくタオルを拾ってくれる。
「あの、倒れた後、ずっと看病してくれてたって聞いたんですけど」
「ええ、だってアタシのせいかもしれないじゃない」
「…………何で?」
「アンタもブロットの霧を吸い込んだでしょ。その影響ならアタシの責任になる」
何だかピンと来ない。霧の充満している場所から離れたら身体の不調はすぐに抜けたから、そのせいじゃないと思うんだけど。かと言ってうまく説明も出来ない。
「……ご迷惑をおかけして、ごめんなさい」
「謝る事じゃないわ。アタシは自分の責任を果たしただけ」
「僕はもう本当に大丈夫ですから、先輩も休んでください」
「……傍にいちゃダメ?」
少し拗ねたような、いつになく寂しそうな声だった。はっとして顔を見た時には表情は無い。いつもの鋭く冴えた美貌がそこにあるだけ。
「そうよね、アタシから遠ざけたんだもの」
タオルを畳んで額に戻しながら、先輩は小さく呟いた。
何か言わなきゃいけないのに何も言葉が浮かばない。手を伸ばそうと、布団から出す寸前で先輩がベッドから一歩離れた。
「お大事にね」
「……先輩こそ、お大事になさってください」
ありがとうございました、と言うのが精一杯だった。先輩は優しく微笑んで、扉に向かっていく。扉を閉める時にこちらを見たから、小さく手を振って、向こうが少し目を細めてくれた事にほっとして、すぐに扉は閉まった。
部屋の中が静かになる。天井を向いてタオルを直して、少しだけ目にかかるようにずらした。
何を期待していたんだろう。
自分で、諦めるって決めたくせに。
……寝てしまおう。悪い事を考えるのはやめる。
どうせ熱があるからまともに考えられやしないのだから。
妙に熱くなった目を冷やしていれば、いつの間にか意識は眠りに落ちていた。