6−1:影闇に揺蕩う悲嘆の暗渠

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 病人の世話というのは非常に面倒だ。
 食べ物も衣服も気を使い、変な事をしでかさないか見張り、こまめに状態を見ていてやらねばならない。
 もっとも、世話をする人間が多ければその負担は軽減できる。アジームの屋敷にいる時よりは気も楽だ。
 まさか弱っているところに乗じて始末しようとする輩がいる事はないだろうし。
 病人食という事で半分は出来る限り香辛料と油は控えめにしつつ、残り半分は体力が回復している事を想定していつものレシピで量を多めに作る。ユウの体調が戻りきる前にグリムが帰ってきても、食事の用意はこれで事足りるだろう。
 合宿中に見た冷凍庫の大きさなら一週間分ぐらいは入る。少し食べる速度が落ちていたとしても、冷凍保存なら余裕があるし大丈夫だろう。
 一食分ずつ小分けにした容器に料理名のメモをつけ、食べる時の温め方などの注意事項を別紙に書く。袋にまとめて準備完了。
「カリム、果物の用意は出来たか」
「おう、もちろん!」
 元気に応じたカリムは、両手いっぱいの籠にフルーツを山積みにして抱えていた。冷蔵と常温保存の果物がごっちゃになってるし、歩き出したら次の瞬間には雪崩を起こしそうな有様だ。
「…………よし、そのまま絶対に動くなよ」
「わかった!!」
 保存容器をいくつか取り出して、冷蔵での保存に適した果物を移動させ、料理と同じ袋の上に積む。麻布の袋に常温の果物を分けて入れれば、籠の縁の高さより山が小さくなった。
「一旦籠を机に置いて、袋を腕に一つずつ引っかけろ」
「おお、こっちの方が持ちやすいな!ありがとう、ジャミル!」
 いつになく嬉しそうな主人の顔に苛立ちながらも、協力的なだけマシだと自分に言い聞かせる。
 そもそも荷物持ちなどする事の無い身分だ。嫌がってもおかしくないだろうに、カリムは楽しんでいる様子で、都合は良いが気分は良くない。
 施政者が庶民の暮らしに目を向けるのは自らの地位を守るため当然だが、カリムは親戚に王族はいても身分は商人だ。いかに国にとって重要な地位を持っていても、必要なのは物の流れを掴み人を上手く扱う能力であり、自身が労働を体験する必要などありはしない。
 ……やはり全寮制の学校に入れる理由など、アジーム家には無い。
 学園長から何らかのアプローチがあって、カリムの父親が気まぐれに承諾した、と考える方が正しい気がする。あくまでも推測だが。
 思考するにはオンボロ寮までの道のりは短すぎた。鍵などあってないような建物だが、律儀に誰かしらが玄関まで鍵を開けに来る。
「おや、お疲れさまです」
「お、アズール!開けてくれてありがとな!」
 思い切り嫌な顔をしてしまった。アズールは見えていたはずだが、全く表情を変えずに扉を押さえて迎え入れる。
「随分と大荷物ですね」
「一週間分の食事と、果物はカリムが選んだ」
「いっぱいあれば、見舞いに来てるみんなも食べられるだろ?」
 他の奴の事を気にする必要は無いと思うが、自分の金じゃないので指摘は堪えた。
「これは嬉しい。合宿中のデザートも美味しかったですから」
「後でみんなで食べような!」
 主人の脳天気さに苛立ちつつキッチンに入る。
 冷蔵庫の中身は最後に見た時のまま。つまり『VDC』合宿中にヴィル先輩によって持ち込まれた食材の残りはそのままある。脂質の少ない肉類も栄養豊富な野菜類も病人食にはうってつけだ。
 冷蔵庫の隙間に果物を入れ、冷凍庫の中身を整理して料理の保存容器を詰め込む。計算通りきっちりと入った。小さな喜びを胸に抱き、冷蔵庫の扉に注意事項を書いた紙を貼る。
「さて……」
 シンクもコンロ周りも最後に使い終わった後の状態から動かした様子が無い。鍋を取り出しコンロに置く。
「おや、何か作るんですか?」
 はたと気付けばカリムがいない。
「カリムはどうした」
「談話室でお待ちの皆さんにバナナを配りに行かれましたよ」
 いつになく嬉しそうに答えた。またあいつは勝手に……と思いつつ、怒鳴り込みたい気持ちをぐっと堪える。病人の寝ている建物で騒ぎを起こすのは良くない。怒るのはカリムが何かしでかしてからで良い。
 アズールはここにいるし、談話室にはまだレオナ先輩がいる。よほどの事が無い限りおかしな事にはならない、はずだ。多分。
「で、何を作るんですか?」
「……簡単なスープだよ」
 答えながら野菜を刻み肉の下拵えをする。
 濃い味付けを避ければ病人の食事には適しているだろう。汁だけでも身体が暖まるし、米や麺などの主食と合わせれば一食分に足る。それに使える材料がストックされているのは確認済みだ。
 コンロに火をつけて湯を沸かし、具材を入れて簡単に味付けする。もうここでの調理は慣れたものだ。
 オンボロ寮は長らく廃墟だったため、調理設備も元々はかなりお粗末だったらしい。妙に近代的なシンクはユウがやってきた直後にゴーストが廃材を設備管理課から譲り受けて設置したもので、コンロはハーツラビュルからの貰い物だという。それまではその下のかまどが煮炊きの道具として現役だったのだろう。冷蔵庫や電子レンジなどの家電も貰い物だとユウが言っていた。
「ジャミルさんはさすが、手際が良いですね」
 静かだと思えばこれである。無視をしてもいいかと思ったが、煮ている時間は暇だし、そういえば聞きたい事があったと思い出す。
「アズール、聞きたい事がある」
「おや、何でしょう。僕でお力になれる事ならなんなりと」
「俺がオーバーブロットした時、ユウに何の魔法を使った?」
 アズールの顔から笑みが消えた。眼鏡に触れながら、値踏みするような視線をこちらに向ける。
「……質問の意図が分かりかねますが」
「ブロットが人体に有害なのは知ってるだろう?」
「勿論」
「ユウは近接戦闘しか出来ないから、ブロットに触れる可能性は誰よりも高い。俺と戦わせる時に何か対策は取ったか?」
 アズールは少し考えてから、まっすぐにこちらを見た。
「いえ。オクタヴィネルの寮服を着ていましたから多少の防護にはなっていたと思いますが、それ以外は何も」
「そうか」
「正直な事を言えば、あの時はブロットの化身を倒す準備とジャミルさんのユニーク魔法への対策で精一杯でしたからね」
 それ以上の事を考えている余裕は無かった、とアズールは呟く。
「……そうですね。全く考えてなかった。一番に気付くべきだったのに」
 いつもより力なく、しかし悔しそうに呟く。苛立ちを自分に向けているように見えた。
 彼の安全を脅かす可能性への対策が吹っ飛んでいた事がよほど悔しいらしい。
「しかし、どうしてそんな事を?」
「ちょっとした確認だよ。ふと思い立ったものでね」
「……もしかして、ブロットの影響なんですか?彼の高熱」
 意外な所に疑問を向けてくる。だが情報が無いのに否定も出来ない。
「いや、詳しい事は俺も知らない。ヴィル先輩に聞いてみないと何とも」
「そうですか」
 アズールは目を伏せる。きっと頭の中でいろいろと考えているのだろう。
「……何で思いつかなかったんだ。魔法耐性が無い人間なんだから、当たり前に有害なはずなのに」
「小エビちゃんが全然気にしてなかったからじゃね?」
 声に振り返れば、フロイドがキッチンの入り口からこちらを覗きこんでいる。隣にはジェイドと、カリムも何故か一緒にいる。
「だって、アズールの時なんか生身のままで、ぎゅってしてたじゃん。腰抜けてたけど」
「ぎゅってしてた……とは?」
「ユウさんがオーバーブロットしたアズールに慈母のごとき抱擁をして気を逸らしてくれたんですよ」
「いやまぁ、アレは嫌いなぬるぬるにょろにょろに絡みつかれてパニック起こしてて何も考えてなかった~っていうのもあると思うけど」
 それはそれとして、とフロイドは話を戻す。
「ウミヘビくんの時に思ったんだけど、小エビちゃん慎重そうに見えて、ヤバい場面ほど覚悟決まってる感じすんだよね」
「ヤバい場面?」
「ウミヘビくんは殴り合いした事あるから知ってるでしょ?小エビちゃん、普段はガチガチに防御固めて、こっちが隙を出すのを待ってくるじゃん」
 頷く。確かにそうだ。
 初めての手合わせの時、こちらがフェイントとして見せた隙にも一切反応していない。ユウに攻撃に転じる隙を与えなかったが、こちらも防御を崩せなかった。
 ポムフィオーレ寮生との戦闘でも顕著だったが、相手の実力を見極める目が飛び抜けて良いのだ。それでいて堅実な戦い方を好む傾向がある。
「それがあの時は、『殺らなきゃ殺られる』みたいなのが全面に出てる感じがしたっつーか」
「ジャミルさんを殺す気で殴っていたと」
「んんー……それも違う気がすっけど、とにかく普段の喧嘩じゃ見せてくれない感じ」
 ジェイドがさらりと挟み込んだ物騒な単語を微妙に否定して、フロイドは本人も不明瞭な感覚を尚も語る。
「とにかくさ。小エビちゃん、ブロットの事なんか気にした事ないと思うよ。つか、それで言ったらアズールより前にトド先輩と殴り合った事もあったんでしょ?」
「いえ、遡ればハーツラビュルでリドルさんがオーバーブロットした際にも彼は関わっていたはずです」
「ブロットの影響を受けるならもっと早くに兆候が出ているべきではないか、と。お前たちはそう言いたいんですね?」
 双子は肯定する。アズールも黙って目を伏せた。
 ヴィル先輩のオーバーブロットが特殊な例だった可能性もある。ブロットが霧となって室内に立ちこめ、短い時間とは言えそれを吸い込んでいた。皮膚接触とは事情が異なる。
 だが、やはり。
 彼はブロットに対する危機意識が異様に薄い。
 魔法が使えない人間だから?
 この世界の人間じゃないから?
 人体から溢れ出る黒い液体なんて見ていて気持ちのいいものじゃないだろうに。そういった物への生理的嫌悪が薄いなら、タコや蛇に対する恐怖は本人の経験によるトラウマに由来するものなのだろうか。この場はとりあえず関係ないか。
「……ひとつの可能性として」
 焦げ付かないように鍋をかき回しながら、考え事が口を突いて出る。
「ユウ自身にブロットへの耐性がある、というのは」
「耐性、……ですか」
「体質的に効かないから恐怖の対象にならない。本能的なものでそれを理解している」
 だから、オーバーブロットした魔法士も、ブロットの化身も怖くない。素手で殴りかかるし、パニックになったら抱きつく事も躊躇わない。……いや後者は何があったんだ?
 こちらの脳内の混乱に気付く事無く、アズールも神妙な顔で頷く。
「ユウさんは異世界の人ですからね。僕たちの世界の人間とは組成から異なる可能性もある」
「とはいえ、可能性の域は出ない。……確かめる方法が無いし、あってもやりたくないだろ」
「それはジャミルさんも同じでは?」
 あちらを見れば表情は真剣だ。こちらをからかうような気は無い。だが否定も肯定もせず曖昧に笑うに留めた。
 充分に火が通った頃合いに味見をして、病人向けにやや薄味で調える。文句の無い出来だ。
 ふと廊下の方が慌ただしくなる。火を止めて、なんだなんだと音の方に向かっていく面々を後ろから追いかけた。

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