6−1:影闇に揺蕩う悲嘆の暗渠
オンボロ寮に、来客を知らせるブザーが響く。
眠り続けている姫君と仮眠中の女王を見守っていたルークは、音もなく立ち上がり玄関に向かった。来客に心当たりがあったので名前を尋ねる事はしなかったが、扉を開けてそこにいた意外な人物に目を丸くする。
『おはよう、ルーク・ハントさん』
「オルトくん。こんな朝早くにどうしたんだい?ユウくんは今、体調が悪く休んでいるのだが」
オルトはルークの問いに頷く。
『知ってるよ。リドル・ローズハートさんから連絡をもらったんだ。ハシバ・ユウさんが寝込んでしまっているから、今日の文化祭に来られないって』
「……彼と、何か約束を?」
『グリムさんと一緒に、兄さんの作った「VRマジカルすごろく」で遊ぼうって話してたんだ。だからリドル・ローズハートさんが代わりに連絡をくれたみたい』
説明を終えると、オルトは手に持っていた紙袋をルークに差し出した。
『これ、兄さんからお見舞い。お大事に、って』
「……責任を持って預かろう」
『じゃあ、僕はこれで!』
明るく手を振ってから、オルトは飛び去っていく。紙袋の中身は数種類の駄菓子と、栄養補給に優れたゼリー飲料三つ。そしてノートの切れ端が一枚。
ルークは躊躇いなくノートの切れ端を手に取る。思考優位の人間によく見られる特徴的で乱雑な文字が踊っていた。
『駄菓子は元気になった時用。ストックだからお礼とかはいらない。君の友達の魔導VRも準備しておくから、帰ってきたら教えて』
そして署名かと見紛うような位置に小さな文字で『お大事に』と書き添えられていた。
ルークは微笑み、ノートの切れ端を袋の中に戻した。
そして何気なく顔を上げて、その瞬間に素早く門前の茂みの影に隠れた人物に笑顔を向ける。
「おはよう、『獅子の君』!」
ルークの声が響いてからしばらく、沈黙が続いた。しかしルークは茂みの方を見たまま動かない。諦めたように、茂みの影からレオナが姿を現す。
「君が朝早くから姿を見せるなんて珍しい。一体どうしたんだい?」
「…………ユウはどうしてる?」
「昨晩から体調を崩してね。まだ熱があるが、今はゆっくりと眠っているよ」
「……それで、お前はどうしてここにいる」
「私たちはエースくんたちの要請を受けて、看病役を引き受けたのさ」
「……『私たち』?」
「ああ、ヴィルもいるよ。今は仮眠をとっている」
レオナの表情に不機嫌さが増す。ルークは笑顔のまま対応を続けた。
「二人が眠っている以上、留守番役は必要だからね。今はエースくんたちが交代に来てくれるのを待っている所だよ」
「……そうか」
レオナは逡巡している様子だった。ルークは少し考える。
「ユウくんの顔を見ていくかい?」
そのために来たのだろう?と駄目押しの問いを投げつける。
エースたちだけでは、レオナの押しの強さに対応しきれない。自分がいないところで下手な事をされるよりヴィルも安心できるだろう、と考えての提案だった。
一方、レオナは提案の真意を測り損ねていたが、自分の考えが見透かされていると判断したらしい。
「そうさせてもらう」
画策よりも順応を選んだ。ルークは満足げに笑う。
ルークの案内で、レオナは悠の部屋へと入った。空いた床に敷かれたマットレスの上で、毛布をかぶったヴィルが寝ている。彼の様子と室内の明らかに悠のものではない大荷物を見て、レオナは眉を顰める。
明らかに疑問を抱きながらも、レオナは無言で悠のベッドに近づく。首筋に触れればいつもより体温が高い事も理解した様子だ。優しく頭を撫でて、部屋の入り口に立つルークを振り返る。
「……何があった」
「説明した通りだよ」
「風邪の看病に来たにしては装備が物々しすぎる。負傷しているこいつが出てきているのも不可解だ」
獣人属は鼻が利く。医薬品の匂いにも敏感だ。グリムの捕獲のために寮長が集められた時点で、ヴィルの負傷にも気づいていた事だろう。
「ヴィルがここにいるのは、偏に愛情の賜物さ。装備については……過分であった事は認めよう。何せ病状が見えなかったからね」
ルークはうまく核心から逸らした、しかし全く間違いでもない答えを返す。ヴィルが眠っている以上、無許可で経緯を話すのは気が引けたためだが、レオナはその意図を見抜いた上でルークを睨む。
「昨日、コロシアムに大規模な魔法が使われた痕跡があった。リハを終えて昼食のために席を離れるまでは何の異常も無かった」
ルークは表情を変えない。レオナがどこまで、何を把握しているのかを探る意図があっての事だろう。
だがレオナにとっては『ルークはコロシアムで何が起きたか知っている』という確信を得るに足る反応だ。
「そして奇妙な事に、機材には壊れた形跡が無かったにもかかわらず、中に入れてあった照明のプログラムや音楽のデータが一切消えていた」
レオナはルークを睨みつける。ルークは涼しい顔をしているが、内心はどうか知れない。何にも動じていない顔をして、頭の中ではレオナの言葉の穴を必死に探している可能性もある。
それを許すレオナでもない。
「何も言わないって事は、無関係じゃないんだな?」
「いや、そうではないよ」
「じゃあなんだ?可能性の域を出ないから気安く話せない、ってのはナシだ。その是非を判断するのはお前じゃなくて俺だからな」
「……さて困ったね。どう説明したものか」
睨み合う両者の間で、緊張と沈黙が流れる。
それを遮るように、小さなくしゃみの音がベッドから聞こえた。二人してベッドの方を見れば、悠が布団を頭にかぶり身体を丸めているのが目に入る。
更にその音に反応して、ヴィルが起きあがった。虚ろな目でベッドに近づき、自分が被っていた毛布を悠にかける。そのまま労るように身体を撫でた後、おもむろに同じ布団に潜り込もうとした。
「ヴィル!!??」
「ちょっと待てお前それはナシだろ!!!!」
レオナにベッドから無理矢理引き剥がされたヴィルは、不機嫌な顔で相手を睨む。
「アンタさっきからうるさいのよ。いいでしょ、別に何をするわけでもないんだから」
「良くねえよ馬鹿か」
「まぁ緊急時に人肌を寄せる事で体温を保つ事はあるからね!」
「ここは雪山じゃないだろ」
ヴィルを元のマットレスまで引きずり戻しながら、レオナは手早くスマートフォンを取り出す。
「備品の余りの毛布あっただろ。オンボロ寮まで持ってこい。今すぐ!!」
一方的に相手に要請し電話を切った。その間に、ヴィルはマットレスの上に戻り大人しく座っている。
これだけ周りが大騒ぎしているというのに、渦中の悠は目覚める気配がない。毛布が増えて暖かくなったのか、身体をさっきよりは緩く広げて、すやすや眠り続けている。
「……こいつこんなに寝起き悪かったか」
「……いいえ。恐らく、身体を回復させようとしてるんでしょうね」
レオナの疑問に、ヴィルが真面目な顔で答える。やっと目が覚めたらしく、先ほどの寝ぼけた様子は微塵も感じられない。
「これでも夜明け前よりはマシになったのよ。仰向けのままぴくりとも動かなかったんだから」
「……何があった?」
「……原因不明の高熱。グリムが捕獲された後から発症して、一時は体温計がエラーになるぐらいの状態だった」
「原因に心当たりは」
「いくつかあるけど、決定打は無い。……ただ、自己治癒力を高める魔法薬と栄養剤を飲ませて今の状態だから、遠隔で呪われている、といった事では恐らくないわね」
「病気、……いや、体内の免疫活動で対処できる内容、って事か」
ヴィルは頷く。そしてルークに視線を向けた。
「疲れているのにごめんなさい。新しいシーツを寮から持ってきてくれないかしら。ついでだから替えてあげたいの」
「……解った、持ってこよう」
ルークは頷き、部屋を出ていく。
扉が閉まると、ヴィルは小さく息を吐いた。
「そこまで掴んでるのに隠し事は無しよね」
ヴィルは昨日コロシアムで起きた出来事を説明した。
自分がオーバーブロットを起こし、会場が大破した事。
マレウスによってそれが修復された事。
事態を収める前に、悠が『呪い』の含まれたブロットの霧を吸い込んでおり、高熱の原因の可能性がある事。
レオナは遮らずに話を聞き、怒りに顔を歪めながらも、それを押さえ込むように深々と息を吐いた。
「……お前がここにいるのは罪滅ぼしって事か」
「……そうね、そう思ってくれても構わないわ」
ヴィルは言いながら、悠の眠るベッドに歩み寄る。悠の頭を撫でてから、レオナを振り返り微笑みかける。
「でもきっと、アタシの立場ならアンタも同じ事するでしょ?……グリムが捕まったからって、ユウを心配してこんな朝早くから顔を出してるんだもの」
レオナは面白くなさそうに顔を歪めてそっぽを向いた。しかし否定の言葉は口にしない。その反応にヴィルはますます笑みを深める。
そして、不意に真剣な表情になった。
「レオナ。アンタ、この子がマジカルシフト大会の騒動で足を怪我した時の事覚えてる?」
「……ああ、勿論」
「この子の足の手当とかした?」
「…………した。が、湿布と包帯を取り替えた程度だ。他には何も」
「……じゃあ、やっぱり」
「やっぱり?」
レオナが首を傾げる。疑問の声を無視して考え込んでいたヴィルは、唐突にレオナを振り返った。
「この子、魔力が無いのは間違いないのよね?」
「突然何だ。匂いがしねえんだからそうなんだろ」
「……やっぱりおかしい」
「だから、何が『やっぱり』なんだよ」
「魔法薬の効き方が、魔力の無い人間のそれじゃない」
ヴィルは魔法薬の空き瓶を手に考え込む。
「他の魔法薬が異様に効果が出るとは聞いた事が無い。……治癒力を高める魔法薬だけ、どうしてこんなに効きがいいの?」
「こいつは異世界の人間だ。そういう特異体質なんだろ」
「……本当にそれだけなのかしら」
「……お前の疑問と関係があるかはわからねえが、こいつについての疑問は俺も持ってる」
ヴィルは驚いた顔でレオナを見た。レオナは悠に視線を向け、ベッドに近づく。
「こいつ、身体強化の魔法……それに類するものを使い慣れてやがる」
「使い慣れてる?」
「前に戯れで使ってやった事がある。どんなに運動神経が良かろうと、慣れるまでろくに制御なんかできやしねえのに、ユウは数秒と経たず順応した」
使い慣れてるのか、と率直にレオナは尋ねたが、はぐらかされて答えは返ってこなかった。普段から何かと困っている印象はあるが、その時は匂いからいつになく迫真の緊張を感じた事を覚えている。
「こいつは、俺たちに隠したい事がある。それだけは間違いない」
ヴィルは呆然と悠に視線を落とした。
悠が自分だけに話してくれた事がいくつもあるのを、ヴィルは知っている。レオナが見つけた『隠し事』は、恐らくその中に含まれていない。
「……どうして?」
「さあな。俺たちの知っている事なんて、所詮こいつの表面に過ぎないって事だろ」
言葉は冷たいが、レオナが悠を見る目は穏やかで優しい。その目つきを見たヴィルは、内心の混乱をぐっと抑え込む。
「異世界から来たっていう情報のでかさに、俺たちは誤魔化されてるんだよ」
「……それに不満、って感じじゃないわね」
思わず指摘すると、レオナは悪戯っぽく笑う。
「姫君の隠し事の一つや二つ、許してやるべきだろ?」
「あら。その割に気にしているみたいだけど」
「……そうだな。……命の危機すら恐れない勇敢さが、隠し事と無関係とは思えないからだろう」
オーバーブロットを起こした魔法士による破壊は、災害と言っても過言ではない。並の魔法士、それも見習いの身分では、足が竦み身を守るので精一杯だろう。
そんな相手に、魔力を持たない人間が生身一つで立ち向かおうとするのは明らかな異常だ。
「……このままにしておいたらろくでもない事になるんじゃねえかと思ってな」
「冗談でもやめて頂戴」
「そうならないようにお前に共有してるんだろ、『ミスター・ロングレッグス』」
レオナにふざけた調子で呼ばれて、ヴィルは顔をしかめる。
「アタシをそう呼んでいいのは可愛いジュディだけよ」
「その可愛いジュディには自分からバラしたか?」
「バレてたわ。いつの間にか」
「世界的有名モデル様は直筆メッセージも人気のご様子で。大層なもんだな」
ヴィルは無言で天を仰ぐ。自分の迂闊さを呪ったが、それが本題ではないので意識を切り替えた。
「アタシは、ユウを元の世界に帰す方法を探そうと思ってる」
レオナは意外そうな顔でヴィルを見た。その反応にヴィルは不満を示す。
「何よその顔」
「……ずいぶん聞き分けがいいんだな」
「アタシなりのけじめよ。……ユウを傷つけようとした事への」
「けじめ、ねえ」
「この子が無事に元の世界に帰るまで、アタシはこの子を守る。そのためなら、周りの全てを利用するわ。アンタの気持ちもね」
最後は挑発的な笑みを浮かべて、ヴィルは言い切る。
しばらく無言で睨み合っていたが、レオナは唐突に笑みをこぼす。
「何がおかしいの?」
「最大の敵が勝負を降りたら嬉しいに決まってるだろ」
「あら、降りたと見せて死角から急所に一撃食らわすかもしれないわよ。油断しない事ね」
途中までは合意が得られたものの、最終的な結論は決裂した。
両者は敵対心を露わに睨み合い火花を散らす。その間にいる悠は当事者でありながら何も知らず、今もすやすやと眠り続けていた。
しかし緊張も長くは続かない。部屋の扉がノックされて、二人同時に警戒状態を解除する。
「入っていいわよ」
声をかけると、荷物を抱えたラギーとルークが顔を出した。
「失礼するッスー。レオナさんに頼まれた毛布持ってきましたよ」
「『毒の君』、替えのシーツを持ってきたよ。それから、素敵な助っ人も来てくれた」
「助っ人?」
ヴィルの声に応えるように、ルークの後ろからエペルとジャックが顔を覗かせる。
「まあ」
「看病ぐらいなら、手伝える事があるかなと思って……」
「俺はラギー先輩の手伝いで来ました。……お疲れさまです、ヴィル先輩」
「二人がいればまぁ、ひとまず安心かしら。ありがとう」
ヴィルと和やかに話す後輩二人を見てから、ラギーはレオナに目を向ける。
「やたら急かすから何事かと思ったら、こういう事ッスか」
「……とにかく、お姫様の寝具を整えてやるんだろ。手があるうちに済ませてやれ」
レオナは言うなりベッドを振り返り、悠を抱え上げて離れる。
「アンタねぇ……」
「早くしてやらねえと熱がぶりかえすかもしれないぞ?」
ヴィルは言葉で答えず、無言でレオナの脛を蹴り飛ばした。レオナはわずかに呻いたが、さすがに悠を落とす事はない。悠の方は寝床が変わった事に気づく様子もなく眠り続けている。
その間に、ルークが後輩たちに指示を出して寝床を整えていく。血のついたシーツのついでに枕カバーや上掛けの布団まで取り替えられ、毛布は新品二枚重ねという贅沢な状態になった。
「それにしても……ユウくん、全然起きないッスね」
「狸寝入りじゃねえかと思うくらいだが」
「もしそうならレオナさんに抱えられた瞬間に飛び起きてるッスよ」
ラギーの指摘にレオナは複雑な表情になる。ヴィルは笑いを噛み殺していた。
一方、取り替えた寝具類を見てジャックが怪訝な顔をする。
「……こいつ、まだ寒いのによくこんな薄い毛布で寝ていられたな」
「……グリムクンがいたから、じゃない?」
エペルが呟くように答えた。
「グリムクンの部屋もあるのに、ずっと一緒に寝ていたみたいだから」
室内が静まりかえる。
「……どうなるんだろう。ユウクン、グリムクンと二人で一人の生徒なのに」
誰も答えられない。学園長が入学を決めた異例の生徒だ。生徒の立場でその裁定を予想する事は難しい。
悠の立場はひどく脆くて危ういものだと、室内の誰もが思っている。
思考を遮るように、来客を知らせるブザーが鳴った。
「ムシュー・ハートたちかな」
「俺が行ってきます」
ジャックが部屋を出ていく。
レオナは抱えていた悠をベッドに寝かせた。無意識にレオナの上着を掴んでいた手を名残惜しそうに解き、毛布を被せ頭を撫でる。
「失礼します」
ノックと共に聞こえた声に、誰もが意外そうな顔をした。室内の人間が返事をするより先に扉が開き、アズールが双子と共に入ってくる。彼らの後ろでジャックが申し訳なさそうに縮こまっていた。
「ユウさんの具合はいかがですか?」
「倒れたとお聞きしましたので、何か出来る事はないかと思いまして」
「小エビちゃん大丈夫~?」
強引に入ってきながらも視線はベッドの上の悠に注がれており、三者三様にいつもほどの厚かましさは感じられない。
「アズール、どうして知ってるの?」
「イデアさんから教えてもらいました。今朝、ボードゲーム部でユウさんたちと遊ぶ内容について相談した時に」
ああ、とルークが声を上げる。
「そういえばオルトくんもそんな話をしていたよ。『自室の君』からお見舞いの品も受け取っている」
ルークは悠の机の上に置かれた紙袋を指さす。一同の視線は再びアズールに向いた。
「昨晩あんな事がありましたから、そっとしておくべきだとも思いましたが……」
「先ほどのアズールの取り乱しぶりを皆さんに見せてさしあげたいですね」
「『陸のお見舞いの作法なんて知らない!いやもうとにかく行った方が早い!!』って。実際それで正解だったみたい。こんだけいたら何持ってっても被りそうだし」
「食事が出来る状態かも不明でしたから、料理を作ろうにも用意すべきものがわかりませんでしたし。もしよろしければ現在の状況などお教えいただけませんか?」
力になりたいので、とジェイドが微笑めば、フロイドもうんうんと頷いている。不自然に固まったままのアズールを放置して、それぞれが顔を見合わせた。
再び来客のブザーが鳴る。ジャックがまた玄関の方に向かった。
「今度は誰だよ」
「今度こそエースたちなんじゃない?」
「いやー、でもこの流れだとなんか……」
ラギーが居心地悪そうに肩を竦め、レオナも足音の多さに顔をしかめる。
「ヴィル先輩、おはよーございまーす……」
「……ぼ、僕たち必要でしたか?」
居心地悪そうな顔のエースとデュースの後ろから、カリムとジャミルが顔を出す。
「お、みんないるんだな!おはよう!」
「お前はもう少し声を落とせ。病人が寝てるんだろうが」
そうだった、と声を潜めるカリムの後ろで、どうしていいものかという顔のジャックが耳を伏せている。
「新ジャガたちは看病の交代に来たんだからいいけど……カリムたちはどうしたの?」
「ほら、昨日の晩、あんな事があったから。ユウが落ち込んでるんじゃねえかなって思って」
「様子を見に来たら鏡舎の所で丁度エースたちと顔を合わせましてね。事情を聞いた次第です」
「もうユウの熱、下がったのか?」
「ええ。今朝には随分。と、言ってもまだまだ高いし、倒れてから一度も目を覚ましてないけどね」
「そっか。大変だったんだな、ヴィル」
お疲れさま、とカリムは自然に労いの言葉をかけた。ヴィルも微笑んでそれを受け止める。
「オレたちに出来る事ならなんでも手伝うぜ!」
「それはありがたいけど、正直、あとは熱がまたぶり返さないか見張るぐらいしか無いのよ」
「倒れてから一度も目覚めてない、というのも気にはなりますが……快方に向かっているのなら、下手な事はしない方が良さそうですね」
ジャミルがまとめると、何人かが頷いた。
状況も共有された所で話は変わる。
「では、ヴィルさんたちはお疲れでしょうから、寮にお戻り頂いて」
「ユウさんの看病は我々で引き継ぎましょう」
「は?」
アズールとジェイドの提案で一気に空気が緊張した。
「おいおい、後から来た連中が何を勝手に仕切ってるんだ」
「おや、お話を伺う限り、レオナさんたちも大して立場は変わりませんよね?」
「まぁでもオレらは文化部と違って、今日は一日フリーなんで手が空いてるんスよ」
「ご心配なく。代理の方はきちんとお願いしてありますから」
「トド先輩たちは看病なんて柄じゃないでしょ?」
「……先輩がそれ言うんすか……」
「ウニちゃん、それどういう意味?」
睨み合うサバナクローとオクタヴィネルをよそに、NRCトライブの面々も顔を見合わせる。
「聞いた話より顔色も良いし、数日分の食事でも作って冷凍しておいてやればいいか」
「果物もうちから持ってきてやろうぜ」
「……出来るだけ用意の手間が無い物の方が良いだろうが……だが病人食なら定番か……」
「果物なら、僕たちでも準備できますから。ハーツラビュルもケーキ作りとかするし、皮を剥いて切るぐらいなら出来るんじゃない?」
「うっ」
「えっ」
「…………素直な子たちだこと」
「これを期に練習するのも良いと思うよ」
ヴィルは溜息を吐き、エースとデュースに視線を向ける。
「じゃあ、引き続き額のタオルの交換は続けてあげて。毛布を増やしたから、汗をかいたり暑そうだったら調整して」
「わかりました」
「了解でーす」
「ヴィルサン、僕も残っていいですか?」
「……ええ、アタシは文句無い。アンタたちは?」
「エペルもいてくれるなら心強い」
「エペルは果物の皮むき出来るって事だもんな」
「うん、細工切りは得意だから。……エースクンも練習しなよ」
エースは悪戯っぽく笑って舌を出す。エペルは呆れた顔をしつつ、寮長たちに向き直った。
「じゃあ、僕はここに残ります」
「お願いね」
「後の事を頼むよ」
話がまとまった所で、ヴィルはおもむろに嫌味の応酬を続けている面々に近づいた。
「アンタたち。病人の寝てる所で下らない喧嘩しないで頂戴」
低く重い、殺気立った声に全員が口を噤んだ。
「近くにいたいならせめて談話室に行きなさいよ。アタシがいなくなった後で勝手な振る舞いをしたと報告を受けたら、一生不能になるよう呪ってやるから」
全員が本気を悟る、いつになく恐ろしい声だった。これに比べれば普段の後輩を叱る声など愛らしい小鳥のさえずりに等しい。
睨み合っていた面々がぞろぞろと部屋を出ていく。
「あんたたちもだからね、ジャミル、カリム」
「お、俺たちもですか!?」
「そっか。寝ている間は静かにしてないとだよな」
完全に対象外と思っていたらしいジャミルに対し、カリムは納得した顔で頷いている。ヴィルはジャミルにだけ冷ややかな視線を向けながら、声だけは優しく続ける。
「アンタたちの助けがいる時は新ジャガの誰かから連絡が入るでしょうから。それまで勝手な事はしないでちょうだいね」
「……まぁ、タオルの交換だけならこれ以上の手は必要ありませんね」
「よし、じゃあ寮に戻って果物を取ってこようぜ!」
「オンボロ寮じゃ設備も心許ないし、料理も作ってこよう。……彼らが睨み合ってるなら、何も起こらないだろうしな」
「じゃあ、お前ら。また後でな!」
スカラビアの二人も部屋を出ていく。
その間にもルークは自分が持ってきた荷物の片づけを進めており、仮眠用のマットレスも収納し終えた所で残る一年生たちを振り返った。
「では、困った事があればいつでも連絡しておいで」
「ユウが目を覚ましたら連絡をくれる?」
「もちろんです!」
「よろしくね」
穏やかな表情でヴィルたちは部屋を出ていく。玄関の鍵をかけてくる、と言ってエペルもそれに続いた。
残ったエースたちは、静かになった室内で改めて悠の顔を覗きこむ。
「昨日より顔色が良くなったな」
「ね。やっぱヴィル先輩すげえや」
デュースが頷く。
「魔法薬学の授業、もっと真面目に受けないとだな」
「そーね。……本当に良かった」
エースの手が悠の頭を撫でる。
「早く元気になれよ、ユウ」