6−1:影闇に揺蕩う悲嘆の暗渠


 ハーツラビュルの面々が帰っていくのを、ルークが見送る。ヴィルは部屋に残り、悠の顔を覗きこんだ。
 尋常じゃない熱があり、表情は苦しそうで顔色も悪い。汗はかいておらず、呼吸は荒いが喘鳴はない。呼吸している部分以外はぴくりとも動かさない。
 外から頭を冷やしてやる以外、全く対処が思い浮かばない。体温を下げる事を優先するべきか、風邪の類と同じ対処を続けるべきか、判断の決定打がない。ブロットの影響であったとしたらなおのこと、何をしても効果は無いかもしれない。
 そう考えていた時、ヴィルはふと思い出す。
 マジカルシフト大会の後の事だ。ランニングで偶然顔を合わせた時に、ジャックからあの時の悠の怪我の話を聞いた。
 ルークが持ってきた荷物を開く。数多ある薬瓶の中から一本を取り出した。
 傷の回復を促す魔法薬。体内の魔力を用いて弱い治癒魔法を発動させ、飲んだ者の自己治癒能力を一時的に高める薬。魔力の無い者にも一定の効果があり、また病気の治療でも用いられる。
 ちょうど見送りから戻ってきたルークが、ヴィルが手にした瓶を見て目を丸くする。
「ヴィル、それは……」
「思い出したの」
 瓶を握りしめ、ヴィルは呟く。
「ユウ、この薬の効きが異常に良かった」
 膂力に秀でた獅子の獣人属であるレオナに足を握りつぶされかけ、更にその後、ろくな手当もしないままマジカルシフトの試合の前半を走りきった。どう考えても骨は無事ではない。何ヶ月と安静を強いられる大怪我だ。
 しかし、悠は一ヶ月も経たないうちに平気な顔でランニングをしていた。その後足に異常が出たという話も聞かない。
 不自然な回復速度にはヴィルも驚いた。正直、顔と頭の怪我だけなら個人差と言えなくもない。だがジャックから聞いた足の状態が事実であれば、そちらへもたらされた効果は個人差の範囲を明らかに超えていた。
 ヴィルの話を聞いたジャックは薬が改造されていた可能性を疑っていたが、薬の送り主であるヴィル自身は市販品そのままである事を知っている。疑問はあったが、確かめる術もタイミングもなく、忘れかけていた。
「これなら、もしかしたら……」
 ブロットは休養する事で体内から排出される。もし直接的な効果が出なくても、薬で身体に滋養を与えるのだから無駄にはならない。
 ヴィルは望みをかけて悠に駆け寄る。
「ユウ、起きて。ユウ」
 声をかけ、肩を揺さぶっても反応はない。目を覚まさなければ安全に飲ませる事は出来ない。点滴などの医療行為はさすがに出来ないし、器具も手元にない。
 しかし、そこで諦めては何も変わらない。どうせ賭けである事には変わりないのだ。寮に戻って道具を探す時間さえ惜しい。
 ヴィルは薬の包装を外し、中身を口に含む。悠の上半身を抱き起こすと、薄く開いた唇に口づけた。薬を移して唇を離し、反応を待つ。
 わずかに喉が動いた。噎せる様子も無い。反射的なものだろうが、きちんと飲み下している。
「……ヴィル!」
「ルーク。栄養剤取って。昼間も走り回ってるし、熱で消耗してるだろうから、このままじゃ心許ない」
「ウィ!」
 言われるがままにルークは栄養剤の瓶を取り出す。口移しを続けるヴィルの邪魔にならないよう注意を払って、ベッド横のテーブルに置いた。
 誤嚥の危険性を考えれば、一瞬たりとも気は抜けない。まだ怪我の痛みが残るヴィルには重労働だが、誰も代わる事は出来ないし、互いに申し出る事もなかった。幸いにも、悠は噎せたり吐き出したりせず、スムーズに薬を飲み下していく。
「いい子ね。大丈夫よ、絶対に助けるから」
 薬を飲ませる合間にも髪を撫で、愛おしそうに声をかける。
 二本の薬を飲ませ終えて、二人は悠を元通りに寝かせる。血の滲むシーツや薄い毛布が気にならないわけではなかったが、寝具を足している暇などない。
 しかし見るからに呼吸が落ち着いていた。熱はまだあまり下がっていないが、兆候はある。一方で、まだそれだけだ。油断は出来ない。
「ヴィル。私が見ておくから、談話室のソファででも休んでおいで」
「いいえ、大丈夫よ。傍にいるわ」
「ヴィル」
「お願い、ルーク」
「……一時間で交代しよう。何かあったらすぐに知らせてくれ」
「ありがとう、ルーク」
 ルークは帽子を胸に抱いて一礼すると、音を立てずに部屋を出ていく。
 その背を見送ってから、ヴィルはベッド近くまで引きずってきた椅子に腰掛ける。
 呼吸は落ち着いてきたとはいえ、熱の具合は変わった様子がない。タオルを取り替えては、手の甲で頬を撫でる。
「何をしてでも絶対に助けてみせる」
 応える声はない。ただ夜の闇が深くなっていくばかりだった。

 瞼を刺す朝日で、ヴィルは目を覚ます。
 全身が痛い。痛み止めは朝には切れている計算で飲んだから無理もない。
 そうして薄目で寮服姿のままの自分を見て、はっと顔を上げる。痛みが一気に吹っ飛んだ。
「ユウ!!!!」
 椅子の上から飛び起きて、目の前のベッドに駆け寄る。
 朝日の中で眠っている悠の顔は、昨晩の記憶より安らかだ。熱は相変わらずあるものの昨日に比べればずっと低い。呼吸も安定していて、頬にも赤みが戻っていた。
「……あぁ………」
 安堵で膝から力が抜ける。自分の判断が間違っていなかった事に胸を撫で下ろしつつ、ヴィルはスマートフォンを取り出した。
 熱が下がった事をリドルに報告すると、すぐに労いの言葉が返ってくる。彼も自分からの連絡を待っていてくれたようだ。エースたちにも同じく報告の文章を送り、一度画面を閉じる。
 見ていても恐怖を感じる事の無い、ただあどけない寝顔。
 合宿の間もずっと堪能していたが、修羅場を超えた後に見るのは格別の想いがあった。
 扉をノックする音が聞こえる。入室を許可すればルークが顔を出した。
「おはよう、ヴィル。ユウくんの具合はどうだい?」
「……もう大丈夫そう。手伝ってくれてありがとう、ルーク」
「友の一大事に力を貸すのは当然の事さ。……とはいえ、自分も重傷の身である事を忘れてはいないだろうね?」
「忘れてはないけど、……言われたらまた身体が痛みだしたわ」
「ユウくんの寝顔に癒されていたのかな?」
 ルークは悪戯っぽく笑いながら、悠の寝顔を覗きこむ。
「噂には聞いていたが、紛う事なき天使の寝顔だね。うん。ヴィルと交代する前と比べて明らかに顔色が良い」
 一人納得して、ルークはヴィルを振り返る。
「痛み止めを飲んだら、少し仮眠をとっておいで。ムシュー・ハートたちが来たら、交代で私たちも引き上げるとしよう」

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