6−1:影闇に揺蕩う悲嘆の暗渠


「……い、おい!ユウ!起きろってば」
 誰かの声で目を覚ます。さっきまで見ていた夢のせいか、頭がくらくらしていた。
「コラ。人に物騒な連絡しておいて、呑気に寝てんなよ」
「え……寝て、た?」
 慌てて身を起こす。見慣れたオンボロ寮の自室に、エースとデュースの姿があった。
 確かさっき、グリムを探して外に出たはずなのに。
「お前がこんな夜更けに連絡してくるなんて驚いたぞ。グリムがいなくなったってどういう事だ?」
「そう、グリムが……っ!」
 立ち上がろうとベッドに手をついて顔を歪める。見れば右の手首に派手な切り傷が出来ていた。平行した三本の傷から血が溢れている。
「お、おい大丈夫か!?その怪我どうしたんだ!?」
「これは……」
 覚えがない。でも、あれしか考えられない。
 コロシアムで見つけたグリム。僕に気づかずに暴れて、襲いかかってきた。その時の困惑と恐怖は覚えているのに、そこから先の記憶がない。
 ……なんで逃げてきたの?腕を引っかかれたぐらいで。
 何かがおかしい。間違いないけど、何かが間違ってる。
「……もしかして、グリムか?」
 尋ねられて、答えに困る。確証が持てない。
 僕の沈黙を肯定と取ったのか、二人は顔を見合わせる。
「……とりあえず、手当しねえと。救急箱、談話室に置いてるだろ。歩ける?」
「う、うん」
 三人で談話室に向かう。相変わらずグリムの姿はない。
 エースが手当してくれる間、デュースは寮内をもう一度探してくれた。やはりグリムの姿はない。
「……学園長に、連絡した方がいいんじゃないか」
 デュースが呟くと、エースが頷く。
「ユウの話を聞かないんじゃ、さすがにオレらだけじゃ手に負えない。文化祭で設備の状況も普段と違うし、探すのも難しすぎる」
「……そう、だね。その方がいいかも」
 早速デュースが学園長に連絡してくれた。手当を終えたエースは心配そうな顔で隣にいてくれる。
 頭の中では、何がいけなかったのかをずっと考えている。どう話しかければ良かったのか。どう対処すれば正解だったのか。答え合わせはすぐに出来ないのだから、結局無駄な想像でしかないのに。
 数分と経たず、オンボロ寮の玄関に来客を告げるブザーが響いた。以前助けを呼んだ時は完全に無視されたのに、とモヤモヤしつつ、デュースに連れられてやってきた学園長を出迎える。
「グリムくんが暴れた上に行方不明、との事ですが、経緯をご説明願えますか?」
 とりあえずこれまでの経緯を話した。眠りにつくまではいつも通りの姿だった事。『ミッキー』との対話中にグリムがいない事に気づき、探しに出てコロシアムで見つけたが、凶暴化したグリムに襲われた事。傷の状態はエースが証言してくれた。
 学園長の表情は見えないが、疑われている雰囲気は今のところ感じられない。
「他に気づいた事はありますか?」
「……グリム、僕が見つけた時、黒い石を食べてたんです。多分。暗かったからあまり見えなかったけど」
「黒い石、ですって?」
 学園長の声の雰囲気が変わった。
「え?黒い石って……入学したばっかの頃、グリムがドワーフ鉱山で拾い食いしてたヤツ?」
「多分、同じものだと思う」
「そういえばグリムのヤツ……ローズハート寮長がオーバーブロットした後も、庭に落ちていた黒い石を美味しそうに食べてたな」
 言われてみれば、確かにそんなやりとりがあった気がする。アーシェングロット先輩の時も。
 そしてコロシアムは、シェーンハイト先輩がオーバーブロットを起こした場所だ。
「でも、あの時は凶暴になったり様子がおかしくなったりはしてなかったじゃん。っていうか、……その黒い石って、そもそもなんなの?」
「……私は現場を見ていないのでなんとも言えませんが……グリムくんが食べていたという黒い石はもしかすると『ブロットの結晶』かもしれません」
 子どもたちの疑問に大人が答える。
「ブロットの……結晶?」
「前にも説明しましたが……オーバーブロットとは、術者の体に蓄積しきれなくなったブロットがあふれ出して起こる現象です」
 ブロットは魔法を使用すると発生する廃棄物であり、強い毒素と淀んだ魔力を含んでいる。大量に溢れたブロットは、術者の強い負の感情を具現化したかのような巨大な『化身』を形作る。
「オーバーブロット状態を落ち着かせるためには……あの化身をなんとかして本人から引き剥がさないとダメなんだよね」
「ああ。今まで僕たちが遭遇した事件では、先輩たちをそうやって正気に戻してきたと思う」
「……ええ。オーバーブロット状態を解消するには、化身と対象者の魔法的連結を断ち切るしかない」
 その分かりやすい処理として、物理的な距離を離す、というのが一般に広がっているようだ。
「消失の際、化身内で凝縮されたブロットが結晶化したという例があるそうです」
「ブロットが、結晶化?」
「魔法石も、地中や空気中に流れる魔力がなんらかの要因で結晶化したもの。ですから、魔力の澱であるブロットが結晶化しても不思議ではない」
 理論上は何もおかしくない、という事のようだ。
「とはいえ、私も現物を見た事はありません。まず、オーバーブロット自体が極めて稀な現象なので……しかし、ううむ」
 その『極めて稀』に、ここに来てから既に五回も遭遇している。
 ……本当に無関係なのだろうか?僕が来た事もグリムが来た事も。
 オーバーブロットが学園内で五回も起きたのは、本当にただの偶然と言っていいのだろうか。
「つまりブロットは少しでも体に悪影響なのに、それをさらに凝縮したのが『黒い石』……って事だよね?」
「ええ」
「そんなもん何個も食ってたとしたら、何も影響が無いワケなくね?」
「じゃあ、グリムはその石を食べた影響で凶暴に……?」
「……全ては憶測です」
 学園長は安易にエースの説を肯定する気は無いらしい。でもその可能性が高い事も否定できない、という雰囲気だ。
「そして、グリムくんは我々と意志疎通できるといっても、やはり魔獣だ。ユウくんを攻撃してきた凶暴な姿が、彼の本性である可能性もある」
 グリムが……今までずっと僕たちを騙していた?
 大魔法士になりたいという言葉が嘘だったと?
 言いたい事は湧いてくるけど言葉にできず沈んでいく。柔らかくでも否定されたら、自分はどうなってしまうか分からない。
「明日も引き続き総合文化祭が開催されます。他者に危害を加える危険なモンスターを野放しにしておくわけにはいきません」
「危険なモンスターって!グリムですよ!?」
「私だってグリムくんを疑いたくはありません。モンスターとはいえ、彼を信じて学園に迎え入れたんですから。しかし……彼の状態によっては、もうこの学園にはいられなくなるでしょう」
「え、それって……」
 指先の感覚が無い。
 その可能性を考えない訳ではなかった。でも、学園長の口から示唆されれば、どうしようもなく重い。
 エースもデュースも顔が青ざめている。
「とにかく、すぐに教員と寮長を集め、一刻も早くグリムくんを捕獲しなくては」
「そ、そんな!」
「私はこれで失礼します。ユウくんはしっかり戸締まりをする事。ハーツラビュルの二人は、寮に戻るように!」
 学園長は厳しく言いつけて、踵を返し、ぽつりと呟く。
「……そろそろ『彼ら』が動き出す頃かもしれませんね」
「え?」
「いえなんでも。ああ、忙しい忙しい……」
 すぐにいつもの調子に戻り、学園長の姿が消えた。エースとデュースは顔を見合わせている。
「状態によっちゃ学園にいられなくなるって……グリムが、危険なモンスターとして退治されちゃうかもってこと?」
「グリムに限って……いや、確かに意地汚いし我慢はきかないし自分勝手なところはある。でも理由無くユウや他の生徒を傷つけるような真似、あいつはしない……。……しないはず、たぶん……きっと……」
「こーら。逆に不安を煽るような事言うなって」
 エースの方から物言いたげな視線を感じる。俯いたまま顔を上げない僕の反応を窺っているみたいだった。
「まあ、モンスターって猛獣だし、人里に出て悪さすればニュースにもなる。学園長の言う事にも納得」
「エ、エース……お前!」
「でも入学してから半年、ユウとコンビでなんだかんだ上手くやってたじゃん。……オレらともさ」
 エースの顔を見れば、柔らかく微笑んでいる。デュースも笑顔で頷いた。
「……ああ。他のクラスメイトとも、すっかり打ち解けてた」
「で、どうする?つーか、ユウはどうしたい?」
 二人が僕の顔を見る。頭の中には、色々な場面でのグリムの顔が浮かんでは消えた。
 当然、このままで良いワケがない。
「……グリムに直接話を聞きたい」
 僕の答えを聞いて、二人は頼もしく笑った。
「そうくると思った。んじゃ、パパッとあのバカを探し出しますか」
「だな!みんなより先にグリムを見つけて、一発シメたら話を聞こうぜ!」
「……そうだね」
 僕一人では何も出来なかったけど、二人が手伝ってくれるならどうにかなるかもしれない。
 混乱と絶望で頭がおかしくなりそうだったけど、やっと希望が見えてきた。いや全然さっぱり何も前に進んでいないけど、やる事が決まったのは心強い。じっとしているしかない、よりずっと良い。
「っと、ユウ。ツナ缶のストックってある?」
「うん、ちょうど三つくらいあったと思う」
「餌でおびき寄せる作戦か……有りだな」
「パッケージ見せるだけでも釣られてくれるかもしれねえし、持って行こうぜ」
 早速、食料を入れてる戸棚からツナ缶を取り出す。
 手分けして探す事も考えたけど、まだ凶暴化していたら一人では手に負えない。なるべく離れずに捜索を行う事になった。
 グリムを捜索しているであろう先生たちの姿もそこかしこに見られた。見つかれば怒られるのは間違いない。周囲の人の気配には細心の注意を払った。
「おーい、グリム~!」
 メインストリートにさしかかり、デュースが声を張り上げる。エースが慌てて小突いた。
「ばか。オレらは寮へ戻ってろって言われてるんだから、もっと声落とせって。それに消灯時間後に無断で寮抜け出してるのがバレたら、寮長に首はねられんぞ」
「あっ……そうか」
 デュースは素直に頷く。少し身も縮めながら、さっきよりは控えめな声で茂みの中に呼びかけた。
「グリム~、出てこい。お前の好きなツナ缶があるぞ」
 タイミング良く周囲に音楽が響いた。全員で身を竦める。慌ててポケットから振動しているスマホを取り出した。
「だから音出すな……って、ユウのスマホか……」
 画面に表示された相手は学園長だ。全員で顔を見合わせる。スピーカーで通話に応じた。
「学園長、どうされましたか?」
『ユウくん。イグニハイドのシュラウドくんたちが、グリムの捕獲に成功しました』
 エーデュースが息を飲む。こちらの緊迫は知らぬ顔で、学園長の声の機嫌は実に良い。
『いやぁ、早々に確保できて助かりました。そうでなければ明日の総合文化祭が中止になり、アンブローズ殿にどんな嫌味を言われたか……あ、いや、なんでもありません』
 何やらばつが悪そうに話を切り上げた。何やらまた大人の都合があったらしい。でも今はどうでもいい。
「グリムは大丈夫なんですか?怪我とか……」
『まだ話が聞ける状態ではありませんが……会話が可能になり次第、事情聴取を行う予定です』
「……そんな……」
『その後は学外の専門機関での調査も検討しています。そんなわけですから、君はしばらくグリムくんとは面会謝絶です。……では』
「ちょ、ちょっと待ってください!もう少し詳しく……」
 叫んだけど、とっくに通話は切れていた。呆然と画面を見つめる。
「今、話が聞ける状態じゃないとか言ってなかった?」
「グリムのヤツ、捕獲されるときに大暴れしたんじゃ……」
 悪い想像がいくつも浮かんでは消える。もしあの時のままなら、捕まった後、今もなお暴れているのかもしれない。
 頭が混乱して、視界が揺れている。手足に力が入らない。
「……しょうがねえな、とりあえず帰ろう。寮長が戻る前にオレらも戻っておかねえと、首をはねられちまうしな」
「そうだな。早く戻………ユウ?」
「え?あ、うん。そうだね、帰らなきゃ」
「ちょっと、さっきより顔色悪くねえ?」
「そう?大丈夫だよ、もう帰るんだし」
 平気なアピールのつもりで歩き出したが、すぐに足がもつれた。デュースがすかさず支えてくれたけど、その表情は驚きに染まっている。僕の額に触れて息を飲んだ。
「……凄い熱じゃないか!」
「マジかよ」
 エースも僕の額に触れた。少し冷たくて心地よく感じたけど、エースの表情は怒りに染まる。
「バカ野郎、なんで言わなかった!」
「さっきまで、平気だったから……」
「急いでオンボロ寮に戻ろう」
「だ、大丈夫。一人でも帰れるよ。二人は早く戻って。怒られちゃうから」
 デュースの手を離れて立つ。少しふらつくけど、歩けなくはない。
 そう思ったけど、両側に二人がそれぞれ立って腕を掴んだ。
「こんな状態のお前を置いて帰ったら、それこそ寮長に首はねられるだけじゃ済まねえだろ」
「今からじゃどうせ門限破りには違いない。とにかくオンボロ寮まで急ぐぞ」
 二人は頼もしく肩を貸してくれた。
「……ごめんね、ふたりとも」
 気にするな、と軽く返してくれたけど、心苦しい。
 必死で足を動かした。いつもならすぐ終わる道のりが妙に遠く感じられる。隣にいる二人の息づかいも聞こえなくなっていく。
 そして寮の玄関をくぐった瞬間、気が緩んだのか意識が一気に遠のいた。

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