5−2:泥濘へ堕ちる美貌の毒華



 オンボロ寮にどうやって帰ったかあまり思い出せない。エースが送ってくれたと思うんだけど、どんな顔しているか全く見れなかった。明日の文化祭も一緒に回ると思うんだけど、どんな顔すればいいだろう。
 割とすぐにグリムも帰ってきたけど、やけ食いしてきた割にあまりストレスは解消できなかったようだ。あと『頭の中で「ヤッホー、ヤッホー」ってぐるぐる回ってるんだゾ……』と半泣きだった。こういう形で頭から離れないのはキツいよなぁ。
 夕食をあるもので済ませてお風呂に入って、人の気配のないオンボロ寮に戻った事がなんだか寂しくなった。グリムも同じ気持ちなのか、今日も迷わず一緒のベッドに潜り込んでくる。
 雪は溶けても春の気配は遠くて、まだ夜は寒い。いつもと同じように身を寄せ合って眠りについた。
 疲れていたからすぐに眠りに落ちたと思う。ふと、遠くからノックの音が聞こえた気がした。意識が浮上し音がハッキリ聞こえてくる。
『………い、おーい。ユウ、そこにいるのかい?』
「ミッキー!」
 声を上げて飛び起きた。見れば鏡からまた光が溢れている。慌てて駆け寄ると、ミッキーが前と同じように鏡の中にいた。
『やあ、こんばんは。ひさしぶり!元気にしてた?』
 道で友達と会った時みたいな気安い挨拶だ。
「うん、まぁ元気かな」
『前に会った時から、どれくらい経ったかなぁ。夢の中でしか会えないから、「前に会った」って言うのも変な感じだけど』
 確か、合宿の前ぐらいに一回会ってるっけ。記憶が曖昧だけど。
『……あれから、何度かこの夢の世界に入ろうとして、同じパジャマを着てみたり、寝る前に同じ本を読んでみたりいろいろ試したんだ。でも、どれも効果がなくって。なのに、今日はどうしてここに来られたんだろう?特別な事なんか、何もしてないのに』
 僕が合宿で右往左往している間に、ミッキーはいろいろと考えていてくれたらしい。なんだか申し訳ない。
 ……それにしても、言っている事が事実なら、この鏡の対話はミッキーが望んでいるものではないという事になる。僕もミッキーも知らない何かが、鏡が異世界と繋がる条件になっているという事だろうか。
『それより、前は写真を撮ろうって話したところで、お別れしちゃっただろう?僕、それがずっと気になってたんだ』
「あ!そうだ写真!!」
 慌ててゴーストカメラを鞄から取り出す。
「覚えててくれてありがとう。写真、撮らせてくれる?」
『うん、もちろんさ!』
 カメラを見せると、ミッキーはにっこり笑って頷いた。鏡に向かってカメラを構える。
「はい、ポーズ!」
 ミッキーがポーズを撮ってくれたので、シャッターを切る。カメラが低い動作音を立てて紙を吐き出した。程なく、じわじわと絵が浮かび上がってくる。
 ファインダーから見たのと同じポーズのミッキーが確かにそこにいた。
 これでミッキーの存在を証明できる。
『どう?格好良く撮れた?』
「撮れたよ!ほら!」
 写真を鏡に向けると、ミッキーは嬉しそうに笑った。
『ははっ!よく撮れてる!僕もその写真欲しいな……あっ、そうか。さすがに夢の中でもらっても持って帰れないよね』
 ミッキーは夢の中から僕に話しかけてるんだっけ。彼にも現実が存在するワケか。あの反応を見るに、夢と現実で姿が違う、って事もなさそう。
『でも、前よりどんどんユウとの距離が近づいてる気がする。声もよく聞こえるし、姿もよく見える。もうガラス一枚分くらいしか、僕らを隔てるものはないみたい』
 言いながら、鏡を向こう側からノックする。確かに、前に比べて音が近くなっている気がする。自信はないけど。
『こうして話ができる時間も、どんどん長くなっているよね。いつか一緒に映画が見られるようになったりして』
「そうなったら面白いね。感想を話す時間もあれば最高だけど」
『ツイステッドワンダーランドにも、映画はある?』
「うん、たくさんあるよ」
『そうなんだ。ユウのオススメを、今度見てみたいな』
「あー、でも僕あんまり詳しくないんだ。今度詳しい先輩に訊いてみるね」
『やったぁ!楽しみにしてるよ!』
 ミッキーは無邪気にはしゃいでみせた。鏡の向こうにいる人種さえ違う相手なのに、普通に会話してるのが不思議でしょうがない。
『ドナルドやグーフィーも、この夢の中に入れたらいいのに。夢の中に住んでいる友だちがいるなんて知ったら、きっと驚くぞ』
 言われて思いつく。
「そうだ、僕の方の友達なら紹介できるかも!」
『本当かい?』
 ベッドを振り返ると、いつもより膨らみが少ない事に気づく。毛布や上掛けの布団を丁寧にめくったが、グリムの姿が無い。
「……あれ?」
『どうしたの?』
「同じ部屋で寝てる友達がいない。他の部屋にいるのかな。ちょっと探してくるね!」
 急いで部屋を飛び出す。通信がいつまで持つかわからない。早く見つけなくては。
 まずグリムの部屋を探したが、誰もいない。エースたちが使っていた、今は空っぽの部屋にもいない。
 談話室も、キッチンも、廊下も、玄関にも、どこにもいない。
「グリムが、どこにもいない……?」
 とりあえず一度、鏡の前に戻った。まだ鏡は光っている。
『ユウ、どうだった?ルームメイトはいたかい?』
 首を横に振った。
 頭が割れるように痛い。身体の震えが止まらない。
 嫌な予感がする。
 ミッキーはいつになく緊張した表情になった。そしてもどかしそうに肩を揺らす。
『何かあったのかもしれない。僕はそっちに行けないから、力になってあげられないけど……ルームメイトを、急いで探しに行ってあげて!また会おうね、ユウ!』
「うん、ごめんね、ミッキー」
 ちょうどタイミング良く、ミッキーの笑顔が消えていく。鏡から光が完全に消えると、部屋の中は真っ暗になった。
 ……探さなきゃ。
 もう一度、寮内をくまなく探した。しかしやはりいない。庭にもいない。
 スマホでエーデュースにも尋ねてみたけど手がかりは無く、寝間着のまま外に出た。校舎や建物は警備のゴーストがいるはずだから入れないだろう。通りを声をかけながら歩いたけど反応はない。
 サイドストリートにさしかかり、ふと顔を上げた。通りの向こうにあるコロシアムに、灯りがついている。
「こんな時間に、誰かいる……?」
 コロシアムでは昼間にオーバーブロットの騒ぎがあった。
 腹の中がずしりと重くなった気がした。同時に、ここにいるのではないか、という気持ちが強まる。
 意を決してコロシアムに走る。夜のコロシアムは建物の古めかしい雰囲気のせいか不気味に感じた。しかし臆している暇はない。そんな臆病になった覚えもないし。
 入り口は明るかったけど、中は最低限の照明しかなく薄暗い。点々とある光を追って歩けば、その先は試合が行われるフィールドだ。今は特設のステージとアリーナ席がある。
 フィールドもやはり薄暗かった。夜間の警戒のための照明しか残していないのだろう。なぜ外から見て明るかったか、までは探っている余裕がない。
「グリムーーー!いるなら返事してーーーー!」
 声を張り上げたが、空しく響くだけで応える気配は無い。ステージの方へ歩みを進めると、変な音が聞こえた。
 金属で固い土か石を削るような、不細工な音。あまり長く聞きたいものではない。
 音の出所を探って歩き出す。ステージの方だ。灯りが少なくて見えなかったけど、ステージの暗い灰色の床の上に何かいる。
「あった…………あったゾォ……ケヒッ、ケヒヒッ……」
 声が聞こえた。気味の悪い笑い声。背筋に冷たいものが走る。思わず拳を握った。
「……ステージを直した時……埋まっちまってたんだな……」
 そう呟いた小さな影は、手にした何かを口に運んだ。目が暗闇に慣れたおかげで見えたが、真っ黒な石だったように思う。以前、グリムが拾い食いしていたのと同じもの。
 咀嚼音が響く。通常の食べ物ではとても出ないような、固い何かが砕ける音だった。
「…………ヴー……うめぇ……」
「……グリム?」
 おそるおそる声をかけた。途端、低い唸り声をあげていたそれが立ち上がる。
「誰ダァッ!?」
 灰色の毛皮、両耳の青い炎、三つ叉に分かれた尻尾。
 そこにいたのは間違いなくグリムだった。その目は正気を失っているのか、敵意に濁り僕が見えていない様子だった。
「僕だよ、ユウだよ。一体ここで何してるの!?」
「渡さねぇ……誰にもやらねぇ……」
 僕の声が聞こえていない。グリムは繋がらない言葉を繰り返しながら、見た事のない殺意を僕に向けていた。
「これはァ……オレの石ダァッ!!!!」
 叫びながら飛びかかってきた。咄嗟に避ける。グリムの爪なら受けたところで大した事はないはずだが、今は完全に異常な状態だ。何が起こるか解らない。
 とにかく気絶させないと。
 体勢を立て直し構える。飛びかかってくるのを待った。
 グリムはこちらに向かって走ってくる。向こうが踏み切るタイミングを探っていると、届くはずのない爪を振り上げた。高さが違いすぎて防御するまでもないと思ったが、その殺気が突然、桁外れに膨らむ。
 まるで届かないはずの爪が、狙い澄ましたように首を大きく抉った。
「…………え」
 ……首が熱い。傷から血が溢れる。勢いよく抜けていく。両手で押さえても止められない。足から力が抜けて、床に倒れる。自分の呼吸の音がやけに大きく聞こえた。
 起きなきゃ、グリムを止めなくちゃと思うのに、手が動かない。身体がどんどん冷えて、冷たい地面と同化していく。
 視界が狭まっていく。見慣れていた相棒の灰色の毛皮が、闇の中へ遠ざかっていく。
 相棒の名前を呼んだつもりだったけど、自分の声も分からなかった。

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