5−2:泥濘へ堕ちる美貌の毒華
………
初めて見た日の事は覚えている。だってあの入学式の日だ。忘れようがない。
ナイトレイブンカレッジに入って三年目。何の当たりを引いたのか、平和でスムーズな入学式など見た覚えがない。
それでもさすがに三年目ともなれば余裕もあった。寮長に就任した事もあり、後輩に情けない姿は見せられないというプライドも多少あったと思う。
あの子は学園長に連れられて鏡の間に入ってきた。周囲の視線に戸惑っている様子だったけど、学園長について歩く姿勢は真っ直ぐで綺麗。きっとスポーツか武道をやっていると一目で解った。
フードから覗く茶色の髪は柔らかそうで、女性的で柔らかな印象の顔立ちと自然に調和している。
エペルは黙っていれば愛らしくも繊細な砂糖細工のようだったが、こちらは草原に咲いた花だ。可憐ながら凛としていて、それが自然で鼻につかない。
この子もうちの寮だろう、と思った。自分の代でこんなに問題児が来るとは、なんて嘆きたい気分だったが、自分が入学した年の寮長も似たような事を思っていたかもしれない、と思うとなんだかいたたまれない。
……そんな事を考えていたから、鏡の告げた内容は意外だった。魔力が無ければ入学など出来るわけがない。
本人も新入生など人違いだと主張していた。その声がまたまっすぐで澄んだよく響く声で、何とももどかしい気持ちを抱えたのを覚えている。
この手で育ててみたい。
大輪の花と咲かせてあげたい。
強く興味を惹かれたけれど、でも自分は結局生徒の一人だ。
手違いで連れてこられた人間をどうにかする権利などありはしない。闇の鏡が彼を元の場所に帰して、それで終わり。
それに、自分には面倒を見なくてはいけない寮生たちがいる。彼らを蔑ろにするわけにはいかない。
だから気持ちはすぐに切り替えた。ルークには妙に慰められたけど。
でも未練が無かったわけじゃない。だからあの時、どうしても黙っていられなくなった。
学用品の買い忘れを思い出して、新年度の初日から購買部に買いに行くはめになった時の事。
そこに、珍しくゴーストが買い物に来ていたのだ。丸々と恰幅の良いゴーストは、サムの広げた商品カタログを読みながら唸っていた。
「……ゴーストが買い物に来ているなんて珍しいわね」
特に深い意味もなく声をかけた。
ゴーストは通常、生活の必要がないから買い物はしない。イベントごとだと花火などの残らない玩具を買ったり、逆に商品の買い取りを申し込みに来ている事はたまにあるが。
『実はね~、うちの寮に新入りさんが入ったから、必要なものを揃えてあげてるんだ~』
「……ゴーストの寮?」
「校舎の横の廃虚の事さ。ずーっと昔は寮として使われてたって話だけど、今は建物しか残ってなくて、ゴーストたちの溜まり場になってるんだよ」
サムが横から補足してくれた。確かに、美しくない廃虚がずっとあるなとは思っていた。立ち入りを禁止してる割に取り壊しもされないから、学園長でも解除できない酷い呪いがかけられてるだの、地下に財宝が隠されているだの、生徒の間でいろいろ噂はあったけど真相は明らかにされていない。
『そう~。可愛い可愛いプリンセスと、暴れん坊のモンスター!……プリンセスって言っても男の子なんだけど~』
「……プリンセスって、昨日の入学式にいた魔力のない新入生?」
『そうだよ~。手違いで連れてこられちゃったのに、帰れなくなったみたい~』
言い得て妙だと思いつつ、頭の中は混乱していた。
あの子はまだここにいる。
興奮を押さえ込むために必死で質問を考えた。
「……あの廃虚、人が住めるの?」
『いまのままじゃ無理じゃないかな~。だからこれから大忙しさ~!建物を直したり、電気や水道を通してもらったりしないと~!』
ゴーストは困ったような様子だけど、どこか嬉しそうだった。新しい同居人を歓迎しているらしい。しかし、その表情がすぐに暗く沈む。
『でも予算がね~。下働きでもらえるお金じゃ、身繕いのものを揃えてやるのも一苦労だよ~。完全に身一つで来てるから、着替えも日用品も何もないんだ~』
「……そう、なの。ちなみに予算は?」
思わず尋ねていた。我に返っても遅い。
ゴーストの手持ちを聞いてカタログに目を走らせる。現実的な生活を思えば、下着類や衣類を優先すべきだろう。下働き用の服は支給されているらしいが四六時中それで過ごさせるわけにもいかない。
「下着やケモノ用のシャンプーは仕方ないとして……人間用の入浴用品なら、うちの寮の備品の余りを提供するわ」
『え、ええ~!?いいのか~い?』
「いつも新年度に最新のものに切り替えてるから、毎年どうしても余りが出るの。別に構わないわ」
『よかった~助かるよ~!!』
「ただし!……条件がある」
厳しく言うと、ゴーストは姿勢を正した。
「アタシが渡した事、誰にも言わないで。あの子にも、もちろん仲間のゴーストにも」
『それぐらいお安いご用さ~』
ちらりとサムを睨む。
「お店で見聞きした事は簡単には口外しないよ。守秘義務ってやつさ」
「あら、それは助かるわ。プライバシーに値段のつくアタシだって、これからも購買部は使いたいもの」
念押しすると降参のポーズで頷いたので、信用する事にした。
……こんなきっかけで、ヴィル・シェーンハイトは名前を隠し、あの子の支援者の一人になった。
後輩に譲る事もあるかもしれないと、サイズが変わっても手元に残しておいた服から、これからの季節に使えて似合いそうなものをまとめて譲った。
大怪我をした時には魔法薬の差し入れをした。急いでいたし、身元がバレないように市販品を選んだ。
購買部であの子が欲しそうに見ていたものを、似合いそうなアクセサリーと一緒に贈った。
思えば全く、報われている気はしない。
ずっと顔を隠していたのは気に食わなかったし。
何かとトラブルに巻き込まれては大怪我したり酷い目に遭ってるし、それを知るのはだいたい全てが終わった後だし。
だけど、どうしようもなく気になっていた。毎日顔を合わせないから気にかかるのかと思っていた。
でもきっと、毎日顔を合わせていたら、もっと早く恋に落ちていたのだと思う。
一般人には理解され難い自分の事情が受け入れられた事が、ひとつ大きなきっかけだった。
それまで世話を焼いても『慕われている』という実感はまるで無くて、まぁ嫌われるのには慣れているけど、でもあの時に初めて『恐れられても嫌われている訳ではない』と感じたのだ。そして、他とは違う大きな喜びも抱いた自分に気付いた。
丁寧で真面目な顔がよそ行きの顔だと気づいたら、とぼけたり拗ねたりされると距離が近くなった事を実感できた。
もっと知りたくなった。もっと近くにいてほしくなった。
合宿を同じ部屋にしたのはちょっと強引だったかもしれないけど、おかげで決定的に距離は近くなった。
知ってはいけない事も知ってしまった。
アタシはただ、あの子に素顔で過ごしてほしかった。
あんなに可愛らしくて素敵なのに、顔を隠すなんてもったいない。うっとおしい蠅なんか叩き落とせば済むのだから、何も恐れる事は無い。彼にはその力もあるのだ。
『生まれ持った力を隠す必要なんてない』
本当に、そんな事しか考えていなかった。
知らなかったでは済まされないのに。
罪悪感をごまかすように、あの子を取り巻いていた環境への恨みが募った。
事件だけであの子が夢を諦めるとは思えない。もし自分があの子の傍にいたなら、きっと励まして強引に手を引っぱってでも業界に取り戻しただろう。
あの子の世界の連中は、それをしなかった。芽を潰しただけに飽きたらず、もう二度と芽吹く事の無いように何度も踏みしめた。
何も知らない、想像するしかない連中に恨みを抱くのは簡単だった。
勝手にあの子の夢を背負うのも、それだけなら。
絶対に勝ちたかった。私怨もあってその思いは、今までで一番強かったように思う。
だから、ネージュがあの子の手を引いて現れた時、心臓を掴まれたような気分だった。もちろん、悪い意味で。
あの子が人を惹きつける性質なのは知ってる。本人は顔が原因だと理解している様子だった。学内の評判からしても明らかに何かがあると感じる。
魔力のない、異例の生徒。
愛らしい容姿と表向きの穏やかな人柄に好感を抱く奴は学内にも多い。他寮の揉め事を収めた手腕を崇拝する輩もいるし、女装した姿のみを追い続けている者もいる。
熱心にアプローチしている連中との仲を応援する声も多い。
一番見かけるのはレオナの名前だ。
本人が好意を全く隠す気がないせいもあるだろうが、外見的なバランスも良い。野性味あるレオナと清楚なあの子の対比は、一般的にも好ましく思われるものだろう。
対して、自分との評判は『女王様と小間使い』だ。
まるであの子と結ばれるべきではないと言われたようで不愉快だった。ずっと忘れようとしていた。
なのに、あの子の視界にネージュが現れた。
性質を言葉で並べれば、二人は似通っている。あの業界にいて全く汚れる事がないネージュと、色々あって多少捻くれてしまったあの子で違いはあるけれど、その違いも噛み合うのではないかと直感した。
何より二人並んだ立ち姿が、自分の隣にいる時よりも自然でそれらしいと感じた。感じてしまった。
ロイヤルソードアカデミーのパフォーマンスをリハーサルで見て、チームのメンバーに事務的な連絡をして、楽屋で休もうと思っていた時。ネージュがあの子と話しているのを見かけた。妙に親しげで、いつになく嬉しそうな顔で。
あの子がつけられた『ガラスの靴』の話をしていた。馬鹿みたいなおまじないを売りにして売れてる香水。そのおまじないに下らない尾ヒレがついてるのも知っている。
『ガラスの靴は一対だから、運命の人も同じ香水をつけている』
馬鹿馬鹿しい。本当に馬鹿馬鹿しい。
ネージュ、アンタも同じ香水つけてるじゃない。
何でその話をわざわざあの子にしたの。意識してくれと言わんばかりに。ああ、きっと悪気は無いんだ。解ってる。アイツは、ヴィルがあの子を好きだなんて知らないんだから。
あの子が相手にするわけない。するわけないけど、絶対とは言い切れない。
だってまだ何も言ってない。
あの約束をした後、『VDC』で優勝したら告白しようと心に決めたから。
まだ何の関係もない。だから心変わりを責められない。
このままではまたネージュに負ける。勝負だけじゃなくて、恋さえ叶わなくなる。
そんなのは嫌だ。絶対に嫌だ。
でもこのままじゃ絶対に勝てない。約束を破ってしまう。あの子を奪われる。
八方塞がりでどうしようもなかった。
ネージュさえいなくなれば、全て丸く収まるはずなのに。
アイツさえいなければ。
飲むために手にしたはずの林檎ジュースに『呪い』が注いだ瞬間に、後戻りは出来なくなった。
初めて見た日の事は覚えている。だってあの入学式の日だ。忘れようがない。
ナイトレイブンカレッジに入って三年目。何の当たりを引いたのか、平和でスムーズな入学式など見た覚えがない。
それでもさすがに三年目ともなれば余裕もあった。寮長に就任した事もあり、後輩に情けない姿は見せられないというプライドも多少あったと思う。
あの子は学園長に連れられて鏡の間に入ってきた。周囲の視線に戸惑っている様子だったけど、学園長について歩く姿勢は真っ直ぐで綺麗。きっとスポーツか武道をやっていると一目で解った。
フードから覗く茶色の髪は柔らかそうで、女性的で柔らかな印象の顔立ちと自然に調和している。
エペルは黙っていれば愛らしくも繊細な砂糖細工のようだったが、こちらは草原に咲いた花だ。可憐ながら凛としていて、それが自然で鼻につかない。
この子もうちの寮だろう、と思った。自分の代でこんなに問題児が来るとは、なんて嘆きたい気分だったが、自分が入学した年の寮長も似たような事を思っていたかもしれない、と思うとなんだかいたたまれない。
……そんな事を考えていたから、鏡の告げた内容は意外だった。魔力が無ければ入学など出来るわけがない。
本人も新入生など人違いだと主張していた。その声がまたまっすぐで澄んだよく響く声で、何とももどかしい気持ちを抱えたのを覚えている。
この手で育ててみたい。
大輪の花と咲かせてあげたい。
強く興味を惹かれたけれど、でも自分は結局生徒の一人だ。
手違いで連れてこられた人間をどうにかする権利などありはしない。闇の鏡が彼を元の場所に帰して、それで終わり。
それに、自分には面倒を見なくてはいけない寮生たちがいる。彼らを蔑ろにするわけにはいかない。
だから気持ちはすぐに切り替えた。ルークには妙に慰められたけど。
でも未練が無かったわけじゃない。だからあの時、どうしても黙っていられなくなった。
学用品の買い忘れを思い出して、新年度の初日から購買部に買いに行くはめになった時の事。
そこに、珍しくゴーストが買い物に来ていたのだ。丸々と恰幅の良いゴーストは、サムの広げた商品カタログを読みながら唸っていた。
「……ゴーストが買い物に来ているなんて珍しいわね」
特に深い意味もなく声をかけた。
ゴーストは通常、生活の必要がないから買い物はしない。イベントごとだと花火などの残らない玩具を買ったり、逆に商品の買い取りを申し込みに来ている事はたまにあるが。
『実はね~、うちの寮に新入りさんが入ったから、必要なものを揃えてあげてるんだ~』
「……ゴーストの寮?」
「校舎の横の廃虚の事さ。ずーっと昔は寮として使われてたって話だけど、今は建物しか残ってなくて、ゴーストたちの溜まり場になってるんだよ」
サムが横から補足してくれた。確かに、美しくない廃虚がずっとあるなとは思っていた。立ち入りを禁止してる割に取り壊しもされないから、学園長でも解除できない酷い呪いがかけられてるだの、地下に財宝が隠されているだの、生徒の間でいろいろ噂はあったけど真相は明らかにされていない。
『そう~。可愛い可愛いプリンセスと、暴れん坊のモンスター!……プリンセスって言っても男の子なんだけど~』
「……プリンセスって、昨日の入学式にいた魔力のない新入生?」
『そうだよ~。手違いで連れてこられちゃったのに、帰れなくなったみたい~』
言い得て妙だと思いつつ、頭の中は混乱していた。
あの子はまだここにいる。
興奮を押さえ込むために必死で質問を考えた。
「……あの廃虚、人が住めるの?」
『いまのままじゃ無理じゃないかな~。だからこれから大忙しさ~!建物を直したり、電気や水道を通してもらったりしないと~!』
ゴーストは困ったような様子だけど、どこか嬉しそうだった。新しい同居人を歓迎しているらしい。しかし、その表情がすぐに暗く沈む。
『でも予算がね~。下働きでもらえるお金じゃ、身繕いのものを揃えてやるのも一苦労だよ~。完全に身一つで来てるから、着替えも日用品も何もないんだ~』
「……そう、なの。ちなみに予算は?」
思わず尋ねていた。我に返っても遅い。
ゴーストの手持ちを聞いてカタログに目を走らせる。現実的な生活を思えば、下着類や衣類を優先すべきだろう。下働き用の服は支給されているらしいが四六時中それで過ごさせるわけにもいかない。
「下着やケモノ用のシャンプーは仕方ないとして……人間用の入浴用品なら、うちの寮の備品の余りを提供するわ」
『え、ええ~!?いいのか~い?』
「いつも新年度に最新のものに切り替えてるから、毎年どうしても余りが出るの。別に構わないわ」
『よかった~助かるよ~!!』
「ただし!……条件がある」
厳しく言うと、ゴーストは姿勢を正した。
「アタシが渡した事、誰にも言わないで。あの子にも、もちろん仲間のゴーストにも」
『それぐらいお安いご用さ~』
ちらりとサムを睨む。
「お店で見聞きした事は簡単には口外しないよ。守秘義務ってやつさ」
「あら、それは助かるわ。プライバシーに値段のつくアタシだって、これからも購買部は使いたいもの」
念押しすると降参のポーズで頷いたので、信用する事にした。
……こんなきっかけで、ヴィル・シェーンハイトは名前を隠し、あの子の支援者の一人になった。
後輩に譲る事もあるかもしれないと、サイズが変わっても手元に残しておいた服から、これからの季節に使えて似合いそうなものをまとめて譲った。
大怪我をした時には魔法薬の差し入れをした。急いでいたし、身元がバレないように市販品を選んだ。
購買部であの子が欲しそうに見ていたものを、似合いそうなアクセサリーと一緒に贈った。
思えば全く、報われている気はしない。
ずっと顔を隠していたのは気に食わなかったし。
何かとトラブルに巻き込まれては大怪我したり酷い目に遭ってるし、それを知るのはだいたい全てが終わった後だし。
だけど、どうしようもなく気になっていた。毎日顔を合わせないから気にかかるのかと思っていた。
でもきっと、毎日顔を合わせていたら、もっと早く恋に落ちていたのだと思う。
一般人には理解され難い自分の事情が受け入れられた事が、ひとつ大きなきっかけだった。
それまで世話を焼いても『慕われている』という実感はまるで無くて、まぁ嫌われるのには慣れているけど、でもあの時に初めて『恐れられても嫌われている訳ではない』と感じたのだ。そして、他とは違う大きな喜びも抱いた自分に気付いた。
丁寧で真面目な顔がよそ行きの顔だと気づいたら、とぼけたり拗ねたりされると距離が近くなった事を実感できた。
もっと知りたくなった。もっと近くにいてほしくなった。
合宿を同じ部屋にしたのはちょっと強引だったかもしれないけど、おかげで決定的に距離は近くなった。
知ってはいけない事も知ってしまった。
アタシはただ、あの子に素顔で過ごしてほしかった。
あんなに可愛らしくて素敵なのに、顔を隠すなんてもったいない。うっとおしい蠅なんか叩き落とせば済むのだから、何も恐れる事は無い。彼にはその力もあるのだ。
『生まれ持った力を隠す必要なんてない』
本当に、そんな事しか考えていなかった。
知らなかったでは済まされないのに。
罪悪感をごまかすように、あの子を取り巻いていた環境への恨みが募った。
事件だけであの子が夢を諦めるとは思えない。もし自分があの子の傍にいたなら、きっと励まして強引に手を引っぱってでも業界に取り戻しただろう。
あの子の世界の連中は、それをしなかった。芽を潰しただけに飽きたらず、もう二度と芽吹く事の無いように何度も踏みしめた。
何も知らない、想像するしかない連中に恨みを抱くのは簡単だった。
勝手にあの子の夢を背負うのも、それだけなら。
絶対に勝ちたかった。私怨もあってその思いは、今までで一番強かったように思う。
だから、ネージュがあの子の手を引いて現れた時、心臓を掴まれたような気分だった。もちろん、悪い意味で。
あの子が人を惹きつける性質なのは知ってる。本人は顔が原因だと理解している様子だった。学内の評判からしても明らかに何かがあると感じる。
魔力のない、異例の生徒。
愛らしい容姿と表向きの穏やかな人柄に好感を抱く奴は学内にも多い。他寮の揉め事を収めた手腕を崇拝する輩もいるし、女装した姿のみを追い続けている者もいる。
熱心にアプローチしている連中との仲を応援する声も多い。
一番見かけるのはレオナの名前だ。
本人が好意を全く隠す気がないせいもあるだろうが、外見的なバランスも良い。野性味あるレオナと清楚なあの子の対比は、一般的にも好ましく思われるものだろう。
対して、自分との評判は『女王様と小間使い』だ。
まるであの子と結ばれるべきではないと言われたようで不愉快だった。ずっと忘れようとしていた。
なのに、あの子の視界にネージュが現れた。
性質を言葉で並べれば、二人は似通っている。あの業界にいて全く汚れる事がないネージュと、色々あって多少捻くれてしまったあの子で違いはあるけれど、その違いも噛み合うのではないかと直感した。
何より二人並んだ立ち姿が、自分の隣にいる時よりも自然でそれらしいと感じた。感じてしまった。
ロイヤルソードアカデミーのパフォーマンスをリハーサルで見て、チームのメンバーに事務的な連絡をして、楽屋で休もうと思っていた時。ネージュがあの子と話しているのを見かけた。妙に親しげで、いつになく嬉しそうな顔で。
あの子がつけられた『ガラスの靴』の話をしていた。馬鹿みたいなおまじないを売りにして売れてる香水。そのおまじないに下らない尾ヒレがついてるのも知っている。
『ガラスの靴は一対だから、運命の人も同じ香水をつけている』
馬鹿馬鹿しい。本当に馬鹿馬鹿しい。
ネージュ、アンタも同じ香水つけてるじゃない。
何でその話をわざわざあの子にしたの。意識してくれと言わんばかりに。ああ、きっと悪気は無いんだ。解ってる。アイツは、ヴィルがあの子を好きだなんて知らないんだから。
あの子が相手にするわけない。するわけないけど、絶対とは言い切れない。
だってまだ何も言ってない。
あの約束をした後、『VDC』で優勝したら告白しようと心に決めたから。
まだ何の関係もない。だから心変わりを責められない。
このままではまたネージュに負ける。勝負だけじゃなくて、恋さえ叶わなくなる。
そんなのは嫌だ。絶対に嫌だ。
でもこのままじゃ絶対に勝てない。約束を破ってしまう。あの子を奪われる。
八方塞がりでどうしようもなかった。
ネージュさえいなくなれば、全て丸く収まるはずなのに。
アイツさえいなければ。
飲むために手にしたはずの林檎ジュースに『呪い』が注いだ瞬間に、後戻りは出来なくなった。