5−2:泥濘へ堕ちる美貌の毒華



 赤く染まった夕方の空を見上げ、ぼんやりと立ち尽くしていた。
 文化祭の初日も終わりが近づき、帰って行く人の姿が目立つ。随分、人通りはまばらだ。目玉の『VDC』が終わってしまえば、校内の人の数は一気に減る。寂しいがそんなものだろう。
 我に返り、メインストリートを歩く。ひとつの石像の前で足を止めた。
 林檎のオブジェを掲げた『女王』の像。
 あの夢は結局なんだったのだろう。
 もし警告だったとしたら、僕は今回も何も出来なかった事になる。シェーンハイト先輩はオーバーブロットしたのだから。
 魔法士にとって頻繁に起こる事象ではないはずなのに、自分がここに来てから五回も起こっている。
 明らかな異常事態のはずだ。
 ……自分が原因なのだろうか。
 異世界からの来訪者。帰る手段の無い状況。
 自分がもし、この学校の人たちに何らかの悪影響を与えているのだとしたら。
 確証はない。……少し、悪く考えすぎているのかもしれない。
 考えたところで、今の状態では情報が無いのだから、自分には何も分からない。
 石像を見渡す。まだ夢に出てきていないのは二人。『死者の国の王』と、『茨の魔女』。
 次に夢を見る事があれば、警戒しなくてはいけない。
「……ヴィル先輩のところに行ってたんじゃねえの?」
 思わず振り返る。エースが首を傾げながら近づいてきていた。
「あー……そうだったんだけど」
「だけど?」
「その、大丈夫だから来なくていい、って」
 シェーンハイト先輩は『VDC』が終わってすぐに医務室で処置を受けた。まだ文化祭が続いている事もあり、野次馬が集まって混乱が起こる事を避けるため、ポムフィオーレ寮の自室で休んでいる。
『アタシの事はいいから。短い時間だけど、残りの時間をみんなと楽しんでらっしゃい』
 そう言って微笑んでいたけど、顔色は良くなかった。我が儘を言う気にはなれないくらい。
「エースこそどうしたの?デュースは?」
「デュースはグリムに付き合ってやけ食いツアーだって。付き合い切れねーから先に寮に帰ろうと思って」
「そっか」
 優勝を逃し、グリムは荒れに荒れていた。デュースには申し訳ない。
 戻ってきたみんなに僕の投票画面を確認させろと迫られた時は何事かと思ったが、事情を聞けば苦笑いするしかなかった。
 後日反省会というか、ミーティングをするとシェーンハイト先輩は言っていたけど、きっと楽しいばかりのお疲れさま会、とはならないんだろうな。
 周囲の人の気配がどんどん薄れていく。
「……『ミスター・ロングレッグス』って、ヴィル先輩だったんだな」
「…………うん」
 頷きながら、何となく背を向ける。
「……その、良かったじゃん。失恋してるようなもんだとか言ってたけどさ、そんな感じ全然」
「別に良くはないよ」
 わざとエースの言葉を遮った。それ以上聞きたくなかったから。
「……何でだよ。両思いって事じゃん」
「言ったでしょ。僕は元の世界に帰るの」
 誰を好きになって、誰と結ばれたとしても、帰りたくなくても帰らなければいけない時が来るかもしれない。
 大好きだから、そんな無責任な事は出来ない。
「例え両思いだったとしても、恋人になんてなれっこない」
 自分に言い聞かせるために呟く。
 僕がこの学校に悪影響を及ぼしていない、という証拠はない。だから、僕が原因である可能性を否定する事は出来ない。
 もしそうなら、愛されるお姫様どころか、とんだ疫病神だ。とっとといなくなった方が良い。
「これからも、それは変わらないよ」
「そうやって我慢して全部飲み込んで、お前はそれで良いのかよ」
「良くないって言ったら何か変わる?」
「それは……」
「僕が異世界の人間である事も、先輩がこの世界の有名人である事も、何も変わらない」
 だからこれからも、対処は変わらない。
 元の世界に帰る事以外の全てを、諦めるしかない。
「……つらくねえの?」
「……そうだね」
 曖昧な相槌を打つ。向こうは何か言いたげな気配があった。
「エースはさ」
「ん?」
「人を好きになった事って、ある?」
「……あるよ、人並みに」
「そっか」
「お前は?」
「……僕にとって、男の人も女の人も、それぞれ違う意味で怖いものだった。だから全然無い」
 誰かを好きになるという感覚も、正直言ってきちんと理解している気がしない。今でも自信がない。
 これが本当に恋心なのか、そう思いこんでいるだけの別の何かなのかもわからない。
「好きなタイプとか聞かれたら、『こんな人ならうまくやれるかも』って想像したものを答えてた。だからそういう人を探すとかした事もない」
 ずっと遠い感覚だった。一生知らないままかもしれないと思ったし、それはそれで仕方ないかと思っていた部分もあった。
「エース」
「ん?」
「人を好きになるのって、つらいんだね」
 どう答えてほしくて言ったのかは分からない。ただ聞いてほしかったのかもしれない。
 エースはしばらく無言だった。答えに困る事を言ってしまったかと思い振り返った瞬間、肩を掴まれる。
「わぶっ」
 強引に引き寄せられ、顔がエースの肩に激突する。顔を上げる前に、頭を押さえられた。
「泣くの我慢してだっせぇの」
「なっ……」
「いいじゃん。つらいなら泣けば。肩ぐらい貸してやるよ」
 親友だから、と照れくさそうに続けた。顔は見えない。
 抗議しようとしたけど、喉が詰まって声が出なかった。代わりに、目から涙が溢れてくる。袖を掴んで肩口に顔を埋めて、必死で嗚咽を堪えた。時折、エースの手が宥めるように頭や背中を撫でていく。
 夕日が落ちて辺りが夜の闇に染まっても、しばらく涙を止める事が出来なかった。

25/28ページ