5−2:泥濘へ堕ちる美貌の毒華



 会場はツノ太郎に直してもらえてラッキーだったが、人間の方はそうはいかない。
 重傷のシェーンハイト先輩を筆頭に、戦闘に参加していたメンバー全員が負傷している。完全に無傷なのは僕一人だ。
 まず保健室に走って救急箱を貰ってきて、購買に行って頼まれた魔法薬と腹押さえの食料品を買って、すぐに楽屋にとんぼ返り。その後も細々としたお使いをこなして過ごし、気づけば本番が二十分後にまで迫っていた。
 僕が走り回っていた間、みんなは可能な限り負傷箇所を手当しあって、衣装の解れを実践魔法で修復。化粧で服では隠れない傷を隠した。何かあった事を悟られないためには、外見を徹底的にごまかす必要がある。
 一番大きく負傷しているシェーンハイト先輩は、素人の応急処置では無理があった。正直言って、『VDC』どころか日常生活さえ危うい。こんな状況じゃなければ、縛ってでも保健室のベッドに寝かせている。
 でも『世界一』の称号は他ならぬシェーンハイト先輩の切実な願いだ。それを己の手で叶える機会を、自分が邪魔するわけにはいかない。
 信じて見守る事が、いま必要な事のはずだ。
「そろそろスタンバイの声がかかる頃ね。先に待機場所に……つっ!」
 椅子から立ち上がった拍子によろめいたシェーンハイト先輩を、ハント先輩が受け止める。その表情は不安そうだ。
「ヴィル……本当に大丈夫かい?」
「痛み止めの魔法薬も飲んだし、擦り傷もメイクで隠した。問題ないわ」
「……キミがそう言うなら」
 多分、ハント先輩も同じ気持ちでシェーンハイト先輩を支えている。歯がゆく思いながらも、その意志を邪魔する事は出来ない。
「…………ヴィルサン!!」
 エペルがいつになく真剣な表情でシェーンハイト先輩を見た。
「あの……僕に、センターを譲ってもらえませんか!」
 全員の顔が驚きに染まった。
「エペル、お前突然なに言っちゃってんの?」
「エースの言うとおりだ。本番直前に、どうして急に?」
「いくらなんでも、オメーがヴィルの代わりをするのは難しいんじゃねーか?」
「だってヴィルサン、立っているのもやっとじゃないか!」
 メンバーたちの困惑と反対に、エペルは必死で言い返す。シェーンハイト先輩は、エペルの言葉に静かに耳を傾けていた。
「絶対優勝するって言ったけど、もし、もし舞台の上で身体に限界がきたりしたら……俺、あんたが観客の前で無様を晒すところなんか見たくない!」
「ムシュー・姫林檎……」
「俺はあんたとの約束を守って、入学した頃よりずっと愛らしく、強くなった。甘くてかわいいだけじゃない、立派な毒林檎になれたでしょ?」
 自分の言葉を証明するように、柔らかく愛らしい、けれどどこか鋭いものを感じさせる表情を作り言葉を紡ぐ。
 そしてすぐに真剣な表情に戻った。
「俺がネージュを仕留めます。だから……!」
「……言うようになったわね」
 シェーンハイト先輩は、目を細めてエペルを見ていた。親鳥が雛を愛でるような親愛を滲ませる。
 その雰囲気が一瞬で変わった。そこにいるのはポムフィオーレ寮の寮長ではなく、一流の表現者としての『ヴィル・シェーンハイト』だった。
「でも、心配は無用よ。スポットライトがアタシを照らしているのなら、たとえ頭上から大岩が落ちてきたって舞台を降りはしない」
 口にするだけなら簡単な言葉。聞く者に確信を抱かせるならば、声には力を込める必要がある。
 シェーンハイト先輩は説得に十分な力を込めていた。これを拒否するのは軽率だと思わせる迫力を持っている。
「最後の瞬間まで、勝利を信じて足掻き続ける。それが、悪役の誇り」
 正道という名の茨の道を進んできた。傷だらけの足でステージを踏みしめ、スポットライトの下へと迷わず進んでいくのは、これまでもこれからも変わらない。
「……どうか、悪役に最後まで舞台に立っていられるチャンスをちょうだい」
 その言葉だけは少しだけ、甘えるような響きがあった。強い者が見せるほんの少しの弱さは、簡単に人の心を揺り動かす。故意でなくとも。
「……わかりました。ヴィルサンが、そう決めたなら……」
「大丈夫よ。右足の骨が砕けかけてたくせに、湿布と包帯だけでマジフトの試合を半分走りきったヤツだっているんだもの。アタシだってやりきってみせるわ」
 噎せた。
 訝しげな視線に気にしないで、とジェスチャーで示す。事情を知ってる一部は必死で笑いを堪えていた。
「……第一、他人の心配なんかしてる余裕あるの?エペル」
 シェーンハイト先輩はすっかりいつもの調子に戻っていた。意地の悪い笑顔でエペルを見る。
「アンタ、人前に出ると途端にミスが増えるんだから。大事なオーディション、サビでミスったのをお忘れ?」
「なっ!い、今そんな話しなくたっていいじゃないですか!」
 こっちも根に持つなぁ。
 頬を赤らめて怒るエペルに、シェーンハイト先輩は信頼のこもった強い眼差しを向ける。
「このアタシにセンターを譲れとまで言ったのよ。キッチリ観客のハートを仕留めてちょうだい。毒林檎ちゃん」
「……はい!」
 エペルも力強く頷いた。
 ちょうど楽屋の扉がノックされる。返事をすると、スタッフの人が顔を出した。
「ナイトレイブンカレッジのみなさん、まもなく出番です。スタンバイよろしくお願いします!」
 こちらが返事をすると、そのまま扉を閉めて出ていった。
 一気に室内の空気が変わる。
「……ついにこの時がきたわ」
「んじゃ、サクッと優勝トロフィーもらいにいきましょっか」
「おう!緊張しすぎて逆に落ち着いてきたぜ!」
「っシャア!!観客のハート、仕留めてみせんぞ!」
「練習通りにやればいい。心配するな、全てうまくいく」
「ジャミルの言う通りだ。最後まで全力で楽しもうぜ!」
 それぞれが意気込みを、彼ららしく語る。自信に満ちた笑顔はとても頼もしい。
「いいか!オメーらの肩にはオレ様のツナ缶富豪の夢がかかってるんだゾ。ぜったい、ぜーーったい、優勝するんだゾ!」
「目指すは、世界一の座のみ!」
 グリムと僕の激励の声を背に、みんなが楽屋を出ていく。
「ユウ、今のうちにふたりで話をさせて」
「ん?なんだなんだ?」
「グリムくんはマネージャーとして引率を頼むよ」
「んん?ったく、しょーがねえなー!」
 シェーンハイト先輩の言葉に興味を引かれかけたグリムを、ハント先輩がうまく誘導し外に出す。いつ見ても見事なコンビネーション。
 扉が閉まると、シェーンハイト先輩は小さく息を吐く。
「本当はもっと余裕を持っておきたかったのに。……自業自得とは言え、悔しいったら無いわね」
「でも、ハプニングはつきもの、じゃないですか。大事な舞台ほど」
「……それもそうね」
 手招きされて歩み寄る。差し出された手を取った。
 自然に視線が絡む。先輩の指が、僕の髪を撫でた。
「勇敢で優しい、可愛い可愛いアタシのお姫様」
 先輩の指が頬に触れてくる。気づけば先輩の胸に手を添えて、煌めく瞳を見つめていた。
「どうか、アタシに祝福を頂戴。……最後まで舞台に立ち続けるための、祝福を」
 答える代わりに目を閉じた。僕の肩を掴む手に力が入ったのが解る。
 頬を撫でられ、次の瞬間には柔らかい感触が唇に触れていた。優しく啄まれ、すぐに離れていく。
 目を開けば、世界で一番美しいと思う人の顔がそこにあった。今までで一番幸せそうに微笑み、額を合わせてくる。
「……行ってくるわ」
「はい」
「見ていてね。……絶対に勝つから」
「信じてます」
 強く抱きしめられた。慈しむように僕の髪を梳いて、すぐに手を離す。名残惜しそうに微笑む先輩に、僕もとびっきりの笑顔を返した。
 扉の向こうへ消えていく背中を見送る。そして入れ違いに、グリムが楽屋に戻ってきた。
「おかえり、マネージャー二号」
「ただいまなんだゾ。……話ってなんだったんだ?」
「お互いに気合い入れただけだよ」
「ふうん?」
 雑に答えながら、楽屋に設置されたモニターの電源を入れた。ステージの様子が映し出される。
「おぉ、ここからでも見られるんだな!」
「一緒に見届けようね」
 僕が椅子に座ると、グリムも隣の椅子に腰掛ける。
 救急箱の中身はさっき整理しておいた。本番が終わればすぐに走れる。
 どうか無事に、今日のステージが終わりますように。
 あの人の想いが報われますように。
 気づけば手を組み、モニターに向かって祈っていた。





「……姫君の祝福は受けられたかい?」
「…………盗み聞きしてたんじゃないでしょうね」
「まさか!……ああ、尋ねたのが野暮だったね。キミの美しさに驚いたものだから、つい口走ってしまった」
「全く……調子がいいんだから」
「これで準備は整った。もはや我らに敵はない」
「今、アタシは……世界で一番、美しい!」
「さあ、我らNRCトライブ!いざ征かん、決戦の地へ!」

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