5−2:泥濘へ堕ちる美貌の毒華
嘆きも祝福も一段落すると、現実が僕たちを襲ってくる。
つまり、この見るも無惨なステージをどうするか、という事だ。
「幸いにも、ヴィル先輩がコロシアムに充満させていた毒霧によって、この騒ぎの目撃者は俺たち以外に誰もいない。バレないうちに会場を修復し外に出たい所だが……俺たちの残りの魔力では全てを元通りにするのは不可能だろう」
バイパー先輩が現状を的確に分析する。反論の余地はない。そして希望も無い。
最初の設置でさえ多くの生徒が協力していた。ブロットに溶かされてしまった椅子や設備は復元も難しい。新しいものを搬入するにも時間がない。
「……どれだけ考えても手詰まりだ。さすがにどうしようもないかもしれない」
「ふなぁ……」
「そんな、それじゃあ『VDC』は……」
「……みんなの怪我の事を考えたら、いっそ知らない間に事件が起きたとかでっち上げて延期させたいぐらいなんですが」
「……難しいでしょうね。再び全部の参加校の日程を合わせるのは現実的じゃない。スポンサーの都合だってある」
「ネージュにつられなかった連中を避難させた時に、エースたちの顔は見られてるからな。でっち上げた事件との関連を疑われて出場停止になっては本末転倒だ」
「……ジャミル先輩、それを見越してオレらに避難誘導させたとかないですよね?」
「まさか。適材適所、人員の都合で他意は無い。当然だろう。可愛い後輩を人身御供に差し出す先輩なんているわけないじゃないか」
エースの疑問の視線に対し、バイパー先輩は顔を背けたままだ。後輩を思いやる言葉も早口で無感情に言われるとまるで説得力がない。勉強になる。
しかしこのまま話していても時間は過ぎるばかり。対処法を考えなくてはいけない。
一番はやはり、会場が今すぐ綺麗に元通りになる事だけど、そんなうまい話があるわけない。
「おやおや……これはどうしたことだ?」
静まりかえっていた会場に、人の声がした。静かな足音が近づいてくる。
石膏のような肌を縁取る黒髪、長身にナイトレイブンカレッジの制服。ベストと腕章の色は黄緑色。作り物のように美しい顔と、頭上に聳える二本の黒いツノ。
「少し早く着いてみれば、ステージが滅茶苦茶じゃないか」
「あっ、ツノ太郎!」
「ツノ太郎!!!!????」
新しい人物の登場に目を見開いていた一同が、僕の呼んだ名前で更に目を剥いて驚きを叫ぶ。僕がその反応に身を竦めている間に、グリムがてこてこ歩いてツノ太郎に近づいていった。
「お~!オマエがオンボロ寮の庭を夜中に徘徊してるっていう、ツノ太郎か。ユウから話は聞いてたけど、本当に頭にツノが生えてんだな!にゃっはっは……ふがっ!」
陸上部の期待の新星が態度のでかいモンスターの口を素早く塞ぐ。凄く速かった。
「こら、グリム!!お、お、お前っ!先輩になんて口の利き方してんだ!」
その間に、エースがこちらに駆け寄ってきてエペルに並ぶ。
「ユウ!あのヒトをツノ太郎呼ばわりするなんて命知らずにも程があんでしょ!」
「おめぇ、あの人が誰だか知らねえのか!?」
「え、えぇ……?だって名前を教えてくれなくて、でもって好きに呼べって言われたから……」
そりゃなんか凄い偉そうだから偉い人なんだろうとは思ってたけど。そんなにヤバかったかな。
困惑していると、シェーンハイト先輩が僕の肩から手を離して、背に庇うような姿勢を取った。ツノ太郎を強い敵意で睨みつけている。
「ユウの世間知らずをいいことに随分と戯れていたようね」
対するツノ太郎は涼しい顔だ。敵意とも感じていなさそう。
「茨の魔女の高尚な精神に基づく、ディアソムニア寮の寮長……マレウス・ドラコニア!」
今度は僕が目を見開く番だった。
「…………マレウス・ドラコニア、ってあの、世界で五本の指に入る魔法士とかって言われてて、マジフト大会で三年連続で無双してた人?」
エースたちが何度も頷く。
ヴァンルージュ先輩から届けられたホリデーカードを思い出す。
「イニシャルが、M.D……あー……マレウス・ドラコニア……そっかそっか、なるほどー……」
「むしろあの外見の迫力でなんかおかしいなって思えよお前は!!!!」
「いやだって他にも王子様とかいるし……ホリデーカード届けてくれたヴァンルージュ先輩も教えてくれなかったし……」
「ディアソムニアの副寮長を顎で使えるヤツなんか寮長しかいねえだろ!?」
「言われてみればそうなんだけど……なんていうか、いつも大体それどころじゃなかったし……そっかー……」
だってホリデーカード貰った時は、その直後にアーシェングロット先輩とのデートとかあってそれどころじゃなかったし。更に『ミスター・ロングレッグス』の正体に行き着いちゃったから、もう完全に頭から吹っ飛んでたんだもん。
「言っただろう?僕の名前を知れば、背筋に霜が降りる心地がするだろうとな」
ツノ太郎はどこか悪戯っぽく微笑んで言うけど、僕は首を傾げる。
その気持ちは正直もうよく分からない。きっと初遭遇直後に名前を知る事になったら、そんな気持ちになれたかもしれないけど。深夜に徘徊する廃墟マニアの先輩、ってイメージはそんな簡単には抜けそうにない。
「ふな……エースたちがマジフト大会でめちゃ強だったって話してたヤツが、このツノ太郎だったって事か!?」
「どうもそうみたい」
他人事の顔でコメントしていると、ハント先輩が咳払いした。
「ところで『竜の君』、どうやってこのコロシアムの中へ?」
「招待されたんだ。オンボロ寮に住むヒトの子に。……招待状もちゃんとあるぞ?」
最後は少し拗ねたような表情で付け加えていた。関係者席は入場待機列と無関係とはいえ、だからこそ二時間前は早すぎる。あんまりこういうイベント来ない人なのかな、偉い人なのに。
「いや、そういう事ではなく……ヴィルがユニーク魔法で生み出した強力な呪いの毒霧は、まだ会場を覆っているはずだ。あの呪いに触れたものは、無事ではいられないはずだけれど」
「……ああ、そういえばそんな呪いがかかっていた気もするが……どれほど強力なものだろうと、この僕を呪えはしないさ」
こちらが命を奪われると怯えていた呪いさえ、彼には効かないらしい。凄いな、世界で五本の指に入る魔法士って。
でもなんか、先輩たちが親しげに名前を呼ぶ気持ちも何となく解る気がした。称号は強くて怖そうな感じだし、見た目も黙ってると間違いなく近寄りがたいけど、話せば割と親しげに応えてくれるのだから恐れる方がおかしい気がしてくる。
「ところでシェーンハイト。お前こそ、どんな戯れに勤しんだらそうボロボロになるんだ?そんな姿では、美しき女王の精神が泣くぞ」
「…………それは……」
話していいものかと迷いが漂う。シェーンハイト先輩は口を噤んでいるし、ハント先輩もそれに倣っている。
しかしツノ太郎は退かない。
「どうした?さあ話してみせろ、ヒトの子らよ」
再び呼びかけられて、シェーンハイト先輩の視線が揺らぐ。袖口を引くと僕を振り返った。無言で見つめ合い、やがて先輩は小さく頷く。僕は再びシェーンハイト先輩を支える位置に入り、ツノ太郎を見た。
「ええと、実は……」
シェーンハイト先輩のオーバーブロットと、それを止めるための戦闘があった。
説明する事実はそれだけ。割と雑な説明だったのに、ツノ太郎はすぐに得心した顔になった。
「……なるほど。そんな事があったのか」
そして首を傾げる。
「しかし……オーバーブロットするほどの魔力反応を、僕を含めこの学園に集まっている魔法士が誰も気づけないとは」
「ええっ!?外では騒ぎになってなかったって事か?」
「ああ。少し離れた体育館のそばでロイヤルソードアカデミーの生徒たちが歌い、そこに人間たちが群がっていたが……」
ツノ太郎以外の一同が顔を見合わせる。
「このコロシアムではマジフトの試合や防衛魔法の試験、寮長の座をかけた決闘なども行われる。もともと場外に被害が出にくいよう、特殊な結界が張ってあると先生から聞いた事があるが……」
「それじゃあ、僕たちがヴィルサンを正気に戻せなかったら……」
「粘ってても援軍はこなかったかもしれないってこと?コワッ」
エースが身震いする。最悪の事態を避けられた事は喜ばしいけど、結果論だ。ひとつ歯車が違えば全員……いや、もっと人が死んでいた可能性もある。その事実は十分すぎるくらい怖い。
シェーンハイト先輩も青ざめている。励ましたくて手を握ると、握り返された。
そんな僕たちの様子を見て考え込んでいたツノ太郎は、息をひとつ吐いてシェーンハイト先輩を見た。
「……まあ、いいだろう。貸しひとつだ、シェーンハイト」
「え?」
言うが早いか、地面が大きく揺れ始める。地震に似ているけど多分これは、魔力の放出によるものだ。
ツノ太郎がこの巨大な建物をくまなく揺らすぐらいの、大量の魔力を放出している。
「なんだ!?全身の毛がぞわぞわするんだゾ!」
「ぐっ……なんてプレッシャーだ!」
警戒する僕たちに対し、ツノ太郎は変わらない微笑みを向ける。
「ヒトの子よ……お前たちに贈り物を授けよう」
「マレウス、何をしようっていうの!?」
「この程度、解けた織物を織り直すより容易い」
シェーンハイト先輩に微妙に答えになっていない答えを返してから、ツノ太郎は周囲の構造物を見回す。
「さあ、あるべき場所へ、あるべき姿へ戻れ!」
そう声を張り上げた瞬間、眩い光が視界を染めた。腕で顔を覆ったけど、瞼の向こうに光を感じたのはほんの一瞬。
「……えっ、あれっ?嘘っ!会場が元通りになってる!?」
エペルの声で目を開く。腕を下ろすとさっきまでと全く違う光景が広がっていた。
大穴が空いていた大型モニター付きのパネルも、ブロットで溶けた観客席の椅子も、穴だらけでぐちゃぐちゃになっていたステージの床も、全て新品同然の状態で元通りになっていた。時間が巻き戻ったとしか思えない。
「うおおぉっ!?これ、マレウスが魔法でやったのか!?すっげえ~~~!!」
「うへぇ……マジフト大会で見た時も思ったけど、レベルが違いすぎ……」
素直に感激するアジーム先輩の横で、エースがぽつりと愚痴を呟いている。
「『竜の君』、素晴らしいよ。キミの魔法はいつでもマーヴェラスだ!」
「舞台が元通りになれば、お前たちの余興が見られるのだろう?僕はただ、それに興味があっただけだ」
いたく感激した様子のハント先輩の言葉も、彼にとっては聞き慣れた褒め言葉なのだろう。軽く流して微笑むばかりだった。
「ありがとう、ツノ太郎」
でも僕が素直にお礼を言うと目を丸くし、顔をくしゃりと歪めて笑った。
「お前、僕の正体を知ってもそのあだ名を貫くつもりか」
「……ダメでした?」
「いや、かまわない」
「だって、今更ドラコニア先輩って呼ばれるのもどうなのかなと思って」
「……もう一回」
「ドラコニア先輩」
「……どちらでもかまわない。お前の好きに呼ぶといい」
どうやら名前呼びも悪くはないらしい。ツノ太郎の方が呼びやすいし、名前を知ったからには場に応じて使い分けられる。それはそれで助かる。
「さて、シェーンハイト。この僕がここまでお膳立てしてやったんだ。たっぷりと楽しませてくれるな?」
ツノ太郎は挑発的な笑みを浮かべてシェーンハイト先輩を見る。先輩は一切怯む事無く、嘲るような視線を鼻で笑ってみせた。
「言われなくたって最高のパフォーマンスを見せてあげるわ。スタンディングオベーションする準備をしておいて」
「そうでなくては」
ツノ太郎は満足そうに頷く。
「では……本番を楽しみにしているぞ」
こちらの答えは聞かずに、ツノ太郎の姿が光に包まれ、一瞬で消えた。一部が緊張から解放されて床に座り込む。
「まさか『竜の君』から祝福を受けられるとは」
運は我らに味方せり、とハント先輩は上機嫌に笑った。
「今こそ、私たちNRCトライブの結束を見せる時だ」
「ええ」
シェーンハイト先輩は頷く。いまこの場にいる仲間ひとりひとりの顔を見た。
「学園長への言い訳も、後の事も、全部アタシが責任を取る。『ボーカル&ダンスチャンピオンシップ』……絶対優勝するわよ!」
仲間の応えが、会場に響きわたった。