5−2:泥濘へ堕ちる美貌の毒華
同じ景色が延々と流れている。それをただぼんやりと見つめて過ごした。
しょうがないよね、大人しくしてろって言われちゃったし。外に出るなって命じられたし。
外の嵐は屋内にいれば何も関係がない。退屈なドライブを何周したかもう思い出せない。というか、どこから始まったのか、景色が同じなので全く分からない。
暇だなぁ。そもそも何で座ってろって言われたんだっけ。
囮になるって言ったけど断られたんだ。でもまぁ攻撃しづらくて邪魔だもんな。仕方ないや。
何で囮になるって言ったんだっけ。
あの人が僕に執着している様子だったから。まぁ僕を殺そうとしてるんだけど。僕、あの人に攻撃したくないんだよなぁ。
あの人って誰だっけ。
優しくて、綺麗で、厳しくて、でもどこか究極の部分で残酷にはなりきれない、それが美しい人。
大好きな人。
「…………シェーンハイト先輩」
名前を口にした瞬間に意識が覚醒する。自分の状況に混乱しつつ、現実に引き戻された事実を受け入れる。
バイパー先輩のユニーク魔法だ。完全に油断していた。あの人なら必要とあらば味方に使う事は躊躇わない。それぐらい警戒しているべきだった。いや味方を警戒するっておかしいけど。
今みんなどうしているんだろう。自分が行った所で足手まといかもしれないが、外に助けを求めるにしても状況の把握は必要だ。
「絨毯さん、止まってください!降ります!降りますってば!!」
表面を撫でながら声をかけたが、全く止まる気配はない。先日の暴走状態が思い出されるので無理はしたくないが、このままではいられない。
単調で代わり映えの無い景色。どこまで行っても同じなら、どこで飛び降りても同じ事だ。
意を決して飛び降りる。身体を丸めて着地の衝撃を和らげた。近くの出口からフィールドに飛び出す。
結界の向こうは相変わらず荒天だ。ステージの周辺には黒い霧が立ちこめているが、巨大なブロットの化身らしき何かも見える。あの近くにシェーンハイト先輩もいるだろう。
何も考えずに走り出した。フィールドと客席の境目を乗り越えようとしていると、黒い霧がわずかに薄れる。みんなの様子は、戦っているとは思えないほど静かだった。
「ユウ!!」
フィールドに降りた僕に気付いたデュースの声で、視線が一気にこちらに集まった。シェーンハイト先輩も僕を見る。さっきと違って、ちゃんと焦点が合っている気がした。
見つめ合ったのはほんの一瞬。
『ダメ!!!!』
シェーンハイト先輩が叫んだ。ブロットの化身がこちらに何か投げつけている。投げる動作は数回続いていた。
落ちてくる物が大きくて数が多い。身を隠す場所が無い。防ぐものも無い。
反射的に身を屈めただけの僕を、黒い影が覆う。周囲に何かが落ちる重い音が続いた。
また静けさが戻ってくる。おそるおそる顔を上げれば、オーバーブロットした姿のままのシェーンハイト先輩が、僕を守るように覆い被さっていた。先輩は僕が見ている事に気付くと、普段と同じ優しい微笑みを浮かべる。
『……怪我は無い?』
頷く。どこも痛くない。
『良かった』
小さく呟き、先輩は広げていた腕を下ろした。爪を気にしてか、手の甲で僕の頬を撫でる。
『ねえ、ユウ。アタシ、わからなくなっちゃったの』
言葉はいつになく幼いけれど、表情は疲れ切っていた。目だけは真っ直ぐに僕を見つめている。
『ユウは、アタシの事、嫌いになった?』
首を横に振った。
『……どうして?』
「先輩の事が大好きだから」
『違う。アタシ、アナタに相応しくない』
先輩の声が震えている。今にも泣き出しそうな哀しい顔をしていた。
『ネージュがアナタといるのを見て、思ってしまった。アタシなんかよりずっとお似合いだって。アナタの居場所はアタシの隣じゃないかもしれないって』
言いながら、先輩は自分の顔を覆う。
『そんな事無いって思いたかった。絶対に負けたくなかった。なのに、なのに……!!』
先輩が膝をつく。身に纏うベールが床に広がった。
その真正面にしゃがみこむ。
「仮にどんなにネージュくんと相性が良かろうと、僕にとって先輩の代わりにはなりませんよ」
シェーンハイト先輩が顔を上げた。
「先輩は僕を見つけてくれたんですから」
『……見つけた?』
「そう。先輩は僕を見つけてくれたんです。僕自身でさえ信じる事の出来なかった僕の力を、先輩は信じてくれた」
自分の首元を探り、隠して身につけていたペンダントを取り出す。丸い金属のプレートに透明な石が嵌められている、大切な人からの贈り物。
「そして、心細い思いをしていた僕を助けてくれた」
『……気付いて……いたの?』
「割と最近なのでお恥ずかしいんですけど。……もっと早く伝えればよかった」
伝えるタイミングを窺っていたのは、きっとお互い様なのだろう。その内容に細かな違いはあっても。
「先輩のくれたもの全て、僕の大事な宝物です」
『……ユウ……』
「いつも僕を助けてくれて、支えてくれて、ありがとうございました。先輩のおかげで、僕は右も左もわからないこの世界で生きてこられたんです」
今の気持ち全てを込めた。綺麗な言葉を工夫して使うセンスなんかありはしない。伝わると信じるしかない。
「先輩が目標のために誰よりも苦しんで、辛いものを我慢してきたのは、知っているつもりだから。そんな簡単に、嫌いになれるわけがないですよ」
『……いいの?だって……アタシは、何も知らないくせにアナタを傷つけて』
「傷ついてないですよ、今更。それに先輩は僕を信じてくれたんでしょう?磨けば光るって」
勝手に拗ねて、膝を抱えてうずくまる事しか出来なかった僕を、先輩は見捨てずに手を差し伸べてくれた。
「僕にとってはそれが、ずっと欲しくてたまらなかったものだから」
『ユウ』
「僕は先輩が大好きです。それは、あなたの言う『醜さ』を見た今も変わりませんよ。変えろって言われてもお断りです」
『……許してくれるの?』
「許すも何も、そもそも怒っても嫌ってもいませんから」
笑顔で答えると先輩は少し驚いた顔をして、苦しげに顔を歪めた。綺麗な紫色の瞳から、透明な涙が溢れては頬を伝い、黒いメイクを溶かしていく。
強く抱き寄せられる。先輩は子どものように泣きながら、しっかりと僕を抱きしめた。宥めるつもりでその背を撫でる。氷のように冷たかった身体に、わずかに体温が戻っている気がした。
「アタシ、やっぱりイヤ。アナタが笑ってくれないなら、傍にいてくれても意味がない!」
しゃくりあげながら叫ぶ。
「笑っていてほしいの。例えアタシが傍にいなくても、それでも……!」
誰もが安堵の息を吐く中で、面白くなさそうに動き出したのがブロットの化身だ。先ほどまでと違って素早い動きで林檎を投げつけてくる。咄嗟にシェーンハイト先輩が僕を強く抱きしめて庇ったが、こちらにぶつかる前に誰かが間に割って入った。
「デュース!!!!」
エースの叫び声の直後、林檎の直撃を受けたらしいデュースがこちらに転がってくる。
「正面から受ける馬鹿がいるか!!」
バイパー先輩の声と同時に、アジーム先輩の水の魔法がデュースに叩きつけられたブロットを洗い流した。
デュースはふらふらと立ち上がる。
「……良い球投げるじゃねえか。効いたぜ、今のは」
いつになく殺気立った様子だが、その意識は真っ直ぐにブロットの化身の方を向いていた。
普段と明らかに様子が違う。
「ユウ」
「な、なに?」
「シェーンハイト先輩の事、頼むな」
「ちょっと、何をする気!?」
「……わかった」
僕を見たデュースの目は、自暴自棄な色をしていない。策がある、という顔だ。
その信用度は普段なら非常に低い。大体ろくな事にならないから。
でも今は、不思議と彼を信じられる。
不安げなシェーンハイト先輩を抱きしめて宥めた。
「俺は、頭を使って考えるのが苦手だ。なんでも繰り返し叩き込まないと、理解できない」
デュースは語りながら、覚束ない足取りでフィールドを歩く。ステージ上にいるブロットの化身は様子を見ているようで大人しいが、シェーンハイト先輩が正気を取り戻した今も動くのに支障はなさそうだ。
「でも……何十回、何百回、叩き込まれればモノにできる!」
マジカルペンを握る手に力がこもった。次の瞬間、デュースの気配が一気に膨らむ。
「そしてこれが、今の俺にしかない『力』!!」
確信を持って叫ぶ。気圧されていたブロットの化身が毒林檎を振りかぶった。その瞬間にハント先輩の魔法に射抜かれ毒林檎がその手の中で弾ける。
「落とし前をつけてもらう!歯ァ食いしばれ!!」
次の林檎を投げようと構えた瞬間に、デュースの方の構えも極まった。
「『しっぺ返し』!!!!!!」
高らかに叫び、鋭く拳を突き出す。同時に、赤い魔法石が眩く輝いた。
膨らんでいたデュースの気配が巨大な拳のようにうねり、ブロットの化身を殴り飛ばした。巨大な体が簡単にぶっ飛ばされ、ステージ中央のモニターを備えたパネルに突き刺さる。ダメージは大きいようで、纏っていたボロ切れも一部が衝撃で解れ砂に変わった。
ブロットの化身は尚も起きあがる。パネルから己の身を引きずり出した時には、身体が半分まで崩れていた。べちゃりと落ちた衝撃で地面に飛び散ったブロットは、端から砂に変わっていく。
枯れ枝のような腕がこちらを目指し動き続けていた。しかし崩れていく速度の方が早い。片腕が抜け落ち手提げかごが中身ごとブロットに変わり、水分を失っていった。残った腕も崩れ落ち、インク瓶の頭がごしゃりと地面を転がる。黒い砂にまみれたそれは独りでに割れ、中身は他と同じく溢れては黒い砂へと変わり、一粒残らず風にさらわれて消えた。
消滅を目にした瞬間、肩にかかる重みが増した。はっとして見れば、シェーンハイト先輩は元の制服姿に戻っている。脈と呼吸を確かめ、異常がない事に安堵し深く息を吐いた。まだ油断は出来ないけれど、ひとまずは間に合ったらしい。
「…………よかった」
すっかり汚れてしまった先輩の手を取る。さっきと比べてずっと暖かかった。