1:癇癪女王の迷路庭園



「しっかしさぁ、名門の魔法士養成学校って聞いたから期待してたけど、やってる事フツーの学校と変わんなくない?」
 着替えを終えて、次の授業への移動中にエースが愚痴る。
「魔法が使えなくても出来る事で良かったじゃないか」
「オレ様ももっと派手な魔法を使う授業を期待してたのに、拍子抜けなんだゾ」
「まだ三つしか授業やってないよ」
 ざっと教えられただけでも高校の授業より基礎科目の数がある。そのうちのたった三つ。学校がつまらないと言うには幾ら何でも早すぎる。
「これから面白くなるかもしれないじゃん」
「そういや、異世界にも学校ってあるの?」
「あるよ、多分みんなの言う『普通の学校』に近い感じ」
「へえ、じゃあユウも学校行ってたのか?」
「うん。僕の通ってた所は十六歳になる年から通う三年制で、四月始まり。授業の時間は同じくらいで、校舎はもっとずっと狭い感じ」
「全然違うんだな」
 二人とも興味深そうに聞いてくれてる。ふとエースが首を傾げた。
「あれ、そういやグリム静かだけどどうした?」
 言われて、いない事に気づいた。窓を見上げたデュースが声を上げる。
 中庭の向こうで、グリムが勝ち誇ったような顔でくるくる踊っていた。そのまま反対側の出口へ消えていく。
「あいつサボる気か」
「おい、監督生。初日から逃げられてるぞ」
 呆れて声も出ない。そりゃ体力育成でちょっとはリフレッシュ出来たけど、頭使って疲れてるので怒りすら湧いてこなかった。
「……オレらが代わりに連れ戻してきてやろうか?」
「いいの?」
「まぁ、これぐらいは協力しよう」
「是非お願いします……」
 僕が頭を下げて、顔を上げると、エースがニヤリと笑っていた。
「オレ、購買のチョコクロワッサンね」
「……なら、僕は食堂のアイスカフェラテでよろしく」
 返事を待たずに、二人はグリムを追いかけて走り出した。
 ……タダより高いものはなし。友情の維持には金がいる。
 周りには人の気配がない。明るい光に惹かれるように、ふらふらと中庭に出ていた。
 古びた井戸を中心に庭園が整備されており、一角には如何にも年を重ねていそうなリンゴの樹がある。赤い実がたくさんなっているが、つきっぱなしという事は食べられない実なのだろう。とても瑞々しく見えるのに、不思議だった。
「そこの一年生」
 不意に後ろから声が聞こえた。確実に自分に向けられていると判る、鋭く投げかけられた声。思わず振り返ると、人がこちらに歩いてくる所だった。
 遠目から見ても整った顔立ちに、すらりと伸びた手足。光に溶けそうな柔らかい色味の金髪。近づけば近づくほどその美しい姿に目を奪われてしまう。
 一瞬女性かと思ったけど、着ているのはこの学校の制服。つまり大人びた雰囲気で女性と見紛う美しさだけど、この人は自分と同じく男子校の生徒、男だ。……多分。声も低いし。
 美貌の青年は目の前に立ち、意志の強そうな薄紫色の瞳でじっと僕を見つめる。綺麗な人の真顔怖い。頭一つ分以上の身長差があるのでより威圧的に感じる。
 青年は無言のまま、止める間もないくらい自然な動作で、僕のメガネを外した。
「あっ、え、あの……」
「……やっぱり」
 一層険しい顔になった。何が言いたいのか解らないけど、凄く落ち着かない。
「何でこんなメガネしてるの。取った方が何十倍もいいのに」
「えっと、それは、その……」
「度も入ってないしデザインもダサい。してる意味あるの?」
「それは……面倒事に巻き込まれないためのお守り、みたいなものです……」
 言いながら『でもここに来てからは機能してないかもしれない』とも思った。青年は呆れたため息をつく。
「今のアンタは、そんな事自力で全部どうにかできそうな感じするけど?」
「え……」
「惰性でしてたんでしょ。解る人間には解るんだから。ただ面倒事を嫌がって顔を隠して自分を隠しても、そのままで良い事なんか無いわよ」
 痛い所を突かれた気がした。とっさにごまかして取り繕う言葉さえ浮かばない。笑いさえ浮かばなかった。
 美貌の青年は僕の様子を見て、表情を緩める。
「ウチの寮に来るんだとばかり思ってたのに……魔力が無いなんて残念だわ」
 メガネを返しながら言う。その声音は本当に残念そうに聞こえた。少なくとも悪意は無いと思う。
「時間取らせたわね。……次に見かけた時には変わっている事を期待するわ」
 それじゃあね、と言って、青年は校舎に入っていった。花のような残り香がふわりと鼻腔をくすぐる。呆然と、その背中を見つめた。
 とても綺麗な人だった。姿形だけじゃなくて、歩く姿も立ち姿も、怒った顔も呆れた様子さえ、自信に満ちあふれて堂々としている。
 声もとても綺麗で聞き取りやすい、しっかりした声だった。もしかして俳優なのだろうか。動画やスマホがある世界だし、芸能界とかあってもおかしくない。光に満ちた世界に相応しい、強い人だと思った。
 それに比べて、とぐずついた言葉が胸に沸き上がる。隅の方に押しのけていた嫌な思い出が出てきてしまいそうで、慌てて蓋をした。メガネをかけ直す。
「……世の中には凄い人がいるんだなぁ」
 機会があったら聞いてみよう。出演作とかあるなら見たいし。
「おーい、監督生ー」
 遠くから声がして振り返る。エースがグリムを掲げてニヤニヤ笑っていた。
「次の授業始まるぞ、急ごう!」
「いま行く!」
 デュースの声に答えて駆けだす。次の授業に思いを馳せて、抱いた思いをただただ奥底に押し込めた。

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