5−2:泥濘へ堕ちる美貌の毒華
先輩たちと別れ、校舎の外に向かう。さすがにもうサイドストリートの行列は無いが、今度は屋台が開業して賑わっている。あそこを通って集合時間を間に合わせるのは厳しそうだ。
「裏道使わせてもらうしかないか」
サイドストリートの混雑を見越して、普段は道の無いところに臨時の通路が設けられている。実質校舎からコロシアムへの直通通路なのだが、各校の関係者しか通れない。校内郵便や設備管理をする事務所の裏手からサイドストリートの校舎側の屋台の裏を通している。
グリムには先に行ってもらった方が良いかとも思ったけど、今日は事情を知らない校外の人が多いからさすがに危ない。事務所までは走りながら『VDC』の関係者パスを首から下げて、裏道に差し掛かったら速度を落とす。結構人通りが多いから走るワケにはいかない。
とはいえ関係者パスのおかげかスムーズに動けたので、割とすんなり屋台の裏を抜けられた。コロシアムが行く手に見えている。導線が整理されていて、当日券の案内は続いてるけど入場待機列はまだ作られていない。関係者入り口は入場口の脇のはずだ。
「あの、すみません。僕、急いでるんです」
間に合いそう、と一息ついていた所に、誰かの声が聞こえた。困った様子の、柔らかな男の子の声だ。
もしかしてまたドワーフの子が絡まれているかと思って振り返ると、通路を歩く人からは絶妙に死角になりそうな物陰に、ナイトレイブンカレッジの生徒二人組の背中が見える。腕章が赤と黒だからハーツラビュルだ。多分、誰かを壁際に追いつめて因縁付けてるっぽい。
「おい、また揉め事かぁ?」
さすがのグリムも呆れ顔だ。人が多いのが災いして誰も気づいていない。気づいたとしても他校の生徒も多いし、誰も関わり合いになりたくないのだろう。
だったら同じ学校の自分が何とかすべきだ。かといってこんなところで喧嘩騒ぎを起こすのもよろしくない。
イチかバチか、これでダメなら素直に殴ってこよう。
向こうに気づかれないように距離を詰めつつ、グリムには静かにするように指示する。うちの生徒の姿がまばらなのを確認しつつ、心の中でローズハート先輩に謝った。
「ローズハート先輩!こっちです!!コロシアムの近くでうちの生徒が他校の生徒と揉めてまーす!!」
裏道の方を向きつつ、しかし二人組にはしっかり聞こえる声の大きさで叫んだ。すかさず身を隠す。物陰の二人組は落ち着かない様子で辺りを見回していたが、やがて焦ったように人混みに紛れてどこかに行った。人を強引に連れていってるようには見えなかったので、絡まれていた人は大丈夫だろう。ほっと一息。
これでいよいよ時間はギリギリだ。言い訳は出来たけどそれで許してくれるプロではない。
「よし、行こう。グリム」
「おう」
さっと立ち上がり何食わぬ顔で通り過ぎようとした。
「あの、すいません」
そして横から声をかけられる。内心ドキッとしつつ振り返れば、今度は目を見開く羽目になった。
艶のある黒髪に、滑らかな白い肌。薔薇色の頬をした少年が、僕の顔を見て微笑む。白い詰め襟のジャケットの下には、水色のチェックのシャツとかわいい柄のセーター。ワッペンに飾られた可愛らしい制服だが、ロイヤルソードアカデミーのものに間違いないだろう。
ネージュ・リュバンシェが、僕の目の前に立っていた。愛らしい笑顔を浮かべたまま、僕を見つめている。
「ど、どうされました?」
「助けてくれてありがとうございます」
深々と頭を下げられる。人気の芸能人が目の前にいて冷静を保てる一般人はそうそういないだろうに、何故か誰もこちらを話題にしない。視線すら感じなかった。
「え、えーと、何の事でしょう?」
「やっぱり同じ声だ」
そう言うと嬉しそうに笑みを深める。至近距離だととてつもない破壊力だ。どきどきして頭がおかしくなりそう。
「おい、バレてんじゃねえか」
グリムが小声で小突いてくれてやっと我に返る。出来るだけ平常心を保ちつつ相手を見た。
「あー、そろそろ『VDC』のリハーサルが始まる時間ですよ。控え室に戻らないといけないのでは?」
「あ、そうなんです!僕と一緒に出場する友達がまだ楽屋に着いてなくて」
表情がくるくる変わる。困った顔ですら可愛らしい。
そんな小市民の感想を脳の奥に押し込めつつ真面目に話を聞く。
「えっと、これぐらいの身長の、僕と同じ制服を着た子たちなんですけど、見かけませんでしたか?」
「うん?ドワーフ族の連中、『VDC』の出場者なのか?」
「あ、多分その子たちです!!どこで見かけました?」
「さっき、メインストリートでドワーフ族の友達とはぐれたとお話してましたよ。えっと、チェーニャさんってロイヤルソードアカデミーの方が道案内されてたので、もう合流してると思うんですけど」
「チェーニャ先輩が?」
チェーニャさんの名前を聞いた途端、ネージュの表情が安堵に緩んだ。
「それなら安心ですね。行き違いになっただけかもしれない」
「そ、そうなんですか?」
「チェーニャ先輩の道案内は一級品ですから」
何故かとても自信満々に答えていた。個人的にはとてもそうは見えないけど、別の学校の僕たちには分かりようの無い事だしいっか。
それより時間がやばい。
「じゃあ、僕たちもコロシアムの楽屋に戻りましょう」
「え、あ?僕たち『も』って」
「だってあなたも『VDC』の関係者でしょう?」
そう言って首から下げた関係者パスを指さされる。戸惑うこちらの事は気にせず手を取って、はたと何かに気づいた顔になった。
「自己紹介が遅れました。僕はネージュ・リュバンシェ。あなたのお名前は?」
「は、羽柴悠です。あ、ユウが名前です」
「オレ様はグリムだ」
「ユウくんに、グリムくんだね。僕の事はネージュって呼んで。さ、一緒に行こう!」
言うが早いか、ネージュは僕の手を握り直し歩き出した。振り払う事も出来ず慌てて後を追いかけるような形になる。
関係者入り口を通り過ぎた所で手が離れた。知り合いを見つけたらしく、そちらに一目散に駆け寄っていく。
「ヴィーくん!」
「ネージュ……!」
シェーンハイト先輩は突然の再会に驚いた様子だったが、後ろから歩いてくる僕たちを一睨みするのも忘れなかった。愛想笑いで固まる僕たちにネージュが気づく事はない。
「久しぶりだね。元気にしていた?」
「……ええ」
「今年の『ボーカル&ダンスチャンピオンシップ』にヴィーくんが出るって知って、会えるの楽しみにしてたんだ!」
「あら、光栄ね」
今大会の二大スターの対面に、周囲の人たちが色めき立っているのを感じる。報道関係者らしい大人たちがちらちらと気にしている様子も見えた。
そんな異様な空気を、ネージュは全く気にしていない。
「前の映画の撮影以来、お仕事現場であんまりヴィーくんに会えなくなって寂しかったよ」
「今は学業に専念するために、撮影期間が長い映像作品のオファーはあまり受けていないの」
「そうだったんだね。でも、今日はまたヴィーくんの歌が聞けそうで嬉しいよ。僕、ヴィーくんの歌声、格好良くて大好きだから」
ネージュの方はシェーンハイト先輩に極めて好意的のようだ。なんというか、同世代の友達、ぐらいに思っていそう。多分、シェーンハイト先輩が完璧に愛想良く話を合わせているからだろう。
ライバル心を完全に押し込めて、同世代のタレント仲間として接している。相手の実力と実績を認めているという事であり、年齢にそぐわない大人びた対応でもある。
きっと、人に聞こえない所でも悪口のひとつだって言った事は無いだろう。そういうの、事実でも事実じゃなくても簡単に広まって活動に影響するから。シェーンハイト先輩なら意識的に、完璧に避けてきたと思う。
「僕たちが初共演したのも、学園もののミュージカルドラマだったよね」
「そうね。アンタが主役で、アタシはアンタをいじめる生徒の役だった」
二人共通の思い出を語る。それは片方には軽くて暖かい思い出のひとつで、片方には積み重ねられた苦痛の石の最初のひとつ。
「……ハマリ役だったわ。アンタも、アタシも」
そんな痛みを感じさせず、シェーンハイト先輩は涼しい顔で言い切った。
ふと以前見た光景が脳裏を過る。
『アタシってそんなに、意地が悪そうに見える?』
世間の評価がどんなに正しかったとしても、それを自分でも事実と認められたとしても、その評価を手放しで受け入れられるワケじゃない。
思わずシェーンハイト先輩の袖口を掴んだ。先輩ははっとした顔になって、すぐに表情を戻す。
「悪いけど、アタシたちこれからリハーサルがあるの。これで失礼するわ」
「あ、うん。ヴィーくんたちのパフォーマンス、楽しみにしてる!」
「小ジャガ。行くわよ」
「は、はい!」
シェーンハイト先輩に満開の笑顔を向けたかと思うと、ネージュは僕の顔を見て柔らかく微笑んだ。
「ユウくん、グリムくん。またね」
愛想笑いで手を振り返し、早々にシェーンハイト先輩の後ろを追いかける。
「……最後にご登場の上にライバルに連れられてくるなんて、いいご身分じゃない?マネージャー」
「申し訳ありませんでした」
きっと人の目が無ければ頭を掴まれていただろう。とにかく素直に謝るしかない。
でも歩きながら見える横顔は、少し心配そうに沈んで見えた。
「何かあったの?」
「ネージュのヤツがうちの学校の生徒に絡まれてたから助けてやったんだゾ」
「…………そう。お手柄ね」
言いながら先輩は頭を撫でてくれる。ちょっと嬉しい。
ステージに続く通路には見慣れたメンバーが集まっていた。どうやらシェーンハイト先輩とネージュのやり取りを見ていたらしい。
「お疲れ、マネージャー。間近で見たネージュ、どうだった?」
「芸能人ってオーラ凄いよね」
「お前の隣にもっとえぐいオーラの人がいるんですけど」
「シェーンハイト先輩はもはや一緒にいると安心するよ。守られてる感じで」
「それが言えるのお前だけだと思うわ」
脱力したエースに苦笑を返す。
リハーサルは機械周りの整理に少し時間がかかっているようで、開始時間が押しているとの事。だから全員揃って僕を探しに来てくれたらしい。嬉しいような、見られたくなかったような、複雑な気持ち。
僕とエースの会話を聞いていたデュースが、考え込んで首を傾げている。
「ネージュも顔立ちは整っているが、シェーンハイト先輩に初めて会った時ほど強烈なオーラは感じなかったというか……」
「確かに、あんまりギラギラ派手な感じはしねーな」
「あー……何て言うの、天性の人に好かれるオーラ、みたいなヤツ」
「なにそれ?」
「たまーにいるんだよね。何してもしてなくても、周りに無条件に好かれて助けてもらえる人。だいたい本人は割とマジで良い人なんだけど」
直接対面する事で伝わる空気ってものがある。テレビの向こう側の芸能人となると不鮮明になるから、邪推されたりして正しく伝わらなくなるんだけど。
「可愛いけど派手ではない、地味だから害も感じず親しみやすい。好感度の化け物、って感じ」
「凄い表現だな……」
「まぁ、お茶の間の人気者ってだけあって、身振り手振りもしゃべり方も徹底してあざとい感じだったけど」
「彼の笑顔にはヴィルとはまた違った、野に咲く小さな花のような素朴な美を感じるね」
やんわりと肯定的なハント先輩の感想に対し、バイパー先輩は不満げに息を吐く。
「ああいう人畜無害そうな顔をしているヤツほど裏ではとんでもない性悪だったりするんだ」
芸能人なんてそんなものだろ、と吐き捨てるように続いた。グリムが『お前がそれ言うか』という顔をしているが指摘しないでおく。
ステージの入場待機場所に到着。少し慌ただしいけど、僕たちが最初なので他の出演者の姿はない。……いや、他校の生徒がちらほら通路の向こうからこちらを覗いてる気配はするな。さすがシェーンハイト先輩。
待機場所にはステージ上を見られるモニターが備えられていて、準備が進んでいる様子が確認できる。スタッフがまだ慌ただしく行き交っていた。
「まぁでも、系統が違うから優劣はつかないって所もあるし。ネージュ・リュバンシェがどうだろうと、こちらは研いできた完璧な美を見せつけるだけ、でしょ?」
一番不安そうにしていたエペルに視線を向けた。口元がきゅっと引き締まり、力強く頷く。
「まぁ、マネージャーの言う通りね」
「私たちは私たちに出来る事をやるだけさ」
先輩たちの言葉で空気が引き締まった。これまで重ねてきた練習が、彼らの自信をしっかりと支えている。
「そうだ、エース、デュース、エペル。リドルやジャックが本番で失敗したらシメてやるって言ってたんだゾ!」
グリムがニヤリと笑って言うと、自信に満ちていた空気がまた揺らぐ。
「うっ、プレッシャーをかけないでくれ」
「ぼ、僕も緊張してきた……」
「これからリハで、本番まではあと三時間もあるじゃん。今から緊張してどーすんだよ」
「そうよ。本番でミスをしないためにリハーサルがあるの」
呆れ顔のエースに真剣な表情のシェーンハイト先輩が続く。
「『VDC』は毎年、開催地になった学校のチームがトップバッターで出演する事が決まってる」
一番最初に、一番最高のパフォーマンスを見せる。
コンテストの類ではあまり有利とは言えない一番手だけど、実力で圧倒してしまえば何の問題もないのだ。
「アタシたち以外が全員ジャガイモに見えるくらいのパフォーマンスを見せてやろうじゃない」
「おう!」
図らずも声が揃った。
青春だなぁ、とその様子を笑顔で見守る。
「ナイトレイブンカレッジの代表選手のみなさん!お待たせしました!スタンバイお願いします!」
「わかりました」
丁度良いタイミングで係の人が声をかけてきた。
「それじゃ、まずはリハーサルから完璧にこなすわよ」
シェーンハイト先輩の言葉にみんなが頷く。先輩は小さく息を吐き、ステージへ続く通路を睨みつけた。
「……脳天気に笑っていられるのも今のうちよ。完璧なパフォーマンスで、完膚なきまでに叩き潰してあげる」