5−2:泥濘へ堕ちる美貌の毒華



 順番に展示ブースを見回り、山を愛する会のブースまでやってきた。ほとんどの展示ブースは問題が無さそうなので流し見になっちゃったけど。
 内情の知れない同好会が相手だろうとローズハート先輩は物怖じしない。道場破りかと見紛う勢いで扉を開けた。
「おや。……文化祭運営委員長自ら視察においでくださるとは光栄です。ようこそ、『山を愛する会』の展示ブースへ」
「あ~!金魚ちゃんに小エビちゃんじゃ~ん、いらっしゃい」
 リーチ兄弟の声が僕たちを出迎える。室内は想像以上に明るかった。というかまともだった。
 壁面には石や植物の写真が整然と飾られ、腰の高さの展示台には植物の標本やキノコがこれまた几帳面に並んでいる。一緒に飾られている、様々な形のガラス瓶に作られたミニチュアの森は、遠目にも幻想的で綺麗だ。
 僕たちが呆気に取られていると、フロイド先輩が足取り軽やかに駆け寄ってくる。
「ハイ、金魚ちゃんにお客様第一号の来場記念。ジェイドがとってきた謎のキノコをプレゼントー」
 言うが早いか、茶色のキノコをローズハート先輩の顔面に押し付けた。見た感じシメジっぽいが、キノコは見た目で判別するの難しいから素人が気軽に言い切る事は出来ない。
「おい、いきなり変なものを顔面に押し付けてくるな!なんなんだキミは!あと、その変なあだ名をいい加減やめろ!」
 ローズハート先輩が当然の怒りと、ついでにこれまでの怒りを一緒にぶつける。それがフロイド先輩に効くはずもない。
 そんな兄弟の暴走を止めるでもなく、ジェイド先輩は少し心外そうな顔で抗議を口にする。
「おふたりとも。それは謎のキノコでも変なものでもありません。ちゃんと『ブナシメジ』という名前がある、食べられるキノコです」
「訂正をする前に、兄弟の行動を止めないか!ふたりまとめて首をはねてしまうよ!」
「フロイド先輩、開場前ですし、それは本当に第一号のお客さんにあげた方がいいですよ」
「えー?どうせ誰もこねーよ。それとも小エビちゃん欲しい?」
「天然物のキノコは扱いが難しいので遠慮しておきます」
 いや本当に。ネットでいろいろ見たけどキノコ狩りだけは行くまいと思った。リスクが高すぎる。僕の舌なら養殖キノコで十分。
 そんな僕の内心を知らず、ジェイド先輩は嬉しそうに笑う。
「監督生さんは本当に素晴らしい知見をお持ちですね。これが天然物と見抜くとは」
「いや見抜いてはないですけど。来場者記念に買ってきたキノコを差し出す事はないだろうなと思っただけです」
「記念品とは言え、いきなりキノコを顔に押し付けるなんて非常識にもほどがある!」
「だって、ジェイド」
「残念です。とても状態の良いブナシメジですのに……」
 至極当たり前に怒られているのだが、双子は全く気にした様子が無い。とはいえこれ以上は危ないと思ったのか流石に引っ込む。ローズハート先輩が顔をハンカチで拭いていると、クローバー先輩が遅れて入ってきた。聞こえていたであろう先の騒動を全く気にした様子も無く、展示に感嘆の声を上げる。
「ここはテラリウムや写真の展示がメインなんだな」
「ふふ。トレイさんもお越しくださったのですね。はい。ここでは僕が山で収集してきたものを展示しています」
 好意的な反応が嬉しいのか、ジェイド先輩は笑顔で彼を出迎えた。フロイド先輩も見慣れた顔が増えて嬉しそうだ。
「あ、アザラシちゃんとウミガメくんも、いらっしゃーい」
「ぐぬぬ……アザラシってあだ名の由来を知ってから、呼ばれる度にバカにされてる気がするんだゾ」
「おなかが丸々してるからだっけ?」
「むぐぐ……」
 グリムが呻いていると、クローバー先輩が苦笑しながら頭を撫でてやった。
「まぁでもしょうがないんじゃないか?ここに来る前よりは太っただろ?」
「太ってねえ!」
「野良モンスターとして生活していた時は安定した食事もとれなかったんだろう?今は規則正しい食生活をしているのだから、同じ体重の増加でも質の悪いものではないと思うけど」
「だから太ってねえ!お、オレ様は成長期ってヤツなんだゾ!」
「はいはいそうだね。ここに来てから毛艶も良くなったもんね」
 雑に言いながら頭を撫でてやると、軽く手を払いのけつつ胸を張る。
「オレ様は大魔法士になったら、立派なたてがみを生やしてライオンより勇ましくてカッケーのになるんだゾ!」
 そしたらアザラシなんて言わせねえんだからな!と言葉は実に勇ましい。
「……まぁ、夢を見るのは自由だね」
「ええ、とても素敵な目標だと思いますよ」
 とても実現するとは誰も思ってなさそうだが、当のグリムは気づいてなさそうなのでまぁいいだろう。
 ローズハート先輩は咳払いすると、フロイド先輩に向き直る。
「それにしてもフロイド、キミは何故ここにいるんだい?」
「んえ?」
「エースたちと同じバスケットボール部所属だろう。バスケ部は体育館のブルーステージ設営担当。まだ作業中のはずだけど?」
「気分アガんなくて、ダラダラしてたら追い出されたぁ。あはっ」
 フロイド先輩は笑顔で返したけど、ローズハート先輩は目をつり上げた。
「文化祭は生徒が力を合わせて作り上げるものだ。気分ひとつで与えられた役目を放棄するだなんて、ルール違反以前の問題だぞ!」
 これにはフロイド先輩も不機嫌な顔になる。
「いーじゃん、部長が帰っていいって言ったんだからさぁ。それにオレぇ、午後からはモストロ・ラウンジの仕事で重たいタンク背負ってドリンクの移動販売に行かなきゃいけねーし」
 例の移動販売のスタッフになっているらしい。フロイド先輩なら体力はありそうだから問題無さそうだけど、やる前からこの調子だとその時ちゃんと販売している保証は無さそうだ。大丈夫かなぁ。
 フロイド先輩は片割れにじゃれついて尚、拗ねた顔で愚痴る。
「あー、やだやだ。ジェイドは働かなくていいのに。なんでオレだけ。オレも金魚ちゃんたちと遊びに行きたーい」
「ボクたちは文化祭運営委員の任務中だ!遊んでいるわけじゃない」
「フロイド、そう拗ねないで。ドリンクの移動販売で一番営業成績が良かったスタッフには、アズールから特別ボーナスもあるそうですから」
「そういうの、ぜんっぜん興味ねぇ~って知ってるくせに」
 金銭的な利益にはあまり興味がないからこそ、アーシェングロット先輩もフロイド先輩に頼ってるんだろうな。モチベーションと噛み合えば最高の利益を持って帰ってくる存在だと思われてそう。他人から見れば結構な賭けだと思うけど、そこは身内への甘えみたいなのもあるのかもしれないな。
「だいたいさぁ。『山を愛する会』って、いつも山登ってんでしょ?ほぼ運動部じゃね?こんな時だけ文化部ヅラすんなよ」
「へぇ、この同好会は山岳部みたいな活動をしているのか」
 威嚇するような調子になったフロイド先輩を気にもせず、クローバー先輩は笑顔で会話に入る。ジェイド先輩はこれまたフロイド先輩の怒りを無視して会話を続けた。
「いえ、幣同好会の活動は、山登りを主体としたものではありません。高い山に登って登頂証明書を集めたりするわけではありませんし」
 山を登る記録が主な目的ではない。だから山岳部ではない。
「学園の周りの山を散歩しながら風景を眺めつつ、山菜やきのこ、花や野生生物など……主に山に息づくものを鑑賞したり食したりする事を目的としています」
「なるほど。どちらかと言えば、写真部や料理部に近いんだな」
「どうでしょう。僕はありのままの山を、五感で楽しんでいるだけなので」
 ジェイド先輩は涼やかにやんわりと否定する。
「興味の延長で観察することはあっても、サイエンス部のように本格的な実験などはいたしませんし」
 説明するのは難しいが、何となく『愛する会』という名称の意味は理解できた気がする。
 踏破を記録する事でもなく、研究をする事でもなく、歴史的発見を望む事でもない。
 ただ山に登り、そこで見つけられたものに触れ、ありのままでありながら一度きりかも知れない出会いに心を動かされる事を楽しむ。だいたいそんな感じなのだろう。
 もっとも、こんな理解を深めたような事を言ったら激烈に勧誘されそうな予感がするので黙っておくが。
 でも、ジェイド先輩がこの活動を心から楽しんでいる事は展示から十分理解できる。ガーゴイル研究会もそうだけど、本来は複数人で埋める展示ブースを一人の研究成果だけで埋め尽くしてしまっているのだから、情熱は一目瞭然と言えるだろう。
 彼が人魚であるという付加情報があれば、その行動の価値は更に変わりそうだ。
「つまり、山に行って拾い食いしてるだけってことか?」
「ふふっ、さすがに洗って火を通したりはしますが、おおむねそうとも言えます」
 グリムの雑な感想をジェイド先輩は否定しない。多分、事実そういう事もかなり楽しんでやってるんだろうな……。
「壁にたくさん植物や石の写真が飾ってあるけれど、これもキミが撮影したのかい?」
「はい。どれも陸の人間には面白味がないありふれた風景かもしれませんが……海で生まれ育った僕には、珍しいものなので」
「それにしたって撮るモンのチョイスが地味すぎ。珍しくもない雑草とか、石ばっかじゃん。何が楽しいのか全然わかんねぇ」
 入ってきた時の警戒感はすっかり抜けて、ローズハート先輩は好意的な態度になっている。しかしフロイド先輩はやっぱり相方の活動が気に入らないらしい。ドリンク販売を自分だけするのが気に入らなくて文句つけてるだけかと思ってたけど、どうも元から『山を愛する会』に否定的なのかも知れない。ちょっと意外。
「大昔の人魚だって、もうちょい珍しいもの拾い集めてたよ」
「だから所属が僕一人だけなのかもしれませんね」
 そんな片割れからの不評をジェイド先輩は涼しい顔で受け流している。だからフロイド先輩も意固地になってるのかもしれないなぁ。
 ちょうど雑談が一区切りしたタイミングで、教室のスピーカーからベルの音が鳴り響いた。
『総合文化祭を準備中の生徒のみなさん。あと五分で一般来場者の入場が始まります。各自ブースへ戻り、開場準備をお願いします』
 学園長の声のアナウンスが響きわたる。ローズハート先輩の表情が一気に険しくなった。
「ああ、もう開場時間になってしまうじゃないか!東校舎の見回りがまだだというのに!」
「じゃあ、俺たちはこれでお暇するよ。ブースが盛況になるよう祈ってる」
「はい。みなさま、お越しいただきありがとうございました」
「ばいばぁ~い」
 リーチ兄弟に見送られ教室を後にする。先ほどの放送を受けてか、他の展示ブースも慌ただしい雰囲気になってきた。
「なんだか、双子の存在込みで独特な空間だったな……」
「結局どんな同好会か、よくわかんなかったんだゾ」
「規律を乱す活動をしていないなら、何も問題はない」
 三者三様の感想を述べた。互いの意見に特に異論もなく、ローズハート先輩は廊下を振り返る。
「仕方ない、東校舎の見回りは後にして、先に入場口の様子を見に行こう」
 こちらの意見にも異論はない。答えを待たずに早足で歩き出すローズハート先輩を追いかけた。

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