5−2:泥濘へ堕ちる美貌の毒華



 校舎内は見慣れない制服の生徒も行き来して賑わっていた。『魔法が使えないお前には必要だろう』とクルーウェル先生が持たせてくれた紙製の案内地図を広げて見る。学校ごとにブースが固まっているので、同じ分野を見比べるには少々不便だ。どちらかというと学校ごとの特色を見やすくするような意図なのかもしれない。
 ブースを作るまでもない小規模な研究会用の合同ブースには、ちゃんと僕とグリムが作った食レポの小冊子が置かれていた。開催校の生徒としての便宜上のものなので、製本は簡素だし他の研究会と比べても遙かに地味。だがあまり目立たないように、それを意図して作っているので問題はない。
 ……とはいえ表紙ぐらいもう少し凝った方が良かったかな。グリムの食レポの世間の評価を聞くチャンスだったのに。
 ローズハート先輩たちと見回る限り、設営は特に問題なさそうだ。監視役の運動部の生徒も談笑しつつきちんと待機している。
 隣のブースに移動すると、教室の雰囲気ががらりと変わった。不気味な雰囲気の置物が整列して並べられている。
「なんだぁココ?がーごいる……研究会?怖い顔したモンスターの置物がいくつも置いてあるんだゾ」
「ガーゴイル……雨樋の役目を果たす彫刻の一種だね」
 脳裏にツノ太郎の顔がよぎった。いやあの人は廃墟マニアか。
 ガーゴイルの傍には小難しい言葉遣いながら懇切丁寧な解説が記されている。設置されている場所、主に使用される建築年代、モチーフ等々の情報を記した後に、研究者自身の各ガーゴイルに対する愛情深い所感が綴られていた。さすが『ガーゴイル研究会』を名乗るだけある。
「この研究会はディアソムニアの寮長であるマレウス先輩が主宰のはずだけど……」
「どうやら本人の姿がないみたいだな」
 そう言われてピンと来た。ツノ太郎もディアソムニア寮の生徒だ。寮長がこれだけ愛情を持ってガーゴイルを研究していたら、寮生も詳しくなるかもしれない。マレウス・ドラコニアには熱心な信奉者も多いというし、別におかしい事でもない。ツノ太郎に『信奉者』というのはちょっと似合わないけど。だとすると、普通に親しいのかもしれない。ツノ太郎いつも偉そうだから、世界で五本の指に入る魔法士相手でも物怖じしなさそう。友達の好きなものは勝手に詳しくなったりするもんな。
 ……幼なじみが魔法少女、それも自分のオタクになった時は結構ダメージあったけど。家が隣なのによく隠し通せたなと自分でも思う。戦ってる時の動きの参考になったりしたから悪い事ばっかりではなかったけど、でもやっぱ嫌だったな。全然嬉しくなかった。
「マレウス先輩は非常に優れた魔法士だけれど、本当に時間にルーズなところがあるからな……」
 ローズハート先輩が困った顔で呟く。そういえばディアソムニアの寮長って入学式にもいなかったんだっけ。
「この同好会は先輩一人しか所属していないはずだし、開場前に戻ってくるといいけれど。ブースを無人にしておくのはトラブルのもとだからね」
「まあ……この学園の中じゃ、マレウスの展示にイタズラしようなんて恐れ知らずはいないと思うが」
「それもそうか」
 そりゃ世界で五本の指に入る魔法士だもんな。正直、そんな人を同じ学年の生徒だと言うだけで躊躇わずに名前で呼び捨てにできるクローバー先輩も凄いと思うけど。
 さすが、優秀で負けん気が強くて我が強い名門魔法士養成学校の生徒。
「じゃあ次のブースへ行くとしよう」
 地図を確認する。隣はボードゲーム部だ。アーシェングロット先輩もいるのかな。
 教室の扉を開けば、いつもとは違う風景が広がっていた。
 壁際の棚にはカラフルな箱がいくつも並べられており、室内には広めの机が等間隔に並んでいる。もちろん椅子もある。基本四人掛けで、二人掛けの席も少しだけ用意されていた。多分、四人掛けが大人数向けのボードゲーム用で、二人掛けがチェスなど一対一の対戦形式のゲーム用だ。順番待ちをする場所にも椅子が並んでいる他、部員による『ボードゲーム』を題材とした研究レポートの冊子が掲示されている。どれも見た目は簡素だけどそこそこの厚みがあり、読み応えはありそうだ。
 設営していた部員たちがローズハート先輩に会釈をする中、奥の壁際に一際どんよりと異質な空気が漂っていた。ひらひらと揺れる青い炎のせいで存在感を消し切れていないけど、どうも部員にとっては慣れた光景らしく誰も気にしていない。
「……………イデア先輩、そんな所で何をしているんです?」
「どぅわっ!!リドル教官!!!!何故ここに!?」
「は?教官?」
「あっ、なな、なんでもない。こっちの話」
 僕たちが入ってきた事にも気づいてなかったらしい。シュラウド先輩は身を竦め怯えた顔になったものの、すぐにいつもの調子を取り戻した。
「ステージでの研究発表、準備はできていますか?」
「ご、ご心配いただかなくても問題ないですし。まぁ見といてくだされ」
「イデア先輩が専攻されている魔導工学は現代魔法の中でも興味深い論文が多い。先輩の発表、楽しみにしています」
 ローズハート先輩はまっすぐにシュラウド先輩を見て言う。見下したりせず、というか、素直に尊敬の眼差しを向けているように思う。対するシュラウド先輩の方がちょっと拍子抜けした顔になってた。
「先輩、論文の発表なんてされるんですね」
「ひぃっ!!……あ、いや、ご、ごめん。キラキラオーラ出てるから落ち着かなくて」
 面白いぐらい目が合わない。わざと覗きこむと思いっきり顔を逸らされる。そこまでする?
 懐からメガネを取り出してかけると、あからさまに安堵した顔になった。
「あ~、やっぱデフォルトが落ち着きますわ。素顔出しスキンってファンサービスなんだろうけど使う場面は考えたいよねっていう」
「ユウはメガネ無いのが本来デフォルトであるべきでは……?」
「ゲームしない人に説明するのしんどいんですが」
「最初に会った姿が一番見慣れてるってだけですよ」
 ローズハート先輩は首を傾げていた。
「それなら、入学式の時もメガネはしていなかったはずだけど」
「シュラウド先輩下向いてて僕の顔見てなかったんじゃないですかね」
「突然の心ないディスつら……いやだって、最初の式典服もハシバ氏的には特殊スキンじゃん。最近は式典服でもメガネしてるし」
「それもそうですね」
 シュラウド先輩のこういう部分、僕としてはどうもないんだけど、ローズハート先輩はちょっと気に入らないって感じの顔をしている。難しいなぁ。
「今日はNRCトライブのマネージャーなので特殊スキン対応なんです」
「あ~……『VDC』ね……陽キャ・リア充のイベントなんて拙者、完全に蚊帳の外なんで……」
「まぁ、世界規模って言っても学生大会ですもんね」
「そういう事。……そりゃ、ヴィル氏がプロデュースしてるなら学生レベルで留まるとは思ってないけど。他は見るに耐えないだろうし、どうせネットに学校単位で映像上がるから、見るならそっちで十分だし」
 そう言うだろうなと思った。チケット渡したの、ツノ太郎で正解だったな。
「ご期待通り、学生レベルの仕上がりではないので!後でもいいので是非見てください!」
「覚えてたらね。……それはいいんだけど」
 シュラウド先輩はじっと僕の顔を見た。
「……顔出して歩くならその、気をつけなよ」
「あ、はい。まぁいろいろ、そういう対策の試運転も兼ねてるので」
「あー……えっと……うん。まぁ教官と一緒なら大丈夫か」
「オレ様もいるんだゾ」
「なんだか歯切れが悪いな」
 クローバー先輩も会話に乗り出してくると、シュラウド先輩はまた怯えた声を上げて身を竦めた。僕を盾にする位置に入りつつ、思い直した様子で僕たちを見回す。
「は、ハシバ氏の写真、ケイト氏がマジカメに上げてたでしょ?」
「……そういえばそうだね」
「割とその、ハシバ氏の顔ファンみたいな、そういうコミュニティ出来てて」
「そんなんあるんですか!?」
「不純なファンコミュは本人に知られないようにするのがマナーなんで」
 とはいえ、とシュラウド先輩は真剣な表情になる。
「小規模だし今のところはうちの学校の生徒がメインだろうけど、ネットにある以上、誰が見てるかわかんないし、変なのがこういう行事に紛れて実物を見に来ないとも限らないし。出来るだけ人と行動した方がいいよ」
 最後の方は消え入りそうな声だったが、確かにそう言っていた。
 本当に口調と態度が余計なだけで、割と面倒見が良くていい人なんだよな、この人も。必要がなければファンコミュニティをわざわざ本人に知らせないモラルもあるし。
「ありがとうございます。気をつけますね」
「ボクたちも警戒しておきます。ご忠告感謝します」
「う、うん。そうして」
 僕とローズハート先輩が感謝を口にすると、先輩は再び居心地悪そうな顔になった。
「あ、あー。僕、発表に向けての最終調整しないとだから。ボドゲで遊びたいんならオルトに言ってね」
「お邪魔してすみませんでした」
 会釈すると、ぎこちなく手を振ってくれる。すぐに向こうを向いてタブレットを取り出していた。本当に忙しかったのかもしれない。申し訳なかったな。
 振り返ればちょうど、ゲームの点検をしていたらしいオルトがこちらに寄ってきた。
『リドル・ローズハートさん。トレイ・クローバーさん。ハシバ・ユウさん、グリムさん。こんにちは!ボードゲーム部の展示ブースへようこそ!』
 愛想良くにっこりと微笑んでくれる。こちらも笑顔で挨拶を返した。
『ここでは古今東西、いろんなボードゲームを部員たちと一緒に遊ぶ事が出来るよ。それから、兄さんが開発した魔導式「VRマジカルすごろく」も!』
「『VRマジカルすごろく』って?」
「なんか面白そうなんだゾ!」
 僕たちの反応を見て、オルトはゲームの箱が並んでいる棚から何か持ってきた。顔面に装着するゴーグルと、両手で持つタイプのコントローラー……だと思う。
『兄さんが開発した魔導式VRゴーグルをつけると、プレイヤーはバーチャルリアリティの世界に入り込む事が出来る。そこではサイコロが止まったマスによって仮想世界のプレイヤーに様々な出来事が起きるんだ』
 ゲーム内容ややり方は普通のすごろくと同じらしい。
『もちろんサイコロの出目はプログラム制御による完全ランダム。テクニックで狙った目を出すようなズルも出来ない。サイコロに己の命運を託し、ジャングルでモンスターを倒したり、砂漠で油田を掘り当てたりしながらゴールを目指す。それが新感覚ボードゲーム「VRマジカルすごろく」さ!』
「はたしてそれはボードゲーム……なのか?」
「コンピューターゲームですごろくゲームって結構ありますよ。オンラインで友達と遊んだりしますし、コンピューター使ってるだけで、アナログとそう変わらないと思います」
「こないだエースたちとやったマジカルライフゲームみたいなヤツだろ。オレ様もやってみたい!」
『あ、興味を持ってくれた?じゃあ、ぜひ体験してみてよ』
「……そのゴーグル、グリムのサイズがあるのかい?」
「ふなっ!!」
 言われてみれば、グリムには大きい気がする。元の世界でもVRって年齢制限あった気がするし……猫にVRって楽しめるのか?
『大丈夫!子ども向けに調整されたタイプもあるよ。没入感はちょっと劣るけど、映像も音も同じものが楽しめるんだ!』
「おぉっ、やったー!」
「よかったね、グリム。明日はここも回ってこないとだ」
 僕の発言にオルトが首を傾げる。
『いま体験していかないの?』
「俺たちは見回りの最中なんだ」
「十二時からは『VDC』のリハーサルもあるし。凄く面白そうだから、せっかくならゆっくり遊びたいから」
『そうだったんだ。残念。じゃあ、また明日ね!』
「おう!また明日来るんだゾ!」
「これはこれは、みなさん。我がボードゲーム部の展示へようこそ」
 見計らったようなタイミングで、アーシェングロット先輩の声が聞こえた。機嫌良さそうな顔でこちらに歩いてくる。
「アズール。そういえばキミもボードゲーム部だったね」
 こういう行事の日はモストロ・ラウンジの運営に精を出しているのかと思っていたけど、とローズハート先輩は意外そうに続けた。それに対し、アーシェングロット先輩は割と大げさに心外だという顔をする。
「いやですね。僕も学生ですよ、リドルさん。文化部員としてキチンと文化祭に参加しますとも」
 今回は研究でお茶を濁す、みたいな事も言っていた気がするけど。
 そんな疑問を察してか、すかさずアーシェングロット先輩の事情説明が続く。
「それに今回は暇人ども……いえ、いくつかの運動部と提携しまして。店舗だけでなく各特設ステージの客席でもドリンクを移動販売する事にしたんです。やはり今回の文化祭の目玉はパープルステージで開催される『VDC』ですから」
 売店をいくつか管理すると話していたけど、移動販売までするんだ。でも確かにコロシアム規模の会場で客が動いてドリンクを買いに行くのって大変だし、喜ばれそうなサービスではある。
「へぇ、いろいろ考えてるんだなぁ。勉強になるよ」
「寮長の僕や副寮長のジェイドをはじめ、オクタヴィネルは文化部所属の寮生が多い。来客でラウンジが大混雑してしまうと対応しきれない可能性が高かったので」
 確かにそういう寮ごとのイメージあるな。事実そうなんだ。
「そういえば、ジェイドは自分で同好会を立ち上げて活動をしているんだったね。『山を愛する会』。今回、ブースの申請があったよ」
 ローズハート先輩が語った名前は馴染みの無い同好会の名前だ。山岳部と言えば山登りだろうとイメージ出来るけど、『愛する』って抽象的すぎないか。
「名前からして、運動部に類する同好会だと思っていたのだけど、文化部なんだね」
「ところで、それは一体なにをする同好会なんだ?」
「さぁ……僕も詳しくは知りませんが」
「あんなおっかねぇヤツが作った同好会なんて絶対こえー活動だろ」
 アーシェングロット先輩が肩を竦める横で、グリムが身震いしながら呟く。海で追いかけられた記憶はまだ鮮明のようだ。
「山でヤベーもん掘り起こしたり、あやしいもん埋めたりしてるに違いねぇんだゾ」
「……どうだろう。一応ジェイド先輩も高校生なんだけどね……」
「でも、あのジェイドならありえるな」
 意外にもローズハート先輩はノリノリだ。彼は真面目なので、グリムの言葉にも誠実に応えてくれる。たまに心配になるけど。
「展示と申請を受けているけれど、何か良からぬ事を企んでいるかもしれない。注意深く確認するべきだろう」
「ええ、ぜひ見に行ってあげてください。きっと喜ぶでしょう」
 アーシェングロット先輩はいつになく愛想良く笑ったかと思えば、冷めた表情で吐き捨てる。
「どうせ、一人で暇を持て余しているでしょうから」
 どうも彼の活動に理解は無いようだ。
 僕の視線に気づいたのか、アーシェングロット先輩は再び愛想のいい笑顔に戻る。
「それはそうと、ユウさんは何故リドルさんたちと文化祭を回っているのでしょう?確か、NRCトライブのマネージャーをされるとのお話でしたが」
「十二時のリハーサルまでやる事が無いので、一緒に回ろうとお誘いを頂きまして。明日友達と遊ぶための下見も兼ねてます」
「もちろんここにも来るぞ。『VRマジカルすごろく』で遊ぶんだ!」
「あ、グリムさんもご一緒で。そ、そうですか……」
 ちょっと残念そうな顔をされた。気づかない顔をして敢えてにっこりと笑いかける。
「そういえば部員の方とも遊べるんですよね。もし僕たちが来た時に先輩がいらしたら、一緒に遊んでいただけますか?」
「い、いいんですか!?」
「僕も友達も特別ゲームが強いわけじゃないので、楽しんでもらえるかはわかりませんけど」
「いえ、僕はボードゲーム部員として、皆さんを楽しませる立場です。そんな事は気にせず遊びに来てください」
「はい!」
 アーシェングロット先輩は満足そうな顔になっていた。僕の気持ちもちょっと上向く。
「じゃあ、そろそろ次の展示ブースに移動しようか」
「はい。それじゃ、失礼します」
「マネージャー業、頑張ってくださいね。例年を越える盛り上がりを期待してますよ」
「オレ様のツナ缶富豪の夢のためだからな!当たり前なんだゾ!」
「……グリムが答えていいのか?それは」
 苦笑しつつ、ボードゲーム部の面々に会釈をして教室を出た。
 普通の文化祭ならまず間違いなく人気のブースだろう。遊べる場所は若い客を集めるし、シュラウド先輩の作った『VRマジカルすごろく』も凄そうだし、何より座れる。ああは言ったけど、明日入れるかも怪しいな。
 少し歩いた所で、ローズハート先輩が足を止めた。僕の顔をじっと見つめる。
「どうかしました?」
「眼鏡、外すの忘れてるよ」
 言われて気づいた。やっぱりかけた状態に慣れているので一度かけると外すの忘れやすいみたい。
「やっぱりこっちがデフォルトなんですよね……長年の癖はなかなか抜けないや」
「視力に問題のある身としては、付け外し自由なのは羨ましい限りだがな」
 それを言われると何だか申し訳ない気持ちになる。苦笑しつつメガネを外して懐にしまい、顔を上げるとローズハート先輩と目が合った。
 ローズハート先輩は、乱れた僕の髪の毛を指先で整えると優しく微笑む。
「うん、これでいい」
 それがまたとても無垢で愛らしい。柄にもなく胸がときめく。
「さあ、行こうか。急がないと開場時間になってしまう」
「は、はい!」
 早足で歩き出すローズハート先輩を慌てて追いかけた。
「……子分、最近よく顔が真っ赤になってっけど、何だアレ?」
「春が近いんだよ」
「やっと最近雪が無くなってきたぐれぇなのにか?」
「グリムにはまだちょっと早いかもしれないな」

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