5−2:泥濘へ堕ちる美貌の毒華



 全国魔法士養成学校総合文化祭。
 ツイステッドワンダーランドにある複数の魔法士養成学校の生徒らが研究の成果を発表する『文化部のインターハイ』。
 音楽、美術、調理、魔導工学など取り扱う分野は幅広く、作品展示や弁論など発表形式は多岐に渡る。開催二日間で優秀な魔法士の卵たちの才能を数多に知らしめる大規模なイベントだ。
 最も盛り上がるステージイベントの目玉として開催されるのが『ボーカル&ダンスチャンピオンシップ』である。歴史を辿れば『文化部のインターハイ』の一部でしかなかった音楽発表会なのだが、名門同士の争いが過熱するにつれ、いつの間にか総合文化祭の代名詞に等しい存在へと成長を遂げた。各校選抜でノンジャンルの『VDC』とは別に、各音楽ジャンルの部活のステージも設けられているが、まぁ『VDC』の割を食った感は否めない。
 開場は十一時からだけど、展示系の準備があるので他校の生徒の姿もちらほら見受けられた。展示ブースとして使っている教室は、今頃きっと様変わりしている事だろう。
 サイドストリートもお祭り騒ぎになっていた。こちらは各校の調理系の部活による飲食の屋台がずらりと並んでいる。種類は豊富、値段もお手頃。開催期間が二日しか無いので一人で全制覇はまず無理だ。
 すでに調理が始まっているようで、そこらじゅうからいい匂いが漂ってくる。グリムが目を輝かせた。
「なぁなぁ、なんか食べようぜ!」
「まだ開場前だから食べられないよ」
「もう準備できてる屋台もあるじゃねえか」
「ダメです。ルールは守りましょう」
「ちぇー」
 ぶーたれてるグリムをしっかりと抱えて通りを歩く。誘惑は多いが、今はここを通らないとコロシアムには辿り着けないので仕方ない。
 コロシアムは客席数が最も多いステージとして使われる。『VDC』のステージもここだ。
 元々観客が入る事を前提とした建物なので、フィールド部分にステージとアリーナ席を設けて、ステージ上には特大のモニターを設置。モニターパネルの両脇に舞台への出入り口を作り、パネル裏には機材や建物内へ続く通路が隠されている。
 当初はモニターによってステージが見えない席は音響や照明だけでなく、録画や配信等も含めた機材を全て集約する予定だったが、あまりのチケットの売れ行きにステージ構造の見直しが行われ、従来の放送室に一部の機材を移して見切れ席を作ったらしい。シェーンハイト先輩から見せてもらった文化祭実行委員の資料にそう書いてあった。世界的インフルエンサーの影響力、凄すぎる。
 まだ入場開始前の時間なので、ナイトレイブンカレッジの生徒は自由に出入り出来た。通路からフィールドに出れば、正面奥に巨大なステージが設置されているのが目に入る。
「おわぁ~!いつものコロシアムにでっけぇステージが出来てる!」
 グリムはまた目を輝かせた。でもその気持ちも解る。見慣れたはずの場所なのに、普段と違う雰囲気になるとちょっとドキドキする。
 とはいえまだ設営作業は続いているようで、そこかしこに運動着姿の生徒がいた。みんな忙しなく資材を運んだり機材を調節したりしている。
「おやまぁ、オンボロ寮の子猫ちゃんたちじゃないスか」
 声に振り返れば、ブッチ先輩が笑顔で手を振っていた。会釈すると駆け寄ってくる。
「設営の手伝いに来てくれたんスか?ありがたいッスね」
「オレ様たちはマネージャーとして会場の視察に来ただけなんだゾ!雑用なんてゴメンだ!」
「まぁそう言わずに……って、今日は眼鏡しないんスか?」
「いろいろありまして」
 へぇ、と流しつつブッチ先輩はステージ上を見やる。僕たちを手招きしてステージ脇まで連れてきた。
 ステージはすっかり完成しているらしい。デザインこそコロシアムに合わせた古い石造りっぽくなっているが、間近で見ればピカピカの新品なのが判る。でも安っぽくないし、プロが作った舞台装置みたいに立派だ。
「ユウにグリムじゃねえか」
「おう、ジャック」
 聞き慣れた声に振り返れば、ジャックが歩いてくる所だった。僕たちの顔を不思議そうな顔で見ている。
「お前ら、確かエースやデュースのマネージャーになったとか言ってなかったか?」
「そう。だからステージの視察に来ました!」
「アイツらは『VDC』本番に向けて最後の追い込み中で、邪魔だって追い出されちまったんだゾ」
「厄介払いされてんじゃねえか」
「……まぁ、そうとも言う……」
 そりゃ、練習の場にいたって見てるだけになるのは事実なんだけど。夢の事は関係なく本音を言うと、ちょっと寂しい。
「ダンスフロアの出来に心配でもおありかな、プリンセス?」
 そんな声が聞こえたかと思えば、真後ろから抱き寄せられる。逃げる間も無かった。
「おはようございます、キングスカラー先輩……」
「我々が組み上げたパープルステージのご感想をどうぞ」
「プロが作ったステージみたいでめっちゃかっこいいです!」
 一応素直な感想を述べたのだが、腕は放してくれない。
「この特設ステージってオメーらが作ってたのか」
「マジフト大会の時は運営や整備周りを文化系の部活が担当したからな。今回はその逆で、運動部が雑用を押し付けられてるってわけだ」
「でかい催しとは言え、文化祭はあくまで学校行事。プロに頼るところもあるけど、学生の手で作るのが基本ッス」
 これも体験学習の一環ってヤツ、とブッチ先輩は肩を竦める。
「俺たち陸上部とマジフト部はパープルステージの設営を担当してる」
「そっか。……そこから二人も借りちゃってるんだな……」
「そういう事だな。労力に見合った素晴らしいステージになる事を期待してるぜ?マネージャー殿」
「そこは大丈夫だと思いますよ。プロ顔負けの出来なんで!」
 僕が胸を張って言うと、後ろの気配が面白くなさそうな感じになった。なんか不服そう。
「今日は眼鏡まで外してご機嫌取りか。ご苦労な事だ」
「まぁ、そんな所です。メガネ無い顔見た方がやる気出るって言ってるヤツは他にもいるので」
「…………ほう、それはそれは」
「でもキングスカラー先輩のやる気は出せないようで。僕の顔もまだまだですね」
「俺だけしかいない所で外してくれるなら大歓迎だが?」
「…………朝っぱらからご機嫌ですこと」
「ああ。つまらねえ裏方作業を一日やらされるかと思うと憂鬱な気分だったが、朝から真面目に出てきた甲斐はあったな」
 そう言うとキングスカラー先輩は少しだけ腕を緩めた。抜け出して顔を見ればいつもよりは機嫌良さそうに微笑んでいる。何も言えずにいると頭を撫でられた。なんか恥ずかしい。
「……キミたち、設営中におしゃべりをしているとは随分余裕がおありだね」
 何を言うべきか悩んでいると、朗々とした声が緩い空気をぴしゃっと引き締めた。
「作業は予定通りに進んでいるのかい?」
「リドル先輩。お疲れ様ッス!」
 ローズハート先輩とクローバー先輩が連れだって歩いてくる。背筋を伸ばすジャックとは対照的に、キングスカラー先輩はいつもの嫌みったらしい先輩面に戻った。
「これはこれは運営委員長サマ。埃まみれの現場へようこそ」
「朝から力仕事をご苦労さん。運営委員から、温かい飲み物の差し入れだぞ」
 キングスカラー先輩の悪意を、クローバー先輩が慣れた様子で明るく受け流す。持っていた袋から大きなポットを覗かせた。
「お、こりゃ気が利いてるッスね!野外での作業で、しっぽの先まで冷え切ってたとこッス。ありがたくゴチになりまーす!」
「……運営委員サマからの差し入れだ。キリの良いところで休憩取れ」
 ブッチ先輩が袋ごと受け取ると、キングスカラー先輩はコロシアムに響きわたる声で号令をかける。あちこちから応える声が聞こえて、そこかしこから出てきた生徒がブッチ先輩の所に集まっていった。
「レオナ先輩、設営の進捗状況はいかがです?」
「ご覧の通り、報告するほどの遅れもねぇよ」
 今見えているこの状態がほぼ完成形、という事らしい。ローズハート先輩も異議はなさそう。
「あとは照明と音響の軽いテストをしたら十二時からのリハ待ちだ」
「よろしい」
 運営委員長と現場責任者の話がまとまる。仲は良くなさそうだけど、仕事ぶりに関しては安心感のある二人だ。
「このパープルステージは世界が注目する『ボーカル&ダンスチャンピオンシップ』が行われる。世界中から集まる代表選手のためにも細心の注意をはらって最終チェックを」
「へーへー」
 とはいえ表面上にはだいぶ温度差があるけど。
 まぁ、キングスカラー先輩は本人のやる気がどうあれ仕事はこなせる人だろうから、その辺の心配は全くない。むしろ顔を知らない人じゃなくて良かったまである。
「そうッスよぉ。世界中から金ヅル……じゃなかった。お客様が来るんスから」
 ブッチ先輩が含みのある笑みを浮かべて言う。周囲が疑惑の視線を向けるのをものともせず、いつもの特徴ある笑い声をあげた。
「運営委員さん、トラブル起きないようにしっかり監督よろしくおねがいするッス」
「キミがそれを言うのかい?まったく……」
「裏方のミスがトラブルに繋がらねぇよう心してかかります」
「心強いね。よろしく頼んだぞ」
 呆れ顔のローズハート先輩を安心させるようにジャックが言い切れば、クローバー先輩が鼓舞する。ジャックはちょっと嬉しそうだ。
「……さて、これで三つの特設ステージの見回りは終わりか?リドル」
「ああ。次は展示ブースや控え室の見回りにいこうか」
 ローズハート先輩は懐から取り出した時計で時間を確認する。
「十一時からは一般客の入場が始まる。揉め事や違反行為がないか、常に目を光らせておかないと」
 責任感の強いローズハート先輩だけに重圧も感じてそうだが、クローバー先輩がサポートしてるなら大丈夫か。副寮長って重要なんだな。
 と関係ない事を考えていると、ローズハート先輩と目が合った。
「ユウ、グリム。ボクたちはこれから校内を一周見回る予定だけれど……展示に興味があるのなら、一緒に来ても構わないよ」
「え、いいんですか?」
「一緒に行動すれば、ボクたちもグリムが揉め事を起こさないように見張る事が出来るからね」
「オレ様がいつも揉め事起こしてるみたいな言い方すんじゃねーんだゾ!」
「まぁまぁ。ユウが素顔で出歩くなら護衛は多い方がいいだろ?」
「おや、薔薇の騎士サマらしいお言葉だな」
「……やめてくれないか、それ。不本意なんだよこっちは」
 キングスカラー先輩はニヤニヤ笑いを止めない。クローバー先輩も珍しく本気で不機嫌な表情だ。ローズハート先輩がちょっと困った顔になってる。
「俺としてはNRC代表のマネージャー殿に会場の完成を監督してもらいたいんだが」
「キングスカラー先輩が設営取り仕切ってるなら僕は何も心配する事ないですよ。半端な仕事するわけないし、下手な本職の大人よりちゃんと作ってくれると思ってます」
 僕は本心から言ったのだが、場の面々はあまりそう思ってなさそうだった。否、ジャックだけうんうん頷いている。
「これだけ進んでるなら、ここにいても僕たちはやっぱりお邪魔になっちゃいそうですし」
 そこまで言った所で、キングスカラー先輩から長い溜め息が漏れた。あまりに物言いたげで口を噤んだのだが、先輩から言葉はない。
 と、思ったら正面から抱き寄せられた。
「うぇっ、ちょっ」
 戸惑っている間に猫がすり寄ってくるみたいな動きで首筋を擦り合わせられた。
「なになになに」
 離れたかと思ったら反対の首筋にも同じようにされる。
 呆気に取られていると、キングスカラー先輩の手が乱れた髪を梳いて整えてくれた。
「なんなんですか!?」
「虫除けだ」
「は?」
「今日は『お守り』が足りねえみてえだからな。餞別にくれてやる」
 説明になってない説明をして、キングスカラー先輩はステージの機材の方に戻っていった。クエスチョンマークを浮かべる僕を見て、ブッチ先輩がいつものように笑う。
「そりゃ鼻が利けば『獅子』の匂いがついてるエモノに手を出そうなんて考える命知らずはいないッスから」
 ああ、そういう意味。
 合点がいくとちょっと恥ずかしい。かすかにあの人の匂いがしてる気もする。
 昼までに気づかれない程度に抜けてくれるといいけど。
「いや何もやましい事なんて無いわ一方的にやられてるんだわこっちは!!!!」
「いきなり何だ!?」
「だ、大丈夫かい?」
「すみません取り乱しました大丈夫です」
 自分でも髪を梳いて整えながら首回りを手で払う。負けるな自分。頑張れ自分。
「うう、子分からレオナの臭いがするのは落ち着かねえんだゾ」
「参ったな……口腔用の消臭スプレーしか無いんだが」
「それを肌に使うのはさすがにどうだろう……?」
「気にしないように頑張るんで大丈夫です。お気持ちだけで」
 っていうか何でそんなもん持ち歩いてるのクローバー先輩。訊かないけど。
 ぐだっとした空間にローズハート先輩の咳払いが響く。
「では、設営班のみんなは残りの作業を頑張って」
 いつもの調子を取り戻してぴしりと言えば、ブッチ先輩もジャックも同じくいつもの調子で応えた。ブッチ先輩はキングスカラー先輩のいる方に向かい、ジャックは僕たちに向き直る。
「それじゃあ、ユウ、グリム。また後でな。今日の『VDC』のチケット、エペルにもらったから俺も見に行くぜ」
「あ、そうなんだ。同じクラスだもんね」
「ああ。アイツらに『無様なところ見せんじゃねーぞ』って伝えておいてくれ」
「おう、わかったんだゾ」
 グリムと一緒に頷くと、ジャックは満足そうな顔になって設営作業に戻った。背中を見送り、ローズハート先輩たちに向き直る。
「では、一緒に行こうか」
 穏やかに微笑むローズハート先輩に頷いて返し、コロシアムの出口へ並んで歩き出した。

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