5−2:泥濘へ堕ちる美貌の毒華
ついにいよいよ、明日が本番。合宿も終わりが近づいている。
「明日が本番ってのに、荷造りしろとかめんどくせえなー。終わってからでいいじゃん」
「外泊届けは今日までだからな。明日からはハーツラビュルに戻らないと」
「終わってみればあっという間だね」
合宿最後の入浴を終えれば、合宿中は自由にしていた時間が荷造りの時間になる。
何とも彼らしい愚痴をこぼしていたエースが、少し意地の悪い笑顔を浮かべた。
「オレらがいなくなったら寂しい?」
「んなワケねえんだゾ。静かになってせーせーするってんだ!」
「素直じゃねえヤツ」
「オメーこそオレ様たちと離れるのが寂しいんじゃねえか?」
「バーカ。こっちは元の四人部屋に戻るだけ。大して変わんねーの」
「むしろ向こうが狭く感じるかもしれないな。エースと一緒なのはともかく、二人部屋は過ごしやすかったし」
「まぁでも、ハーツラビュルの方が建物はしっかりしてるしね。向こうのが落ち着くでしょ」
グリムとじゃれてたエースが僕を見る。
「まぁ、今回の合宿で隙間風にも慣れたし、また泊まりに来てやるよ」
「泊まらせてくださいだろ~?」
「うっせ」
ニヤニヤしてるグリムを照れたように小突いた。僕も笑顔を返す。
「うん、『VDC』終わったらまた泊まりで遊ぼうよ。今度はお菓子持ち込みで」
「ジャンクフード祭りしようぜ!」
「今回は没収されちまったからな。今度は思いっきり遊ぼう」
そんな他愛ない話をしながら二階に上がる。
「マネージャー」
部屋の前にシェーンハイト先輩が待ちかまえていた。真剣な表情に何かあったかと思ったけど、視線に剣呑なものは感じない。
「大切な話があるから、部屋に入ってくれる?」
「何だ何だ?」
「マネージャー二号はいいわ。談話室でゴーストと遊んでらっしゃい」
「ふな!?」
ショックを受けた様子のグリムをエースが抱え上げた。
「じゃ、オレらは部屋に戻っから」
「あ、うん」
「シェーンハイト先輩、お疲れさまっす!」
「ええ。忘れ物がないように荷造りなさいね」
二人はグリムを連れて自分たちの部屋に入っていった。
僕はぎこちなく先輩を振り返る。先輩は部屋の扉を開いて『入れ』と首を振った。素直に従う。
部屋に入るとシェーンハイト先輩は扉に鍵をかけ、更にマジカルペンを振った。
「……これで盗み聞きされる心配はない」
そう呟いて、僕を振り返る。不安が無くはないけれど、でも先輩が変な事をするはずもない。
「それで、大切な話ってなんですか?」
「……訊くならこの合宿中しかないと思ったから」
座るように促されて、自分のベッドに腰掛けた。先輩も僕と向かい合うように自分のベッドに座る。
「アンタが顔を隠すようになった本当の理由を知りたいの」
自分でも顔が強ばったのを感じた。
「…………本当のって、言われましても」
「聞き方が悪かったわね。……経緯を知りたいの」
膝に置いた手を握りしめる。先輩の視線に感情はない。……心配や同情を押し隠しているようにも見えた。
「アンタの顔立ちと演技力を、誰もが見過ごしたとは思えない。闇の鏡さえ届かないほどの田舎育ちなら無理はないのかもしれないけど。……それでは違和感が大きすぎるのよ」
「違和感?」
「魔法の事も学校の事も何も知らない割に、人のあしらい方が洗練されすぎてる。都会育ちの子みたいに」
多分、エペルという比較対象がいるせいで、より浮き彫りになっているのだろう。合宿で一緒に生活したから余計に。
「アンタの本当の出身地はどこ?」
宝石のように綺麗な瞳がまっすぐに僕を見る。どうか嘘をついてくれるな、とその目は訴えていた。
「……信じてくれますか?」
「もちろんよ」
少しだけシェーンハイト先輩の緊張が緩んでいる気がした。話してくれる、と安堵している。
こちらは不安で押しつぶされそうだ。それでももう逃げられない。逃げる気持ちももはや湧かない。
「僕は、魔法の無い異世界の出身です」
「……………異世界?」
「闇の鏡は、僕の出身地はこのツイステッドワンダーランドのどこにもないと、言っていました」
早くも混乱した様子だった。額に手を当てて少し考えて、顔を上げる。
「……信じるって言ったものね、ごめんなさい」
「大丈夫ですよ。僕も信じてもらえると思わないから人に言わないようにしてるので」
「信じるわ。信じるって言ってるでしょ」
ちょっと怒った顔で言ってから、ごめんなさい、とまた謝られた。
「どうしてここに来たの?」
「それが、直前の記憶が曖昧で。気づいたら鏡の間にいて、グリムに出会って、学園長に回収されて、入学式で闇の鏡に『魔力がない』って言われて」
「……じゃあ親御さんは、アンタがここにいる事を知らないの?」
「知らないでしょうね。仕事で海外に行ってて僕は実質一人暮らしだったし、知りようもないかと。多分、突然の行方不明者になってます」
シェーンハイト先輩は頭を抱えていた。そりゃ異世界から来た、なんていきなり言われて信じろっていうのは無茶だろう。むしろ今まで話した人たちはよく信じてくれたと思う。
「都会育ちっていうのは当たってると思います。一応、元の世界の中では国の首都に近い所で育ったので」
「……そう……なの」
突飛な内容を時間をかけて飲み込んで、やっと先輩は顔を上げた。
「もしかして、そっちの世界にも芸能界があるの?」
「…………ありますよ」
もうここまで来たら話すしかない。
シェーンハイト先輩が知りたいのは『メガネで顔を隠すようになった経緯』なのだから。
今更、嘘をつく気にはなれない。
「お察しの通り、向こうの世界で子役タレントをやってた時期があります。十歳から数ヶ月程度ですけど」
「……何でそんなに短いの?」
「仕事帰りに誘拐されかけて、双子の姉がその時のショックで続けられなくなって、一緒に辞めました」
「……誘拐?」
「はい。テレビ局のベテランスタッフのおじさんに、親が待ってるって誘導されて、刃物で脅されて車に押し込まれて。途中で警察が助けてくれたので大事にはなりませんでしたけど」
先輩の指先が小刻みに震えている。恐怖か怒りか、気持ちまでは見えない。
「その事件と、まぁその後もいろいろあって、メガネで顔を隠したら面倒ごとが減ったから、自分の顔のせいで変な事に巻き込まれるんだって気づいて」
「……だから、『お守り』なのね」
「はい」
シェーンハイト先輩は目を伏せた。少しの沈黙を挟んで、意を決したように顔を上げる。
「……事情も知らないのに、無神経な事を言って悪かったわ」
「いえ」
「でもやっぱり、アンタは何も悪くない。それなのに我慢するなんて間違ってる」
「今は我慢してるつもりはないですよ。慣れましたし。面倒はイヤだけど自分を貫きたいなんて我が儘になっちゃう」
「だけど……!」
「先輩だって芸能界の人なら知ってるでしょ。才能があっても芽が出ない人、出ても咲かない人なんてたくさんいる」
大輪の花を咲かせられる人なんてほんの一握り。花と咲いて少しでも名を知られたならまだ良い方。
芽が出る程度ならいくらでもいる。そのまま潰れる人間なんか珍しくもない。
それが自分のせいでも、他人のせいでも、誰のせいでもなくても、意味も結末も変わらない。
「僕もその数多くいる脱落者の一人。それだけです」
「……じゃあなんで、まだボイストレーニングなんてしてるの?」
先輩はまっすぐに僕を見つめる。
「演技するのが好きなだけなら声量はいらないじゃない。アタシの話も理解してくれてる」
心配そうな視線はこちらも見ていて辛い。必死で無表情を保った。
「アンタの関心はずっと、芸能の世界に向いてるって事じゃないの?俳優になりたい気持ちだって、まだあるんでしょう?」
「そりゃお芝居は好きですから。……そうですね。僕は多分、悪い意味で諦めが悪いんです」
憧れだけはくすぶり続けている。もういらないと投げ捨てたのにゴミ箱に入らなくて、でもわざわざ拾いに行ってきちんと捨ててやる勇気はない。そうやってそこにあるからずっと忘れられない。
「だけどもう一度立ち向かう勇気なんて僕にはない。嫌な思い出ばかり蘇っては足を止めてしまう」
「……ユウ……」
「もうそんな感じでずるずるだらしなく引きずってる時点で、やっぱり僕には不相応な世界なんですよ」
シェーンハイト先輩は苦しそうだった。美しい顔が悲しげに俯くのは見ていて心苦しい。
「……僕にはもう届かない場所だけど、そんな場所で輝いてる先輩を見てると、本当に嬉しいです」
「……嬉しい?」
「前にも言いましたけど、僕、十八歳なんです。年齢が同じ有名人って、妙に応援したくなったりするんですよ。……こうしてお話させてもらえるくらい身近にいる人だから、余計に」
そうでなくても地元の有名人は応援したくなるものだ。多分、ずっと有名人側のシェーンハイト先輩には馴染みが無いだろうけど。
「努力が報われるとは限らない業界でも、少しも腐らずに上を目指し続けている姿を見てると、もっと報われてほしい、もっともっと輝いてほしいって思うんです」
「……自分はそれを見てるだけでいい、なんて言う気?」
「はい。異世界だけど、こうして憧れの業界にいる先輩のお手伝いが出来て、僕はもう十分幸せですから」
「もうやめて頂戴」
厳しい声音に顔を上げれば、先輩が目の前に立っていた。苦しそうな表情が見えたのは一瞬の事。花の香りに包まれて、視界が覆われる。
「自分の夢を、他人に託して忘れようとしないで」
先輩の声が震えていた。抱きしめられる腕は見た目よりずっと力強くて、頭を撫でる手はいつも通り優しい。とても暖かい。涙が出そう。
だけど何とも答えられなくて、ただ無言で先輩の背中に手を回した。背中を撫でて宥めるのは違う気がして、それしか出来ない。
「……アタシたちは勝つわ」
しばらく続いた無音を、力強い声が打ち破る。
「世界一になる夢が叶う瞬間を、アンタに見せてあげる」
腕が解かれる。先輩の目は真剣に僕を見つめていた。
「だから約束して。アタシたちが世界一になったその時は、アンタも自分の夢にもう一度向き合うって」
僕を思いやっての言葉だと解る。きっと真剣に励ましてくれているのだ。
それをどこか邪な気持ちで受け止めている自分を恥ずかしく思いつつ、表情には出さないように頷く。先輩は安堵したように雰囲気を緩めた。
「絶対よ。後で忘れたなんて言わせないから」
最後は少しだけ意地悪な笑顔で言われた。僕が怯えつつも頷けば、満足そうに笑う。
「さぁ、寝る前のスキンケアをしましょ。いらっしゃい」
「え、いや、自分で……」
「良いから来なさい。ストレス解消に協力するって約束でしょう?」
明日までマネージャーなんだから、とシェーンハイト先輩はこれまた気持ちのいい笑顔で言う。
僕は苦笑いしつつ、椅子を先輩のドレッサーの傍まで引きずっていった。