5−2:泥濘へ堕ちる美貌の毒華
グリムの寝息が聞こえる。先輩のベッドも静かだ。とっくに寝付いているのだろう。
自分も寝ようとしていたけど、何となく眠れなかった。目を開けては鏡を見たけど、特に変化はない。
ふと夜中に目覚める事があればいつも気にしてはいるが、あの日以来ミッキーの姿を見ていなかった。何か条件があるのかもしれないけど、全く見当もつかない。
いい加減に寝なくちゃ、と布団をかぶりなおして、ふとカーテンの向こうで黄緑色の光がちらついた気がした。何となく気になって起きあがり窓を覗く。やはり見覚えのある黄緑の光がちらついていた。庭に目を向ければ、雪の残る庭には目立つ黒い人影が立っている。特徴的なシルエットなので誰かすぐに判った。
上着を掴み、ふと思い立って机を探る。貰った関係者用チケットをポケットに入れて、出来るだけ音を立てないように部屋を出た。
玄関から僕が出てきても人影は微動だにしない。溶けかけた雪の残るオンボロ寮を見上げてぼんやりしている。冬の真夜中だっていうのにコートも着ずに、いつもの制服姿だ。
「こんばんは、ツノ太郎」
声をかけてやっと僕に気づいた。……玄関から出てきたんだけどな、僕。
「おや、久しぶりだな、ヒトの子よ。変わりはないか?」
「……まぁ、僕に変わりはないですね」
「ほう?」
興味深そうな顔をした。オンボロ寮が『VDC』の代表合宿に使われている事を話すと、ツノ太郎は笑みを深める。
「それはそれは……。楽しそうで何よりだ」
本気で思ってるのか嫌みなのかイマイチわかりづらいコメントに苦笑いを返す。
ふと先日受け取ったホリデーカードの事を思い出した。一応確認しとくか。
「こないだ『M.D』ってイニシャルの人からホリデーカードを受け取ったんですけど、もしかしてツノ太郎からでした?」
ツノ太郎が目を見開いた。
「そういえばリリアにカードを預けたんだった。……返事はこなかったが」
どうやら今まで忘れていたらしい。つか、返事いるんかやっぱり。
「すみません、こちらの習慣には疎いもので」
「今更気にする必要はない」
「……まぁ、あなたの名前を知らないので返事の送りようがなかったんですけど」
「ああ。お前は僕の事をよく知らない世間知らずなんだったな」
ツノ太郎は楽しそうに笑っていた。うっすら馬鹿にされているのが若干イラッとはするが、まぁ落ち度は否定できないし。咳払いしてごまかす。
「カードのお礼と無礼のお詫び、と言ってはなんなんですけど」
言いながら、ポケットからチケットを取り出した。
「よかったらお友達と見に来てください」
突然の事だったからそのままの状態で手渡しになったが、ツノ太郎はそういう細かい事は気にしていなさそうだ。きょとんとした顔で僕から受け取ったチケットを見つめている。
「……これは……今度の文化祭で行われるステージのチケット?」
「関係者席なので、よく見えるかまでは保証できないですけど」
「まさか、この僕を招待しようというのか?」
「ええ。普通に買おうにも入手困難なプラチナチケットだそうなので、お詫びにはなるかと思って」
ツノ太郎は変なものを見る目を僕に向けていた。なんか凄く噛み合ってない気がする。いらないなら返してください、と言いそうになった瞬間に、楽しそうに笑い出した。
「お前は本当に恐れを知らないと見える。いいだろう。この招待、謹んで受け取ろう」
「あー……喜んでいただけたなら良かったです」
とりあえず大丈夫そうで内心ほっとした。
いつ会えるか分からない人のためにお礼とか用意するの面倒だし、チケットを持て余すのももったいなかったから一石二鳥。
「お前も舞台に上がるのか?」
「僕はマネージャーなので出ないです。裏方ですね」
「……それは残念だ」
「まぁでも、NRCの代表はシェーンハイト先輩がプロデュースしてますから。マネージャーとして、出来は保証しますよ」
「ほう。他には誰が?」
「あとはえーと、ポムフィオーレのルーク・ハント先輩とエペル・フェルミエ。スカラビアのカリム・アルアジーム先輩とジャミル・バイパー先輩。ハーツラビュルのエース・トラッポラとデュース・スペードで、七人ですね」
「なるほど、シェーンハイトとアジームが出演するのか。それはなかなかの華やかさだろうな」
知ってる名前があったらしい。……まぁ寮長だもんな、そりゃ関係があろうと無かろうと知ってるか。
そういえばツノ太郎って何年生なんだろう。先輩だろうと呼び捨てにしそうなんだよな、この人。制服着てるからには生徒には違いないんだろうけど、四年生にしてはこまめに会ってる気がするんだよなぁ。
僕の内心の事など気にせず、ツノ太郎は微笑んでいる。
「文化祭当日、楽しみにしている。……おやすみ、ユウ」
「おやすみなさい、ツノ太郎」
僕の返事を聞いてから、ツノ太郎は一瞬で光に消えた。黄緑色の光もいつの間にか無くなっている。
どうも喜んでもらえたみたい。これでホリデーカードの事は精算できたと考えていいだろう。よかったよかった。
そこまで考えて、相変わらずの問題が解決していない事に気づく。
「……また名前を聞き忘れた……」
もはやツノ太郎で定着しきっているのが良くないなぁ。とは思うものの、定着しているのに今更本名を知ったところで、という気持ちもあるし。いっそ聞かないままの方が良いような気もする。
まぁ、元の世界に帰るまでに聞ければいいか。